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ひふみ神示

私は因縁のミタマ? 『偽りの「はんせいき」?』 【短編】

作者: 最愚最弱者(さいそこびと)


「そなたはこの神ときわめて深い縁があるのぢゃ。縁あればこそ引きよせて苦労さしてゐるのぢゃ。今度の御用は苦の花咲かすことぢゃ。真理に苦の花さくのであるぞ。因縁のそなたぢゃ、一聞いたなら十がわかるのぢゃ」


  「一聞いたなら十がわかる」と迄はいきませんが、私もそこそこはわかります。

  ひふみ神示とは、とても波長が合うというか、何故か良くわかるのです。


  また、これまで疑問に思ってきた事や違和感を感じた事で、おそらく少数意見であろう私の思いの数々を、ひふみ神示は肯定したり(疑問や違和感の理由を)解き明かしてくれたのです。


  それらの事から、もしかしたら私は因縁ミタマなのかも?と思ったのですが


「今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さして置いた昔からの因縁の身魂のみざから、みごと御用つとめ上げて呉れよ」


  上記の一文により、そうではない事が判明しました(ᐢ ᵕ ᐢ)。

  因縁の身魂とは、苦労に苦労を重ねた方を指すようです。


  私は苦労に弱く、まさに「人民と云ふ者は苦に弱いから」であり、どちらかというと


  「口先ばかりで神さま神さま てんしさま てんしさま と申したり、頭下げたりしてゐるが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ」


  尻に帆かけて逃げ出してしまう者なのかも知れません(ᐢ ᵕ ᐢ)。



「縁の身魂はどんなに苦しくとも勇んで出来る世の元からのお道ぞ。七人に知らしたら役員ぞ、神が命ずるのでない、自分から役員になるのぞと申してあろがな」


  なろう様のおかげで多くの人にひふみ神示の紹介が出来たので、こんな私でも役員になれたのかも知れません(ᐢ ᵕ ᐢ)。



「役員七つに分けよ、大道師、権大道師、中道師、権中道師、小道師、権小道師、参道の七段階ぞ、中道師から上は神人共ざぞ」


「権小道師から上は神の帖面につくのであるぞ、参道は仮ぞ。合せて四十九かへミタマ六参道仮ざからそのつもり結構ぞ」


  ただ、良くて「かへミタマ六」(補欠)の一つだと思います。


 以上が、『私は因縁のミタマ?』になります。


 ここまで書いてきて何ですが、私は役員になりたい訳でも因縁のミタマ(もし仮にそうだったとして)である事を誇りたい訳でもありません。


 ただ、ひふみ神示に記される「理想の新しき世界」が実現されて、その恩恵にあやかりたいだけなのです。

 そして、新世界実現の為にも(純粋に、ひふみ神示の素晴しさを伝えたい想いもあります)と考えて、皆様に神示を紹介してきたのですが如何どうでしたでしょうか?


 理想は、お釈迦様やイエス・キリストのような”聖人君子”、”人の上に立つ者”なら皆様も受け入れやすかったのでしょうが、

 何せ私は”最愚最弱者(さいそこびと)”、敢えて云うなら『人の下に座る者』(造語)(ᐢ ᵕ ᐢ)です。

  

 皆様には、「何を偉そうに」やひふみ神示で云う「何も知らんものが出て来て邪魔するぞ」になっていないか、心配です。


 また、先に挙げたお二方は、


「口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ」


 正真正銘の尊様みことさまです。


 一方、私は良くて口と心の二つまでです。

 行いが全く伴っていません(最愚最弱者さいそこびとを名乗るのは伊達ではありません(ᐢ ᵕ ᐢ))。


「真の善言真語は、心、言、行、一致であるから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ」


 まさに、尊様と私の違いです。


「よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。よい言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すものもあるなれど、それは理屈ぢゃ」


 私が「よい言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すもの」です(悪神ではありません(ᐢ ᵕ ᐢ)が、心、言、行、が一致せぬ者)。


 実は紹介した帳(その前後の帳も含め)は、動物霊や下級霊の見分け方を示唆するものです。


「幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、それは只申すだけであるぞ。悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。よい言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すものもあるなれど、それは理屈ぢゃ、甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。真の善言真語は、心、言、行、一致であるから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ。偽りの言葉は、落ちついてきけばすぐ判るぞ、同じ「ハイ」と言ふ返事でも、不満をもつ時と喜びの時では違ふであろうがな。われは天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものないぞ、大言壮語する人民はマユツバもの」


 また、同時に「心、言、行」を一致させる事がいかに大切かを示唆しています。


「口と心と行と、三つ揃うたまことをみことといふぞ。神の臣民みなみことになる身魂、掃除身魂結構」


 ひふみ神示で云う『身魂みがき』の目的の一つが、「心、言、行」を一致させる事になります。

 私も、まだまだ修行が足りないという事です。


 しかし、最愚最弱者さいそこびとが申す事の利点が全くないという訳でもないのです。


「難し説くと判らん様になるのぞ。平とう説いてやれよ」


 最愚最弱者さいそこびとが説きますので、そう難しいものにはならない筈です。


「心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん」


 先に挙げたお二方の言葉は、心、言、行が一致する事により直ちに力します。

 故に受け入れやすいのですが、同時によく考えずに”ありがたいお言葉”として鵜呑みにしてしまう一面を持ちます。


 また、難しい言葉も全くないわけではないと思われますので、受け手側でその意味を取り違える可能性もあります。


 一方、最愚最弱者さいそこびとの申す事は、そもそもが間違って(愚か故に)いる可能性があります。  

 故に受け入れにくいものになるのですが、鵜呑みにしてしまう事はなくなります。


 つまり、最愚最弱者さいそこびとの申す事ですから、『その言葉、内容、意味をよくよく吟味する』必要が生じます。


 よくよく吟味された言葉は、受け売りではなく皆様自身の体験・経験から判断された、皆様自身の「言葉」になるはずです(「逆伝言ゲーム」(詳細は前作参照)の応用)。


 まさに、「馬鹿とハサミも使い様」で、「愚かな者の言葉」でも侮ってはなりません(ᐢ ᵕ ᐢ)。


 また、愚か者(更にものぐさ&チャランポラン)ゆえ至らぬ処も多々あるのですが、それを「叩きつぶす」のではなく至らぬ処を皆様にサポートしていただければ幸いです(出来ましたら、皆様全員に味方についてほしいのです)。


 運悪く(ᐢ ᵕ ᐢ)ここまでお読みになってしまった貴方、おそらく貴方もゆかりのある者です。


「縁あればこそ、そなた達を引寄せたのぢゃ、此の度の二度とない大手柄の差添へとなって下されよ、なれる因縁の尊い因縁をこわすでないぞ」


 ありがとうございます。


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