10話
二杯目のハーブティーが少し冷める頃、「…出来た」 と、レリットの心なしか満足気な声が聞こえてきた。
アーウィンが振り返ればレリットの手には白い糸を中心に作られた細長いリボンが完成している。
手渡されたリボンは、蜘蛛の糸の様な細い糸で編まれ糸自体も光沢があり目を凝らせば恐ろしい程の緻密な模様に驚く。
小鳥から始まり、果実、種、発芽、花と物語になっているようだ。白と薄緑のコントラストも素晴らしく、このリボンを使い夜会に出ればさぞかし話題をさらうだろう。
そう。はっきり言えば一級芸術並の作品をタダで貰う事にビビりまくっている。
アーウィンはぎこちない声が出たが何とかお礼を言い丁寧に紙に包み懐に入れた。
「…帰るの?」
う。
その様子をジッと見つめる純粋な瞳が曇り、背後に仔犬がしょぼんとした幻影と被る。アーウィンは動物好きだ。罪悪感でチクチクと心が痛む。
明日まで休みを取っておけばよかったと後悔するが、元々下見だけで帰るつもりだったので明日は仕事だ。朝は目覚ましの音にも気付かない程弱いので早めに帰るつもりだった。
「大丈夫ですよ、お嬢様。アーウィン様は今夜はお泊まりになられるそうです」
「待て待て!俺は明日は朝一で仕事だぞ?勝手に決めるな」
アーウィンは慌てて遮る。
にこやかな顔でレリットに話すシェルだが、友人の様にアーウィンの肩に乗っている手は親しげとは程遠く握力が半端ない。ミシミシと骨が鳴るが、しかし勝手に決められては困る。こっちは生活が掛かっているのだ。
「大丈夫です。当家の馬車なら一時間も掛からずにお送り出来ますよ」
「は?いくら良馬でも無理だろ」
「当家の馬は普通ではありませんので。夏冬も水中でも平気で疲れ知らずの餌いらず。最先端な馬ですよ〜。
どうです?宜しければアーウィン様にも一頭お譲り致しますよ」
「………乗っている最中に目ん玉が取れる馬なんて要らんわ」
街中でぽろっと目ん玉が取れ、中が空洞のまま平気と歩く馬。
どうフォローしろと?
「失礼ですね、取れるのは首ですよ」
「余計悪いわ!!」
口の端を上げやれやれと首を竦める執事に殺意が湧くが、レリットをチラ見すれば表情は変わらないものの、しょんぼりした仔犬は消え代わりに足元に控えめな青いツユクサがポンポンと音を立てながら生えてきてくる幻影が見える。
アーウィンの母親は花好きで長男次男に花の素晴らしさを教え込んだが失敗し、次に犠牲になったのは三男だった。当時は貧乏くじを引いたと嘆いていたが女性にはモテるので今では感謝している。
確かツユクサの花言葉はささやかな楽しみ、だったか?
取り留めない事を考えながらも更に強くなる握力に肩が外れそうだ。
「……急で悪いが泊めてくれるか?」
他にどう言えと?
消えた握力とコクコクと首を縦に振るレリットにバレないようコッソリと溜息を吐いた。
ーーーー疲れた。
唯、この一言に尽きる。
あの後の会話も弾み(?)この家ご自慢の大浴場で汗を流した後、夕食に出て来たキャベツ、玉子と小麦粉、煮込んだスープに高級豚、それらを混ぜて焼いた後に数十種類の調味料をブレンドした特別なソースを着けて食べた夕食は美味かった。
お好み焼きとも言う。
今日は自分の常識がガラガラと崩れ去った濃い一日だった。
レリット、シェル、メイサ、馬鹿犬に姿は見ていないが当主と他のアンデッド達。
ぐるぐる回る思考に疲れ何度目かの溜息を吐くと優しいハーブの匂いの柔らかい枕に顔を埋めながらゆっくりと目を閉じた。
自室よりも馴染む静かな、そして落ち着く部屋に首を傾げながら。
時間としては30分も経っていないだろう。
ふっと、枕元に気配を感じ薄っすらと瞼を開ければ、、、
目の前に白い仮面が浮かんでいた。
……………。
「「 ぎゃあ”ぁあ”あ”ぁっっ!!? 」」
叫び声に別の声が混ざっていた事に気付きながらも、咄嗟に枕元に置いてあった剣で鞘付きのまま横に薙いだ。
ーーー外した!?
ズルッ、ゴンッッ!!
……外した訳では無く、仮面男が下に落ちたシーツに足を取られ偶然にも後ろへグラついたからだ。そしてそのまま床に後頭部を強打した。
相当痛かったのか、両手で頭を抱えながら荒くなる息を殺し足をジタバタしている姿に肩透かしをくらいアーウィンは警戒を解いた。
暗殺者にしてはマヌケ過ぎる。
よくよく考えれば、この家にネズミが入り込むのは不可能に近かった。
仮面が浮かんでいたと思ったのはこの人物が全身真っ黒の服に肩まで伸びた漆黒の髪をリボンで纏めている、白い仮面以外黒ずくめだったからだ。
ーーじゃ誰だ?
アーウィンの半目に気付いた仮面男はビクリと体を揺らすと次の瞬間、シャカシャカとゴキブリ並の素早い動きで四つん這いで部屋の隅まで移動した。
その間、約二秒。
あまりのスピードに呆然とするアーウィンを他所に仮面男は懐から紙とペンを取り出しサラサラと何かを書き始めた。
書き終わるとクシャクシャと丸め、えいっとばかりにアーウィンに投げつける。
足に当たったクシャクシャの紙をひろげれば、
【 驚かしてゴメンね〜。アーウィン君。
何を隠そう僕はこのコリンヴィータ家の当主だYO! 】
と達筆な文字で書かれていた。
………は?
書いている内容は読めるが心が拒否している中、アーウィンの足に次の紙が当たる。
【 こんな夜中にホントゴメンね。ペペロンッ☆
でも暗くなきゃ姿が隠せないでしょ? 僕はシャイだから直接話すのも恥ずかしいんだ。
だ、か、ら、筆談になるけどYOROSHIKU☆ 】
………シェルが言っていた、引きこもりで死人と身内以外目も合わせられないビビりの当主。
目も合わせられないから仮面を被り筆談か?
普段は無口だが手紙を書くと陽気になる人物がいるがたまにいるが、この当主もその類いのようだ。
……大丈夫か?コリンヴィータ家。
他家の事ながら不安になるアーウィンだった。
出すつもりが無かったご当主様登場(笑)




