#1-8
翌朝、スノーは私にもとても美味しく焼きあげた林檎パイをご馳走してくれた。
毒を盛られることはないともちろん信じていたが、念入りに匂いを嗅いだ私の行動は間違ってないはずだ。
一口噛みつけば、絶品とモードレッドが言った言葉が大袈裟でなかったことがすぐ分かる。
光沢のある焼き目。何層も折り重なった生地の食感を損なうことなく、ふっくら焼きあがっており、林檎は口に含むとほろほろ甘く広がり溶けていく。
「マーリンさんにもお世話になってますからね。昨日の件はもちろん冗談ですよ」
いえいえ、スノー。貴方の目の奥に揺らいでいた殺意。私は見逃しませんでしたよ。とは言え…。
『おいっしぃっですね。アーサー様』
熱々の林檎パイを口いっぱい詰めこんで、私は主人に感想を述べる。
『病みつきになりそうな美味しさだな。例の手紙の世界征服?出来そうだ』
世界を手中にですよ、主人。その台詞では悪役の魔王です。本物の魔王は目の前で、大輪の花が咲き誇ったかのごとく美しく微笑んでますけど…。
「ところで朝から、のんびり、林檎パイを味わっているところ申し訳ないんだけど…」
主人はモードレッドの言葉を遮って続けた。
『刺客が近くに来てるんだろ?気配で察知してるよ』
スノーの愛らしい?殺気とは違いこちらは正真正銘の殺意だ。少し歪んだ魔力も感じる。
『ピリピリした空気が伝わってきますね。こちらのお店へ近よれませんもんね』
昨晩、敵意あるものが近づけないようにお店の周りにも結界を張った。
「どうするの?もちろん、私は手出しできないよ」
『んっじゃぁ、そろそろ行くか?マーリン』
主人は指についた林檎のほぐれた果肉を舐めると席を立ちあがろうとしたが、私は皿から主人へ頭をぐるりと振って懇願した。
『私、もう一つ食べても良いですか?』
モードレッドが呆れ顔で私へ視線を投げる。
「まだ食べるのかい?四個目でしょ?」
『貴方に言われたくないですね。目の前にあるお皿を数えましょうか?何個お代わりしたんですか?』
モードレッドの前に山積みされた皿を、私は一瞥して鼻を鳴らした。
スノーがカウンターの内側から私が陣取った主人の椅子の下まで歩みよると、そっと私の皿へ林檎パイを一つ追加してくれた。
「まだ食べたいって言ってられるんですよね?マーリンさん」
私の頭を撫でながら笑みを浮かべるスノーに、やや手懐けられてる感が否めないが、絶品林檎パイに勝てる筈もなく…。
『ご馳走になります‼︎パクッとな‼︎』
『まぁ、オレしては、先方からやって来てくれて、探す手間が省けた分、マーリンが林檎パイ食べる時間は待てなくないけどな』
主人はモードレッドからおしぼりを受けとり、丁寧に指先を拭いとる。
『そうですよね、はふっ。今日はコボルトの村まで足を運ぶつもりでしたしね…。はふっはふっ』
私は上目遣いで主人に時間はたっぷりあることを伝える。
「昨日も言ったけど…。アーサーって、マリーンに甘くない?」
『それなっ…。昨日だっけっ?マリーンにも、モードレッドに甘いって言われた気がする。何だっけな』
主人は私の言葉を思い出そうと頸に手を当て考えこむ。多分、『モードレッドは寂しがり屋云々』を回顧したのだろう、主人が衣類のネック部分を摘んで、口元まで伸ばした。
その様子を見て、モードレッドが私へと詰めよる。
「何をもって、アーサーは私に甘いのさ?」
モードレッドだって、主人の優しさに十分気づいているはずだ。
『美味しいですね。スノーの林檎パイは絶品です』
私が空々しく話をはぐらかしていると、モードレッドの文脈を辿ったのだろう、私達の話を導きだしたスノーが意見を述べた。
「アーサー様は誰に対しても甘いではないですか?皆さんもアーサー様には激甘ですけどね」
モードレッドは唇へ人差し指を押したてて、口を閉ざした。
『んっ?』
主人は些かその答えに疑問を持っているのか、首を傾げる。
