第一章 星の宿命 闇の始動
勇者アンドロメダの剣が、魔王の胸を深く抉った。魔王との三日三晩という長き戦い、3年前から勇者となり、ここまでの長き道のり、勇者としての重圧感から解放されるという安堵感がアンドロメダを包んだ。しかし、その安堵感は、突如として訪れた漆黒の闇によって掻き消された。
倒れ伏した魔王の身体から、黒く粘質な霧のようなものが立ち上り、アンドロメダの全身を包み込んだのだ。それは、冷たく、重く、そして何よりも、底知れない悲しみを孕んでいた。意識が混濁していく中、アンドロメダは本能的に悟った。自分が次目覚める時、その身は魔王となっているだろうと。
歴史の記録では、勇者アンドロメダは魔王と相打ちになり、共に倒れたとされている。命を懸けた英雄的な犠牲によって、永きにわたる魔王の脅威は終焉を迎え、人々の世界に平和が訪れたと。
しかし、真実は闇の中に葬り去られる。アンドロメダ自身が、その真実を、消えゆく意識の中で垣間見ていた。
闇の霧の中で、魔王のかつて経験した光景が、アンドロメダの脳裏に流れ込んできた。五百年前、魔王もまた、この世界を救うために立ち上がった勇者だった。名はアンチラ。多くの人に愛され、アンドロメダも憧れた勇者譚の物語に現れる勇者アンチラその人だった。
強大な魔王を打ち倒し、人々に希望をもたらした英雄。しかし、その魔王倒した直後、アンチラはアンドロメダが今まさに体験しているのと同じように、倒した魔王の身体から溢れ出した闇の霧に包まれたのだ。
アンチラは、その時初めて知った。この世界には、決して断ち切ることのできない呪われた輪廻が存在することを。魔王を倒した勇者は、その瞬間に新たな魔王となる。アンチラを包んだ闇は、先代の魔王の記憶と絶望を彼に植え付けた。魔王として目覚めた三百年の間、アンチラは魔王として生き、五人の勇者をその手で葬ってきた。その中には、故郷で兄弟のように育った、アプスという名の親友もいたという。アンドロメダと同じ、星の名を持つ友。
そして、アンドロメダは知った。自分が、この終わりのない輪廻における、八十八番目の魔王であることを。天に輝く星座と同じ数。それは、まるで星の宿命のように、この世界に繰り返される悲劇の象徴だった。
二百年の時が流れ、アンドロメダはゆっくりと意識を取り戻した。しかし、その瞳に宿る光は、かつての純粋な勇者のものではなかった。深く、淀んだ、闇の色。
魔王として目覚めたアンドロメダの思考は、強烈な衝動に支配されていた。「勇者を倒せ」「勇者を亡き者にしろ」。それは、まるで本能の奥底から湧き上がる、抗いがたい命令のようだった。幾度となく繰り返されてきた魔王の魂の叫びが、アンドロメダの精神を蝕もうとしていた。
しかし、どういうわけか、その支配は絶対的なものではなかった。アンチラが最期の瞬間にアンドロメダの魂に送った、かすかな祈りの残滓だろうか。それは、深い悲しみと、この呪われた輪廻からの解放を願う、切実な願いだった。その祈りが、アンドロメダの中で、わずかな抵抗力となっていた。
自分が目覚めた場所は、見覚えのない空間だった。魔王アンチラを倒した場所は、「輪廻の洞窟」と呼ばれる、陰鬱な場所だったはずだ。しかし、今、自分が身を置いているのは、広大な広間を持つ、荘厳な城の一室だった。これが、人々の間で恐れられている魔王城なのだろうか。
重厚な石造りの壁、天高くそびえる尖塔、そして、どこか冷たく、息苦しい空気。全てが、自分が知る世界とは隔絶されていた。
(ここから、私の魔王としての生が始まるのか……)
アンドロメダの胸に、言いようのない絶望感が押し寄せる。かつての魔王アンチラも、このような孤独と悲しみに包まれながら、永い時を生きてきたのだろうか。友を、希望を、そして未来を奪われ、ただ世界の敵として存在し続ける。
(アンドロメダよ、お前もまた、私と同じように、この終わりのない絶望の淵を彷徨うことになるのだ……)
遠い記憶の底から、アンチラの最後の言葉が、重く響いてくるようだった。それは、未来の魔王となるアンドロメダへの、鎮魂歌にも似た、深い嘆きだった。アンドロメダの新たな生は、静かに、そして確実に、絶望の色に染まり始めていた。星の輝きを失い、闇に堕ちたその魂は、これから何を見るのだろうか。そして、この残酷な運命の輪廻は、いつ、誰の手によって断ち切られるのだろうか。