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転生市長の建国論 ~魔力不足の貧乏男爵領から始める、魔法と行政による異世界再興譚~ 気付けば一族で大陸を支配していました  作者: Nami


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第2話 魔導演算と塩漬けの魚


 執務室の机の上には、埃を被った帳簿の山が築かれていた。

 ハンスは私の脅しに屈し、文字通り這いつくばるようにして、屋敷の倉庫から過去十年分の記録をかき集めてきたのだ。

「……酷いな。これほどとは」

 パラパラとページをめくるたび、私の眉間には皺が刻まれていく。

 支出の杜撰ずさんさもさることながら、問題は「収入」の欄だ。このモルントン男爵領の主産業は、東の海で行われる漁業である。

 記録によれば、漁獲量そのものは悪くない。近海には暖流と寒流がぶつかる豊かな漁場があり、アジやイワシ、タラといった大衆魚が大量に獲れている。

 だが、最終的な利益が異常に少ない。

 漁獲量の五割近くが「廃棄」として処理され、残りの五割も二束三文で仲買人に買い叩かれている。

「アレクセイ様……その、そろそろ夕食のお時間ですが……」

 憔悴しきったハンスが恐る恐る声をかけてきたが、私は手で制した。

「ハンス。なぜこれほどの魚が廃棄されている? 腐敗か?」

「は、はい。当領から王都までは馬車で四日はかかります。生の魚など一日と持ちません。夏場などは、港に水揚げした時点で半分は傷んでいることも……」

「仲買人の『買い取り価格』が王都の相場の十分の一以下なのは?」

「それは……足元を見られていると言いますか……『どうせ腐る魚だろう』と……」

 なるほど。構造的な欠陥だ。

 保存技術がないから、売る時間がない。時間がないから、仲買人に強気な交渉ができず、言い値で買い叩かれる。そして売れ残った魚は廃棄され、腐臭を放つゴミとなる。

 典型的な「貧困の悪循環スパイラル」だ。

「氷魔法使いはいないのか?」

「雇う金などございません。氷魔法を使える魔導師は、冒険者パーティーでも引く手あまたの高給取りです。それに、魚を大量に凍らせるとなれば、魔石のコストも馬鹿になりません」

 その通りだ。

 魔法による「冷凍」は、エネルギー効率が悪すぎる。水を氷に変え、それを維持し続ける熱量保存(エントロピー制御)は、魔力消費が激しい。金のない我が領地で採用できる手段ではない。

(ならば、アプローチを変えればいい)

 私は立ち上がり、椅子の背にかけてあった外出用のマントを手に取った。

「馬を出せ。港へ行く」

「は!? い、今からでございますか? もう日は傾いておりますし、何よりあそこは……その、下賤な漁師どもの巣窟で、酷い臭いが……」

「臭いのは帳簿だけで十分だ。現場を見ずに解決策など出るものか」

 私はハンスの制止を無視し、部屋を出た。

 ***

 モルントン港は、夕暮れの中に沈んでいた。

 活気はない。あるのは、重苦しい疲労感と、鼻を突く強烈な腐敗臭だけだ。

 浜辺には、売れ残って捨てられた魚の山が築かれ、ハエがたかっている。網の手入れをする漁師たちの目は死んだ魚のように濁り、未来への希望など欠片も感じられない。

「おいおい、なんだありゃ。貴族様か?」

「へっ、若様のお忍びか? こんなゴミタメに何しに来やがった」

 私が護衛もつけずに(金がないから雇えないだけだが)波止場を歩いていると、荒くれた男たちの視線が突き刺さる。敵意と嘲笑。無理もない。彼らにとって領主とは、税をふんだくるだけの寄生虫なのだから。

 私は一人の老漁師の前で足を止めた。

 彼は大量のイワシを、無造作に砂浜へ捨てている最中だった。

「その魚、捨てるのか」

「あぁ? ……なんだ若造。見りゃわかんだろ。今日の競りは終わった。売れ残りは肥料にするか捨てるしかねぇんだよ」

 老漁師は私の服の紋章を一瞥したが、敬語を使う気配すらない。

「干物にしないのか? 保存食になるだろう」

「やってるさ。だが、この季節は湿気が多い。天日干しだと乾く前にカビが生えちまう。塩漬けにするにも、塩代が高くて割に合わねぇんだ」

 老人は吐き捨てるように言った。

 気候条件とコスト。物理的な壁だ。

 私は捨てられようとしていたイワシを一匹、手で掴み上げた。ヌルリとした感触。まだ死んで間もない。目が澄んでいる。

(これなら、いけるな)

