引き継ぎ式
アデール嬢との面会の約束をするため、ユベール卿は帰って行った。
師匠はぐーっと背伸びをし、にっこり微笑む。
「ふふ、うちの子、少し偏屈だけれど、いい子なの。だからこれからもよろしくね」
「は、はあ」
ユベール卿から提示された課題がクリアできなければ、このご縁もなくなるだろうが……。
「あとは、お店の権利を引き継いでおきましょう」
師匠はそう言って、レディ・ヴィオレッタを呼び寄せる。
レディ・ヴィオレッタの額を撫でると、契約書と権利証が浮かび上がった。
「そんなところにあったのですね」
「ええ、そうなの」
師匠はペン先がルビーになっている羽根ペンを取りだし、自らの名前がある箇所に線を引く。すると署名が消えた。
「さあ、契約書をしっかり読んで、問題なければ権利証に署名なさいな」
「はい」
契約書にはごくごく一般的なことが書かれていた。
ただ、お店を継ぐ後継者が現れない限り、店番は続けるようにとある。
「七十にもなって、ほぼ毎日お店に立つのは辛かったわあ」
師匠は元々大公夫人で、魔女である必要はない。
なぜシール魔女になったのか、というのは聞いた覚えがある。
夜会で王女殿下に、何もできないお飾りの大公夫人だと面と向かって言われたからだそう。
ショックを受けた師匠は一人で泣きながら夜会会場を飛びだした。その先で、先代シール魔女と出会ったという。
涙の理由を聞かれ、何者にもなれないお飾りの女だと気付いたからだと言うと、シール魔女は「ならば魔女になればいい!」と言って師匠を弟子にした。
その後、師匠は魔女と大公夫人、二つの顔を使い分け、生きてきたという。
ちなみに師匠にお飾りの妻だと言った王女殿下は我が儘放題していたからか、二十歳半ばを過ぎても結婚相手が見つからず、親子ほども年が離れていたジファール公爵の後妻となる。
そう、師匠をお飾りの妻扱いした王女殿下は、エヴリーヌの祖母なのだ。
夫であるジファール公爵と間に一人の子を儲けたあとは、用無しとばかりに田舎の領地へと送られていった。
彼女のほうが、最終的にお飾りの妻となってしまったというオチである。
「人生、何が起こるかわからいものよねえ。わたくしはこの年まで華やかに王都で暮らして、ジファール公爵に嫁いだ王女殿下のほうが辛い環境で生きることになるなんて」
ジファール公爵領は雪深く、閉鎖的な土地だという。
王都生まれ、王都育ちの王女殿下が耐えきれるわけがない。
結果、土地に馴染めなかったからか体調を崩し、若くして亡くなってしまったという。
「メーリス、覚えておきなさい。他人へ向けた悪意は、いつか鏡のように返ってきてしまうのよ」
自らが口にした悪意を受け入れる覚悟がなければ言うべきではない。
師匠は遠い目をしながら教えてくれた。
「契約書、読み終えました。署名します」
「ええ、お願いね」
ルビーのペン先でメーリス・ド・リュミエールと書くと、名前が輝く。
どうやら私は次代のシール堂の店主として認められたようだ。
「メーリス、おめでとう」
「ありがとうございます」
師匠はいつも胸に飾っていた、チェーン付きの金でできた封蝋印の飾りを私にくれた。
「これは先代シール魔女から受け継いでいた、店主の証なの。大切にしてね」
「はい!」
ずっしり重たいが、これが店主としての責任でもあるのだろう。
これからシール堂をきりもりし、生計を立てられるようにしなくては。
「ふふ、やーっと解放されたわ。これからどうしようかしら? まずは旅行よねえ」
隠居する気はさらさらないようで、自由に遊んで暮らすという。
大公夫人である以上、ずっとそれが許されていたのに、師匠は真面目に働いていたのだ。
「旅行から帰ってきたら、お土産をたっぷり持って、シール堂にやってくるわね!」
「ええ、楽しみにしています」
はたして師匠が次に訪問してきたときに、ユベール卿はいるのか。
まだ、どういう方向に転がるかわからない。
ひとまず、頑張るしかないようだ。
その後、大公家からお迎えがあったようで、師匠は元気よく手を振って帰って行った。
一人になると、少し寂しい気持ちになる。
ふう、とため息を吐いた瞬間、話しかけられてギョッとした。
『お主も難儀よの』
「え!?」
声がしたほうを振り向いたが、レディ・ヴィオレッタしかいない。
「だ、誰!?」
『わらわぞ』
その艶のある美しい声は、レディ・ヴィオレッタから発せられていた。
「レディ・ヴィオレッタ!?」
『そうぞ』
まさか喋ることができたなんて驚きである。
「あの、どうして突然話しかけてくださったのですか?」
『それはお主がここの店主になったからぞ』
レディ・ヴィオレッタは師匠と契約している使い魔だと思っていたが、違ったらしい。
『わらわは〝家猫妖精〟、この家を守護する存在ぞ』
「そ、そうだったのですね」
ただそれも、契約した店主のみが知りうることができる情報だという。
『お主がここを継いでくれてよかったぞ。お前の姉弟子はいろいろ雑だからな』
「ゼラお姉様は、まあ……」
無鉄砲で奔放な姉弟子ゼラは、世界を旅するシール魔女である。もう何年も王都に帰ってきていない上に、一つの場所に身を置くことは難しい人だっただろう。
『これでマチルドもしばらくゆっくり過ごせるだろう』
なんて話をしていたら、お店の扉が開く音がした。
「いらっしゃいませ」
やってきたのは常連である近所のお爺さん。
「あれえ、今日は弟子ちゃんが店番なのかい? マチルドちゃんは?」
マチルドちゃん――師匠はずいぶんとかわいい名前で呼ばれていたようだ。
「今日から私がお店を継ぐことになりまして、お師匠様は今後、ここにいることはないと思われます」
「なんだよー。マチルドちゃんからシールを買いたかったのに」
師匠が作ったシールならば店頭にたくさんある。けれどもお爺さんは師匠のシールでなく、師匠からシールを買いたかったのだろう。
「じゃあ、いいや」
お爺さんはそう言って帰っていった。
その後も、常連さん達がやってくるも、反応はおおむね同じ。
「新しい客層を確保しないと、売り上げがゼロになりそうです」
『そのようだな』
早速冷や汗を掻いてしまった。




