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布陣 一 後半部

男子厨房に入る、というお話です。

「勉強会?今度の金曜日に?」

 真白はスマートホンに向けて訊き返した。

「そ。もうすぐ中間試験でしょ。うちの学校、なーんかやたらとテストばっかあるんだから、やんなっちゃう。赤点取ると、ママとパパがうるさいの知ってるでしょ?だから、真白と、江藤に成瀬、ついでに剣護先輩も呼んで、一緒にうちで勉強しようよ」

 市枝は集中さえすれば勉強もはかどるというタイプであり、この誘いは妥当であるように真白にも感じられた。逆に、集中して勉強が出来なかった場合の市枝の成績は、惨憺(さんたん)たるものになることも心得ていた。真白自身を含め、集まるメンバーは成績トップクラスの面々であり、彼らと共に勉強すれば、市枝の勉強の能率も上がるのではないかと思えた。

「うん、解った。じゃあ、学校から市枝のお宅に直行するね」

「あ、それはダメ」

「は?」

「……じゃなくて、一回、着替えてから来てくれない?そうだ、出来ればあの青紫のワンピースが良いな」

 取ってつけたような物言いを真白は怪訝(けげん)に思い、眉を寄せた。

「ええ?わざわざ、お出かけする格好で勉強会?」

「―――――成瀬がね、もう一度見たいって。あのワンピ姿」

「………解った」

 じゃあ金曜の五時に、と約束して通話を終えた市枝は、にま、と口角(こうかく)を釣り上げた。

「ちょろいわ、真白」

 それから再び、今度は別のアドレスに電話をかけた。

「あ、剣護先輩?こっちはオッケー。話ついたわよ。ケーキの手配、よろしくね。あと成瀬には、くれぐれもプレゼント忘れんなって言っといて。――――――うん、大丈夫、全然、気付いてない。真白ってば、相変わらず自分の誕生日に無頓着(むとんちゃく)だわ。じゃ、そゆことで」


 金曜日は少し雲行きが怪しかったので、真白はワンピースに着替えたあと、念の為に雨傘を持って剣護と共に市枝の家に向かった。但し、向かう前に一悶着(ひともんちゃく)あった。

「あれ?」

 家を出て剣護と落ち合った真白は、首を傾げた。

「何、しろ」

「――――――剣護、今日何か格好良くない?」

 真白は、剣護の服装にいつに無い違和感を覚えた。

 黒い薄手のフード付きジャンパーを羽織った剣護は、その下に焦げ茶のボタンダウンシャツを着て、黒のスラックスを穿()いている。靴もスニーカーではなく、革靴だ。いつも以上に、長い手足とハーフの顔立ちが映える服装だった。

「いや、気付くの遅過ぎるだろ。俺は生まれた時からずっとイケメンで通ってて……」

「そうじゃなくて、なんかお洒落してる!制服も着替えてるし、下、ジーンズじゃないし!」

「ばーか、ばーか、俺はいっつもお洒落ですう―――――」

 ビシッと指を差し指摘した真白に、本気なのかどうか解らない口調で剣護が言い返す。

 市枝の家まで歩くには少し距離があるので、途中からバスを使う。不毛な言い合いをしながら、二人は停留所まで歩いた。

バスに乗り込む時、真白の中で魍魎(もうりょう)に遭った嫌な記憶が蘇った。一瞬怯んだものの、真白はその記憶からあえて眼を逸らさずに、気を強く持とうと自らに念じた。万一同じような事態に陥っても、次は怯えるばかりでいる訳にもいかないのだ。

(剣護に頼ってもいけない)

頭の中で、祓詞(はらえことば)を改めて思い出しながら真白はバスに揺られていた。

 高級住宅地にある市枝の家は、瀟洒(しょうしゃ)なグレーの煉瓦(れんが)の外壁で、外国のシックなお城のような外観をしている。

 バッグに勉強道具を持参しているとは言え、晴れ着でこの家を訪ねると、なんだかパーティーにでもお呼ばれしたような気分になる。

 そう思いながら、真白は呼び鈴を押し、中から市枝が出て来るのを待った。

 ガチャリ、とステンドグラスの()まった扉が開く。

「いち――――」

 え、と続ける前に、クラッカーの破裂音がパパパン、と鳴り響いた。

「ハッピーバースデーイブ、真白!!」

「え………。え?」

 そこには、怜、荒太に、大人っぽくめかしこんだ市枝がにやにやしながら立っていた。

(ハッピーバースデー…イブ?)

