第1章 大賢者の出奔-2
二人が見えなくなるところまで歩いたところで、カイは周囲を見渡した。
そこには、かつては畑だったと思われる荒れ果てた土地が広がっている。
「こういうところをさっさと復興していかないとならないんだけどな……貴族様の考えることは理解できんよ」
カイはそうぼやくと、遥か後方に見える王都シドニスを振り返った。
アウスリア大陸南東部のリーグ王国は八百年あまり前、大陸を数百年にわたって支配した魔王バルビッツを倒した勇者が建国した国だとされている。
それ以前の記録はほとんどなく、魔王バルビッツの記録も曖昧だ。ただこの大陸には、過去幾度となく魔王が出現し、そして勇者によって討たれたという伝承がある。真偽のほどは不明だ。
ただ、リーグ王国はその後八百年もの間、繁栄を享受していた。
それが崩れたのは、三十年あまり前。
リーグ王国歴八一二年、アウスリア大陸の北西部において、突如魔王ルドリアが出現。周辺諸国を併呑し、南へ侵攻を開始した。魔王は大陸東岸を制圧し続け、ついにはリーグ王国と激突する。
人々は、かつての勇者の末裔であるリーグ王国ならば魔王を止められると期待したが、その期待はあっさりと裏切られる。
リーグ王国は、あっさりと魔王軍に敗退。直後、魔王軍に降伏してしまった。その際王族は皆殺しにされたというが、貴族たちは処刑を免れたらしい。貴族たちは王を差し出して、命と財産を守ったのだろう。
そして魔王が大陸東部を支配する時代が始まる。
だがそれは一年前に終わりを告げた。王国陥落時にただ一人逃げ延びた王子の息子、ラングディールが、女神イークスに認められて勇者となり、仲間たちと共にルドリアを打倒したのだ。そしてその仲間の一人、大賢者とも称され、歴代最高の魔術師とされたのが、カイ・バルテスだった。
「ま、俺が大賢者ってのは……ある種ズルだけどなぁ」
カイは五歳のころには読み書きはほぼ問題なく出来る上、高い魔法の素質を示し、神童とも呼ばれた。
この世界における魔法の才とはどれだけ多くのマナを扱えるかで決まり、マナプールと呼ばれる。これはほぼ生まれながらにして決まってしまう。そしてカイのそれは、通常の人間のおよそ百倍というとてつもない量だった。
ただし、カイはこれ以上の存在を知っている。それが他ならぬ勇者ラングディールだ。彼のマナプールは、なんとカイの二十倍にも達するのだ。
魔王討伐後にこの事実が明らかになった時、本人達より周囲が驚いた。
当時、カイとラングディールの魔法における能力はほぼ同じであったからだ。
故にカイのマナプールは勇者であるラングディールと比べても遜色ないと思われていたのだが、実際には非常に大きな差があった。これは魔法の常識としてはあり得なかったという。
結局この理由は、マナを扱う技術それ自体に著しい開きがあるからとされ、そこから『大賢者』という仰々しい二つ名前で呼ばれるようになってしまったのである。
「そりゃ、俺とランディでは効率が違うからな」
魔王ルドリアとの戦いでも、その『違い』が勝機を引き寄せた。
この世界の魔法は、物理法則それ自体を変化させる力である。とはいえ起きる結果はやはり物理現象だ。そして発火一つとっても、火が起きる原理を知っていれば必要なマナは格段に小さくなる。それだけのことだが、同時にその知識をこの世界の人はほとんど持ってない。だが、カイにはそれがあった。それが、カイと他の人々との最大の違いだ。
「二十一世紀の地球の記憶……ってことなんだろうけど」
カイには、幼い頃からもう一つの記憶がある。ツカサ・ユウキ――その人物の故国の文字で記載すると『結城司』となる男の記憶だ。
西暦一九七〇年生まれ。妻はいたが子はなく、二〇二〇年に死んだ。最後はひどく胸が苦しかったのはぼんやりと記憶がある。この西暦というのは結城司の世界の暦法だ。
これはいわゆる『前世の記憶』的なものだろう。幼い頃はこの記憶の混濁に酷く悩まされた。今の『カイ・バルテス』の人格が、果たして元の人格なのか、この『結城司』のものなのかは、今も分からない。それくらい、混ざり合ってしまっているのだ。
ただ、この結城司が持つ知識は、思考が発達して意味が分かるようになると、あまりにも大きなアドバンテージをカイにもたらした。
この世界の言語、文字は結城司の記憶にある『英語』と呼ばれたものに酷似している。特に文字はほぼ同じで、度量衡も彼の世界の『メートル法』が使われていて、時間や月の数え方すら同じだ。
