第3章 北の地の出会い-2
「この辺りまでくると、さすがに人はほとんどいないな……」
謎の家からの道はまっすぐ北に伸び、半日も歩けば街道に通じていた。問題はここからどちらに行ったかだが――カイは直感的に北に行ったと判断した。
あの家に住んでいた者は、おそらく何かしらの理由で魔王に保護されていた存在だと思われる。言い換えれば一般社会に入れない存在。とすれば、ここから南に向かえば確実に人が多く住む領域になるため、逃げるのならば北に向かったと考えるのが妥当だ。
問題はどこまで移動しているかだ。一年以上前の痕跡など残っているはずはない。だが、魔王の考えを知る手がかりがある可能性があるなら、今のカイにはやる価値がある。
そう思って、街道沿いに北へ向かうこと五日。結局ミスリバーという街までたどり着いてしまった。この間、見事なほど人里はなかった。
ミスリバーの街は人口は二千人程度の辺境の街だ。だが、ミスリバーの街で聞き込みを行ってみたが、一年前にそんな集団はいなかったらしい。
街の人によると、さらに北にもかつては一時利用する集落の様な場所もあったという。今はほとんど利用されていないが、利用している人がいないとも限らない。
とりあえずはそれを探してみることにして、カイはさらに北へ向かうことにした。
◇
飛行中に、それを見つけたのは本当に偶然だった。開けた岩山の上に何か動く黒い点が見えたから、てっきり獣だと思ったが――それは複数の人だったのだ。
「何かを、追っている?」
少し気になって望遠魔法を発動させる。
「なんだ……人が人を追ってるのか。犯罪者……いや、子供?」
おそらくは子供が、十数人の大人に追われているようだった。しかも子供は明らかに素手だと思われたが、追っている大人の方は武器を持っている。どう考えても普通ではない。カイは飛行魔法で一気にそちらに近付こうとしたが、すぐ見えなくなってしまった。
「……見失ったか」
だが、ここからそう離れた場所にいるはずはない。ここはミスリバーから十キロほどは離れている。となれば、近くに拠点かそれに準ずるものはあるはずで、空から探せば見つけられるだろう。
「まっとうな連中じゃない可能性があるからな……」
ここまで辺境だと、そもそも国など存在しない。犯罪者やまともに街にいられなくなったような者が逃げ込むような地域と言ってもいいだろう。
「もし、子供を捕らえて利用しているなら、さすがに放置できんしな」
そう呟くと、カイはそのまま飛行して、周囲を探索することにした。
そして、三十分後。
「あれか……?」
いくつかの山に囲まれて隠れるようにくぼんだ地域に小さな村があった。小さな川が中心を流れていて、申し訳程度に畑も見える。炊煙かなにか、煙が見えたので人がいるのは確実だ。狩のための出張村という可能性もなくはないが、調べない理由はなかった。
規模からすればおそらく三十人もいないだろう。
村全体を見渡せる位置に行くと、そこから望遠視力の魔法を発動させ、村の様子を観察する。
見えるのは男ばかりだ。年齢はおそらく二十歳程度から、五十歳くらいまで。女性や子供はいない。
建物はどれも掘っ立て小屋同然で、粗末なものだ。さすがにこんな場所には神刻機もないようだ。しばらく見回していると、一つだけ造りが他より頑丈そうな建物があった。
そして――。
「いた」
その建物の前に、明らかに周囲の者より小柄な人影がいた。
「子供……女の子? って、ちょっと待て」
見えたのは薄汚れた、粗末な貫頭衣を着た子供。
貫頭衣といっても、その前は大きく切り裂かれていて、わずかに胸部が膨らんでいるように見えるから、おそらく性別は女性だ。
少女は両脇に立つ男二人に腕を抑えられ、膝立ちにされていた。それを囲むように男が五人ほど、まるで見世物を見るようにして――おそらくは笑っている。
少女が動く様子はない。まるで、全てを諦めたかのように表情がなく――その理由はすぐ分かった。少女のすぐ横に人が倒れていたのだ。どう見ても死んでいる、成人と思われる女性の身体。しかも服は全く纏っていないその様から、何が行われたのか想像出来る。
「……生かしておく必要はないな」
一瞬でカイはそう決断した。どういう理由があれ、この状況を座視することはあり得ない。そしてこんな場所で、まともな司法など期待できるはずもなく、言い換えればこちらが暴力を用いたところで、咎め立てされることはない。