『アーサー様、お腹いっぱい食べれましたし、そろそろ行きましょうか?』
私が満足気に顔を仰向けると、まだ主人は納得していないような面持ちだったが、颯爽と席を立ち手を差しだした。
『では、マーリン。行こうか』
はいっ、おかわり(あっ、林檎パイのおかわりではありませんよ)。
私は主人の手に左の前足を乗せたのだった。
玄関口から表へ出ると、相手の隠しきれない殺気が左斜め前方から押よせる。
『ここからだと姿は豆粒ぐらいですが、あの大木の上からこちらを狙っているようですね』
葉や梢が重りあい、風で揺れている間に刺客の姿は見え隠れしている。巨木の樹枝で弓をひいて構えているようだ。
『んっ、分かってるよ。マーリン、来るぞ』
矢が主人を目掛けて放たれる。主人よりも身体を大きくして前方へ出て庇うのは簡単だが、それだと主人の機嫌を損ねる自信があるので遠慮した。
まぁ、これぐらいなら難なく避けれると思いきや、避けることなく、主人は射られた矢を次々と両の手で掴んでいる。一本ずつ撃ちこんでくる矢は次が飛んでくるまで時間差があるので、その動作は余裕があるように見受けられた。
『やっぱり、握りつぶすのは無理か』
主人は自分の右手を握ったり開いたりしながら、小さくぼやく。
『何をモードレッド様に対抗しているんですか?』
私は呆れて言葉をこぼすと、主人は不敵な笑みを返した。
その斜め上から私を見る視線、堪りません。
主人が全ての矢を手掴みした状況を見た敵は怯んでおり、今にも背を向けて走り出しそうだ。
『そんなことしていると、逃げられますよ。アーサー様』
主人は顎を上げ前髪を翻す。黒羽色の髪が風に舞った。
『このオレが逃すわけないだろ?誰に言ってんだマーリン』
かっカッコいい‼︎主人、私、鼻から出血しそうです。
主人は集めた矢のうち数本を、刺客がいる方向へ投げつけると、その場で右足を二度軽く弾ませ地面へ踏み込んで駆けだした。
スノーが言っていたように、主人が疾風のごとく軽やかに走り抜ける姿はとても美しい。
主人は瞬く間に暗殺者との距離を詰める。私は主人を追従する。
『アーサー様、アーサー様に弓は必要ないですね』
矢によって自由を奪われたコボルトが蠢いている。木の幹へコボルトの服の部分のみが射抜かれていた。
見事です、主人。
『近かったからな。もっと遠いと弓は必要だけど…』
「殺す!殺す!殺す!」
喘ぎながら、コボルトは爪を立て、主人へ今にも襲いかからんと牙を剥く。耳がヒクヒクっと痙攣を起こしているかのように動き続け、大きな口からは涎が常に垂れていた。
コボルトは犬に似た頭部を持つの精霊なのだが、同じ犬括りとして、このコボルトは私と違って品がない。このことをモードレッドが聞いたら、鼻で笑いそうだ。
精霊は多かれ少なかれ自然魔法とともに生活しているのだから、コボルトもそれなりに魔法が使えるだろう。
まぁ、コボルトの中でも彼は少し魔力が多いようですね。
主人は恐れることもなく、膝を折りコボルトと目線を合わせると私へ尋ねた。
『これって、何かに操られてるか?』
主人の質問に私は肯定した。
『そうですね。歪な魔力を感じるので…』
主人はため息を吐くと尋ねる。
『何とかなりそうか?』
普通であれば、第三者が介入するのが難しい魔法がかけられているのだが、私にかかれば屁の河童。
『私を誰だと思っているんですか?泣く子も黙るマリーンですよ』
『…だよな』
私は瞼を閉じて意識を集中すると、コボルトの深層心理へ潜り込む。心象で語れば、静かに凪いだ海面から深海へ沈んでいく感覚と言えば良いのだろうか。
誰もが持っている探られたくない心魂に触れるようで、私はこの方法をあまり好ましく思ってないのだが、暗示を解除するには致し方ない。
不意に魔法陣が浮かびあがる。思ったよりも上層にあって良かった。それほど、心へ影響を及ぼすことは無さそうだ。まぁ、その分、暗示にかかりやすいタイプと言えよう。
これですかね?
