1話
最近王宮に集う貴族のみならず、城下町に住む一般市民にまで知れ渡る噂がある。
天使の御手とも、幻の貴婦人とも呼ばれる人物だ。
彼女が編んだレースは蜘蛛の糸に朝露が反射するかの様な繊細で幻想的。
中でも刺繍はまるで実物をそのまま写し取るかの如く精密で、咲き誇る大輪の花や木々、男性に人気の動物の刺繍などは今から動き出すのかと思えるほどに躍動感溢れ、紋章を縫えば陰影を付け立体的に見える工夫など、一流の腕の持ち主だ。
唯一、若い女性という噂があるだけで、誰一人としてその人物を見たものはいなかった。
「だから俺、天使様作品のハンカチでもレースでもいいから必死に探してるんすよ」
城下町にある一軒の酒場で二人の男達が酒を酌み交わしている。
「それを持って、ミリーナに結婚を前提に付き合ってくれと頼みに行くのか?
そんな小細工してないで男ならどんとぶつかって行け」
「どん!、てぶつかって撃沈しまくってるんすよ!俺なんか小細工でもしなくちゃ相手にもしてもらえない……うう」
彼は華々しく撃沈しまくった歴戦の勇者だ。
「そんなもんか?」
「くそ〜、これだからモテる男は!いいすか?俺ら一般人は花やプレゼント、手紙なんかを何度も何度も何度も!贈ってやっとデートにこぎつけるんですよ!?あんたみたいに女から寄っては来ないんです!」
ふと、過去を振り返ってみる。
「確かに俺は女に何か買った事も手紙を送る事もないな」
「滅べ、イケメン。
〜〜〜どうして立ってるだけでモテるんすか!?フェロモン!?
あんたみたいなのがいるから俺達に女が寄って来ないんだ〜!
そうだ!一度死んでみないっすか?!
そしたら余った女が俺にも寄って来るかも!
頼みますんで、死んで下さい〜〜」
連れの男に半泣きになりながら襟首をガクガク揺さぶられ、流石に男は命の危険を感じて慌てて止めた。
「げほっ。エリック落ち着け。
俺を殺してもお前はモテんし、女も寄って来ない。」
バッサリと一刀両断。
身も蓋も、労わりの欠片も無い言葉だ。
「うああああぁ!!
人でなし〜〜隊長の鬼〜!!」
エリックと呼ばれた男がテーブルに突っ伏して泣きはじめた。悪いが男が泣いても鬱陶しいだけだ。
「喧しい。第一お前はミリーナを口説くんだろう?さっさとハンカチでも何でも買って来い」
まだ泣き続けるエリックに無視を決め込んで酒を飲んでいると、店主のコメカミが引きつり周囲の視線も段々痛くなってくる。
こんな事で出入禁止になるのも馬鹿らしい。
軽くため息を吐くと仕方なく慰めることにした。
「いい加減に泣き止め。
詫びにハンカチか?それを買ってきてやる」
「ーー!!本当すか!?」
エリックはガバリと涙と鼻水のグシャグシャの顔を上げた。
汚い。周りも若干引き気味だ。
「おい、こっちに寄るな!顔を近づけるな!
今ハンカチが必要なのはお前だ!分かった分かった、ハンカチでもレースでも何でも買って来てやる、〜〜あ〜鬱陶しい!」
「アーウィン隊長〜、俺一生ついていきます!」
「来るな!」
「ーーで、何処の店に売ってるんだ?」
騒動がひとしきり落ち着いたところで、追加の酒を注文しつつ、肴をつつく。
「………隊長もしかして噂、知らなかったりします?」
「…?刺繍が綺麗なんだろう?」
「………他には?」
「人気があるなら入手困難といったところか?お前も探していると言ってたしな」
エリックは深いため息を吐いた。
そうだった、この人噂とかには疎かった。
「は〜。初めから話した方がいいみたいすね」
話を纏めると、
ある日、裏通りに迷い込んだ娘が偶然入った店に飾られていたタペストリーに心を奪われた。
それは草原に咲き乱れるタンポポの刺繍だったらしい。早速購入し自分の店に飾ったところ瞬く間に噂が広がった。
その噂を聞きつけ貴族達もこぞって買い付けに行ったが不定期に入荷するらしく数もわからない。
作者を聞いても教えられない。
せめて入荷した作品全て買い取らせて欲しいと金を掴ませたが店を経営している老婆は〝一期一会〟と、取り合わなかったそうだ。
「へぇ。なかなか粋な婆さんだな」
残りの酒を一気に飲み干した。
ついでに飲み屋定番の鳥の辛辛ソース和えとビールを追加する。
「俺もビール追加で!…その婆さん、その辺りの元締めらしくって貴族達も手が出しにくいらしいっす。……ところで一期一会て、なんすか?」
「おいおい、お前剣の訓練だけじゃなく頭の訓練もするか?
