第16話 帝国からの商人と、第三の求婚
魔導鉄道が開通してから三日が過ぎた。
季節は秋の入り口。モルントン男爵領は、これまで経験したことのない異常事態――「人流の爆発」に見舞われていた。
「領主様! いや、次官様! もう限界です! 駅前の宿屋はどこも満室、廊下で寝る客まで出る始末で……!」
「食料が足りません! 市場の魚が、朝の時点で王都からの観光客に買い占められてしまい、地元民の分が……!」
執務室は、悲鳴のような陳情で溢れかえっていた。
鉄道効果は劇的すぎた。王都から二時間半で来られるリゾート地として、想定の三倍近い人間が押し寄せているのだ。
私は眉間を揉みながら、次々と決済印を押していく。
「ハンス、駅前の空き地に『テント村』を設営しろ。軍用の大型テントだ。毛布と簡易ベッドを貸し出し、一泊銀貨一枚で提供する。あくまで緊急避難措置だ」
「は、はい!」
「食料については、漁協に『領民優先枠』を設けさせろ。朝一番の競りの二割は、地元商店向けに確保するよう通達だ。観光客には、少し高値のレストランで金を落とさせればいい」
インフラが整う前の需要過多。
嬉しい悲鳴だが、対応を間違えれば治安悪化に直結する。私は徹夜続きで充血した目をこすった。
「……やれやれ。優雅な貴族生活とは程遠いな」
「それが貴方の望んだ『発展』でしょう?」
窓際で紅茶を飲んでいたエレオノーラが、涼しい顔で言った。
彼女は「鉄道会社の出資者代表」として、この領地に滞在している。……というのは建前で、実質的には正妻としての地盤固めだ。
「それで? 今日の午後の予定は空けてありますの? 例の『お客様』が到着されますわよ」
「ああ、分かっているよ」
私は表情を引き締めた。
今日のメインイベントは、宿不足の解消ではない。
隣の大国「ガレリア商業帝国」からの使節団を迎えることだ。
***
午後二時。モルントン中央駅の特別ホーム。
滑り込んできた列車から降り立ったのは、異国情緒あふれる一団だった。
ゆったりとした絹の衣服に、特徴的なターバンや装飾品。
その中心に、一人の女性がいた。
艶やかな黒髪をショートボブにし、切れ長の瞳は紫水晶の色。
手には細長いキセルを持ち、紫煙をくゆらせている。
ガレリア商業帝国の第三皇女にして、大陸最大の貿易商会「スフォルツァ商会」を実質的に支配する女傑、カテリーナ・スフォルツァだ。
「……へぇ。これが噂の『魔導鉄道』か。悪くない乗り心地だったわ」
彼女はホームに降り立つなり、私の顔を見てニヤリと笑った。
その笑顔は、友好的というよりは、獲物を値踏みする商人のそれだ。
「ようこそ、モルントン男爵領へ。カテリーナ皇女殿下」
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう、若き次官殿。……私は今日は、皇女としてではなく、一人の『商人』として商談に来たの」
彼女は私の前に歩み寄り、至近距離でキセルの煙を吹きかけた。甘い、麝香のような香り。
「単刀直入に言うわ。……この鉄道技術、私の国に売ってくれない?」
「……技術供与、ですか」
「ええ。我が帝国は広いの。馬車での移動じゃ商売の回転が悪くてね。貴方のこの技術があれば、帝国の利益は十倍になる」
彼女は扇子のように小切手帳を取り出した。
「言い値で買うわよ? 金貨百万枚? それとも一千万枚?」
「お断りします」
私は即答した。
「この技術は我が国の国家機密です。同盟国ならまだしも、仮想敵国に近い貴国に売ることはできません」
「つれないわねぇ。……じゃあ、こうしましょうか」
カテリーナは一歩踏み出し、私の耳元に唇を寄せた。
「貴方が帝国に来なさい。……そうすれば、技術は『帝国のもの』になる」
「亡命しろと?」
「いいえ。『婿入り』よ」
彼女は私の胸元に指を這わせた。
「私と結婚して、帝国の皇族になればいいの。そうすれば、貴方は大陸一の富と、私の商会という巨大な流通網を手に入れられる。……どう? あの堅苦しい王国の次官なんかより、ずっと刺激的な人生よ?」
大胆不敵なヘッドハンティング。
いや、国家規模の略奪婚の提案だ。
周囲の護衛や、後ろに控えていたエレオノーラが息を呑む気配がした。
「……光栄なご提案ですが」
私は彼女の指をそっと掴み、離した。
「私は今の仕事を気に入っていましてね。それに、私の値段は金貨一千万枚では安すぎますよ」
「あら、強気ね。……嫌いじゃないわ」
カテリーナは拒絶されても動じることなく、むしろ楽しげに目を細めた。
「いいわ。今日は顔見せに来ただけ。……私はしばらくこの街に滞在して、貴方とこの街の『価値』をじっくり見定めさせてもらうわ。逃がさないから、覚悟しておきなさい?」
彼女はウィンクを残し、従者たちを引き連れて駅を出て行った。
嵐のような女だ。
「……随分とモテますのね、アレクセイ」
背後から、絶対零度の声が響いた。
振り返ると、エレオノーラが笑顔(目は笑っていない)で立っていた。
「帝国の皇女まで粉をかけてくるとは。……やはり、首輪をもう一つ増やしておくべきかしら?」
「勘弁してくれ。ただでさえ仕事が山積みなんだ」
私は溜息をついた。
鉄道の次は、外交問題。そして泥沼の恋愛模様。
市長の仕事に、安息日はなさそうだ。
こうして、波乱含みの秋が幕を開けた。




