表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

楓月と魔女

 鳴り響いたドアベルの音に、反射的に飛び起きた。

読みかけの本を手放して、裸足のまま畳の外へと踏み出す。

師匠(ししょう)、」

そのまま駆けだそうとした足を、楓月(かづき)は止めてしまった。

あと数歩足を進めれば、本棚に隠されているドアをのぞき込める。

わかってはいても、楓月の足はそこから動かなかった。


師匠が出て行ってから三か月。

もともと、外出を好む師匠が店を開けるのはよくあることだった。

けれど、いつもはその日のうちに帰ってくることがほとんどで、こんなに長く帰ってこないことはなかったのだ。

遅いと怒ればいいのだろうか、心配したと駆けよればいいのか。

楓月はしばし逡巡した。

―もしかして、もう、僕はいらない?

そんな疑問が首をもたげる。

楓月は知っているのだ。

何の力も持たず、魔を視ることすらできない自分は、単なるツナギでしかないことを。

それでも、師匠が言ったから。

楓月を弟子として迎え入れ、居場所をくれた、その師匠が言ったから。

少しずつ店のことや、魔について惜しみなく知識を与え、もう教えることはないと、楓月を立派な魔法使いだと。

私を必要だと、言ってくれたから。





――過去――


 わたしの帰る場所はどこにもなかった。

文字の海では、息を吐けた。

そこに浸っている時だけは、全てを忘れていられた。


楓月の母はとても静かな人であった。

楓月が泣いても起こっても、感情ひとつ見せない人だった。

そんな母のことが、楓月は少し怖かった。

「おいで、楓月」

母は外出の時、必ず楓月の手をつないだ。

楓月はその時、自分に向けられる声と差し出される手が何より好きだった。

母が自分を求めてくれていると実感できるその瞬間が、嬉しかった。

 母は何かを恐れるように、ことさら慎重に外を歩く人だった。

外を歩く度、張り詰めた空気をまとう母に、楓月は声をかけることができなくて、母の手のぬくもりを感じながら黙って足を動かした。

家の中で、母は楓月に自ら触れるようなことはしなかった。

いや、一度だけ。

窓越しに空を流れる雲をぼんやりと眺めていた時のこと。

―ガシャン。

何かが落ちる大きな物音がして、慌てた様子の母が楓月の腕を強く引いた。

背後から抱きしめられて、楓月は大きく目を見張った。

「何を、みてたの?」

何気ない問いかけだった。

なのに、自分を抱きしめる母の腕が、小さく震えていたのを不思議に思ったものだった。

「くもをみてたよ」

母は、じっと楓月の目を覗き込んで、ゆっくりと窓の方を見た。

随分、長い時間が過ぎたように思う。

その間もずっと、楓月を抱きしめる母の腕は震えていて。

母はもう一度楓月を見て、不思議そうな様子の楓月を見て。

それから、心底安堵したというふうに大きく息を吐きだした。

楓月はわからなかった。

ただ外を見ていただけで、母がこれほどまでに取り乱す理由が。

それでも一つ、確かだったのは。

自分を包むこのぬくもりが心地のよいものだったこと。

このまま母の腕が自分を離さず、ずっとこうしてくれていたらいいのにと、そっと母に身をすり寄せながら楓月は願った。



 母との時間は、そう長くは続かなかった。

楓月が小学校にあがりしばらくして、母が亡くなったのだ。

それから、楓月は母の親戚だという人たちの家を転々とした。

楓月に対する大人たちの対応はだいたい決まっていて、まずその人並外れて整った綺麗な容姿に驚き、感心する。

そして、楓月が驚くほど静かで表情の変わらない子どもだと知ると、まるで人形のようだと気味悪がるのだった。

いつからか楓月は、自分の母のように。感情の機微が少ない子どもになっていたのだ。

ある時、親戚たちの話し合いのなかで、楓月は妙なことを耳にした。

―魔法使いなんてものが出たせいだ。

―この子のひい爺さんだったか。

―いや、大叔父だろ。

大人たちの話をぼんやりと聞き流しながら、聞こえて来た魔法使いという非現実的な言葉に楓月の好奇心は強く刺激された。

その後話の流れは変わってゆき、誰かが楓月の父親について触れた。

―そういえば、あの子の父親について聞いたことあるか。

―ないな。

―何も言わずに母親は産んだらしい。

―今まで父親側から何の連絡もないんだ。遊ばれて捨てられたんだろう。

 父親というものを、楓月は意識したことがない。

この親戚たちの話から、どうやら楓月の父親については誰も知らないこと。

そして親戚付き合いが薄かったらしい母は、あまり歓迎された存在ではなかったことを彼らの話しぶりから楓月は察した。

楓月の家族は母だけで、母は、父について話したことは一度もなかった。

楓月も、父について尋ねたことはなく、その存在を知ったのはその話を聞いてから数年が経ってからだった。


「はじめまして」

叔父と名乗るその人は、楓月の父親の弟だと言った。

父親の親族に初めて会った楓月は、まじまじとその人の顔を見た。

自分とのつながりを探したのだ。

これまで会った母の親戚たちは遠縁で、祖父母や叔父叔母といった身近に感じやすい人たちに会ったことがなかったから。

