#1-9
アルカサル城。
断崖の上へ聳えたつ通称お菓子の城。
二つの川が合流した場所にあり、崖下には鬱蒼と茂る樹木が群がっている。紺碧の空が果てしなく行き渡り、毅然と建つ城が映える。
モードレッド曰く、大衆向けに価格を抑えた美味しいお菓子を各国へ展開しているとのこと。主に林檎を使用したお菓子を製造販売しているらしい。
コボルトをプブリウスに勝手に押しつけた後。一度、スノーのお店に戻って、お菓子大好き魔王へ情報収集をした内容である。
『美しい城だけどな。キャメロット城に劣るけど』
アルカサル城を望んでいるが、多分、主人が今、思い馳せているのは、夕陽でオレンジ色に染まった城壁だ。生まれ育った故郷が懐かしく蘇っているに違いない。
『戻りたいですか?』
私の質問にぎこちなく口角をあげ、主人は首を横へ振った。
『もうオレの居場所はないよ。アルムの山小屋がオレの家だ』
主人の服が風にあおられ揺れる。日光に晒されて黒髪が紫の色に煌めいた。
『そうですね。では、早く終わらせて帰りますか?』
『そうだな』
アルカサル城は、お菓子の城という愛称に反して、川、森、崖に周囲を守られている難攻不落の要塞である。
私と主人は城の対岸の絶壁の上にある建物の尖塔より敵陣を偵察をしている。
ここから弓矢で城を狙おうものなら、谷間の生い茂った緑へ弧を描いて矢は落ちていく。常人ならば…。
『女主人と執事かな?女性の方は優雅にお茶を啜っているみたいだ』
主人がことなく呟いた。
城壁よりも高い位置。城下の絶景を見渡せるように造られているバルコニーで、黒いドレスで装って寛いでいる女性がコボルトの言っていた『あの女』であろう。
『バルコニーでお茶って無防備ですね』
『結界が張ってあるんだろ?だからじゃないか?』
確かに城一帯、結界が張り巡らされており、強靭な魔力で覆われている。主人は首筋を右手で触りながら思案する。
『取り敢えず、脅しとくか?』
突然の物騒な発想。主人?
コボルトが置き忘れた、或いは持っていく間もなかった弓矢を、主人は担いできていた。
『ここから狙えるけど、結界がな…。軌道を妨げる…』
主人は器用に二本の指でくるくると矢を回すと、弓を構えて弦にあてがう。
『なら、結界を無効化しましょうか?』
私は精鋭に尖った爪で、自分の体から血を採取しようと試みた。
『ちょっと待て』
間髪入れず、主人の制止が入った。
『はいっ?』
私は首を傾げる。とても真剣な眼差しで主人は私に問う。
『血を摂るのか?』
『少しだけですけど、私の血で鏃に呪文を書きます』
『ダメだ。マーリンの魔力が宿った血ならばオレのでも良いだろ?』
私と主人は魔力を共有しているので、主人の血でも効力は同じではある。
『いえいえ、何を仰っているんですか?どこの従者がお使えしている主人を傷つけます?』
主人は顎に手を当て、それでも割り切れないといった面持ちで反論する。
『お前、治癒能力ないだろう』
先程、コボルトさんを私の上に落とそうとした方の発言とは思えませんね。まぁ、私が避けると思っての行動だったのでしょうが…。
『いえいえ、確かに私、魔法では治癒できませんけど、大抵の生き物って自然治癒能力が備わっているので、小さな傷なら気にすることはないですよ』
ほんの数滴の血液を摂るだけなのに、主人は何故こだわるのだろう。
『ダメだ、オレの血を使え。厳命だ』
そうだ、主人は頑固で融通が効かなかった。
『はいはいっ、分かりましたよ。少し、チクッとしますよ』
微々たる傷なのだから、主人に対する忠義を立て通すこともないだろう。主人の傷跡はすぐに治るので気持ち深く爪を刺さないといけない。
このばつが悪い感じは何なんでしょう…。
『こんなものなのか?』
些細な傷口に不服そうな主人。
『はいっ、スノーのときもそれほど血を分けてもらわなかったですよ』
私は鏃に血を落とすと爪先で文字を記した。血の文字は青い光を宿し消えていく。私は結界無効化以外にもう一つ風魔法を加えた。地面に魔法陣を描くときより楽である。
『あれが、コボルトの言っていた『あの女』とは限らないしな。ここは様子見で…』
主人は手帳の紙へ何やら文書を書きつけちぎり取ると、小さく折って矢柄に結びつける。
静かに気息を整えた主人は背筋を伸ばし姿勢を正した。矢を番ると右手を顎まで寄せ、挑戦的な眼差しで獲物を狙う。瞬時、し鳴る弓音。
倒れる椅子。立ちあがった女性は今まで座っていたので気づかなかったが、小柄であった。
女性の人差し指にはティーカップの取っ手部分だけが留まり、本体は陶器が粉々に割れて、中に注がれていた紅茶と共に散らばっている。
スゴイです、主人。
普通の人ならば、何度射ようが全く届かない距離であれほど小さな器に狙い定めるなんて…。
「キャァァァ⁉︎何よ!これっ!」
聞こえた!
