6回目の告白
――中学から大学まで、同じ女の子に5回フラれた僕の実話――
これから書くのは、僕がひとりの女の子に5回告白した5年間の不器用な初恋の記録だ。
そしてこれは、6回目の告白を決断した物語でもある…
第1章:石鹸の香りと、遠い未来の縁側
始まりは、中学2年の夕方だった。
初めて行った進学塾の教室。学校の教室よりも少しだけ狭く、張り詰めた空気が満ちていた。新しく通い始めたばかりの僕は、場違いな場所に迷い込んだような居心地の悪さを感じながら、指定された席でカチコチに硬くなっていた。
その時、隣の椅子が静かに引かれた。
「はじめまして」
振り返った瞬間、ふわりと胸の奥まで届くような香りが鼻腔をくすぐった。
それは、飾り気のない、けれどひどく清潔な、石鹸の香りだった。
声の主は、首筋がすっきりと綺麗なショートボブの女の子。
目が合うと、彼女は僕の緊張をパッとほぐしてくれるような、とても素敵な笑顔を向けてくれた。
「としえです。よろしくね」
彼女が席に着き、ノートを開く。その横顔を見つめながら、僕は中学生らしからぬ、けれど本物の予感に胸を震わせていた。
僕には、幼い頃から密かな夢がある。
大人になって、歳をとって、いつか静かな家の縁側で、奥さんと並んでお茶を飲むこと。
そんな穏やかな日々の真ん中に、いつか彼女がいてくれたら――。
出会ったばかりのとしえさんの横顔に、僕はそんな遠い未来の景色を、確かに重ねていた。
まさかこの後、彼女に5回も告白することになるとは、当時の僕はまだ微塵も知らなかった。
第2章:すれ違っていた日常
塾からの帰り道も、家に帰ってからも、僕の頭の中にはまだあの石鹸の香りと、彼女の笑顔が残っていた。
翌朝、いつも通り通学帽をかぶり、見慣れた中学校の校門をくぐる。
僕が通う中学校は、地域でも有数のマンモス校だった。1学年だけで12クラス。生徒数は優に400人を超えている。毎日これだけの人間とすれ違っていれば、他人の顔なんていちいち覚えていないのが当たり前だった。
ロータリーを抜け、昇降口に向かって歩いていた、その時だった。
前方を歩く生徒たちの人混みの中に、昨日見たばかりの、あのすっきりと切りそろえられたショートボブの髪型が揺れた。
(あ……)
心臓がドクリと跳ねる。
彼女がふと振り返り、友達と楽しそうに笑った。間違いない、としえさんだ。彼女が着ているのは、僕と同じデザインの、この学校の制服だった。
同じ学校だったんだ。
毎日同じチャイムを聞いて、同じ校庭の風を感じていたのに、12クラスという巨大な壁のせいで、僕は昨日まで彼女の存在すら知らなかったのだ。そう気づいた瞬間、昨日塾の隣の席になったことが、単なる偶然ではなく、何か特別な引力によるもののように思えてならなかった。
第3章:白いメモと、最初の答え
同じ中学校だと知ってから、僕の世界はとしえさんを中心に回り始めた。
授業中も、部活の間も、家にいる時も、気がつくと彼女のことばかり考えている。塾で隣の席に座る時間は、嬉しさと緊張で心臓の音がうるさいくらいだった。
何をするにも、彼女のことしか考えられない。このままでは胸が破裂してしまいそうだった。
意を決して、ノートの端を丁寧に破り、文字を書いた。
シャープペンシルの先が少し震えて、何度も書き直した。
『好きです。付き合ってください』
塾の帰り道、夜の空気の中に、いつもの石鹸の香りが混ざる。僕はポケットの中で小さく折りたたんだ白いメモを握りしめ、彼女の前に差し出した。
「これ、読んで」
それが、僕の最初の告白だった。
翌日、彼女から返ってきた答えは、僕の淡い期待を静かに打ち砕くものだった。
「ごめんね。私、付き合ってる人がいるんだ」
申し訳なさそうに、誤魔化さずに真っ直ぐに僕を見る彼女の瞳。
彼女に彼氏がいるという厳然たる事実が、僕の胸をチクリと刺した。12クラスもあるマンモス校だ。僕の知らない彼女の世界が、そこには確かに存在していた。
第4章:飛び跳ねた日、ビーチサンダルの下校路
最初の失恋から、どれくらいの時間が経った頃だろう。
校内で「としえが彼氏と別れたらしい」という噂が、風の便りに僕の耳に届いた。
胸の奥で、消えかかっていた火が再び勢いよく燃え上がる。