自分と似た血のつながりを、その叔父から探そうとしたのだ。

 なぜ瞳の色が薄いのか。

誰かに何気なく聞かれたとき、楓月は理由を言えなかった。

母の瞳は黒い色で、母の遠縁の親戚たちも皆瞳の色は黒かった。

楓月の顔立ちは美しかったが、海外らしい特徴は持っておらず、父親が海外の人という可能性も低かった。

―なぜ瞳の色が薄いのか。

楓月は理由を知りたかった。

しかし、叔父の瞳も黒かった。

 三井島(みいしま)くんと、叔父は楓月を名字で呼んだ。

理由を問うと、「私は魔女に近しいから」と不思議な返事が返ってきた。

それを聞いたとき、昔どこかで耳にした「魔法使い」という言葉が頭の中で浮かび上がった。





 ――現在――


 カツンー。

耳慣れぬ足音に、楓月の迷いは吹き飛んだ。

固く、床を叩いたその音は師匠の足音ではなかったから。

師匠は草鞋を履いていて、歩くときには擦ったような音がする。

決してこんな音はしないのだ。


 楓月は知っていた。師匠が教えてくれたから。

魔法使いとは何なのか。

人には視えない魔のことも。

留守を任された、この店のことも。


ざっと血の気が引いた。

師匠ではない、この店への来訪者。

それは彼らではないだろうか。

人ならざる、楓月には視えぬ魔ではないか。

「はじめて来たけど良い場所ね、ここは」

女の声だった。

女と認識して気づく。

床を叩く音の正体に。

カツカツと近づく音と共に現れたのは、全身を赤いドレスに包んだ、妙ないでたちの女だった。

足元は、ドレスと同じ赤いヒール。

年は楓月と同じくらいに見え、ゆるくウェーブのかかった黒髪が、赤いドレスによく映えていた。

「突然ごめんなさいね。私はレディ、魔女よ」

まっすぐにレディは楓月を射抜いた。

「よろしく、魔法使い」

その呼びかけに、楓月は目を見開いた。


突然の訪問ではあったものの、レディは友好的に名乗りをあげたつもりであった。

しかし、楓月の顔色は薄暗い室内であってもわかるほど青白く染まっており、レディは驚いた。

先代魔法使いから話は聞いていた。

東條家の遠縁ではあるけれど、なんの力も持たぬ者であると。

恐らく、先代魔法使いが店を去ってからここを訪れる者はおらず、見知らぬレディは楓月にとって恐怖でしかないのだろうとあたりをつける。

「顔色が悪いわね。どうぞわたくしに構わずおかけになって」

「見たところ、かける場所などないようですが」

レディの後ろからぬるりと姿を見せたのは、長身な楓月と変わらぬほどの背丈を持った男であった。

全身赤い色に包まれたレディと対照的に、シャツまで黒いスーツを身にまとっている。

 楓月は魔女という聞き馴染みのある単語を必死に頭の中で思い出す。

魔女は、人だ。

不思議な力を扱いはするが、枠を超えてはいない人であると師匠は言っていたはず。

それに、九条の家で何度かその単語は耳にした。

「魔女は人だと聞いている。師匠から、あなたのことも少し」

「それはよかった。いちから説明となると、大変だもの。もっと早く来るべきだったのでしょう。挨拶が遅れて申し訳ないわ。あなたの先代から、頼まれごとを預かっているの」

―先代。

その言葉に、楓月はピクリと反応をする。

「先代というのは、師匠のことか」

「ええ」

「なぜ、先代と」

レディは不思議そうに首を傾げた。

「今はあなたが魔法使いでしょう。先代はその座を退いたわ」

楓月は衝撃を受けた。

引退など、楓月は聞いていない。

あの日、師匠はいつものように店を出ただけだった。

ぐらりと身体が揺らいだ楓月を見て、レディは言った。

「店が、あなたを主と認めているわ。しっかりしなさい、魔法使い」


好きに読んでいいと言われた店の棚の本を全て読んだと言った時、師匠は顔をくしゃっとして、にこにこと楓月に言った。

―それじゃあ君は、晴れて立派な魔法使いだよ。

楓月は嬉しかった。

視る力のない自分には過ぎたものだと、それがツナギでしかないと知ってはいても。

師匠と同じものを視て、同じことを感じる。

できぬことだとわかっていた。

そんな自分でも、同じものを名乗れることが、嬉しかった。



レディの声が楓月の意識を引き戻す。

「互いに不可侵。それが、わたくしたち名持ちの長い不文律だったわ。でも、あなたの師匠はそれを破った。わたくしも、古い慣習に遠慮をすることをやめたのよ」

楓月は、静かに待つつもりだった。

帰らぬ師匠をこの店で待つつもりだった。

けれど、楓月はわかった。

わかってしまった。

「もう、いないのですか」

魔女はまっすぐに楓月を見て答えた。

「先代は、わたくしに別れの言葉を伝えに来たわ」

楓月の表情は変わらなかった。

ただ、その灰色の目から雫が一つ、こぼれていった。

・三井島楓月

叔父の家を出て、魔法使いの店で世話になっていた。

魔法使いを師匠と呼ぶ。


・魔法使い

楓月の師匠

ある日、ふらりと店を出ていったきり行方不明となる


・叔父

三井島楓月の父の弟。

孝俊の父。


・レディ

魔女

全身赤いドレスを身にまとっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