#1-7
「あれは二十年ぐらい前の晩冬のある日、この樹海にも朝から激しく雪華が舞っていた。わしらは喧嘩をしたり朝食を食べたり、個々騒がしくしていたが、そのうち仕事に出掛けようと重い腰をあげて、氷で固まった玄関扉を全員で押し開けた。わしらは驚いて呆然としたよ。そこに深々と降り積もった白雪と同じような肌をした子供が頬を真っ赤にして立ち尽くしていたんだから。どうやら、ハーフリングの子供のようだ。種族は違えど、愛らしい瞳をしたその幼き子は今にも凍えそうだったわけだ。それから、わしらがどうしたか?想像するに容易いと思わんか?」
確か、スリーピーと名乗ったドワーフだったか。私たちにスノーとの出会いを渾々(こんこん)と説明してくれる。彼は少し目を患っているようで、主人の闇の威光を感じとれず、淡々とスノーが樹海のドワーフの家の前に置き去りにされた過去を話し伝えた。他のドワーフ達は主人から距離を計り、その様子を見守っている。
主人はというと涙腺を緩ませながら、その多分、スリーピーの両手を握りしめている。
『良かったなぁ。スノー、良いドワーフと巡り会えて…』
主人、形に反して感動し過ぎです。私は呆れて主人を見上げるが…。
瞳を潤ませて瞼を閉じたそこの貴方、頬を流れる雫の跡を追ってしまいましたことよ。はぁ、目を奪われてしまうほど美しい。
だが、そんな主人を見たドワーフの面々は少し心を許したようだ。
「アーサー様、ハンカチをどうぞ」
スノーは少し微笑みながら、胸ポケットの中から綺麗に折り畳んだハンカチを手渡す。
『ありがとう』
主人はハンカチを受け取ると、照れ臭そうに涙を拭く。
「ねっ、アーサー様は、こんな昔話に感動されるぐらいお優しい方なんで、皆さん、怖がらないでください」
スノー、それを、貴方が言いますか?本当に変わりましたね。
『えっ?オレ、怖がられてたの?』
主人はそこのところが、いつまでも鈍感なので気づかなかったようだが、そろそろ他人に与える自分の印象を認識しても良さそうだと、私は首を縦に振り肯定した。
「すいません、アーサー様。スリーピーさんは初めて僕が連れてきたお客様にはいつも同じ話をするんです。お店でもそうなんですよ」
スノーは恐縮しながら謝る。
「僕、ここの皆さんに拾われたあと。高熱を出して生死を彷徨ったらしく、起きあがれるようになった頃には前の記憶を失くしたようなんです」
ここは、スノーの農園からほど近い樹海、ドワーフ達の家だ。スノーのお店から北東の方向へ位置している。
「記憶も失い…。赤子同然のような僕を、親代わりに皆さんが面倒を見てくれたので、寂しくなかったんですけどね」
スノーはそのまま話を進める。
「それで、僕に届いた手紙の内容なんですけど、ドックさん、アーサー様にお話頂けますか?」
おすおずと一団から白い髭を蓄えた一番年長者のようなドワーフが歩みでる。確か、手紙を読んだのはドックと言ったか?