僕はもう一度、塾の帰りにあの白いメモを彼女に手渡した。二度目の告白。心臓が口から飛び出そうだった。
返ってきた答えは――まさかの「OK」。
嘘だろ、と本気で思った。嬉しさのあまり、彼女と別れた帰り道、僕は誰もいない夜道で本当に飛び跳ねていた。世界中の幸せを全部一人占めしたような気分だった。
すぐにデートの約束をした。中学生の僕たちにとって、デートといえば「放課後、一緒に並んで下校する」それだけで十分特別なことだった。
そして迎えた当日。僕は自分なりの「勝負服」に身を包んでいた。
少し悪ぶった格好が格好いいと信じ込んでいた僕は、柄物のTシャツに短パン、速度の出ないビーチサンダル。
本人は最高にクールに決めたつもりだった。けれど、根が絵に描いたような真面目人間に、そんなストリート系のスタイルが似合うはずもない。完全に服に「着られている」状態で、客観的に見れば、それはもう目も当てられないほどダサかった。
ペタペタと情けない音を立てるビーチサンダルで、彼女の隣を歩く。
としえさんはいつも通り穏やかに笑ってくれていたけれど、どこかぎこちない空気が流れていた。僕のちぐはぐな格好のせいで、せっかくの初デートは、甘い雰囲気にならないまま終わってしまった。
そして――次のデートの約束が通ることは、二度となかった。
僕の初めての恋人は、ビーチサンダルの音とともに、あっけなく通り過ぎていってしまった。
第5章:桜の前のタイムリミット、三度目の正直
あの日、ビーチサンダルで歩いた苦い下校路から、季節は巡り、僕たちは中学卒業のときを迎えようとしていた。
僕の進路は、地元を遠く離れた全寮制の高校に決まっていた。一度寮に入ってしまえば、当分の間、この街に帰ってくることはできない。としえさんと同じ空気を吸える日々も、あとわずかで終わってしまう。
離れ離れになる前に、どうしてももう一度、自分の気持ちにケジメをつけたかった。
今度はノートの切れ端なんかじゃない。自分の声で、ちゃんと彼女の目を見て伝えよう。
放課後、僕は意を決して彼女に声をかけた。夕日の差し込む静かな空間で、二人きりで向き合う。心臓の鼓動はあの塾の日と同じだったけれど、言葉は不思議と真っ直ぐに出てきた。
「としえさん、好きです。ずっと好きでした。付き合ってください」
彼女は驚いたように少し目を見張り、それから、いつもの穏やかな笑顔を少しだけ悲しそうに曇らせた。
「ごめんなさい……」
静かに響いたその一言で、僕の三度目の挑戦は幕を閉じた。
遠くへ行ってしまう僕への気遣いだったのか、それとも別の理由があったのかは分からない。ただ、夕暮れの教室に残されたのは、すっきりと大人びた彼女のショートボブの横顔と、優しくも確固たる拒絶の余韻だけだった。
第6章:背伸びの季節と、遠い空への手紙
全寮制の高校に入学した僕は、新しい環境で少しでも自分を大きく見せたくて、思いきり背伸びをした。クラスの自己紹介で、僕は教壇に立って言い放った。
「横浜から来たゆうきです。バンドをやってました。よろしく」
横浜といっても港なんて見えないエリアだし、バンドだってちょっと触った程度。今思えば、相当イキがっていた。けれど、そんなハッタリの僕を「格好いい」と一目惚れしてくれたのが、同じクラスのさっちゃんだった。
彼女からの猛烈なアタックに押され、僕たちは付き合うことになった。僕にとっては、これが初めての「本格的な彼女」だった。
4月の研修旅行。移動のバスでも、歩くときも、僕たちはいつも隣同士で手を繋いでいた。さっちゃんの体温は温かくて、確かに楽しかった。けれど、僕はそこから先にどう進めばいいのか、全く分からなかった。キスの仕方だって見当もつかない。でも、今さら「分からない」なんて格好悪いことは口が裂けても言えなかった。
研修旅行が終わり、日常に戻ると、僕は自分の不器用さに押しつぶされそうになった。次に会ったとき、どんな顔をして、何を話せばいいのか分からない。情けないことに、僕は彼女に声をかけることすらできなくなってしまった。
当然、二人の距離は自然と離れ、最後はさっちゃんに嫌われる形で終わった。傷つけてしまった彼女には申し訳ないけれど、当時の僕にはそれが精一杯だった。
