#1-5
主人はじんわり蒸せる空気を肌で感じながら、両手を広げて大きく息を吸い込んだ。
『ここは若葉の匂いがすごいな』
『そうですね。青葉の香りに満ちていますね』
アルムの山小屋は澄んだ空気で清々(すがすが)しい気持ちになるのだが、ここは木々が幾重に連なり、瑞々(みずみず)しい緑が生い茂っていて、若葉の生命力満ちる香りで溢れ、圧倒される。
私は大地を踏みしめて、柔らかな草の感触を楽しみながら主人の横を追従している。
「この先にスノー君のお店があるんだ」
モードレッドの指さすその先に大きな大木が聳え立ち、よく見ると地面へうねるように伸びた根と根の間に、小さいけれども頑丈な扉が備えつけられていた。
「あそこの扉から下へ降りる階段が続いていて、僕の住居兼お店へ繋がっているんです」
『これは知る人ぞ知る隠れ家的なお店ですね。あの彫物は木の葉を模っているのですか?重厚で立派な扉です。素晴らしい』
私が感嘆を漏らすと、モードレッドが更に上部の葉っぱが覆い被さった枝の先端を示した。
「看板もあるんだよ」
そこには、木でできた林檎型のプレートのようなものがぶらさがっている。こちらも丁寧な細工が施されており、匠の作ったものだと推測した。
だけど、なかなか一見さんには発見し辛い場所だと思いますよ…。
「僕の育ての親であるドワーフ達はみんな手先が器用でそれぞれ得意分野があるんですけど、あの看板はドーピーさんが作ってくれたものです」
ふっ、また一人名前が増えたぞ。
扉の前に辿りついたスノーは、鈴が転がったようにコロコロと笑った。
「早く皆さんに僕の林檎パイを食べて頂きたいな」
スノーがポケットから真鍮の鍵を取り出した。私は瞬間スノーの服の袖を甘噛みして手繰る。スノーは突然の事に慌てて抗議した。
「びっ、びっくりするじゃないですか⁉︎マーリンさん?」
腕を伸ばして主人もスノーの行手を遮る。モードレッドが扉に手を翳した。
「初歩的なものだけど、扉に魔法陣が仕掛けられているね。炎の魔法が発動されるように仕組まれているから、スノー君、鍵を差し込んだら火だるまになっちゃうよ」
穏やかな口調で、なるべくスノーへ不安を与えないように心がけているのかもしれないが、モードレッドが言ってることは全くもって物騒だ。現にスノーの顔色は蒼白に変わり、体は震えている。
『マーリン、解除してやってくれ』
『はい、お任せください』
私は左前足を把手へ押しあてる。白くぼんやりとした光が照らしだされ、小さな炎が揺らめくと同時に真空へ吸い込まれるように消えた。
「さすがマーリンだね。私が魔法を解こうとしたら扉ごと消し去ってしまうかも?」
扉だけ?せめて店だけだと良いですけどね…。
解除は相殺魔法なので、相反する魔法の同量の魔力を測り、それを注ぐだけで最初の状態へ戻る。モードレッドもそこまで慎重にならなくても良さそうだが、この魔王の魔力加減に対して、用心するに越したことはない。
さて、魔法は解除されたのだが、スノーは青ざめたまま、頑なに鍵を握って離さなかった。硬直して拳が開けないと言うべきだろうか。
主人はスノーの拳を両手のひらでじっと包み込んだ。主人の手の温もりで、緊張が解けたのだろうか、ゆっくりと手のひらの中の鍵を見せた。
スノーは主人へ鍵を手渡す。昨日のことが嘘のように、主人へ信頼を寄せるスノー。
フォーリンラブって偉大です。ただ、やっぱり目は合わせられないんですね。
主人が扉へ鍵を差し込んで右へ回すとカチリっと小さい音が響いた。皆へ後ろに下がるよう、手を振って指示を出す。主人は慎重に且つ静かに扉を開く。
開くと同時に奥まで篝火が一気に灯る。多分、これもドワーフの育ての親が施した仕掛けの一つだろう。
先に進もうと足を踏み入れる主人を横目に、私は階段を駆け降りた。大体、危険かもしれない場所へ主人の後をノホホンとついていく従僕がどこにいようか?あり得ないことだ。
もう一つ挙げれば、扉の魔法陣は私からすれば稚拙な仕掛けだった。あれぐらいのレベルで私たちを陥れようなんて馬鹿げている。大したことはないと私は判断した。
『マーリン、待て‼︎』
主人が一喝する。
まずい…。
この感じは怒っている。
私は瞬時に足を止めると、そろりそろりと振り返った。すぐそこに仁王立ちしている主人がいた。モードレッドはやらかしたなぁといった面持ちを隠すように手のひらで目を覆う。
多くの人には常に剣呑とした雰囲気を身に纏っていると誤解されただけの主人が、本気で目を据え睨みを効かせている。
怖っ‼︎
というか、心なしか空気が凍ってませんか?
