第4話 令嬢の投資と、海水の錬金術
「……なるほど。理論は理解できましたわ」
エレオノーラは、私が渡した青焼きの図面から顔を上げた。
その表情は真剣そのものだ。漁港の汚れも、腐敗臭も、今の彼女の意識にはない。あるのは目の前の「ビジネスモデル」のみ。
「海水を汲み上げ、幾層もの『魔導フィルター』で不純物を濾過し、最後に風と熱の複合魔法で水分だけを飛ばす。……岩塩を採掘して運ぶコストに比べれば、原価はタダ同然。必要なのは初期投資と、魔石の維持費のみ」
「ご明察です。そして、我が領の海岸は遠浅で、潮の干満差が大きい。取水コストも最小限で済みます」
私は畳み掛ける。
彼女は扇子を閉じ、唇に当てて計算を始めた。その瞳の中で、金貨の山が積み上がり、崩れ、また積み上がるのが見えるようだった。
「ガネフ子爵が塩を止めている今、市場は『塩飢饉』の状態。そこに貴方が、安価で高品質な塩を供給すれば、市場独占は確実。……いいでしょう」
彼女は懐から、小切手帳を取り出した。
「ウィスタリア公爵家の名において、このプロジェクトに出資します。条件は利益の四割。そして――」
「そして?」
「この技術の『他国への輸出権』は私が頂きます。よろしいですわね?」
強欲だ。だが、話が早い。
私はニヤリと笑い、泥だらけの手を差し出した。
「商談成立だ。……後悔させませんよ、エレオノーラ様」
「ふふ、私のドレスを汚したら承知しませんわよ?」
彼女は悪戯っぽく微笑むと、躊躇なく私の手を握り返した。
その瞬間、貧乏男爵領に「最強の金脈」が繋がった。
***
そこからの展開は早かった。
「金」の力は偉大だ。公爵家の紋章が入った発注書が飛ぶと、翌日には王都の商会から最高級の建築資材や、純度の高い魔石が山のように届いた。
通常なら一ヶ月待たされる資材が、優先的に回されてくる。これが「権力」という名の潤滑油だ。
私は領民たちを総動員し、突貫工事でプラントを建設した。
そして三日後。
「……すごい」
完成した製塩プラントの前で、ハンスが口を開けて呆けていた。
レンガ造りの建屋の中には、巨大な水槽と、複雑な魔導回路が刻まれた銀色のパイプが走っている。
ブゥン、という低い駆動音と共に、海から汲み上げられた水が次々と処理されていく。
そして、排出ロからさらさらと流れ落ちてくるもの。
それは、雪のように白く、宝石のように輝く結晶だった。
「こ、これが……塩、でございますか? いつも見ている岩塩は、もっと土色で、ジャリジャリしているのに……」
「不純物を極限まで取り除いた、純度99.9%の塩化ナトリウムだ。舐めてみろ」
ハンスは恐る恐る指につけて舐め、「ああっ!」と声を上げた。
雑味がない。ただ鋭く、純粋な塩気。
「極上の味です! これなら、王都の貴族たちは金貨を出してでも買いますぞ!」
「ああ。だが、まずはガネフ子爵への『挨拶』が先だな」
私は視線を海岸線の入り口に向けた。
ちょうどそこへ、土煙を上げて数台の馬車がやってくるところだった。
旗印は「イノシシ」。ガネフ子爵家の紋章だ。
***
「おいおい、モルントン男爵! 息はしているかね?」
馬車から降りてきたのは、肥え太った中年男だった。派手な服を着込み、顔には下品な笑みを貼り付けている。ガネフ子爵だ。
彼は私の作業着姿を見て鼻を鳴らし、わざとらしくハンカチで鼻を覆った。
「塩がなくて困っていると聞いてねぇ。慈悲深い私が、特別に分けてやろうと思って来たのだよ。……まあ、相場の十倍にはなるがね?」
彼の後ろには、薄汚れた岩塩の袋を積んだ荷馬車が控えている。
典型的な買い占めと売り惜しみ。
私はハンスを下がらせ、一歩前に出た。
「お気遣い感謝します、ガネフ閣下。ですが、ご心配には及びません」
「強がるなよ。干物作りには塩が要るんだろう? それとも、民に海水でも飲ませるつもりかね?」
子爵がゲラゲラと笑う。
私は無言で、背後の倉庫の扉を開け放った。
「――ちょうど、置き場所に困っていたところなんですよ」
ザラァァッ……!
扉が開くと同時に、中から溢れ出したのは、白銀の砂――いや、「精製塩」の山だった。
天井まで積み上げられた白い山が、陽光を浴びて神々しいほどの輝きを放つ。
「な、な、なんだこれは……!?」
「塩ですよ。見ての通り、純白の」
「馬鹿な! 塩とは茶色いものだ! こんな……こんな白い砂が塩なわけがあるか!」
子爵は顔を真っ赤にして叫び、塩の山に駆け寄って一掴み口に入れた。
次の瞬間、彼はあまりの塩辛さと、その純粋な味に目を見開いた。
「ば、バカな……本物だ……しかも、我が領の最高級岩塩より遥かに質が良い……」
「当領の新技術です。ちなみに価格は、貴方のところの岩塩の『半値』で卸す予定ですが」
私が告げると、子爵は泡を吹いて倒れそうになった。
半値でも、私には莫大な利益が出る。だが、岩塩の採掘コストがかかる彼らにとっては、原価割れどころか即死級の価格破壊だ。
「や、やめろ! そんなことをされたら、我が領の鉱山は潰れる! 相場を乱す気か!」
「おやおや。先に流通を止めて相場を乱したのは、どちらでしたかな?」
私は冷たく見下ろした。
「ガネフ閣下。貴方には二つの選択肢があります。一つは、このまま私の塩と価格競争をして、破産すること」
「ひぃッ……! も、もう一つは!?」
「私の塩の『販売代理店』になることです。私の塩を運び、売る。その代わり、マージンは頂きますがね」
かつて私を締め上げようとした相手を、逆に私の経済圏の下請け(運送屋)として組み込む。
生かさず殺さず、利用し尽くす。
「あ、悪魔だ……お前は……」
「いいえ、市長ですよ」
子爵はガックリと膝をつき、震える手で契約書にサインをした。
その様子を、少し離れた場所から日傘を差して眺めていたエレオノーラが、満足げに微笑んでいるのが見えた。
「……本当に、恐ろしい男ですわ」
彼女の呟きは、潮騒に消えた。
こうして、私は「塩」という強力な武器と資金源を手に入れ、領地再建の第一歩を踏み出したのである。