その結城司の持つ知識に全くないのが『魔法』の存在だった。ただ、カイにとってはこの世界は魔法があって当たり前の世界だ。勇者と魔王が実在するという伝説もあり、少なくとも結城司からすればあり得ない世界だと思える。
ただ、その『魔法』という力の正体が物理法則の書き換えともいえる現象だという事に気付いてしまい――そして結城司は、その物理法則に対する知識が非常に豊富だった――カイは、少ないマナで非常に大きな効果を生み出すことができるたのである。
彼が生まれ育ったのは大陸南東沖に浮かぶタスニア島。大陸からやや離れていて比較的平和だったが、十五歳の時、ついに島にも魔王の尖兵が来たのである。魔王軍は村長に服従を強制。臣従の証として、魔王に仕えるべき若い女性を差し出せと言ってきた。
そして当時村の若い女性の中で選ばれたのがシャーラだった。これは、彼女が孤児だから選ばれたのだろう。しかしそれを承服しなかったラングディールとカイは、妹分を護るために魔王軍の使者を倒してしまった。
ラングディールとカイは村を追放されるかと思いきや――この時初めて、ラングディールの出自がリーグ王家に連なる者であることが明らかにされた。流行り病で死んだ彼の父アレンは、リーグ王国が魔王軍に滅ぼされた時にただ一人落ち延びた王子だったという。
ラングディールとカイ、シャーラの三人は村を追放される形で村を出て、魔王を倒すべく旅に出ることになる。そして女神イークスの聖域で、ラングディールは勇者と認められて聖剣エクスカリバーを授けられ、魔王ルドリアを倒すことができたのである。
村を発ってから、実に三年近い月日が流れていた。
その後ラングディールはリーグ王国の復活を宣言。カイとシャーラも復興に尽力していたが――カイは貴族たちと馬が合わなかったとしか言えない。
もっとも、カイの中にある結城司の記憶に引っ張られると、貴族がさも当然のように振りかざす特権意識は、それ自体唾棄すべきものに思えてしまうため、最初から反発しあっていた気もする。
カイ自身は二十歳になったばかりの若造でしかない。
だが、彼の中にある結城司には、五十歳まで生きた知識と経験があり、しかもその知識は、おそらくこの世界の誰も及ばないほどに広範にわたる。その力でリーグ王国の復興に尽力したかったのだが、貴族達とカイの間に立つラングディールにこれ以上苦労させるのも、本意ではなかったのだ。
「ま、ある程度は軌道に乗せたしな」
個人的には、シャーラを妃にしたことがカイ自身最大の功績だと思っている。あの二人を引き離すなど、カイは絶対に納得しなかった。だからあらゆる裏工作をしたものだ。
「それに、この世界のこともまだよくわかってないしな」
地球と同じように見える世界。だが、魔法の存在や魔王や勇者、女神の存在がある時点で結城司の知る世界とは明らかに違う。これはいわゆる、『異世界転生』というやつだろうと結城司の知識だと分かる。
せっかくそんな経験をしているのであれば、この世界をより広く見て回りたいという欲求が、カイにはあった。そしてもう一つ、より大きな理由もある。
「魔王ルドリアが何者か、だよな――」
あの魔王討伐の時。まるで討たれることを望んでいたのではと感じた違和感は、時が経つほどに大きくなった。
リーグ王国を滅ぼした悪逆非道の魔王。それがルドリアだ。そして実際、魔王と呼ばれるに相応しい、圧倒的な力があった。何度死ぬと思ったか分からない。
だがその素顔があのような、ごく普通の女性だったこと。そしてその死を自ら受け入れたかのような最期の表情は、カイには理解が出来なかった。
しかし魔王のことを調べようとしても、かつての魔王の記録はほとんどなく、魔王支配下だったシドニスの人々からも、魔王に対する恐怖以上の話は聞けなかった。
一体魔王とは何者なのか。少なくとも地球とほぼ同じ法則が通じるこの世界ならば、結城司の知識を用いればそれを紐解けるかもしれない。先の魔王バルビッツは八百年以上前の存在だから、記録も正確性を欠く。だが、魔王ルドリアは三十数年前に出現した存在だ。当時を知る人間が生きている可能性は十分にあるし、出現した場所の調査も可能だ。
「まずは魔王ルドリアが誕生したといわれる、北東部か」
誰もいないためどうしても独り言が多くなるのを自覚しつつ、カイは北部へと足を向けるのだった。