「あの手紙ですかな?すいません。グランピーが破り捨ててしまって…」
「だって、愛がどーのこーの?全てが欲しい?大切なスノーに穢らわしい手紙を寄越してくるのが悪いんだよ」
唾を飛ばしながら喚いているのがグランピーだろう。服飾飾りで装飾された派手な紫色の服を着ているので、他のドワーフと違い分かりやすい。
「あれは、世界中をあなたの林檎パイで愛に包みましょう。私と一緒にあなたの林檎パイで世界を手中に収めてみませんか?的な手紙で、勝手にお前さんが勘違いしたんだ」
『思ってた内容と違うな』
主人は誰に伝えるでもなくぼやく。まぁ、実際、私以外は聞こえていない。
『愛しさが拗れての殺意と思ったんだが…』
「でも、あの手紙が届いてから、しばらくしておかしなことが起き始めたんだよ」
ドワーフの一人がお腹を摩りながら、一歩前へと前進して主人へ向かって話す。
「そうそう、店の中を探られたり」
「砂糖を塩に変えたり」
「客が通る道に毛虫が上から降ってくるとかもあったな」
皆、思い思いのことを口にするので収集がつかなくなってきている。誰が誰だか既に私には把握できなかった。
『思ったよりもせせこましい嫌がらせですね』
命が狙われていると確信してよいだろう現在の状況と当初の嫌がらせとは随分と差があり過ぎる。私は首を傾げた。
『この矢のことも聞きたいんだが』
主人はモードレッドから拝借した手帳へ文字を記すと、ドックであろうドワーフへ見せた。
「何々?この鏃何か特徴はないだろうか?」
なるほど、主人。
ドワーフは職業柄、技巧など詳しいものも多い。矢は量産品もあるが、今回の場合のように、殺し屋が使用しているものなら、扱う道具にこだわりが強く、何か特徴があればということだろう。
『でも、アーサー様?武器を置いていったんですよ。馬鹿じゃないんですから、普通は特質があるものなんて用いることなんてあり得るでしょうか?』
『まぁ、オレもそう思ったんだが…。聞くのは、ただかと?』
しゅ…主人。
そんな無料だから伺うなんて、一応、一国の王族だった人間が…。不憫です。
くっぅぅ〜。ここにハンカチがあれば、噛みしめたい。あっ、スノーのハンカチが主人の手に握られてる。それ借りれませんかね。
「これは…。スニージー見てくれ」
スニージーと呼ばれたドワーフは一番後ろから、皆を両手でかき分けて、胸元から眼鏡を取り出し掛ける。鏃をしっかり品定めをすると答えた。
「多分、ここから北へ行ったコボルトの集落で良く使われているもんじゃな。誰かが個別に利用してるもんじゃなくて、安い量産品じゃよ」
やっぱり、量産品でしたか。
「ただ、ここの鏃の下に×の印が…。そのコボルトの村の近くのドワーフ工房のもんじゃから、多分じゃけどな」
スニージーは刃の際に入った印を指さす。
ほうっ、ただの刃こぼれで出来た傷と思ってたのですが、印でしたか。
『ありがとう、助かった』
主人は笑みを浮かべて会釈する。
ドワーフ達へ主人の感謝の気持ちが伝わったかは分からないが、皆、神妙な面持ちで主人を注視する。
「アーサー様、どうかこの子を助けてやってくれ。大切な私たちの子供なんだ」
ドックが頭を深々と頭を下げると、他のドワーフもそれぞれそれに倣う。中には帽子を脱いで胸の前で手を握り合わせているものもいる。まるで祈りを捧げているようだ。
スノーはその様子を見て、いたたまれなくなって瞳を伏せた。
『愛されてますね。スノー』
『そうだな、早く解決しないとな』
『以上が本日の調査報告です』
今、私たちはスノーの店内でモードレッドが準備した夕食を皆で食している。モードレッドにはお抱え料理ゴブリンがおり、多分、そのゴブリンが作ったものだろう。今頃、転移魔法でモードレッドの城塞へ戻っているはずだ。
「へぇぇ。マリーン、護衛中に居眠りしたんだ。最低だな」
核心をついているだけあって、私はモードレッドへ何も言い返せない。
「まぁ、今日は刺客も近辺にいなかったから、気を抜くのも分からないでもないけど、君は確かアーサーの従僕だったよね」
『はうっ』
『モードレッド、そろそろ、マリーンを苛めるのをやめてやってくれないか?』
