第3話 塩の道と、招かれざる公爵令嬢
港での実演から三日後。
モルントン男爵領の海岸には、異様な光景が広がっていた。
「おい、一番ラインの風圧が弱いぞ! 魔石の出力を調整しろ!」
「二番ライン、乾燥終了! 梱包班へ回せ!」
かつて死んだように静かだった浜辺は、今や戦場のような活気に包まれていた。
私が構築したのは、簡易的な「魔導乾燥プラント」だ。
といっても、大掛かりな建物ではない。木枠で作った棚に、風属性のクズ魔石を組み込んだ送風機を取り付け、私が考案した魔導回路を刻み込んだだけの代物だ。
私が一人一人の魚に魔法をかけるのでは、私が過労死してしまう。
だから、誰でも使える「道具」と「手順」を作った。
漁師たちは、獲れた魚を開き、洗い、塩を振り、棚に並べてスイッチを入れるだけ。あとは魔導送風機が、最適な湿度と風量で均一な干物に仕上げてくれる。
これぞ、行政の基本「属人化の排除」と「標準化」である。
「若様! いや、領主様! これを見てくだせぇ!」
漁師頭の男が、完成した干物の箱を抱えて駆け寄ってきた。その顔は日焼けし、汗まみれだが、満面の笑みだ。
「昨日の分、王都の行商人が言い値の倍で買ってきやがった! 『こんな上質な干物は見たことがない』ってよ!」
「悪くない反応だ。だが、倍程度で満足するな。ブランド化すれば五倍はいける」
私は作業着の袖をまくり上げ、設計図(青焼き)にペンを走らせながら答えた。
順調だ。……と言いたいところだが、私の【統治者】スキルが、新たなボトルネックを警告していた。
「――で、ハンス。悪い報告があるんだろう?」
背後に控えていた家令のハンスが、ビクリと肩を震わせた。
彼は青ざめた顔で、一枚の書状を差し出した。
「は、はい……。ご明察の通りでございます。実は、塩の在庫が尽きかけておりまして……」
「追加発注したはずだ」
「それが……隣領のガネフ子爵領から、塩の輸送を止められました。『街道の整備不良』という名目ですが、実質的な経済封鎖です」
私はため息をついた。
ガネフ子爵。我が領地の北に位置し、王都への街道と、内陸からの岩塩の流通ルートを握っている男だ。
こちらの漁業が息を吹き返したのを見て、利益を吸い上げるために値を吊り上げるか、あるいは潰しにかかってきたか。
典型的な小悪党のムーブだ。
「塩がなければ、干物は作れません。今の在庫ではあと二日が限界です。若様、ここはガネフ子爵に頭を下げて、通行税を払うしか……」
「却下だ。一度頭を下げれば、奴らは骨の髄までしゃぶり尽くすぞ」
私は即座に否定した。
足元を見る相手に譲歩するのは、外交において最悪手だ。
「塩がないなら、作ればいい」
「作る、でございますか? しかし当領に岩塩鉱山は……」
「目の前にあるじゃないか。無尽蔵の塩が」
私は広大な海を指差した。
この世界では、塩といえば内陸の岩塩が主流だ。海水を煮沸して塩を作る製法はあるが、薪代(燃料コスト)がかかりすぎて効率が悪いとされている。
だが、それは「火」で作るからだ。
「魔法で効率的に水分を飛ばし、不純物を分離する『魔導製塩プラント』を作る。設計はもう頭にある。資材と魔石さえあれば――」
その時だった。
蹄の音と共に、場違いに豪華な馬車が、未舗装の海岸道路をやってくるのが見えた。
白塗りの車体に、金色の装飾。御者台には武装した騎士。
そして扉には、大輪の紫陽花の紋章。
「なっ……ウィスタリア公爵家!? な、なぜこのような辺境に!?」
ハンスが腰を抜かさんばかりに狼狽する。
公爵家。この国における最高権力者の一角だ。
馬車が止まり、従者がうやうやしく扉を開ける。
降り立ったのは、一人の少女だった。
陽光を反射して輝くプラチナブロンド。宝石のアクアマリンを溶かしたような、冷たく澄んだ瞳。
泥だらけの漁港には似つかわしくない、最高級のシルクのドレスを纏っている。
圧倒的な美貌と、それ以上の「威圧感」。
彼女は扇子で口元を覆い、氷のような視線で周囲を一瞥した。
「……生臭いですわね」
第一声がそれだった。
彼女はゆっくりと、私の方へ歩いてくる。護衛の騎士たちが、漁師たちを威圧して道を開ける。
「貴方が、アレクセイ・フォン・モルントン男爵? お初にお目にかかります。エレオノーラ・フォン・ウィスタリアですわ」
優雅なカーテシー(お辞儀)。だが、その目は私を値踏みしていた。
私が今、油と魚の血にまみれた作業着を着ていることを、完全に見下している目だ。
「これは公爵令嬢殿下。お見苦しい格好で失礼します。生憎と、当領は今、人手不足でして」
「噂は聞いておりますわ。借金まみれの貧乏男爵領が、最近妙な動きをしていると。……お父様に頼まれて『視察』に来たのですが、まさか領主自らが下賤な民に混じって肉体労働とは。期待外れでしたわ」
彼女は冷ややかに言い放った。
なるほど。実家の命令で来ただけで、本人は乗り気ではないわけか。
だが、私は彼女の瞳の奥に、ある種の「飢え」を見た。
退屈への嫌悪。そして、本物を求める知性。
「期待外れかどうかは、これを見てから判断していただきたい」
私は近くにあった木箱から、完成したばかりの干物を一つ取り出した。
そして、近くで焚き火をしていた漁師に放り投げ、軽く炙らせる。
「……何を?」
「試食です。最高級のワインには合いませんが、旅の疲れには効きますよ」
炙った干物を皿に乗せ(皿といっても欠けた陶器だが)、差し出す。
護衛の騎士が「毒見を!」と叫んだが、エレオノーラはそれを手で制した。
彼女は躊躇いながらも、白魚のような指で干物をつまみ、口に運んだ。
カリッ。
香ばしい音が響く。
「……っ!」
彼女の目が、驚きに見開かれた。
咀嚼するごとに広がる旨味。塩気。そして、魚本来の甘み。
「……美味しい。信じられませんわ。この季節の魚は泥臭いと相場が決まっていますのに。それに、この絶妙な塩加減と食感……どうやったのです?」
彼女の纏う空気が変わった。
「退屈な貴族令嬢」の仮面が剥がれ、「好奇心旺盛な投資家」の顔が現れる。
「魔法による『最適化』です。味だけではない。これは保存食であり、交易品であり、我が領地の未来の通貨です」
「通貨……?」
「ええ。ですが、一つ問題がありましてね」
私はニヤリと笑い、彼女の興味に釣り針をかけた。
「これを作るための『塩』が足りない。隣のガネフ子爵が意地悪をしてきまして。……そこで、公爵令嬢殿下。ビジネスの話をしませんか?」
私は作業着のポケットから、殴り書きのメモ――『魔導製塩プラント』の構想図を取り出し、彼女に見せた。
「貴女の実家の資本と、私の技術。組めば、ガネフ子爵如き、指先一つで吹き飛ばせますよ」
エレオノーラは図面を覗き込み、そして私の顔を見た。
その瞳に、初めて明確な「熱」が宿るのを、私は見逃さなかった。




