第20話 避難訓練と、最初の砲撃
その日のモルントン領は、雲一つない快晴だった。
春の陽気に誘われ、中央駅周辺の市場は王都からの観光客でごった返していた。
平和そのものの光景。
だが、正午を知らせる鐘の音が鳴り止んだ直後、街中に不協和音が響き渡った。
ウゥゥゥゥゥゥ――ッ!!
魔導サイレンの重低音。
私が設置した「防災行政無線」による緊急放送だ。
『――訓練、訓練。これより大規模防災訓練を行います。領民の皆さんは、直ちに商売を中断し、指定されたシェルターへ避難してください。これは訓練です』
スピーカーからハンスの声が響く。
観光客たちは「なんだなんだ?」とキョロキョロしているが、領民たちの動きは違った。
彼らは一瞬で真顔になり、手際よく屋台を畳み、店のシャッターを下ろし始めたのだ。
「おい、またかよ。領主様も心配性だな」
「へっ、地震なんぞ滅多に来ねぇのによ。……ま、サボると配給のチケットが貰えなくなるからな。行くか」
口では文句を言いながらも、彼らの足取りは迷いがない。
ここ数週間、私は「アメ(参加者への特別配給)」と「ムチ(不参加者への罰金)」を使い分け、徹底的に避難ルートを体に叩き込ませてきたからだ。
執務室――いや、現在は「作戦司令室」へと改装された部屋から、私はその様子をモニター(遠見の鏡)で見下ろしていた。
「……領民の避難率は?」
「開始十分で八〇%を超えました。順調です」
報告するのは、迷彩柄の戦闘服に身を包んだシルヴィアだ。
彼女は今日、王女ではなく「現場指揮官」としてここにいる。
「観光客の誘導は?」
「そちらは難航しています。『せっかくの旅行が台無しだ』とクレームを入れる者や、面白がって動かない者が多数」
「……愚か者どもめ」
私は舌打ちをした。
だが、想定内だ。
その時、司令室の赤いランプが激しく点滅した。
国境地帯に配置したセンサーからの警報。
「通信入ります! 前線のヴァネッサ隊長からです!」
通信士の叫びと共に、鏡の映像が切り替わった。
映し出されたのは、土煙の中を疾走するヴァネッサの顔。背景には、爆発音と怒号が混じっている。
『――こちら警備隊アルファ! 訓練じゃない、本番だ! 繰り返す、これは訓練ではない!』
彼女の声が、室内の空気を凍りつかせた。
『グラドス帝国軍の先鋒、約二千が国境の山道を突破! 現在、モルントン領北部の森林地帯へ侵攻中! ……クソッ、速すぎる! 奴ら、魔導戦車を持ってきてやがるぞ!』
魔導戦車。
魔法障壁を張り、砲撃を行う移動要塞だ。やはり、本気で潰しに来ている。
私は深呼吸を一つ入れ、マイクのスイッチを切り替えた。
訓練モードから、非常事態モードへ。
「全職員に通達。……状況は『フェーズ・レッド』に移行した。ただちに訓練放送を中止し、本放送へ切り替えろ」
私は立ち上がり、窓の外を見た。
北の空に、訓練の煙ではない、どす黒い硝煙が上がっているのが見えた。
***
ウゥゥゥゥゥゥ――ッ!!!
サイレンの音色が変わった。
短く、激しい断続音。空襲警報だ。
『緊急放送! 緊急放送! これは訓練ではありません! 北の国境より、敵軍が侵攻しました! 繰り返します、これは戦争です!』
街の空気が一変した。
ヘラヘラしていた観光客の顔から血の気が引く。
遠くから響く「ドォォォン……」という地響きが、放送の内容が現実であることを告げていた。
「きゃあああああっ!」
「せ、戦争だと!? 嘘だろ!?」
パニックが始まった。
人々が駅へ殺到する。我先にと列車に乗ろうとして、将棋倒しになりかける。
「落ち着け! 押すな!」
駅の改札には、すでに武装した「鉄道警察隊」がバリケードを築いていた。
彼らは銃床で暴徒を押し返し、整然と誘導を行う。
「王都行きの臨時列車を出す! 老人と子供が優先だ! 金は要らん、チケットがなくても乗せる! その代わり、荷物は捨てろ! 身一つで乗れ!」
元・御者ギルドの駅員たちが、怒号を上げて客を捌いていく。
彼らは修羅場慣れしている。混乱の中でも、プロとしての仕事を全うしていた。
***
「……始まったな」
私は司令室で、次々と入る戦況報告を聞いていた。
敵の足は速い。あと一時間もしないうちに、この街の防衛ラインに到達するだろう。
「アレクセイ、私も出るぞ。前線で指揮を執る」
シルヴィアが剣を佩き、私を見た。
「頼む。……ただし、無理はするな。敵の狙いは『鉄道の確保』だ。破壊工作に見せかけて時間を稼げ」
「承知した。……貴様こそ、死ぬなよ。この街の頭脳が潰れれば終わりだ」
彼女は短く言い残し、風のように去っていった。
私は残されたモニターに向き直る。
画面の中で、美しいモルントン領の森が、敵の砲撃で焼かれていく。
私が手塩にかけて育てた街。
植えた街路樹、敷いた石畳、そして人々の笑顔。
それらが今、理不尽な暴力によって踏みにじられようとしている。
恐怖はない。
あるのは、冷徹な怒りと、計算だけだ。
「……いいだろう、グラドス帝国。私の街に土足で踏み込んだ代償、高くつくと思え」
私は手元のコンソールを操作し、街中に張り巡らせた「魔導防衛システム」のロックを解除した。
行政官のペンは、剣よりも強い。
それを証明する時が来た。
「総員、迎撃用意。……私の許可なく、一歩も通すな」
ズドンッ!!
街の北側に着弾した最初の砲弾が、開戦のゴングとなった。
平和な建国物語は終わりを告げ、血と硝煙の防衛戦が幕を開けたのである。