 この時点で、真白は自分の誕生日をやっと思い出した。

(六月十日―――――明日だ)

 入って入って、と市枝に背を押され、門倉家とは比較にならないくらい広いリビングに招かれる。よく見れば怜たちの服装も、いつもよりきちんとしたものだ。怜は薄いミントグリーンのシャツにグレーのベスト、濃紺のスラックスを穿き、荒太は白いシャツの上にブルーグレーのジャケットを羽織り、グレーのスラックスを合わせている。これは恐らく男性陣に、市枝がドレスコードを設定したのだろうと、真白にも察しがついた。剣護が珍しく服装に気を遣ったのも、その為だ。

 それでもまだ、きょときょとした目をしている真白を見て、市枝が笑った。彼女は絹のような光沢(こうたく)のある素材の、淡い紅色のワンピースを着ている。耳から下がるイヤリングには、水晶と珊瑚(さんご)が揺れていた。

「真白って、ほーんとサプライズパーティーのし甲斐(がい)があるわあ」

「しろ、お前、伯父さんたちが何の為に帰国したか、すっぽり頭から抜け落ちてるだろ」

 市枝と剣護から口々に言われ、リビングのガラス張りのテーブルに置かれた大きなケーキを見て、真白は恥じ入るばかりだった。ケーキには蝋燭(ろうそく)が十六本、立てられている。

「まあまあ。真白らしいよ」

 にこやかに言う怜だが、彼も明らかに笑いを(こら)えているのが判る。真白が赤い顔で怜を(にら)み上げる。

「次郎兄、フォローになってない……」

「明日が誕生日当日なら、当然家族でお祝いになるだろ?だから、一日前倒しで祝おうって市枝さんの発案なんだ」

 最後にことの成り行きを説明したのは、荒太だった。

 真白が不思議そうな顔になる。それを見て荒太も似たような表情になる。

 期せずして二人は、鏡のように顔を斜めにして向い合せていた。

「…え、何?真白さん」

「――――今日は関西弁じゃないの?」

「ああ…。なんか、気分によるんだよね。関西弁のほうが良いならそっち喋ろうか?」

 特に(こだわ)る様子もなく、合わせるよと言われ、真白はかえって首を強く横に振った。

「荒太、お前このヤロー。俺たちには欠片(かけら)もそんなこと言わない癖に」

 不平を申し立てる剣護に、荒太が呆れた顔で答えた。

「当たり前でしょう、剣護先輩。何が悲しくて男のリクエストに応えなくちゃいけないんですか」

一理(いちり)あるね。さあ、まずはケーキから始めようか、真白?」

 怜の言葉を皮切(かわき)りに、真白の誕生日前夜祭が始まった。


 市枝の家でケーキに紅茶、更には荒太と怜が作ったというごちそうの数々をお腹に入れ、真白は満腹の心地で夜の道を歩いていた。祖母たちには、今日は真白は外で食べて来る、と剣護が前もって言っておいてくれた。

 隣には荒太がいる。

 俺たちはもう少し楽しんでくから子供はもう帰んなさい、という不当な理屈で剣護に帰されたのだ。剣護の目くばせを受けた市枝が、いそいそとワインセラーのほうに歩いて行くのを、真白は見逃さなかった。―――――――今日は市枝の両親は揃って舞台鑑賞(ぶたいかんしょう)で遅くなるらしい。多少羽目を外しても構うまい、というところだろう。

(―――――法律違反)

 荒太と二人になるよう、気を利かせてくれたのは解るが、主目的は果たしてどちらだったのか怪しいものだ、と真白は思っていた。

「真白さん、ふくれてる」

 荒太が笑いを帯びた声で言った。

 彼は剣護から、しっかり真白のボディーガードをしろよ、と仰せつかって真白と同じバスに乗り、バスの停留所から家まで送ってくれているのだ。

 空は曇っているものの、時々雲の隙間を突いて半月より(ふく)らんだ月が顔を(のぞ)かせ、持って来た雨傘も使わずに済みそうだった。

「うーん。良いんだけどね。私だって、ワインに興味無い訳でも無いのに。剣護も次郎兄も、過保護なんだから」

「―――――仲が良いね」

 荒太の言葉には、どこか含みが感じられた。

「それは…、兄妹だから」

「ふうん……」

 何となく、真白は話題を変える必要性を感じた。

「今日の料理は、荒太君が次郎兄と一緒に作ってくれたんでしょう?」

「そうだよ」

 真白は溜め息を吐く。

「すごいなあ。剣護も料理出来るし、荒太君は出来るとかいうレベルじゃないし。……私、次郎兄の腕前は知らないんだけど、どうだった?」

 手ごねハンバーグやほうれん草のパスタ、海鮮サラダ、ビシソワーズなどそうそうたる料理の品々を思い出しながら、荒太に尋ねた。

「ああ、あの年齢の高校生男子にしては、十分出来るほうだと思うよ。俺、誰かと一緒に料理して、自分の手順乱されるとついイラついちゃうんだけど、その点江藤は手際が良くて、優秀なアシスタントだったな」

