第2章 魔王ルドリアの素顔-2
教えられた東海岸地区のカルベール通りはすぐにわかった。レンガ造りの家屋が並ぶ、南国の気配が漂う地域だ。この辺りは海からの風が比較的強く、その対策ため壁は塩害対策で漆喰が塗られている建物が多い。
「本当に人が多いんだな……」
魔軍への取り込みの対象はは主に十代後半から三十代くらいの男性。つまり働き手がほぼ根こそぎ持っていかれることになる。少なくとも、シドニスではそうだった。
それに比べるとこの街は人が多い。確かにルドリアが誕生したのは三十年以上前。当時の対象年齢の人々が魔軍に取り込まれたとしても、その後子供達が大きくなっていれば、ある程度は補充される。ただその場合でも、四十代後半から六十代はほとんどいないと思ったが、そういうわけでもないらしい。
「意外に……魔軍に徴用されなかった者もいたのか?」
通りを歩いている人は総じて若い人が多いが、いないと思っていた世代も思ったよりいる。
カイはそのうちの一人に声をかけることにした。年齢的には五十歳くらいの男だ。
「すまない。この辺りに魔軍からの帰還者がいると聞いたのだが、知らないだろうか。イルツという名前だそうだが」
「なんだ、あんたは。見ない顔だな」
男にはやや警戒するような雰囲気があった。確かに警戒するなという方が無理だろう。
「俺はリーグ王国から来たんだ。魔王の調査をしている者でね」
「リーグ王国? また随分遠くから来たもんだな。魔王ってのはルドリアの事だよな」
「ああ。勇者が倒したわけだが、どういう存在だったのかとか不明な点が多くてね。それで魔軍に徴用されていた者で、生還者がいると聞いたから話を聞けないかと思ったんだ」
「なるほどな。わざわざ遠いところからご苦労な事だ。いいだろう。来な」
男性はグレンと名乗り、こっちだ、と言って歩き出した。道案内をしてくれるらしい。
「生還したのはいいが、ひどく怯えるようになっちまってな。話がまともにできるかは保証できんぞ。元は腕のいい漁師だったんだが」
「もしかして、知り合いか?」
「ああ。甥っ子だ」
ふとあることに気付いた。魔王が現れた頃、この男の年齢は二十歳頃のはずだ。
「あんたは、魔軍に取り込まれなかったのか?」
「ん? ああ、なるほど。兄ちゃん、俺は八十歳だよ」
「は!?」
さすがに驚愕した。八十歳といえば相当な高齢で、これほど若々しいはずはない。
「俺も不思議なんだがな。魔王の影響とも言われてるが、この辺の老人は元気なんだよ」
「この町の人間、全員あんたみたいなのか?」
「全員ってことはないが、魔王が現れた後から、俺みたいに年食っても元気ってやつは多かったな。だから若い衆が連れていかれても生活が維持できたんだが……まあ、ルドリアならそれほど不思議でもない気はする。ルドリアはこの街を愛してたからな」
「ルドリアを知ってるのか?」
「ああ。ルドリアは近所に住んでいた娘だったんだ」
まさかいきなりルドリアを直接知る人物に会えるとは思わなかった。
「ルドリアとはどういう人物だったんだ?」
「普通の娘だったと思う。魔法が得意で、怪我したらすぐ治してくれたよ。誰に対しても優しくて、この街が大好きだといつも言っていた」
男が語る言葉から連想される女性と、大陸を混乱に陥れた魔王ルドリアは、まるで結びつかない。ただ、魔法で怪我を治してくれたというのは驚きだ。
この世界では確かに魔法は一般的だが、治癒魔法は難易度が高く、使い手は稀少だ。
「そんなに魔法が得意だったのか?」
「ああ。大陸でも彼女以上の使い手はいないんじゃないかと思うくらいな。ただ魔王になる一年くらい前から、少しずつ言動がおかしくなっていた気はしたな」
「おかしく?」
「その頃に親が死んだから、その影響かと思ったが……心根の優しい子だったはずが、時折ひどくきつい言葉を言うようになった。挙句魔法で脅すようなことをしたこともある」
それは確かに妙だ。あるいは、魔王化というのは、いきなり始まるわけではないのかもしれない。少しずつ何か、魔王と呼ばれる存在に乗っ取られていくのだろうか。
「彼女がいつ魔王になったのかは、俺もわからん。ある時からいなくなって――しばらくしてから魔王が誕生した、と聞いた」
「魔王が誕生したのはこの街と聞いていたが……」
「正確には少し違う。ルドリアの出身地だからそういわれているのだろうが、レンブレスの中心であるタウビルの街で魔王と宣言し、一瞬で制圧したと聞いている」
タウビルの街はこのケーズから南に三百キロ余り行ったところにある大きな街だ。
「ただ、彼女は故郷を大事に思い続けていたと俺は思ってるし、実際この街の扱いがマシだったのは確かだ……っと、ここだ。ウェイン、いるか? 客だ」
「兄さんいらっしゃい。客ってのは?」
家から出て来たのは、七十歳位の男性だった。
「こっちのカイって御仁だ。イルツに話が聞きたいらしい。リーグ王国から来たそうだ」
「そりゃあまた遠くから。まあ上がってくれ」
促されて、カイは戸惑いつつも家に入る。
(兄と弟が……逆じゃないのか?)