しばらくして追いついたきたスノーは、この状況に脅威を感じとり、気を呑まれている。壁に手をついて辛うじて体を支えているほどだ。
『お前、オレの命令に叛く気か?』
『あのぉ、私、見た目も心も犬でして…』
私、ブラックドッグとしてのプライドはどこへ消えた?
『冒険心が疼くと言いますか?飛び込んでいきたい習性と言いますか…。もっ、もっ、申し訳ございません』
モードレッドが主人の肩に手を添えた。
「マーリンはアーサーの事が第一なんだよ。こんな時に主人の後から行くなんて、番犬の意味がないだろう?」
その通り。
モードレッド、もっと援護して。
私は許しを乞うように両前足を合わせ、ここぞとばかり目を見開いて円らな瞳を作り、少し潤ませながら懇願する。
『アーサー様を怒らせるつもりは毛頭ありませんでした』
主人は地底の奥まで響くような深い嘆息を吐く。
『心配しているんだ。マーリンに何かあったらと思うと…。万能なのはよくよく心得ているけど…』
私の頬を両手で挟んで、ぐいぐいと回す。
主人、痛いです。
主人は静かに私の頭を両腕で柔らかく包み込むと、私の狭い額に自分の額をくっつける。
『お前がいないとダメなんだ』
あまぁ〜い‼︎
鞭と飴ですか?鞭と飴の順で来ましたね。
そう申されましても、私、主人の為なら業火に身を焼かれても構いません。私、炎を吐けるぐらいですから、火の扱いには長けてますので、焼死することは決してあり得ませんけどね。
私は主人の肩に顎を乗せると、一時の余韻に酔いしれた。先程までの凍てついた空気が嘘のように、今、私の周りでは花の蕾が一斉に開いたかのような春の暖かさに育まれている。
「はいはいはいはいっ、ハグで主従関係を確かめあうのは良いけど、それぐらいにしようかっ⁉︎」
モードレッドが手を叩いて、この余韻を打ち消す。
私と主人の大切な時間を台無しにするとは…。
覚えてらっしゃいモードレッド!
