#3-3
「ウンディーネっ!」
大きく手を振り翳しながら浜辺を颯爽と走る小さな人影はこちらに向かってくる。
最近、人に恐れられる容姿と自覚し始めた主人は急いで外套のフードを深く被った。子供には刺激が強いとでも思ったのだろう。
「まだ、外出は許してくれなかったから、二階の窓から抜けだしちゃった!私は平気だけど、ウンディーネが寂しいんじゃないかって思ってたのっ!」
遠くから駆け寄りながら、子供は恐ろしいことを叫んでいる。
二階の窓ですか?怪我をしなくて良かったですね…。良い子はこんなこと絶対してはダメですよ…。お父さん、お母さんが泣いちゃいますからね…。
軽い足取りで近づいてきた少女は私たちの周りをピョンピョンと裸足で飛び跳ねる。少し距離が離れたところへサンダルが転がっていた。走っている途中で脱ぎ捨てたようだ。
人見知りすることもなく私たちへ興味を示し、首を傾げる仕草は愛らしい。
「誰?この人たち?ウンディーネのお友達?」
ウンディーネは何か少女にたじろいでいる。ウンディーネを怪訝そうな顔で見つめるモードレッド。主人は自分を恐れて子供が泣かないように顔を背けていた。
私はマジマジと少女の面立ちを確認した。
弾力ある栗毛色の髪は短い。この凛々しい眉毛や好奇心旺盛な深緑の瞳は少年のようだ。行動や言葉から推測して活発な子供であることは違いない…。
だが、将来確実に美少女と呼ばれるであろうこの子供は…。ランスロットにそっくりな顔をしていた。
こんなところで偶然、ランスロットのご烙印とご対面…。そんなわけがない…。
年齢は5歳ぐらいといったところだろうか…。
私とモードレッドは瞬時に悟った。
この子がグィネヴィアの子供に違いない…。
「あなた…。綺麗な金髪ね…。とても素敵な青色の目をしてる…」
「そうかい?褒めてくれありがとう…」
子供はモードレッドの流れるように煌めく髪は興味を示したようだ。目が追っている。
「触ってもいい?」
愛嬌のある笑顔でモードレッドへ尋ねる。ランスロットの顔で愛想が良いと、とてつもなく違和感を感じてしまう。
「構わないよ…」
内心、複雑な思いを抱いているだろうモードレッドは優しく微笑み、少女の背の高さまで腰を屈めた。
その人たらしな笑顔なんとかなりませんかね?
私は独りごちていたが、少女はモードレッドの笑顔に誑かされることもなく、平然として礼を述べた。
先ほどのクララでも感じたことだが、モードレッドへの対応が雑である。老若男女へ振り撒くモードレッドの魅力が通用していない。
表情へおくびにもださないが、モードレッドが敗北感に苛まれていることを私は察知した。
「ありがとう!」
そっと、モードレッドの髪を手で触れて、引っ張らないように注意しながら掴む。少女は目の前でサラサラとモードレッドの髪をぱらつかせ、顔を綻ばせた。
私がその様子を観察していると、少女と視線を交差する。
どうしよう…。今更、目を逸らせない…。
ランスロットによく似た私を探るような眼差し、主人の気持ちを慮ると少女を見つめ返すことに躊躇いを感じる。
「えへへっ…。綺麗だよね?」
私の動揺を勘ぐることもなく、少女は問いかけてくる。モードレッドへライバル意識を燃やしている私に同意を求められても困るのだが、無邪気に彼女は続ける。
「パパも同じ金髪なの…。ママが言ってたわ。パパは眩いけど温かみを感じるお日様色の髪だって…」
『グィネヴィアはオレの髪は陽だまりのようだと撫でてくれた…。まるでお日様がおりてきたみたいだと…』
主人が少女の言葉に反応して、少女へ顔を向けた。サッと主人の顔色が青へ変貌する。
主人も悟ったのだろう。誰の子供か…。
『兄上の…』
「でも目の色が違うのが、残念だわ…。私のパパはどこまでも透き通った緑色の目なの。お兄さんは晴れた日の空のような青色ね…」
この少女は私とは感性が違うようだ。私なら、モードレッドの瞳は波風のない湖面のような青に例えるだろう。