驚きの表情の主人と私の視線が交わる。
『声が聞こえる』
私は別段褒められたわけでもないのに、前足で後ろ首を掻き、照れながら答えた。
『いやぁ、ちょっとですね。風魔法も仕込んでみました。結界も綻びましたし、それに乗じて風精霊が声を届けてくれているんですよ』
主人は呆れながらも、私の頭を柔らかく撫でてくれた。木漏れ日を揺らしながら、額を通り過ぎる風が爽やかだ。
『これからも宜しくな。泣く子も黙るマーリン』
まだ、引っ張りますか?それ?
城のバルコニーでは女が慌てふためいている。黒のドレスが右往左往と歩き回り、まるでダンスのステップを踏んでいるようだ。
「何処から飛んできたの?」
「何をしているんですか!」
近くで待機していた男性は女性の頭を抑えて、地面へ無理矢理に伏せさせる。一帯を見回して、女性を身を呈して庇う。
「何で⁉︎何者かが侵入したってこと?結界内に刺客がいるの⁉︎」
「分かりませんが、今は背を低くく保ってください」
女性に指示すると、匍匐前進で進む男は、矢を見つけたようだ。矢柄から矢文を解いて読みあげた。
「スノーから手を引け。然なくば、同じ目に合わせる」
主人、悪役そのものではないですか?
しかし、同じ目って曖昧な表現が脅迫とは限らないので、スノーに暗殺者を差し向けた者でなければこの文面を理解できないはずだ。
『この文を読ませての様子見ってことですか?』
『あぁ、これで狼狽えれば、主犯は間違いなくアイツらだろうな。行動で判断しようと思ったら、声、聞こえるんだもんな…』
主人の意にそぐわなかったのだろうか、最後の言葉はぼやいているようだ。
「私を殺すってこと⁉︎」
ウェーブのかかった黒い巻毛を振り乱しながら、女は金切り声をあげた。男の助言を無視して、刺客を見つけようと辺りを見渡しこちらを振り向く。もちろん遠すぎて女から私達を目視することはできない。ただ、私達からは彼女の様子が見てとれる。女性の容姿を確かめて少なからず驚いた。
背が低いと思っていたが、女性はハーフリングだった。青ざめた白い肌、大きな瞳。赤い唇はわなわなと震えている。
『似てるな』
『はいっ、スノーによく似ていますね』
否、容姿から見て、スノーよりも歳上だろう彼女にスノーが似ていると言った方が正しいかもしれない。
男はすぐさま女性の傍に戻ると、豊かな黒髪を胸に抱き、再び床面へ這いつくばる。そして、落ち着いた声音で答えた。
「そうでしょうね。だから、私はあのハーフリングのことはお気になさらずにと申し上げたでしょう」
憤慨したように女は捲したてる。
「元はと言えば、カーティス。あなたが二十年前前にあの子を始末しなかったのが悪いんじゃない」
やはり、スノーの関係者でしょうね。
献身的に女性を庇護している男はカーティスと名前らしい。
「私目にも懐いておりましたし、私には森に置き去りにする以上の酷いことはできかねました。それに…」
カーティスは間をあけて続けた。
「貴女様がいつか後悔なさるのではと思いまして」
「後悔?」
女主人は呆れながらせせら笑う。
「後悔するわけがないわ。だって鏡の言うとおりだったんだもの。あの子が私の夢を阻むってね」
バルコニーから室内へ向かって女は尋ねた。鈍い光が反射する。
「ねぇ、鏡。私の作る林檎パイとあの子の林檎パイどっちが美味しいの?」
すると、無機質な声色で答えが返ってくる。
「あなたが作る林檎パイは美味しい。けれどスノーが作る林檎パイの方は幻の逸品です」
私は小さく唸った。形は見えずとも、覚えのある魔力を感じる。あれは魔法の鏡だ。
『鏡…。フェイが絡んでいるのですか?厄介ですね』
魔法の鏡はフェイの一人が使っていたと言われる魔道具で、数百年ほど行方知れずになっていた。