どうやら、いつの間にか私は階段の一番最後まで降りていたようだ。目の前は主人の腰の位置ほどの高さの仕切り扉で遮られている。
私は先に店内の様子を耳と鼻で感知した。肌で先程の扉に仕掛けられたような魔法陣等がないか気配を探り、危険がないと確認した上、鼻先で押し戸を開けた。
『ここは小さいけど、居心地が良いな』
主人が店内を見渡して感想を述べる。
木材を加工して揃えてある家具は、やはり素晴らしく、細やかな意匠に我々は目を見張る。根の間になるのだろうか、天井には天窓が所々一定の間隔で設られており、高い場所からさす柔らかい陽光のおかげで店内は明るい。
モードレッドやスノーの話から三日間ほど店を閉めていたようが、日頃の掃除が行き届いてるのだろう清潔さを保っている。
主人はカウンター前のスチール椅子を引っ張り出して座る。椅子は低いので、長足の収まりが悪いのか、座りづらそうだ。
先程まで色々なことで青ざめていたスノーだが、気を取り直し袖を捲りあげ、お店のキッチンへ向かう。
「少し時間がかかりますが、待っててくださいね。丁度、林檎がいい感じに熟れているものがあるんで、それを使って焼きたてのパイを作りますから」
「それはっ、やめっ…」
『モードレッド、ペンと紙ってある?』
スノーへ呼びかけようとしたモードレッドの服を主人は軽く摘まんで引っ張る。
「あるけど?今はそれどころでは…」
主人はモードレッドに手を仰向けに伸ばすと差しだすように促した。モードレッドは主人の強引な仕草に、致し方なく襟元の内ポケットのようなところからペンと台帳を取り出す。
はっ、貴方、探偵助手の立場を奪う気ですね。許しませんよ。
主人は私の心の葛藤に気づくはずもなく、サラサラとドクロ?多分、髑髏の絵を描く。髑髏の下には交差したホネ?多分、骨のばつ印。
私はカウンターに前足を乗せて、主人の描く絵を眺めていた。
主人…。
主人に対して、こんな心持ち失礼かと存じますが、絵心がないですよ。
モードレッドはポンっと手のひらを拳で叩いた。今、何を書いたか解読したようだ。
樽の中にある林檎を選別しているスノーに主人は近よる。主人に気付いて、スノーは見上げるた。スノーと主人の間に、多分、髑髏だろうと思われる絵が掲げられる。
「えっ…?」
しばらく、スノーの手が止まり、瞬きも忘れ絵を見つめる。
「あぁ〜!骸骨ですか?」
正解したスノーに主人は親指を立てる。そして樽の中から近くの林檎を選ぶと、一口齧って倒れた。
えっ?食べちゃうんですか?毒林檎ですよね?それっ⁉︎えぇ〜〜〜〜〜⁉︎
「アーサー、何をしているんだい⁉︎素直に私が毒林檎だと説明すれば簡単じゃないか?」
スノーは一瞬、何が起きたか分からなかったようだが、すぐに握っていた林檎を放りだすと、主人の胸ぐらを掴んで揺すった。
「アーサー様‼︎死んじゃぁ嫌です‼︎」
主人はむっくりと上半身を起こすと、スノーは大きな瞳を更に大きくした。可哀想に頬には大粒の雫が伝っている。
『これぐらいでは死なない』
『ですよね、アーサー様。でも、スノーは事情を知らないですし、食べる必要もなかったと思いますよ』
「スノー君、申し訳ない。アーサーは免疫があるんだ。子供の頃、毒に慣れるために、食事へ少量の毒を含んで食べていたんだよ。それに、今はマーリンの魔力で自己再生力も備わっているから、これぐらいのことでは死なない。安心して」
スノーはしばらく放心状態で、私たちはそのまま様子を見守った。
主人はモードレッドへ筆談で対応できると自負していたので、今回、文字の読めないスノーに絵を描いて実践したかったのだろうが、周囲からしてみれば(主にスノー)甚だ迷惑な対応だった。だがそれが、主人だ。
主人のタートルネック胸元の布地を手繰りよせて、スノーは再び瞳に涙を溜める。