……まあ意味としては、人と人との出会いは一度きりの大切なものだから大切にしろ、てところだな。
婆さんは物と人とも出会いがあるのだから金で解決するような無粋な真似はするなと言いたかったんじゃないか?」
「へ〜、なるほど。流石伯爵様、博識すね〜」
「家を継ぐこともないお気楽な三男坊だがな。しかしお前良く騎士団試験に合格できたな」
「あの時は天から神が降りてきたんですよ。この答えはここだ!って。
後から聞いたら結構ギリギリだったらしくて俺は神の存在を感じましたよ」
「まさしく天の啓示だな…お、来た来た。」
「辛いのに手が止まらないすよね〜」
「この店のは特に辛いからな」
「唇が腫れる〜〜」
ひーひー、言いながら手掴みで真っ赤に染まった肉を頬張る。
ビールとの相性は抜群で更にもう一杯追加した。
「さ〜明日も仕事だ、そろそろお開きにするか?」
「そうしますか。で、いつ頃店に行くんですか?」
ーーーちっ。覚えていたか。
「婆さんも一期一会と、言ったんだろう?縁があれば手に入るさ」
「縁なんて待ってたらいつまで待っても手に入らないすよ!言いましたよね、手に入れてやると」
「おいおい、俺らは仕事があるんだぞ。入荷日未定、数量未定、作者不明な上、賄賂も駄目、予約も出来ないときた。無理だろ」
エリックはアーウィンの肩を掴むと手と声に力を込める。
地味に肩が痛い。
「男に二言はないすよね?手に入れるって言いましたよね」
ギリギリと肩に手が食い込む。
「ちょ、痛て。おい!?」
「い、い、ま、し、た、よ、ね?」
ーーーそんな真剣な表情は仕事で見せろ、と言いたい。
数日後、二人は例の雑貨屋の前にいた。
「……なあ、裏通りの寂れた場所だったよな?」
店の周囲には、市民の他に貴族やメイド、執事達使用人が歩き、それを目当てに屋台や花売り、食堂、靴磨き、宿屋など祭りのような賑わいを見せている。
「少し前は、ですね。いつ入荷するか分からないから使用人達が毎日来る。
そして連日来る人の為、宿屋が出来て、飯屋が出来てと、次々に店が出来て今ではこの賑わいですよ。皆逞しいすよね〜」
「これを予測してたなら、その婆さんはヤり手だな」
「そんなもんですかね?…隊長どうします?俺ら毎日は来れないし」
「じゃあ他人に頼むしかないだろう?」
「他人に?」
「ああ、少し待ってろ」
そういうと、アーウィンは歩き始め、端の方にいる靴磨きの少年の前に立った。
「坊主、頼む」
「はい、いらっしゃいませ。
初めましてお客様、うちは銅貨二枚になります」
何度も洗ってくたびれた、だか清潔感のあるシャツを着た少年が頭を下げ、布で汚れを吹き始める。
「しかし、賑わってるな〜」
「ええ、こっちは大助かりです。前は2、3日に一人という時もありましたが、ここでは皆さん、定期的に来てくださります」
「なるほど、多少ぬかるんだ場所もあちこちあるからな。
身だしなみに気を使う貴族様の使用人達が定期的に来る、か。坊主、頭が良いな。
因みに字も書けたりするのか?」
「多少は。でも字が書けるからといってこんな子供を雇う店なんて殆どありませんよ。」
「数字や計算も?」
「……それも多少、です」
「記憶力もあるしな。うん、イケるな」
「………何故記憶力がいいと?」
靴を磨きながら喋る声に、客に気付かれない程度の警戒心が滲んでいる。
「俺に初めまして、と言ったろう?