「俺はウェイン。奇妙に見えるだろうが、グレン兄貴の弟だ。俺の方が早く老けてな」
そういうと、彼は水差しから水をコップに注いで、カイの前にも置く。
「俺は魔王の調査に来たカイという。魔軍から戻った者がいると聞いたので来たんだ」
「話が出来ればいいんだが……来てくれ」
案内された部屋は扉はなく、布で仕切られていて、窓から差し込む光でかなり明るい。その部屋にある寝台から体を起こしたのは、カイより年下と思える少年だった。
「息子のイルツだ。こんななりだが、今年で四十八歳になる」
「なっ……」
魔軍に取り込まれた者が年を取らなくなるというのは聞いていたが、実際に目の当たりにすると驚きしかない。かつて戦った魔軍も、こんな少年たちだったのだろうか。
「ただ、魔軍時代の記憶はあまりないみたいでな。あんたより精神的には年下かもだ」
魔王打倒後、魔軍兵のほとんどは死に絶えた。戦後最初に行ったのは膨大な数の死体の処理だったくらいである。このイルツという少年はその数少ない例外だろう。
「話を聞けるだろうか、イルツ殿」
「あなたは……?」
「俺はカイ・バルテス。魔術師だ」
魔法はほとんどの人が使う力だが、その中でも魔法を得意とする者は魔術師と名乗る。「どっかで聞いたこと……ある気もするが」
「よくある名前だからな。話は出来そうだろうか?」
そう言いながら、彼の父であるウェインを振り返ると、彼も頷いてくれた。
「俺に……答えられること、なら」
「魔軍時代のこと、何でもいいから教えてくれないだろうか。どんな些細な事でもいい」
するとイルツはゆっくりと横に首を振る。
「正直……まるで夢の中のような感じで、明確に自分を認識できたのは……つい最近だ」
「どこで気付いたんだ?」
「この街だ。どこをどう歩いてきたのか俺もよくわからないが、気付いたらこの街の入口にいた……のだと思う。多分だけど」
実際、イルツは消耗がひどく、街の人がすぐ見つけてくれなければ餓死していた可能性が高かったと、ウェインが教えてくれた。
「当時のことは、あまり覚えていない。ただ、定期的にどっかに行っていた記憶はある」
「どっか?」
「ああ。ぼんやりと覚えてる程度だけど、定期的に何かを持って行っていた記憶がある。ここからさらに北の方だったと思うが……コーエンの街の外れあたりだと思う」
「コーエンの街?」
カイも知らない街だったので、話を聞いてみると、ここから歩いて二十日近くかかる内陸の街らしい。話によると、そこでイルツの他何人かが、食糧生産を行っていたという。
「食料生産?」
「野菜作ったり、狩りをしたりだな。何のためとか聞かないでくれ。俺にも分からない」
魔軍兵は食料を必要としない。つまり、食料はそれ以外の存在のために作っていたと考えられる。どこかに届けていたというのも食料だろう。
間違いなくルドリア、それも、魔王になる前ではなく、魔王ルドリアが命じたことだ。それが一体なんであるのか、それを知ることは魔王を知るための一助になりそうだ。
「これ以上は分からない。全然思い出せないというか……記憶することすらしてなかったんじゃないかと思うくらいだ。俺が生き残れた理由も、よくわからないからな」
「わかった。ありがとう、話を聞かせてくれて」
カイは深く礼をして、それから心ばかりの謝礼を置いていこうとしたが、それはウェインにやんわりと拒否された。
「俺らはそこまで困っちゃいない。息子が生きて戻ってきてくれただけで、十分だ」
「……そうか。すごいな、あんたたちは。分かった。話を聞かせてくれてありがとう」
謝礼を受け取ること自体に罪悪感を抱く必要のある場面ではない。実際生活がそれほど潤ってるわけでもないと思う。それでも、そうやって他者を思いやることができる彼らに、カイは改めて敬意を覚えた。
(こんな街で育ったルドリアが……なぜ)
魔王ルドリアと、この街でのルドリアの印象はまるで重ならない。無論故郷だからというのはあるにしても、ここまで違うというのはさすがに両極端過ぎる気がする。
(魔王とはいったい……何なんだ?)