「何、考えているんですか?僕の林檎のせいでアーサー様が死んじゃうって…」
『ごめん、びっくりさせてしまって…。まさか、こんなに号泣されるとは思わなかった』
主人はスノーの黒々とした巻き髪を指で梳きながら頭を撫でて、胸へと引きよせた。安心させるための行動でしょうが、今をときめく恋物語の風刺画を見ているようですよ、主人。
「スノー君は男の子だよ。まだ勘違いしてるのかい?アーサー」
そうだ。主人は元来女好きだ(言い方?間違ってますか?)。
騎士道精神かもしれないが、女性や子供のためならば、この身を捧げても護るといったような感性を持っている。
『スノーは、どちらかというと肉付きが柔らかそうで女子感たっぷりじゃないですか。まだ脳が混乱してるんじゃないですか?』
「私も容姿的には女性寄りだけど、アーサーの心をくすぐることも出来ないよ。ちょっとスノー君が羨ましいかも」
『おやっ、モードレッド様、正直ですね。モードレッド様は、ほらっ、見た目はお淑やかで女神のようですけど、脱ぐとソフトマッチョじゃないですか。そこは抱き心地ですかね?』
ここぞとばかりに主人の胸へ頬を押しつけているスノー。主人は呆れ顔だ。
『何を話しているんだ、お前ら…。スノーは子供じゃないか?驚かせたんだ。宥めるのは当然だろ?』
「アーサー…。スノー君はアーサーよりも年上だよ」
モードレッドは椅子へ腰掛けてカウンターで頬杖を突く。モードレッドも長身なので、窮屈そうに長い手足を持て余している。
『えっ?』
鳩が豆鉄砲を食ったような面持ちをした主人は胸元で顔を埋めているスノーへ視線を落とす。
『アーサー様、ハーフリングは人間より少し寿命が長いんです。若く見えて、結構な年齢ってこともあるんですよ』
『十二歳ぐらいじゃないのか?せいぜい十四ぐらいだろ?』
「スノー君、アーサーが何歳なのか?聞いてるよ。因みに、アーサーは今年二十六歳になるんだっけ?」
『アーサー様は二十七歳になりますね。ご自分が四百歳ぐらい(十歳単位四捨五入で四捨の方)だからと言って、アーサー様の年齢を間違えるなんて、失礼ですよ。』
「二十七歳か?致し方ないだろう?私は自分の正確な年齢なんてもう数えてないんだから」
驚愕の表情を隠しきれない主人から、スノーは視線を逸らすと尋ねた。
「アーサー様は年上がお嫌いですか?」
『いや、そんなことはない。モードレッドだって、随分と歳が離れているけど、友人だし…』
離れすぎてますけどね。目が泳いでますよ、主人。
スノーは小さく吐息を漏らすと答えた。
「僕は今年三十路を迎えます」
『そっ⁉︎それは驚きだな…』
下腹部へ跨いで乗っているスノーを複雑な眼差しで見つめながら、平静を保とうとする主人は頭を掻く。
『ところでそろそろ、腹から降りてくれないか?』
主人はスノーの両脇の下あたりを両手で抱えて、ゆっくりと床へ移動させる。
「すいません。重たかったですよね」
『重くはないさ。軽いぐらいだ』
はにかみながら俯くスノーへ、主人は微笑むとスノーの頭の上をポンポンと優しく叩いた。性別も年齢もどうでもよくなったのか、主人はとにかく容姿に騙されやすい人だと思う。
そういえば、モードレッドと初めて対面したときも、女性に接する態度だった。
「林檎は全て毒が仕込まれているかい?」
モードレッドが私に問いかける。私は林檎が高く積みあげられた樽へと駆け寄り、樽の縁へと前脚をかけて、林檎の匂いを嗅ぐ。
『そうですね。ほぼほぼ盛られていると考えた方が良いですね』
私は店内へ入ったときに、嗅覚へ異変を感じた。上手く隠していたが、主人とモードレッドも何者か室内へ侵入した形跡を見てとったようだ。私は林檎の毒を仕込んでいるのを確信して、皆へ目配せをした。スノーへ伝わらなかったが…。