一人きりになった高校一年生の夏。寮の部屋で急に耐えがたい寂しさが押し寄せてきた。頭に浮かんだのは、やはりあの石鹸の香りだった。
僕はペンを取り、遠い地元にいるとしえさんへ宛てて、ラブレターを書いた。四度目の告白だった。
しばらくして届いた彼女からの返事は、どこまでもとしえさんらしく、穏やかで大人びていた。
『寮生活は大変だね。でも、ごめんね。お互いに頑張っていこう』
夏の青空の下で読んだその手紙は、僕の不器用な背伸びを優しくいさめるように、爽やかで、そしてやっぱり少しだけ切なかった。
第7章:寮長の背中と、五度目のエール
高校三年生になり、僕は寮の生徒たちをまとめる「寮長」という大役に選ばれていた。部活を引退した僕は、大学受験に向けて本格的に走り出していた。毎朝5時にパチリと目を覚まし、静まり返った机に向かってペンを走らせる。
いつの間にか、中学生のときのような不器用な背伸びはしなくなっていた。周りからは「真面目で、ちょっと頼れる存在」として見られるようになり、ありがたいことに、僕を慕ってくれる数人の女子生徒たちが、まるで親衛隊のように僕の周りにいてくれるようにもなった。ビジュアルだって、あのビーチサンダルの頃に比べれば、それなりに磨かれていたと思う。
けれど、僕の胸の中には、常に晴れないモヤモヤとした霧が立ち込めていた。
(僕みたいな奴が、人の上に立っていいわけがない)
だって僕は、みんなが見ているような品行方正な優等生じゃない。誰もいない物陰で、隠れてタバコを吸うような、そんな後ろ暗い一面を持った普通の男の子だったからだ。自分の内側と、周りが期待する「寮長」としての姿のギャップに、僕は静かに息が詰まりそうになっていた。
そんな心の揺らぎの中で、気づけば僕は、またあの石鹸の香りを、としえさんの穏やかな笑顔を思い出していた。
気がつくと、僕は五度目となる手紙を彼女に宛てて書いていた。自分の弱さや、今抱えている迷いを、あのひだまりのような彼女に受け止めてほしかったのかもしれない。
しばらくして届いた返事には、僕が求めていた答えは書かれていなかった。
『受験頑張ってね』
ただ、それだけの一行。
でも、その一言が、当時の僕にはどんな慰めの言葉よりも深く染み渡った。彼女は僕の独りよがりな甘えを優しくいなしながらも、僕が進むべき未来を、静かに応援してくれていた。
これで、五回目。
僕の不器用で真っ直ぐだった五回の告白は、こうして高校生活の終わりとともに、一度静かに幕を閉じたのだった。
最終章:6回目の告白
朝のバスは、いつも通りの少し眠たげな空気に包まれていた。吊り革に掴まり、ぼんやりと外を眺めていた僕の耳に、不意に、あの頃よりも少しだけ低くなった、でも聞き間違えるはずのない声が届いた。
「おはよう」
驚いて顔を上げると、そこに彼女がいた。
すっかり大人びたスーツ姿の社会人。でも、あの頃と同じ、すっきりと綺麗なショートボブの髪。そして、僕の記憶にずっと残り続けていた、あの温かい笑顔。
「としえさん……?」
同じ学校だと知った中2の朝のように、心臓が跳ねた。本当に偶然の再会だった。
大学生になった僕と、社会人になった彼女。最寄駅から彼女の勤め先である新橋へと向かう電車の中、僕たちは並んで座り、1時間たっぷりとたくさんの話をした。
中学の時の塾のこと。マンモス校の校庭のこと。他愛のないお互いの今のこと。
5回も真っ直ぐに想いをぶつけ、そのたびに不器用に行き違ってしまったあの頃の痛みが、彼女の穏やかな声を聞いているうちに、ゆっくりと解けていくのが分かった。彼女の隣からは、あの日と同じ、清潔な石鹸の香りがあの頃と変わらず微かに漂っている。
新橋駅のホームに滑り込み、電車のドアが開く。
「じゃあね、またね」
彼女はもう一度、あの素敵な笑顔を見せて、人混みの中へと歩き出した。スーツを着て凛と歩く彼女の背中を見送りながら、僕はそっと息を吐く。
大学生の僕と、社会人の彼女。少し違う世界にいる今だからこそ、言いたい言葉がなかったわけじゃない。
でも、僕は6回目の告白はしなかった。
あえて言葉にしない、この優しい1時間のままで終わらせることが、僕たちの長い時間にふさわしい気がしたから。僕の初恋は、新橋の駅前を吹き抜ける朝の風の中に、静かに溶けていった。
(おわり)