『フェイ?』
『フェイとは魔女一族の名称でして、フェイの一族は美人が多く、妖艶なうえに色々な手管で人々を誑かし滅ぼすと聞いてますね。あくまで噂でそうでもないものも多々おりますが…』
『ふーん、美人が多いのか…。会ってみたいな』
主人…。何を仰っているのですか。
主人には言えなかったが、ニムエ様もフェイである。確かにニムエ様は絶世の美女と称する程に美しい方だが、私は手玉に取られたことはない。多分…。
『あの鏡はフェイの残留思念が感じとれます。一体、何処で見つけてきたのやら』
懐かしさ憶えたのはニムエ様の魔力と類似しているからだろう。
「鏡を信じるのですか?あのお優しいクラウディア様は何処にいかれたのです」
優しい口調で諫めながら、カーティスはスノーに似たハーフリングをクラウディアと呼んだ。
「スノー様は亡くなられた妹君エルスペス様の忘れ形見ではないですか」
何と…。
私と主人は顔を見合わせた。伯母が甥を殺そうとしたのである。主人は憂いを帯びた表情で親指の爪を噛んだ。
「私はエルシーに誓ったのよ。私があなたの得意な林檎パイを世界一にしてみせるって、息子ではなくこの姉の私が…」
クラウディアは更に続ける。
「年中、実のなる林檎の秘密が知りたくて手紙を送った相手が、まさか、スノーだなんて」
いかにも、スノーは事もなげに年中林檎がなる説明していたが、大発見の品種改良ではないだろうか。
クラウディアの波打つような豊かな髪が揺れる。
『どう考えても、あの鏡が怪しいよな?』
クラウディアの行動は鏡の魔力の影響と考えた主人の瞳に不穏な輝きが宿った。
『壊すか…』
過激なお言葉。
主人らしいですね。
魔道具は簡単には壊せないのだが、主人の力量ならば問題なく破壊できる。
『鏡を壊して、あの女主人に影響はないか?』
相手は甥を殺そうと試みた悪人ですが、女性に配慮を怠らない主人。私は小悪党のコボルトを少し不憫に思ってしまった。
『大事に至らないと思いますよ』
今回の場合はクラウディアの心を覗くより、鏡を攻撃した方が安全だ。鏡とクラウディアの繋がりを断ち切ればいい。
『んじゃ、はいっ』
主人が腕を差しだす。先程、付けた傷は既に瘡蓋もなく塞がれている。もう一度、私は爪を立てる。
鏃に血の文字を書き終えた瞬間、私は違和感を感じ城の方角を確認した。
『アーサー様、申し訳ありません』
『んっ?』
放った矢の位置から軌道を特定して探りあてられたようだ。敵意を持つものから気配を気どられぬよう、私は主人へ魔法をかけているのだが、鏡に見破られてしまった。
『気づかれました』
『だろうな』
主人も魔力を察したようだ。
城から無数の火の弾丸が飛んでくる。私たちはそのまま尖塔から地上へと降りる。
私の足が地面に触れると同じくして地上から壁が盛りあがる。火の弾丸は土壁へ阻まれ、打つかった振動と同時に消えさる。
主人は土壁を飛び越え、その先の崖へ、崖から小さくはみ出た爪先が辛うじて着地する場所を選んで、鹿の如く跳ねおりる。そして鬱蒼と木々の茂った森の奥へ駆けだした。
『アーサー様、何処へ向かうのですか?』
私も急いで追尾する。
『外れとはいえ、このままだと街にも被害が出るかもだろう。居場所が知られているなら、このまま城まで突っ切る!』
主人は自分を的に飛んでくる火の玉を寸前で体を捻り身を躱す。火の粉は森の葉や枝に燃え移り、焦げた匂いが充満した。主人が通り過ぎた箇所に、あちらこちらで炎が立ちのぼる。
『マーリン、消火!』
えぇ〜!派手に防御魔法使わせてくださいよ。
螺旋状に風を起こして、激しく吹き荒れさせ火を蹴散らすとか…。あっ、これは四方八方、燃え移りますね。ならば、それに風の威力を増して火も吹き消しましょう。ダメですか?
