師匠のもとへ
なんというか、疲れた……。
このあとシールの魔女である師匠のところへ挨拶に向かう予定だったけれど、久しぶりにマケールとエヴリーヌと会った疲れを、お師匠様のところに持ち込んではいけない。このまま帰ろう。
帰宅すると、使用人達がパーティーの後始末をしていた。
床には空になったワイングラスや、フード類が落ちている。
いつもより、明らかにマナーがなっていない。
マケールとエヴリーヌが指示した招待客を呼んだだけなのだが。
今日、招待した客の一部は、マケールの貴族学校の友人だったらしい。
素行が悪い者達も紛れ込んでいたのだろう。
私も後始末を手伝おうとしたのだが、メイド長に休むように言われ、追い払われてしまった。
部屋に戻ると、そのまま眠ってしまいたい欲求にあらがい、荷造りを行うことにする。
とは言っても、そこまで持っていく品は多くない。
着慣れた作業用のエプロンドレスが数着に、肌触りのいい下着類、兄が買ってくれた魔法書に、母が誕生日に揃えてくれた化粧品、父が降誕祭に贈ってくれた宝飾品――。
そして、師匠がくれた長い杖。
魔法陣の封蝋を押したようなモチーフがかわいい、オーダーメイドして仕立ててくれた物だ。
これからはこの一本で生計を立てていく。
不安はあるものの、マケールとの婚約から解き放たれた開放感のほうが勝っていた。
きっと大丈夫、上手くいく。
胸は希望でいっぱいだった。
師匠には魔法で手紙を送り、現状を知らせておく。
すると、私を心配するような返事が届いた。
いつでもやってきていい、と書かれた手紙を見て、ホッと胸をなで下ろす。
夜は家族みんなで食卓を囲む。
父は寂しいと涙し、母は私を励ます。兄はしっかり頑張るように、と激励してくれた。
本当に、一日でいろいろなことがあった。
マケールからの婚約破棄から、エヴリーヌと結婚すると宣言され、パレードで晒し者にされた挙げ句、見知らぬおじさんから暴力を受けた。
しかしながら運よく、私はパレード中の魔法騎士に助けてもらったのだ。
あのお方はいったいどこのどなただったのか。
印象的な水晶の剣を持っていたので、もしかしたら見つけられるかもしれない。
魔法騎士が助けに入らなかったら、おじさんの力で平伏させられていただろう。
衆目の前で、意味もなく地面に頭をつけるなんて、考えただけでもゾッとする。
今度会ったときは、感謝しなければ。
目を閉じたら、あっという間に意識がなくなる。
こうして私の大変な一日は終わったのだった。
翌日――私は家族から見送られながら、師匠のもとへ向かうこととなった。
近くまでは父が用意してくれた馬車で移動する。
下町で降り、御者に心付けを渡して別れることとなった。
師匠の店は下町の入り組んだ場所に位置する。
大通りから逸れて細い通路に入り、迷路のような道を歩いた先にあった。
壁に蔦が這った、温かな光が差し込むお店〝魔法のシール堂〟。
出入り扉には魔法陣が浮かんでいて、商品が必要な人のみ、開店しているように見えるのだ。
魔法陣にそっと振れると、扉は開く。
お店のカウンターには、お上品な淑女がいて、にっこり微笑みかけてきた。
「あら、お帰りなさい、わたくしのかわいい弟子メーリス」
「お師匠様、ただいま帰りました」
お帰りなさい、と師匠から言われたのは初めてだった。
それはとっておきの歓迎の言葉のように聞こえた。
師匠はいつも美しいドレスに身を包み、化粧もばっちりで、柔和な笑みを浮かべている。
年齢については聞いたことはないものの、おそらく私の祖母と同じ世代なのだろう。
目元や口元に刻まれた皺は、大樹の年輪のようで美しい。
こんな年の取り方をしたい、と思えるようなお方だ。
師匠の膝にいた、毛足が長い美しい白猫が降り、お店の奥へと消えていく。
あの子は師匠の使い魔である〝レディ・ヴィオレッタ〟だ。
師匠は魔法で紅茶と茶菓子を用意してくれた。
カウンターをテーブル代わりにし、ちょっとしたお茶会が開かれる。
お菓子の甘い匂いに誘われたのか、レディ、ヴィオレッタがやってきた。
師匠はシュガーポットの氷砂糖をひとつ手に取り、レディ・ヴィオレッタに分け与える。
この美しき使い魔は、甘いものに目がないようだ。
「それにしても、驚いたわ。まさか結婚が急遽取りやめになるなんて」
「ええ……」
婚約破棄を言い渡されるのは、貴族女性としては不名誉極まりない。
「でも、魔女としては、背中に大きな翼が生えるようなものね」
「そう、なのでしょうか?」
「ええ、そうなのよ。生活能力がある優秀な魔女にとって結婚は、酷い足かせでしかないのだから」
師匠の言葉を聞いて、婚約破棄されてふがいない、という気持ちが楽になった。
私はいつも、師匠の魔法の言葉に心が癒やされているのだ。
「ということは、あなたがこのお店を継いでくれるのね」
「ええ、迷惑でなければ」
「迷惑だなんてとんでもない! わたくしはここを継いでくれる後継者を、一生懸命探していたのよ」
師匠の弟子は私以外に一人いるようだが、独立して出て行ったらしい。
「魔法に精通している孫が継いでくれたら、なーんて思ったんだけれど、シールの魔法を〝年寄りのための魔法〟だなんて言って、拒否されてしまったのよねえ」
そう言われてしまうのも無理はない。
ここのお店の主力商品は、腰痛や関節痛の緩和、皺の改善、免疫力の向上などに作用するシールなのだ。
客も九割がお年寄りである。
そのため、師匠の孫はお年寄りのための魔法だなんて言っていたのだろう。
「まったく、失礼しちゃうわ」
このお店は私が継ぐので、師匠は店番から解放されると喜んでいる。
「ふふ、旅行にでも出かけようかしら?」
「ぜひ!」
なんて話していると、店の床に魔法陣が浮かび上がる。
転移魔法だ!
気付いてすぐに師匠を守るように前に立った。
「あらあら」
師匠の暢気な声と共に登場したのは、銀色の髪に青い瞳を持つ、手足がすらりと長い美貌の青年だった。