「スノー君、残念だけど…。林檎は殆ど毒に侵されているようだね。中には、大丈夫なものもあるようだけど、安全のために全て破棄した方が良さそうだよ」
モードレッドは長い睫毛を伏せて、視線をスノーへ落とす。スノーは唇をギュッと噛み締めていた。
『犯人は勿体ないことをしますね。勿体ないお化けに祟られますよ。さて、他の食材も確認しましょう。食物庫は奥ですか?』
主人も立ちあがり私と同行する。
『こちらは誰かが入り込んだ気配がないな』
主人は唇を親指でなぞりながら室内を窺う。
私は食品が整理された棚を、念入り一つ一つ嗅いで回った。
『そうですね、こちらは異常がないようです』
「丹精こめて育てた林檎にこんなことするなんて」
スノーは怒りを抑えられないようだった。
「すぐに犯人は捕まるよ。アーサーがいるんだから、大丈夫」
モードレッドはスノーの後頭部へ手を添える。
『ところで、矢はどうなった?』
「矢?」
モードレッドが掴んで止めた矢のことを主人は示しているようだ。モードレッドは顎へ人差し指を押しあてて考えている。
『モードレッド様が素手で掴んだ矢ですよ』
『どんなものか?見てみたくて、証拠品だろ?ここにあるんじゃないのか?』
モードレッドは髪を無造作に掻きあげて答えた。
「ないよ」
『何でですか?』
私はモードレッドを仰いで尋ねる。
「正確に言えば、掴んだじゃなくて、掴み取ろうとしたなんだよ。掴み取ろうとした瞬間、粉々に砕けちゃった。というか、跡形もなく消えちゃったかな」
あっ、そうでした。この人、魔王でした。
「けど、農園に罠が他にもあるんじゃないかな?本来なら、危ないから、罠を回収しないといけないんだろうけど、あそこは管理者スノー君の許可がないと入れない結界が張ってあったからそこまでしなかったんだよね」
スノーの見た目には、モードレッドのひとり言を呟いているようにしか見えないだろうが、スノーはその内容を頷きながら聞いていた。何かしらの会話が進行していることは理解しているようだ。
『んっ、でも結界を抜けて、罠を仕掛けたものがいるんだろう?』
「扉の魔法陣もそうだけど、多少、相手は魔法が使えるようだから…。でも大したことはないと思うよ。森の結界もこの辺りの住人では解除できるものがいないってだけで、簡単なものだからね」
『魔王基準で言われましてもね。まぁ、私も簡単な術式だと思いましたけど、私もそこそこの魔法使いですから、基準にはならないかもです』
「マーリンの魔法は私が賛称するほど素晴らしいからね。犬なのに…」
それほどでもありますが、えへっ。
主張するのには気おくれがしますが、ブラックドッグです…。
「まぁ、私には及ばないけど」
一言多いんですよね。モードレッド、そこは飲みこむところですよ。
スノーが腕を組み、少し考え込んで、主人へ言葉を投げかけた。
「アーサー様は魔法をお使いになられないのですか?」
主人の見た目は魔法が存分に使えそうな雰囲気を醸しだしている。スノーが不思議に思うのも無理はない。
『オレは体に魔力を蓄えているけど、魔法を使えるわけではないからな』
主人は人差し指で頬を摩りながら答えた。スノーは主人の答えが聞こえないので、以前、頭をひねったままだ。
モードレッドは主人の言葉を解釈を加えながら説明する。
「アーサーはね。マーリンとの契約で魔力をマーリンと共有しているんだ。体に魔力を蓄えてはいるけど、使えるわけではないんだよ」
スノーは胸の辺りで片手を挙げる。
「魔法がお使いになられないんですね?」
「マーリンと契約が出来ている分、素質がないわけじゃないんだよね。ただ、純粋な人間は魔法使いや精霊と違って、魔法を使うのに詠唱を唱える必要があるんだ。今のアーサーは言葉を発することが出来ないから、魔法は使えないね」
『そうなのか?知らなかった』