確かに俺は初めまして、だ。
つまり坊主は客の顔を全員覚えている、てところだろ?」
「ーー!?…はは。偶然ですよ」
「そうか?なあ、二ヶ月だけ短期の仕事をする気はないか?」
少年は思わず手を止めアーウィンを見上げた。
「…仕事ですか?………内容をお聞きしても?」
「お。自分でも怪しいと思うのに断らないんだな」
「話を聞く前にお断りするのは失礼ですし、それに正直に言いますが僕の直感が儲け話だと言ってます」
子供ながらしっかりした返答をする少年に笑いが込み上げる。こんな目をする奴は嫌いじゃない。
「子供に怪しい仕事をさせるつもりじゃないぞ。頼みたいのはあの店に出入りする奴らを記録して欲しい」
「出入り?…ああ、入手経路を調べるつもりですか?でもそのような人物を見かけた事はありませんよ。
第一皆さん店に出入りし、逐一見張ってるんですよ」
「知ってるよ。それでも知りたいのは出入りする人数、性別、その人物の特長を日ごとに記録して欲しい。期間は先程も言った通り二ヶ月だ」
「…かなり細かいですね。僕一人では少しキツイです、何人か追加しても?」
「勿論だ。ただし夜は見張らなくていい。朝から夕方までだ」
「?何故ですか?一番入手経路の可能性が高いのは夜ですよ」
「誰もが坊主と同じ考えを持つだろうな。だが考えてみてくれ。真夜中に人が店の周りを彷徨いてみろ、明らかに目立だろう?そんな話は聞いていないしな。
“木の葉は森に隠せ”といって人を隠すなら人の中だ。俺のカンだが、恐らく日中に納品されているな」
「……だから出入りする人間を調べるのですね」
「そういうことだ。んで、報酬だが、食費を含めて前金で金貨2枚、二ヶ月キッチリ仕事をすれば追加で金貨4枚でどうだ?」
「なっ!?…子供だと馬鹿にしているのですか?それとも金銭感覚がない貴族様ですか?大体、子供にそんな大金払う人間なんていませんよ」
少年が男を睨みつける。
子供は子供なりのプライドがある。外に出て働いていれば尚更だろう。
「ここにいるじゃないか。
それに馬鹿になんかしてないぞ?
正当な労働報酬だ。朝から夕方まで二ヶ月、毎日見張るんだぞ?雨だろうと病気になろうともな。
店に入る客が多いほど大変な作業だ。正確に記録するんだからな。考えている程楽な仕事じゃないと思うぞ」
「…は〜。それにしたって多過ぎます。人数を揃えれば楽な仕事ですからね。
孤児院に住んでいますから、妹や弟達が多いんです。それとも孤児は嫌ですか?」
「?関係ないだろ、坊主自身に頼んでいるんだ。
しかし丁寧な喋り方だな。誰かに習ったのか?」
「……、気にするのはそこですか……。
マザーが貴族出身なんですよ。“言葉使い一つで印象は変わります。より良い関係の為に言葉を学ぶ事は無駄にはなりません”、とね。実際助かってますよ」
「実のある良い教えじゃないか。…え〜名前は?俺はアーウィンて名だ」
「……あ、ありがとうございます。僕はクレスです」
「いい名前だな。んじゃクレス、明日から頼めるか?」
「はい!大丈夫です。
此方こそ宜しくお願いします」
クレスは瞳を輝かせて深々と腰を折った。
その頭に手を置くとクレスに大量の紙とペン、前金を渡し、その場を去った。
「…隊長、相変わらずタラシすよね」
「何がだ?」
男共しか出てない……。
女の子プリーズ!