まぁ、森林火災で焼け野原にならないよう心配りを忘れないあたり主人らしいですけどね。私は主人の命令どおり、次々と現われる火の手へ水を浴びせ地道に消していく。
『アーサー様‼︎』
結界近くまで迫っていた主人だが、次の足場に選んだ枝を風の矢によってへし折られる。主人は風に吹っ飛ばされ体勢を崩し、真っ逆さまに落ちていく。
ただ、この状況でも主人、不敵に笑っておられます。
主人の視線の先には、窓から入る風によってたなびくカーテンの奥、垣間見える鏡。
既にここは主人のテリトリー。
重力に逆らうことなく落下していく主人は、その姿勢のまま、右手に握りしめていた矢を軽く投じた。
『マーリン、分かってるよな』
全くブラックドッグ扱いが荒いんですから…。
放った矢を焼失させようと彼方から飛んでくる火に対しては、氷の礫で相殺。
主人が投げた鏃には風魔法で威力を倍増する。鏡から風の矢が放たれたところで、力の差は歴然。主人の矢を軌道を逸らそうなど出来るはずもない。
主人は巨木から伸びた枝を両手で掴むと体を枝周りに一回転させて、その下方隣の枝に飛び移った。私はすぐ傍に従う。
矢は回転しながら、鏡の中心を真っ直ぐ貫く。そこから放射状に亀裂が生じる。あらゆる方向に光を反射させながら砕け散っていく鏡の欠片を私と主人は見届けた。
城を全体に張り巡らせていた結界が真っ青の空に解けていく。余りに強力な魔力だったらしく、小さな無数の宝石が散らばっていくように閃光を放ちながら結界が消えていくのを、周囲にいたものは目視できただろう。本来ならば、皆が見えるものではない。
先程出現させた土壁が邪魔で、残念ながら見えなかった方々もいらっしゃるでしょうね。
美しい城を土壁で隠しては台無しなので、後で元に戻しておきましょう。
『お疲れ』
大空を眺めたまま主人は私を労う。
『従僕として仕事をしたまでです』
私が当然のように答えると、主人の眉尻が小刻みに動いた。主人は不満そうに私へ願う。
『前からずっと思ってたんだけど、その従僕ってやめないか?』
私の背中に汗が流れる。
『えっ、私…。クビですか?』
主人は自分の額中心を人差し指で抑える。私の言葉が解せなかったようだ。
『何でその発想?従僕って主人と家来の関係だろ?オレはマーリンのことそうは思ってない』
私は首を横に傾ける。
『じゃあ、アーサー様は私のことをどう思っているのですか?』
『そうだな』
私が尋ねた言葉に返答を思い巡らせている主人。適切な表現を閃いたようだ。
『バディ』
出会いから苦節五年(程)、主人からそのようなお言葉をいただけるなんて、私、泣きそうです。主人との生活は幸せいっぱいで、苦労を堪え忍ぶことなど、あり得ませんけどね。
照れてしまって、主人に何も伝えられない。
『あの二人、大丈夫ですかね』
敢えて、バディと呼ばれたことに触れないまま、バルコニーへ置去りにしているクラウディアとカーティスを気遣うふりをした。
『行ってみるか…』
主人の言葉に私は頷いた。