第14話 戦場としての舞踏会
王城の大ホールは、数百の魔導シャンデリアによって、真昼よりも眩しく照らされていた。
極上のシルク、散りばめられた宝石、そして芳醇な香水の香り。
この国の支配階級が一堂に会する「建国記念祝賀パーティー」は、富と権力の見本市だ。
「……随分と熱い視線ですこと」
「半分は好奇心、残りの半分は殺意だろうな」
私は、腕を組んで歩くエレオノーラに苦笑いで囁いた。
私たちが会場に入った瞬間、ざわめきと共に無数の視線が突き刺さったのだ。
無理もない。
今の私は、ただの貧乏男爵ではない。「腐敗した財務大臣を葬り去った若き次官」であり、「前代未聞の鉄道計画をぶち上げた山師」だ。
だが、視線のもう一つの理由は、隣にいる彼女だろう。
今日のエレオノーラは、ウィスタリア公爵家の威信をかけた装いだった。
深い夜空のようなミッドナイトブルーのドレス。胸元には大粒のサファイア。銀糸で刺繍された公爵家の紋章が、動くたびに星屑のように煌めく。
「社交界の薔薇」の名に恥じない、圧倒的な美貌と気品。
彼女が私を選んだという事実だけで、多くの若い貴族令息たちがハンカチを噛んでいるのが分かる。
「胸を張りなさいな、アレクセイ。貴方は私の選んだ『最高の投資物件』なのですから」
「……物件扱いはやめてくれないか」
軽口を叩きながらも、私たちは完璧な笑顔で挨拶回りをこなしていく。
これまでの政治家人生で培った「作り笑い」と「当たり障りのない会話術」が火を噴く。
その時だった。
ホール入り口のファンファーレが高らかに鳴り響いた。
「――シルヴィア・ル・グラン王女殿下、ご入場!」
会場の空気が一変した。
王族の登場だ。
大階段の上に現れたのは、あの泥だらけの作業着姿の彼女ではなかった。
燃えるような赤髪は複雑に編み込まれ、真紅のドレスが彼女の豊満でありながら引き締まった肢体を包んでいる。
露出は控えめだが、それが逆に大人の色気と、王族としての侵しがたい威厳を醸し出している。
そして何より、その翡翠の瞳。
会場を見下ろす眼差しは、獲物を探す猛禽類そのものだ。
「……いつもの男装とは別人のようだな」
「ええ。ですが、中身はあの『じゃじゃ馬』のままですわよ。……ほら、こちらに来ますわ」
エレオノーラの予言通り、階段を降りたシルヴィアは、群がる貴族たちを軽くあしらいながら、一直線に私たちの方へ歩いてきた。
モーゼが海を割るように、人垣が開いていく。
「ごきげんよう、ウィスタリア公爵令嬢。そして……財務次官」
シルヴィアが私の前で止まり、扇子を閉じた。
「ごきげんよう、殿下。本日はまた、一段とお美しい」
「世辞はいらん。……ふん、随分と着飾っているな。昨日の煤けた作業着の方が、貴様には似合っていたぞ?」
彼女は私のタキシード姿を上から下まで眺め、最後に口元だけで笑った。
それは「私だけが知っている貴様の姿」を誇示するような笑みだった。
「あら、殿下」
即座にエレオノーラが割り込んだ。
彼女の笑顔もまた、完璧だ。
「私の婚約者は、どのような服でも着こなしますのよ。何せ、私が選んだ生地と仕立てですから。……泥臭い現場仕事よりも、こうして私の隣にいる時が一番輝いていますわ」
バチバチバチッ。
二人の間に、火花が見えた気がした。
シルヴィア(現場・共有体験マウント) vs エレオノーラ(資金・私生活管理マウント)。
「ふふ……ウィスタリア家は随分と独占欲がお強いようだ。だが、彼の『才能』を一番理解し、共に汗を流しているのは誰かな?」
「才能を発掘し、最初の『出資者』として基盤を作ったのは誰でしたかしら? 彼が今ここに立てているのは、誰の資金のおかげでしょう?」
周囲の貴族たちは、美しい二人の令嬢が談笑しているとしか思っていないだろう。
だが、私には分かる。これは「筆頭株主」争いだ。
「……お二人とも、そろそろ乾杯の時間ですよ」
私が冷や汗を流しながら仲裁に入ろうとした、その時。
背後から、不躾な声がかかった。
「おいおい、どこの馬の骨かと思えば……田舎者のモルントン男爵じゃないか」
振り返ると、酒で顔を赤くした中年の男が立っていた。
派手だが趣味の悪い宝石をジャラジャラとつけた、肥満体の貴族。
私の記憶ファイルが検索する。
……バーンズ子爵。失脚したガリオス元大臣の腰巾着で、鉄道計画によって利権を失った運送会社の大株主だ。
「こんな場所で美女を侍らせて、いいご身分だな。……どうせその金も、大臣を罠に嵌めて奪った汚い金だろう?」
バーンズ子爵は、わざと周囲に聞こえるような大声で言った。
会場が静まり返る。
シルヴィアの目がスッと細くなり、殺気を帯びる。エレオノーラも扇子を持つ手に力が入る。
だが、私は二人を手で制した。
ここで彼女たちが怒れば、王族や公爵家が「酔っ払いをいじめた」という悪評が立つ。
「バーンズ子爵。ご機嫌麗しいようで何よりです」
私は怒るどころか、優雅に一礼して見せた。
「『汚い金』……ですか。確かに、私の手は汚れています」
私は自分の両手を広げ、照明にかざした。
「この手は、領地の土をいじり、魚の内臓を処理し、機械油にまみれていますからね。……ですが」
私は一歩、バーンズ子爵に近づいた。
「私はその汚れを誇りに思っています。なぜなら、その汚れこそが、新しい産業を生み、民の腹を満たしている証だからです。……何も生み出さず、他人の上前をはねて綺麗に保たれた手よりも、よほど美しいと思いませんか?」
「な、なんだと……ッ!?」
「それに、子爵。貴方のその指輪……ルビーですね。素晴らしい輝きだ。……確かその鉱山は、先日『労働環境の悪化』でストライキが起きたばかりでは? その指輪の赤色が、鉱夫たちの血に見えないことを祈りますよ」
私の言葉に、周囲の貴族たちが「ぷっ」と吹き出した。
私の調査能力の高さは有名だ。「コイツに喧嘩を売ると、痛い腹を探られるぞ」という空気が伝播する。
「き、貴様……無礼な! 決闘だ! その減らず口を……」
「おやめなさい、バーンズ」
シルヴィアの冷徹な声が、トドメを刺した。
「これ以上、私の『共同事業者』を侮辱するなら、私が相手になるぞ? ……王家の森で、猪狩りの的になりたいなら別だが」
王女からの直々の脅迫。
バーンズ子爵は顔面蒼白になり、何かを喚きながら逃げるように去っていった。
会場に、安堵と称賛の拍手が広がる。
私は二人のヒロインに向き直った。
「……助かりました。ですが、少し過激では?」
「あら、あれでも抑えた方ですわ」
「うむ。本当は眉間を撃ち抜いてやりたかったが、貴様の顔に免じて許してやったのだ」
二人は顔を見合わせ、初めて意気投合したようにクスリと笑った。
どうやら、「外敵」が現れた時だけは、最強のタッグが組めるらしい。
こうして、私の波乱に満ちた夜会デビューは終わった。
だが、私は会場のバルコニーから、じっとこちらを見つめる「紫色の瞳」があることに気づかなかった。
隣国の皇女、カテリーナ。
彼女もまた、この騒動を値踏みするように眺めていたのである。