魔法によって形が個々に違うのだが、多分、間違いないだろう。誤って不用意に壊してしまうと心が砕けることもあるので、前足を慎重にかざして魔法陣を確認する。
私の魔力の流れと同調させながら、鍵を開けるかのごとく魔法陣へ触れると、音もなく散霧した。
『どうですか?アーサー様、コボルトさんの意識は正常に戻りましたか?』
自身の顕在意識へと戻ってきた私が目を見開くと、視界にはコボルトが泣き喚き散らしていた。
「オレのせいじゃない!オレじゃない!オレは悪くない!」
『戻りましたね?』
『スゴいな、泣く子も黙るマーリン』
主人からお褒めの言葉を頂き、揺れる私の尾っぽ。
「オレはただ言われた通り、嫌がらせを引き受けただけだ!金が金が欲しかったんだ!」
何も尋問していないのに、自ら喋りますね。悪役の性というものでしょうか。
主人は威圧感たっぷりの冷めた目つきで刺客を見据えた。黒一色の服装で身を包んでいる主人は暗殺者のコボルトよりも凄味があり、寒々しい空気を纏った死神のようだった。
『もっと話せ』
主人の言葉がコボルトに届くはずはないのだが、表情から意図を汲みとったのか、コボルトは慄き怯みながらも、くぐもった声で続けた。
「遊びすぎて借金したんだ。それの肩代わりに頼まれたんだ。最初は嫌がらせで、農園に仕掛けた罠だって脅しだって聞いてたのに…」
徐々に声量が大きくなりはじめたコボルトは、頭の毛を掻きむしり涙ながらに語る。
「あの金髪の兄ちゃんが矢を握り潰したときに、金髪の兄ちゃんと目が合った気がしたんだ。だから、だから、怖くなって…。アルカサル城のあの女に…。けど、ハーフリングを殺せって‼︎の一点張りで‼︎あの女、今度しくじったら、オレの家族を殺すって‼︎」
主人の足元に跪き訴えるコバルトの言葉に、主人は反論する。
『だから、スノーを殺すのが正当な理由だって言うのか?家族を守るため?責任転嫁するなよ。全ては自分のせいだろうが…』
主人の言葉はコボルトへ届かない。
「母ちゃんが死んだらっ…。そう考えると、オレ、耐えられなくて…。あいつを殺すしかないんだって、何度も何度も考えてたら意識がなくなってて…。気がついたら、あんたらが目の前に…」
主人はコボルトへ一方的に告げる。
『巻き込まれたお前の家族には同情するが、お前に同調することはない。それ相応の償いをしてもらおう』
さて、大体の事情は飲み込めましたが、アルカサル城の女は何者なのでしょうか。その女が主犯と推測すべきなんでしょうね。
主人を仰ぐと、主人も同じことを考えていたようで私に提案を持ちかける。
『アルカサル城に行ってみるか…』
『確か、コボルト村の東北に位置するお城だと思いますよ』
私はそっけなく答える。
『マーリン、お前、地理にも詳しいのか』
『元々、闇の精霊女王のニムエ様に仕えていた身ですよ。夜の帷が降りる場所は全て把握してます。流石にそこに住んでいる者たちまでは知りませんが…』
『オレは優秀な従僕が居て幸せだよ』
『何で苦笑いなんですか?』
取り繕った笑顔の主人に私は意見する。主人も言葉に詰まっているようだ。しばらく考えてから返答する。
『あまりに優秀なんでどう扱っていいか?分からない?』
『五年以上もご一緒しているのに酷くないですか?』
『…そうだな。あれから、もう五年も経つのか』
精霊にとっての五年は束の間なのだが、人間である主人にとってはそれなりの年月だろう。
コボルトにはもちろん私達の言葉は聞こえない。勝手に無言の圧力を感じて、身の置き場がなさそうだ。
『この方どうしましょう』
『プブリウスにお灸を据えてもらおう。こういうのアイツ得意だろ?』
私は僅かに眉間へ皺を寄せた。
『転移魔法ですか?』
『苦手だったっけ?泣く子も黙るマーリン?』
嫌味ですよね?それっ?
私はしたり顔の主人を横目で確認しながら、小さく吐息を漏らした。
『モードレッドを呼ぼうか?』
『結構です』
強い意志をもって私は主人の申出をきっぱり断る。
モードレッドは思い描くだけで地面から魔法陣を浮かびあがらせるんですよ。私だっていつもならお茶の子さいさいで魔法を使いますけど、転移魔法と強力結界だけは魔法陣を地面に描く必要があるんですぅ。
『アーサー様、しばしお待ちを』
私は地上に降りると、犬歯で枝を咥えて、急ぎ主人の要求に応える。
はいっ私、主人の敏腕秘書も兼ねてます。
時間がかかると枝が涎で湿ってきて強度が保てなくなり、途中で折れてしまう可能性がある。そうなると最初から仕切り直ししなければならない。私は慎重に且つ迅速に魔法陣を地面へ描いた。
『ふぅ、アーサー様、出来ましたよ』
『早かったな。お疲れ』
主人からの労いの言葉がかかると同時に、コボルトが頭上から降ってきた。主人の想定外の行動に私は狼狽える。
こっ殺す気ですか?不意打ちの攻撃に、私は防御できないんですよ。まさか、主人から攻撃されるとは…。
私は素早く身を躱すと、コボルトは悲鳴をあげる間もなく、白目を剥いて地表に吸い込まれるよう魔法陣へと姿を消した。
あのコボルト、怖かったでしょうね…。地面に叩きつけられると思ったでしょうし…。でも本当の恐怖はこれからですよ。
今頃、プブリウスと対峙しているはずだ。あのドラゴンの前でコボルトが正気でいられるはずがない。
プブリウスへは都合お構いなしに『アーサー様より、この方のお仕置きしてくださいってご依頼です。悪さに加担したのですが、ご家族もいらっしゃるようなので、適度にお手柔らかにお願いします』という通信を取り敢えず送っておいた。
プブリウスからの返答を待たずに思考通信回路を切ったので今頃どうなっているのやら…。
考えるのはよしましょう。
『さて、マーリン。アルカサル城へ行こうか?』