第7話 第一の壁・教会からの使者
警備隊の創設から二週間。
モルントン男爵領は、かつてない活気に包まれていた。
港には運搬船が行き交い、製塩プラントはフル稼働し、街道ではヴァネッサ率いる警備隊が巡回を行っている。
すべてが順調だ。……そう思っていた矢先、ハンスが真っ青な顔で執務室に飛び込んできた。
「た、大変でございます、アレクセイ様! 王都の中央教会から、異端審問官様がいらっしゃいました!」
「異端審問官?」
私はペンを止めた。
教会。この世界において、王権に匹敵する権威を持つ宗教組織だ。彼らは「神の教え」を絶対とし、魔法の乱用や、理に反する技術を厳しく取り締まっている。
嫌な予感がする。
「通せ。……いや、私が玄関まで出向こう」
***
屋敷の応接室には、黒い法衣をまとった神経質そうな男が座っていた。
ギルス神父。王都でも有名な、堅物で知られる審問官だ。
彼は私が部屋に入っても立ち上がろうともせず、軽蔑しきった目でこちらを睨みつけた。
「モルントン男爵。単刀直入に言います。貴殿の領地で行われている『製塩』および『食品加工』……即刻、中止しなさい」
挨拶もなしか。
私は冷静にソファに座り、対峙した。
「中止、とは穏やかではありませんな。あれは当領の正当な経済活動ですが?」
「『正当』だと? 笑わせないでいただきたい!」
ギルス神父が机を叩いた。
「自然界の水を、魔導機械で無理やり分離するなど、神の摂理に対する冒涜です! 魔法とは、神が与えた奇跡。それを金儲けのために、あのような薄汚いパイプに通すなど……言語道断! 『技術による自然の陵辱』として、教会法違反で告発することも可能ですぞ!」
典型的な原理主義者だ。
だが、本音は違うだろう。
教会は、各地の岩塩鉱山から多額の寄付を受けている。私の「安すぎる塩」が出回れば、彼らのスポンサーである鉱山持ちの貴族が困る。
つまり、これは教義を盾にした「営業妨害」だ。
「……なるほど。神の教え、重く受け止めます」
私は神妙な顔を作った。
ここで反論するのは三流だ。宗教論争は泥沼化する。
勝つためには、相手の土俵に乗るフリをして、別の餌を撒くしかない。
「ですが神父様。中止するとなれば、そこで働く領民たちは路頭に迷います。貧困は信仰を弱め、犯罪を生みます。それこそ神の御心に反するのでは?」
「貧しさは試練です。清貧こそが美徳……」
「では、これはどうでしょう?」
私は机の下から、一つの木箱を取り出した。
そして、蓋を少しだけ開けて見せる。
中に入っているのは、製塩プラントの利益である金貨。……ではない。
もっと、彼らにとって価値のあるものだ。
「……これは?」
「当領で開発中の、新しい『紙』と『印刷物』です」
私が差し出したのは、一枚の羊皮紙……ではなく、植物繊維を加工した滑らかな「紙」に印刷された、聖典の一節だった。
手書きではない。魔導版画によって、一寸の狂いもなく印字された文字の羅列。
「なっ……なんと美しい文字だ。それに、この紙の白さは……」
「この世界で、聖典を一冊作るのにどれだけの費用がかかりますか? 熟練の写本士が一年かけて書き写し、金貨百枚は下らないでしょう」
ギルス神父が持っている聖典も、手垢にまみれ、ボロボロだった。地方の教会には、聖典が行き渡っていないのが現状だ。
「私の技術を使えば、この聖典を、今の十分の一のコストで、一日に百冊作ることができます」
「な、なんだと……!?」
「製塩プラントで培った『魔導プレス技術』と『インクの定着魔法』の応用です。……ギルス神父。もし、貴方がこの技術を王都に持ち帰り、『すべての平民に聖典を行き渡らせた』としたら? 教皇聖下は、貴方をどう評価されるでしょう?」
神父の目が泳いだ。
信仰心はあるのだろう。だが、それ以上に組織人としての出世欲が見える。
「全土への布教」。それは教会にとって悲願であり、それを成し遂げた者は歴史に名を残す。
「そ、そのようなことが、本当に……?」
「可能です。製塩プラントの稼働を認めていただけるなら、その利益の三割を『教会への浄財』として寄付しましょう。さらに、この印刷機を教会へ献上します」
私は畳み掛けた。
金と、名誉と、大義名分。三つのカードを同時に切った。
「これは取引ではありません。迷える子羊たちに神の言葉を届けるための、敬虔な信徒としての『奉仕』です」
私はニッコリと笑った。
ギルス神父は、震える手で印刷された紙を握りしめ、そして大きく咳払いをした。
「……オホン。モルントン男爵。貴殿の信仰心、しかと受け取りました」
「では、プラントの件は?」
「神は、人々の知恵をも愛しておられます。その技術が、教えを広めるために使われるのであれば……それは『冒涜』ではなく『祝福』と言えるでしょう」
コロッと変わりやがった。
だが、これでいい。
「感謝いたします。では、早速『浄財』の準備をさせましょう」
***
ギルス神父は、大量の「献金」と「印刷された聖典のサンプル」を抱え、ホクホク顔で帰っていった。
去り際に「貴殿のような熱心な信徒を持てて、教会も鼻が高い」などと言っていた。現金なものだ。
「……呆れましたわ。神職まで買収するなんて」
隣の部屋で聞き耳を立てていたエレオノーラが、呆れ顔で入ってきた。
「買収じゃない。ロビー活動だよ」
「利益の三割は大きすぎませんこと?」
「いいや、安いものだ。これで教会が味方につけば、『神のお墨付き』というブランドが手に入る。塩の売値もさらに上げられるし、他国への輸出もしやすくなる」
宗教は最強の広告塔だ。
三割の税金で、大陸全土への通行手形が手に入るなら、バーゲンセールもいいところだ。
「それに、あの印刷機。……あれが普及すれば、教会は私に依存せざるを得なくなる」
「どういうことですの?」
「インクと紙だ。あれは私の領地でしか作れない特殊な配合だ。機械を渡しても、消耗品は私が独占する。……プリンター商法というやつさ」
エレオノーラが、本気でゾッとした顔をした。
「……貴方、本当に悪魔ですわね」
「人聞きが悪い。私はただの、市民の生活を守る市長だよ」
こうして、私は宗教という「第一の壁」を、金とインクで塗り潰すことに成功した。
だが、領地の急激な発展は、ついに王都の「本丸」を刺激することになる。