 私は脳内で【統治者】スキルを起動する。

 目の前のイワシの水分含有量、外気温、湿度、風速。すべての変数が数値となって視界に浮かび上がる。

「爺さん、ちょっと場所を借りるぞ。あと、粗塩を少し分けてくれ」

「はあ? 何言って……」

 訝しげな老人の横に座り込み、私はイワシを開いた。ナイフはないので、近くに落ちていた鋭利な貝殻を使う。

 内臓を手早く取り出し、海水で洗う。

 そして、借りた塩を薄く、均一に振った。

「おい若造、そんな塩の量じゃ腐っちまうぞ。もっと山盛りにしねぇと……」

「いや、これでいい。塩は脱水のための呼び水だ。本番はここからだ」

 私は右手をイワシにかざした。

 意識を集中させる。練り上げるのは、大規模な破壊魔法でも、派手な氷魔法でもない。

 風属性と水属性の複合。

 イメージするのは、半導体工場のクリーンルームで使用される「局所乾燥プロセス」。

(対象、イワシの細胞内水分。自由水のみをターゲット。結合水は保持。風速毎秒三メートルで表面の境界層を剥離。浸透圧差を利用し、水分を強制排出――)

「――【乾燥ドライ】」

 ブォン、と低く唸るような音が響いた。

 私の掌から、目に見えない微細な魔力の風が渦を巻いてイワシを包み込む。

 熱風ではない。ただ、水分だけを奪い去る精密な風。

 イワシの表面から、急速に水分が蒸発していく。魔力制御マナ・コントロールにより、塩分が均等に身の奥まで浸透し、同時に余分な水分が抜けていく。

 通常、数日はかかる工程を、私は魔導演算による最適化で、わずか三十秒に圧縮した。

「……できた」

 魔力の残滓を振り払い、私は完成品を老人に放り投げた。

 それは、飴色に輝く完璧な「一夜干し」だった。表面はパリッとしているが、中はふっくらとした弾力を残している。

「なっ……なんだこれぁ!? 一瞬で干物になりやがった!」

「食ってみろ」

 老人は恐る恐るイワシを口に運び、齧り付いた。

 瞬間、その目が見開かれた。

「う、美味ぇ……! 生臭さが消えて、脂の旨味が凝縮されてやがる! 塩加減も絶妙だ!」

 騒ぎを聞きつけた他の漁師たちも集まってきた。彼らは回し食いをしては、「信じられねぇ」「魔法使い様か?」「いや、魔法使いはこんな地味なことしねぇぞ」と口々に叫んだ。

 私は立ち上がり、砂を払った。

 これが、私の魔力の使い方だ。

 広範囲を焼き払うような出力はない。だが、分子レベルでの水分調整や、温度管理といった「プロセス制御」においては、この世界で私の右に出る者はいない。

「魔法による急速乾燥と熟成だ。これなら腐る心配はない。常温で一ヶ月は持つ。重量も減るから輸送コストも下がる」

 私は呆然とする漁師たちを見渡して宣言した。

「お前たちの魚は、王都で高く売れる。私が保証する」

「あ、あんた……一体何者なんだ?」

 老漁師が、震える声で尋ねた。

 私はマントを翻し、静かに名乗った。

「アレクセイ・フォン・モルントン。昨日からここの領主になった男だ」

「領主……様……?」

 その場の空気が凍りつき、次の瞬間、漁師たちは慌てて平伏しようとした。

 だが、私はそれを手で止めた。

「頭を下げる必要はない。これはビジネスだ。私はお前たちに『技術』と『販路』を提供する。代わりにお前たちは、私の指示通りに魚を獲り、加工しろ」

 私の目を見て、老人がごくりと唾を飲み込む。

 そこに、かつての諦めの色はなかった。あるのは、獲物を前にした漁師の目。そして、有能な指揮官を見る兵士の目だ。

「……へい。稼がせてくれるなら、悪魔にだって従いますぜ、領主様」

 交渉成立だ。

 私は心の中で小さくガッツポーズをした。

 最初の産業革命。その歯車が、今、噛み合った音を聞いた。


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