第9話 魔導鉄道計画と、第二夫人の影
財務次官に就任してから一週間。
私の職場環境は、控えめに言っても「地獄」だった。
「……次官。こちらの決済書類ですが、前任のガリオス侯爵の方針とは異なりますので、差し戻させていただきます」
「次官。予算委員会から、貴方の提出した『複式簿記』なる書式は伝統に反すると抗議が来ております」
財務省の廊下を歩けば、すれ違う官僚たちから突き刺さるような冷たい視線。
彼らにとって、私は「上司を蹴落としてその席に座った、田舎者の若造」でしかない。
面従腹背。
命令には従うフリをして、サボタージュや手続き上の遅延で抵抗してくる。古今東西、役人のやることは変わらない。
「やれやれ……。前世の市役所よりタチが悪いな」
深夜の執務室。
山積みになった書類――その大半が、私を過労で潰すためにわざと運び込まれたものだ――を片付けながら、私は苦笑した。
だが、手を止めるわけにはいかない。
私はこの権限を使って、自分の領地と国を変えるための「大動脈」を通さなければならないのだ。
私は机の上の地図を広げた。
モルントン男爵領と、王都を結ぶルート。
現在は曲がりくねった街道を馬車で四日かけて移動している。これでは、私の領地で量産している「塩」や「干物」を、新鮮なうちに大量に運ぶことができない。
塩の増産ペースに、物流が追いついていないのだ。
「直線で結べば、距離は半分になる。ここに『魔導鉄道』を敷く」
魔導鉄道。
レールに魔力を流し、磁気浮上と反発を利用して走る列車だ。理論上は可能だが、莫大な土地とコストがかかるため、誰も実現していない夢の技術。
技術的な課題は私の頭脳で解決できる。
資金は、塩の利益と、没収したガリオス侯爵の隠し財産を充てればいい。
問題は、土地だ。
私は地図上の、王都と領地の中間に広がる「緑色の空白地帯」を指でなぞった。
「『静寂の森』……。王家直轄の狩猟場か」
ここを突っ切れば最短ルートだ。だが、王家の私有地であるため、財務省の管轄外だ。開発許可を出せるのは国王か、あるいは――
「……その森を管理している、『所有者』だけか」
***
翌日。私は公務の合間を縫って、王都の郊外にある王室の離宮を訪れた。
国王陛下に鉄道の話を通したところ、「その森は娘に管理を任せている。説得できれば許可しよう」と言われたからだ。
シルヴィア・ル・グラン。
第二王女でありながら、王宮の堅苦しさを嫌い、この離宮に入り浸っているという噂だ。
「じゃじゃ馬姫」とも呼ばれているらしいが……。
「――そこまでだ。何用か、財務次官殿」
離宮の庭園に足を踏み入れた瞬間、鋭い声と共に、風を切る音がした。
ヒュンッ!
私の足元、わずか数センチの地面に、深紅の矢が突き刺さる。
「……手荒な歓迎ですね、シルヴィア殿下」
私は動かずに顔を上げた。
庭園の奥、白馬に跨り、豪奢な弓を構えた少女がいた。
燃えるような赤い髪をポニーテールにし、王族とは思えない動きやすい狩猟服を身に纏っている。
瞳は、新緑のような翡翠色。
美しい。だが、その目は獲物を狙う猛禽類のように鋭い。
「父上から話は聞いている。『鉄の道』とかいう奇妙なものを通すために、私の森を切り開きたいそうだな?」
「はい。国益のためです。あの森を開拓すれば、王都への物流は劇的に改善され、物価も下がります。民のためになる」
私は教科書通りの正論を述べた。
だが、シルヴィア王女は鼻で笑った。
「民のため、か。役人は皆そう言う。だが本音は『自分の実績のため』だろう?」
彼女は馬から軽やかに飛び降り、私の目の前まで歩み寄ってきた。
背は私より頭一つ分低いが、放つ覇気は王者のそれだ。
「断る。あの森は、私が幼い頃から愛してきた場所だ。美しい静寂を、無粋な鉄の塊で汚すことは許さん」
「……交渉の余地は?」
「ない。帰りたまえ。……それとも、その細い腕で私を力ずくで退かせてみるか?」
彼女は挑発的に私を見上げ、腰のレイピアに手をかけた。
武力で解決する気か。噂以上の武闘派だ。
ここで私が魔法を使って彼女を制圧するのは簡単だ。だが、それでは「王族への暴行」となり、私の政治生命が終わる。
彼女はそれを分かっていて、あえて挑発している。
(……なるほど。単なる我が儘娘ではない。自分の立場と、相手の弱点を理解して攻めてきている)
私は内心で評価を改めた。
彼女は「敵」として認識すべき相手だ。
ならば、正攻法の説得では落ちない。
「力ずく……ですか。野蛮なことは好みませんが」
私は一歩も引かず、彼女の瞳を覗き込んだ。
「殿下。貴女は『静寂』を守りたいとおっしゃった。……ですが、あの森が今、『死につつある』ことにはお気づきですか?」
「……何?」
シルヴィアの眉が動いた。
「先日の視察で確認しました。森の南側、木々が立ち枯れし始めています。原因は地下水脈の澱み。……私の計画では、鉄道工事と同時に地下水路を整備し、森の呼吸を蘇らせるつもりですが?」
「嘘をつくな! あの森は私が毎日見回っている! 異変など……」
「見回っているのは『獣道』だけでしょう? 土の下の悲鳴までは聞こえていないようだ」
私は彼女の図星を突いた。
管理しているといっても、所詮は狩猟場としての利用だ。生態系の管理まではできていない。
「……もし私の言葉が嘘かどうか、確かめる勇気がおありなら。明日、私と共に森へ。現場を見れば分かります」
私は彼女に背を向けた。
「お待ち! ……逃げる気か?」
「いいえ。次官として忙しいので、戻って仕事をします。……森を救う気があるなら、明日の早朝、現場でお待ちしていますよ」
私は振り返らずに手を振った。
彼女の悔しそうな気配を背中に感じながら。
このじゃじゃ馬を乗りこなせなければ、鉄道はおろか、国の覇権など握れない。
私の新しい「攻略対象」が決まった瞬間だった。