素早く村全体を見渡す。男の数は、おそらく十八人。そのうち女の子の周辺にいるのが七人。素早く相手の装備を確認するが、どうやら弓もあるらしい。だがそれでも、ルドリア率いる魔軍と戦うのに比べたら、どうということはない。
一対十八という圧倒的な人数の差は、カイにとっては戦力差にすらならないのである。
◇ ◇ ◇
少女は自分に迫る男を、他人事のように見上げていた。
両腕はがっちりと屈強な男に抑えられている。
足には鉄の足枷。これを付けていると、本当に気力が削られて何もできなくなってしまう。膝をついているのは、別に抑え込まれているからではない。立ち上がる力すらないのだ。むしろ腕を支えられていなければ、そのまま倒れ込んでしまうだろう。
ぼんやりと、隣に倒れている母を見た。
母は今朝、文字通り最後の力で自分を逃がそうとした。一年もの間ここの男たちの慰み者にされながら、自分を庇い続けて、すでに限界だったのに。
だが結局捕まって、連れ戻されてきた時には母はすでに死んでいた。
(ああ、これから私も――お母さんと同じように――)
かつては兄や弟、妹がいたが、今はもういない。
兄と弟は村に来てほどなく殺されてしまった。妹はどこかに連れて行かれたきり、帰ってこなかった。
母親と『同じ』だったのは自分だけだったので、自分だけは殺されず、ここに留め置かれたらしい。
この先の生に希望などない。男がいやらしい笑みを浮かべながら近づいてくる。何か言葉を話しているはずだがよく聞こえない。どうせこれから、今目の前に立つ男達に――。
直後。その目の前の男が、吹き飛んだ。
「え――?」
同時に、両脇の男から悲鳴が上がり、両腕を掴んでいた男達の腕の力が抜ける。
身体を支える力が失われ倒れそうになったが、何が起きたのかを確認したいという欲求が勝り、かろうじて手を地面について、顔を上げた。
目の前に見たことのない人の背中があった。仕立ての良いマント。靴も見たことがないような造りのしっかりした上等なもの。身長はそれほど高くはないが、かといって低くもない。長くはない黒髪の頭を見上げた直後、一瞬だけその人が振り返る。
やはり見たことがない人だった。少し濃い肌の色と、少し明るい茶色の瞳。
「もう、大丈夫だ」
聞こえた声は、どこか安心させるような優しさを感じさせる。
そして次の瞬間に見えたのは、男たちが次々に吹き飛ばされて行く光景だった。
それも、ただ殴られて吹き飛んだとかそういうレベルではない。軽く数百メートル、つまりこの村を囲む山を越える勢いで吹き飛ばされているのだ。
異変に気付いた男たちが集まってきた。それぞれに武器を持っていたが――。
「悪いが手加減するつもりはない――全員きっちり送ってやるよ!!」
直後、彼の周囲に次々に光が出現した。それが球体になって、轟音を伴って弾かれたように飛び交う。それが村にいた男たちを正確に捉え――男たちの悲鳴が響き渡った。
「ひ、ひっ、なん、なんだ、お前、は」
「ちっ。制御が甘かったか。一人外すとはな……なまったか」
そういうと、その男に向けて手をかざし――直後、男が白目をむいて倒れ、動かなくなる。三十秒と経たず、立っているのは目の前に立つ一人だけになってしまった。
「あ、の……」
なんとか声を出そうとするが、かすれたような声しか出ない。そもそも疲労が限界だった少女は、地面についていた手からも力が抜け――意識が闇に落ちて行った。
◇
「ん……あ、れ……?」
「お、気付いたか。どうだ、気分は。水は飲めるか?」
少女が目覚めたのは、村のベッドだった。粗末な、寝心地がいいとはとても言えないものだが、それでも枕があって温もりもあるので少しは楽だ。
ベッドの横にいたのは、先ほど助けてくれた男性だ。彼は水差しからコップに水を注いで、出してくれた。それを見て、どうしようもなく喉が渇いていると気付いた少女は、必死にそれを飲む。身体に水がしみわたるようで、ようやく自分が生きていると実感した。
「大丈夫か。二日も目を覚まさなかったから心配したが」
そんなに眠っていたのかと思うと驚いた。
それから身体がとても楽になっているのを自覚した。ややあって、それが足にあった鉄の足枷が外れているためだと気付く。
「あ、りがと、う……えっと……」
「そういえば名乗ってないな。俺はカイ。カイ・バルテスという。君はエルフ、か?」
「はい……。私は、エルフ、のレフィーリア、です」
するとカイと名乗った人は、とても優しく微笑んでくれた。
「レフィーリアか。いい名前だ。食事を用意したが、食べられそうか?」
食欲をそそる美味しそうな匂いが、レフィーリアの鼻腔を刺激した。
◇ ◇ ◇