主人は自分のことながら、初めて知る事実を感慨深げに聞いている。元々、自身が魔法を使うことに興味はなかったようで、今まで気にしていなかったのだ。
「人ではあり得ない跳躍や走りをなさるのに?」
スノーは余程、今朝見た主人の姿が心象に残っているのだろう。
「うーん、それは元来アーサーが運動神経が飛び抜けて良かったところを、マーリンの魔力が補っているからだろうけど…。私もマーリンから詳しく教えてもらったわけじゃなくて…。見た感じで推測しているからね。一人と一匹に交わされたこの契約は複雑すぎて難しいんだよ」
えっと、契約時、なりふり構わず、嫌がる主人へ強引な契約を結びましたので(あっ言い方?)、私も上手くご説明を申しあげられません。ニムエ様から大変叱られました。主人も出会ってから三月程は会話もしてくれませんでしたしね。
「それと、マーリンは自己回復の能力を全てアーサーへ注いでいるみたいから、マーリンの自己回復能力は全くないようだね。それどころか、自分に癒しの魔術をかけても、アーサーへ流れるから意味はないかな」
そうなんですよ。だから、主人に毛をむしり取られたときはどうしようかと思いましたよ。
「マーリンさんがお怪我をされたときはどうするんですか?」
スノーは疑問に思ったことを、矢継ぎ早に問いかける。
私は自分への回復能力がないが、四大元素魔法を巧みに操れるので、それを苦にしたことはない。防御魔法も得意だが、私の性格から攻撃は最大の防御。何かあればとりあえず攻撃。なので、今まで大きな傷を負うことはなかった。
「マーリンは攻撃魔法はもちろん、防御魔法もお手の物だから、深傷を負わすのは難しいだろうし…。他者からの回復魔法で治すことは可能だから、近くに私のような魔法使いがいれば問題ないだろうね」
昨日の私は、主人へ心を許して身体を預けていたので防御しようがなかったのだ。
モードレッドがしまったという表情で主人の様子を確認している。あれっ、主人が落ち込んでますね。
どうやら、昨日のことを思い返したようだ。
『あれは事故だったのです。気にすることはありませんよ、アーサー様』
『…ごめん』
伏せ目がちに反省の意を示している主人。艶美な長い睫毛が、私には耐えがたい。
いいんです、私は毛一本気に留めておりません。痛かったけど…。いいえ、気にしておりません。
「アーサーは魔法が使えなくても、現在の身体能力が人のそれではないから、うーん、例えば、ドラゴンが相手でも楽に勝てるだろうね」
モードレッドの言葉に主人が反応する。
『そうなのか?今度、プブリウスに手合わせしてもらおうかな?』
主人とプブリウスはあの一件以来交流がある。
時々、ドワーフの依頼を受け、竜の鱗を貰いに行くのだ。プブリウスは槍を抜いてもらった恩義が主人にあるので、生え変わりの際、抜け落ちた鱗をいとも簡単に譲ってくれる。
「でっ、どうするの?矢を回収するかい?」
モードレッドがストーレートに伸びた金色の髪を搔きあげる。
『そうだな。先に矢を回収して、育ての親とやらのドワーフ達に会いに行こうか。話も聞きたいし』
モードレッドはスノーへ主人の意向を話した。
「スノーくん、アーサーを農園に案内してあげてくれないか?その後、ドックさんのところへ連れて行ってあげて欲しい」
主人が前髪の合間から、墨色の視線を投げかける。
『モードレッドは行かないのか?』
「農園は、アーサーがいればスノーくんの安全は保障されているし、ドックさんは読み書き堪能だからスノーくんが仲介してくれれば筆談できるだろう」
『モードレッドはどうするんだ?』
「私はまた何者かが悪さをしに、ここに来ては行けないから、お留守番だね」
モードレッドはカウンターに片肘をつきその手の甲へ顎を乗せて、華やかに微笑むと、もう片方の手を翻した。