主人が苦笑しながら、モードレッドの嫌味を制した。
「甘いんだよね、アーサーは…。マリーンに限ったことじゃないけど」
『とても心地良かったんだ。オレも本業忘れて、林檎を捥ぎとるのに夢中になったし、楽しかったよ』
モードレッドは、肉のついたフォークを私の方向へ向けたまま、項垂れて溜息を吐いた。モードレッドの金髪がテーブルの上へサラサラと流れ落ちる。
「スノー君、君と農園へ行ったのが楽しかったってアーサーが言ってるよ」
スノーは目を輝かせながら席を立つ。立った拍子に椅子が倒れそうなほどの勢いだ。
「本当ですか?僕、嬉しいです」
「スノー君、食事中だよ。落ち着こうね」
モードレッドがスノーへ着席するように促した。スノーははしゃぎ過ぎた自分を恥じたのか、少し頬を赤らませながら席へ戻る。
『マーリンにもちゃんと収穫出来てるってお墨付きを貰えたしな』
そうなのだ。思いの外、主人は丁寧に林檎を収穫をして、傷つけることはなかった。
『女性を扱うように柔らかく優しく包み込むようなあの手つきで取り扱ってください』
私の説明が上手く伝わったのかもしれない。
「マリーンにも収穫が上手って、アーサーは褒められたみたいだね。嬉しそうだよ」
モードレッドがスノーへ主人の言葉を伝達する。
「あのぉ、皆さん、会話をされているんですよね?」
そう言えば、テレパシーで話し合っていることをスノーへ説明していなかったが、状況をみて理解していたようだし、今更、どうしたのだろう。
「アーサー様たちは何かの方法で会話をされているんだろうと思っていたんですけど、マーリンさんは犬なのに、アーサー様やモードレッド様とお話出来るのかって、つい思っちゃって…。あっでも、魔法も使える特別な犬なんですよね。なら、話せるのかな…」
「そうだね。アーサーとマーリンは魔力を共有していることもあって、精神感応で会話ができるんだよ。マーリンは普通の犬でないことは見ての通りなんだけど、ブラックドックって言う少し特殊な精霊なんだ。スノー君には説明不十分だったかな。ごめんね」
スノーへモードレッドが答えた。
「私はその二人の精神感応を拾っているんだよ。スノー君も拾う能力を持っていれば、彼らと話が出来るだろうね」
モードレッドも拾うだけでなく、精神感応が使える。スノーに聞かれなくない言葉はテレパシーで会話しているのだから…。
「僕、アーサー様の表情から何を思っているか、全く分からないんですけど、マーリンさんは仕草から時々は分かりますよ」
私は食卓の脚の近くで、しゃぶりつきながら骨つきの肉と格闘していたのだが、スノーの言葉に対して、眉間に皺を寄せると鼻先をあげ抗議する。
『スノー、私は犬ではないですので、そんな単純ではありませんよ』
モードレッドはそんな私の様子を横目に楽しそうに笑った。
「ふふっ、そうなのかい?確かにマーリンは顔に出やすいからね。マーリンは自分の声が届かないことが分かっていても、一方的に話しかけていることがあるんだよ。それはアーサーも同じなんだけどね。今だって、スノー君にマーリンは話しかけてる」
「なんて言っているんですか?」
興味津々にスノーは尋ねるので、私は鼻息荒く答えた。
『どうです?スノー。私とアーサー様は一心同体なんですよ。えっへん』
モードレッドは複雑そうな面持ちで、スノーへ私の言葉を代弁した。
「えっと、まずは自分は犬ではないからそんな単純ではないって主張しているね。それと、自分とアーサーは一心同体とか威張っているね」
「僕は明日。とても心を込めて林檎パイを皆さんに焼くつもりなんですけど、今、と〜〜〜っても毒林檎を一個残してなかったのか?悔やみました。ねっ、マーリンさん」
私は毒耐性も全て主人に委ねているので、自分には耐性がない。
スノー、愛らしい笑窪横が引き攣ってますよ。
『この子‼︎本気⁉︎』
私は密かに慄いた。主人は肉を口に頬張り、何事もなかったかのように、咀嚼している。モードレッドに至っては、食卓へ突っ伏して、肩を震わせている。
モードレッド‼︎私の非常事態に何を笑っているんですか⁉︎