(うわあ。あの次郎兄が上から目線で評価されてる)

 真白は、もし自分が荒太と一緒のキッチンに立ったら、と想像すると、それだけで胃が痛くなる心地がした。若雪でさえ、嵐と夫婦になったあと、家事に手を出すことを嫌がられたのだ。嵐は家事全般その他何につけても優秀だった。若雪は武術や学問、教養としての舞踊などを含めほぼ何でも完璧にこなしたが、料理の腕前だけは食べた人間を(うな)らせる程、壊滅的(かいめつてき)だった。

「……次郎兄はあの年齢で一人暮らししてるしね。何でもそつなくこなしちゃうところは、荒太君と少し似てるかもしれない。でも私は、荒太君とは絶対一緒に料理出来ないと思う」

 真白の深刻そうな口ぶりに、荒太は笑い声を上げただけで何も言わなかった。

 もう日もすっかり暮れているというのに、まだ蝉の鳴き声がする。

(昔はそんなこと無かったけどな……)

 戦国の世では、戦の場合を除き、夜の暗闇はすなわち無音(むおん)の静寂が常だった。少なくとも夜に鳴く蝉はいなかった。今自分が感じている違和感を、荒太もまた感じているだろうか、と真白は思った。

 真白の家がすぐそこに見える程の距離になり、真白は荒太の正面に向き直った。

「じゃあ、このへんで。送ってくれて、ありがとう」

 夜道を照らす街灯(がいとう)の明かりの下で礼を言う。

「あ、ちょっと待って」

 そう言うと荒太は、麻で織られたと思しき、涼しげなブルーグレーのジャケットの内ポケットから小さな箱を取り出した。丁寧にかけられた細いリボンは、内ポケットの中に入れられてもその形を保っていた。真白に向けて、箱を差し出す。

「十六歳の誕生日、おめでとう。真白さん。……正確にはあと数時間後だけど」

「え……。え。これ、私が貰って良いの?」

 真白の目は、小さな箱と荒太の顔を何度も行き来した。

 実は真白は、単独で男の子からプレゼントを貰うのは、剣護以外では初めてだった。

 荒太が真白の言葉に噴き出した。

「…いや、だって、真白さんの為に作ったんだし」

 可笑(おか)しそうに笑い続けながら言う。

(作った――――――?)

 丁寧な手つきでリボンを解き、箱を開けてみると、中にはブレスレットが入っていた。

 手に取って見ると、華奢(きゃしゃ)な金色の鎖がきらりと光る。鎖には、細かいカットの施された青紫色の雫型の石が一粒ついていた。

(綺麗――――)

 このワンピースと同じ色だ、と思った。

 真白は雲間から出た月にブレスレットをかざしてみた。

「本当は銀のチェーンが良いかとも考えたんだけど、銀は酸化すると黒くなるから。六月の誕生石は真珠だから、真白さんには似合うし、バロックパールにしようかとも思ったんだけど、しょっちゅう着けたりしてたら汗なんかで真珠の(つや)がなくなるし………」

 コットンパールは俺の信条に反すると言うか云々と、ぶつぶつと並べられる、まるで言い訳のような職人気質(しょくにんかたぎ)の言葉は、あまり真白の耳には届いていなかった。

(綺麗だけど、これって――――――)

「……これ、材料費がすごくかかってるんじゃ…」

 真白の恐々(こわごわ)とした問いを、荒太は理屈立(りくつだ)てて否定した。

「それ程でもないよ。石は天然石だし。チェーンは真鍮(しんちゅう)で、他の金具と一緒に手芸品店で揃えたから。俺、そこの店の会員カード持ってるから、会員価格で買えるしね」

 ホッとすると同時に、手芸品店、会員カード、と言う言葉に、荒太の部屋の本棚にあった編み物のテキストを真白は思い出していた。

御用達(ごようたし)のお店とか、あったりするのかな………)

 真白の胸が、ほんのり温かくなる。

「この石は、何て言うの?」

「え、…タンザナイト。あ、やっぱりアメジストのほうが良かった?迷ったんだ」

 慌てたように言う荒太に、真白は微笑んで首を横に振った。

「ううん、これが良い。このワンピースと同じ色で、とても綺麗。ありがとう、荒太君」

 その言葉を聞いて、荒太もホッとしたように笑った。

「荒太君は何でも出来るんだね。出来ないこと無いね。すごいね」

「………器用貧乏なだけだよ」

 真白の素直な賞賛の言葉の連続に、荒太は顔を逸らして答えた。

 けれど街灯の明かりから(わず)かに逃れたぐらいでは、赤面した顔を隠すことは出来なかった。


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