第3章 北の地の出会い-1
「ここがコーエンの街か」
ケーズを出てから十日余り。途中いくつかの小さな村に立ち寄りつつ、飛行魔法も併用して、カイはウェインから聞いたコーエンの街に到着した。
ケーズでは他にもできるだけ色々と話を聞いたが、最初に聞けた以上の話はあまりなかった。ただどの話を聞いても、カイの知る魔王ルドリアとケーズにいたルドリアという女性は、本当に同一の人物なのかと疑いたくなるほどに違っていた。
ルドリアは卓越した魔法の才能とその優しい性格で、それこそ、お伽噺の聖女の様に慕われていたという。魔王となった後も、彼女を信じる人がいたほどだ。
かつてのルドリアを知る人は思った以上にいた。ただ、誰に話を聞いても、ルドリアが少しずつ変わっていたような気がするということだったが、それも後から考えてみればそうだったのかもしれない、という話がほとんどだった。人間、虫の居所が悪いことは誰にでもあるという程度のものだ。大きな契機かもしれないと言われたのが、魔王となる一年半ほど前の、彼女の親の死。それ以後、ふさぎ込むことが多くなったという。
そしてルドリアは突然行方不明になった。魔王として突然タウビルを制圧したのは、その三か月後。ケーズの人々は本当に驚いたらしい。その後のケーズのことは、話に聞いた通りだ。明らかにルドリアはケーズを維持しようという意思があったとしか思えない。
ルドリアが魔王となる前の友人は少なくはなかったのだが、同時にルドリアはそれほど深く付き合う人はいなかったらしい。これに関してはカイも少しだけ気持ちは分かる。カイも卓絶した魔力を持ち、さらに前世の記憶があったこともあって、同年代から距離を置いていたし、どこか冷めた対応を取りがちだった。
ただ、カイの場合、ラングディールとシャーラがいた。そういう存在が、ルドリアにはいなかったのかもしれない。
コーエンの街で聞き込みをすると、イルツがいたと思われる施設はすぐ分かった。山一つ越えたところらしく、カイは飛行魔法で向かう。だが、施設にあったのは――。
「やはり、か……」
その村にあったのは白骨化した死体だけ。
おそらくこの地にいたのは、ウェインの話の通りであれば魔軍兵なのだろう。つまり魔王が倒された時点で死に、一年ほど放置された。そうなれば当然、白骨化してしまう。
「……さすがに放置というわけにはいかんな」
魔軍兵は確かに敵だったが、元はただの人間だ。少なくとも、こんな風に野ざらしでいい理由はない。魔法も併用して、カイは地面に大きな穴を開けて死体を一体一体埋めていった。遺体の数は全部で六体。ウェインは生き延びているから、ここには七人の魔軍兵がいたということになる。
「こんなところで死にたくはなかったんだろうがな……」
重労働を終えて一休みしたカイは、大きく息を吐いた。彼らにとって、一人でも生き残った者がいたことが、救いになったのかは分からない。
「確か食料をどこかに持って行っていたという話だったが……」
村周辺には、小麦や芋などを作る畑、それに牛舎と思われるものもあった。こんな僻地で何のためか謎だが、イルツの話の通りならどこかに食料を届けていたのは間違いない。何しろ魔軍兵は食料も睡眠も必要としないのだ。
「北の方という話だったが……」
手掛かりがないかと村を探索する。建物は四つあり、二つは牛舎と食糧庫。そして魔軍兵の待機所。寝台すらないのがいかにも魔軍兵だ。そして最後の一つは――。
「これは……なんだ?」
他より遥かに小さなその建物は、建物というより小屋に近い。だが、造りは他のどれよりもしっかりしていた。部屋は一つだけ。部屋の中央に台座があり、そこに直径二十センチほどの水晶玉が安置されていた。
水晶玉などは魔力を宿しやすく、それで魔法の力の増幅に利用されることは少なくない。カイは全く使わないが、杖に仕込んで魔法の補助としている魔術師も多い。
「魔力を多少感じるが……なんだ!?」
触れた瞬間、何かのイメージが頭に浮かんだ。見えたのは女性のシルエット。
『では頼みましたよ。彼女らを守ってください。私はこの先、ずっと罪を犯し続けることになる。彼女らを助けることで、その贖罪になるとは思いませんが……』
そしてすぐこの街の光景に変わり、まるで鳥が空を飛ぶように浮かび上がると、村を俯瞰するような視点になる。そして北へ高速で、いくつかの場所を示すように移動していく。そこにはそれぞれ、小さな家があった。距離はここからだと十キロほどか。
「今のは……ルドリアだよな。場所は、イルツが言っていた荷物の送り先か」
場所を示した魔法具なのだろう。これほど明確なイメージを感じさせるほどに魔力を籠めるなど、並大抵のことではない。あの姿と声は、まず間違いなくルドリア本人だろう。言っていた言葉の意味は、完全には理解できないが、もし『魔王』であることを言ってるとしたら、ルドリアは魔王でありたくなかったと考えていた可能性もある。
「魔王の目的を探る手掛かりになりえるか……」
外を見ると、すでに日は落ちて、空の支配者は夜になっていた。
「さすがに夜に調査は無謀だな……ここに泊まっていくか」
きっちり埋葬したので幽霊が出ないことを祈ろう――といっても、幽霊の概念自体前世の記憶なので、だとしたら出ないのだろうか、などと約体もないことを考えてしまった。
明日朝から出発すれば、五カ所でも飛行魔法も使えば一日で終わるだろう。
カイは予定を決めると、寝袋を取り出して待機所と思われる場所で眠るのだった。
◇
あの水晶玉が示した場所にあった小さな家は、どれも地上から行くのは相当に困難な、まるで陸の孤島の様な場所だった。ただ、魔軍兵のためのものではないのは確実だ。
寝台や食料をしまう場所があり、井戸もあったのである。つまり、普通に生者が生活するための場所だった。ただ、四つ目までは白骨化した一つの女性と思われる亡骸と、わずかな身の回りの品――それで女性だと推測出来た――しかなかった。
「女神イークスの導きがあらんことを――」
カイは各家に行く都度、墓標を立て、丁寧に埋葬した。
この世界の死生観は比較的単純だ。女神イークスが、死んだ人を女神の野と呼ばれる世界に連れて行ってくれると信じられている。だから人々は死後、出来るだけ早く女神が導いてくれるよう祈るのだ。そして五か所目も同じだと思って行ったのだが――。
「ここは……遺体がないな。それに、家も妙に広い」
最後の五カ所目だけは、死体がなかった。
他の家は、川や崖などで逃げられないようになっていたが、ここだけは少し広く、また、家の大きさもかなりのものだし、他では一つだった寝台が五つもある。ただ、他と違って遺体がない。
「魔王が倒れたのが一年前。ここに食料を届ける人間がいなくなったのも、同じ時期。ここ以外の四つにいた人は、あの庵から出ることすらできなかった可能性があるか」
そうなれば、待っているのは餓死。
理由は分からないが、ルドリアはあの五カ所に誰かを連れ込んで、生活の世話をしていたのだろう。だが、ルドリアが倒れたことで食料が供給されなくなった。あの家を出ようと無理をして、谷底に落ちた人もいるのかもしれない。いずれにせよ、あの場で閉じ込められて出られないまま、餓死したのがあの幾人かの死体の正体の可能性は高い。
「なぜそんなことをしていたのか、だが……」
手がかりといえば女性だと思われる、という程度だ。
「生きてるかもしれないこの家の元住人の足跡を、追ってみるか」
家の南側はともかく、北側であれば行けるように思える。となれば、おそらくは北に向かったのだろう。もし生きていれば、あるいはルドリアが何をしていたのかを知ることもできるかもしれない。ケーズで手に入ったのは、魔王になる前のルドリアの話。だがこれは、魔王になった後のルドリアの情報だ。
単純に考えて一年は前の話だから、完全に追えるかは分からないが――。カイはそう決めると、さらに北に足を向けるのだった。