『この子は…。グィネヴィアの子供なのか?』
首を右へ傾けて、ランスロットの眼差しを見上げる少女は、一目見ただけでランスロットの娘だと分かるほど、酷似している。
『オレが…戦場にいたとき…。兄上とグィネヴィアは…』
以前、主人は妊婦のグィネヴィアを認めて、父親は自分ではないと言っていた。種を宿したときを計算すると、時期が合わなかったのだ。
『どうして…。グィネヴィアが…。いや、違う…。彼女はそんな人ではない…。なら…。いや…。いや…。兄上がオレを裏切るわけがない…。けど、オレはグィネヴィアを兄上に紹介してなかった…。知らずに?』
主人は混乱していた。
髪色だけでいえば、兄弟はあまり違いはない。敢えて違いを表現するならば、ランスロットの方が柔らかな陽射し木漏れ日のようで、主人は眩しい太陽の輝きのような色というべきか…。
だが、ランスロットの双眸は思慮深さが滲みでた蒼である。主人は私との契約前は初夏の風のような明るい翡翠の色をしていた。
グィネヴィアは娘に父親は緑色の目と語っていたようだ。
『アーサー様…。何故、グィネヴィア様は父親の瞳はアーサー様の色を仰ったのでしょう…』
私はその質問を投げかけ、自分の失態に気づいた。
『そうだ…。グィネヴィアへ直接聞けばいい…』
オロオロと狼狽える私を横目にモードレッドが静かな口調で少女へ尋ねた。
「君の名前は何て呼べばいいかな?」
「私はねっ!ハイジって言うのよ」
白い歯をむき出しにして、ハイジは答える。溌剌とした白い肌へそばかすがうっすら浮かんでいる。
「じゃあ、君のお母さんの名前は?」
どうやら、モードレッドは順を追って問いただすようだ。
「ママの名前はグィネヴィアよ」
予想通り、ハイジは返答した。
「ダメよ…。聞かないで…」
ウィンディーネが呟いた。
「お母さんは今どこにいるんだい?」
私とモードレッドはその答えを知っている。予め、私は精霊の情報網で調べていたのだ。魔王の情報網も侮れない。ウィンディーネの反応をみれば彼女も事情を知っているのは明白だ。
モードレッドの質問にハイジの顔が陰っている。モードレッドはハイジの頭へ手を置いて優しく撫で下ろした。
「ママ…。ママ…。ママは…」
ハイジが続きを言い淀む。ウィンディーネはハイジに懇願する。
「お願い…。言わないで…」
ハイジは不思議そうにウィンディーネを一瞥したもののモードレッドへ告げた。
「ママは死んだの…」
主人の足取りがふらつく。
私は主人へと寄り添うも、主人は更に後ずさり私から距離をとった。
『死んだ…。グィネヴィアが?』
砂地に跪き主人は顔を覆った。表情は目視できないものの、私へ主人の苛立ち、悲しみ、苦悩、複雑に織り交ぜられた色々な心情が流れこむ。
いつもなら私は主人の思考を遮断している。主人が会話したい内容だけ念話で届くように調節しているのだ。
主人のプライベートの領域を侵すようなことはしない…。いや、気持ち的には暴きたいけど…。
私は主人へ忠実なブラックドッグなのである。
だが、今は主人の思いがどんどん膨らんで雪崩れこみ堰き止めれない。
ハイジは主人に振り返る。突然、崩れ落ちるように地面へ座りこんだ主人に気を取られたのだろう。
「だから、もにふくす?もにふくしているの…。しばらくは外へ出るなって言われてたのよ」
絶望…。真っ暗な思念…。このままであれば、主人は闇へと溺れてしまう。
『嘘だ…』
「だから…。私はもうママに会えないの…」
『もう…。グィネヴィアに二度と会えない…』
モードレッドがハイジを抱きあげた。主人へ背を向けて宙を飛ぶ。
ウィンディーネは両手を広げた。
『グィネヴィアがどこにもいない?』
主人の身体から黒い塊が放たれる。主人が膝をついた砂浜は、主人を中心に大きく抉れていく。
付近一帯へと広がる闇の重圧…。普通の人ならば、空気が重く息苦しさを感じ、身を裂かれるような耐えられない苦痛に襲われるだろう。
辛うじて、ウンディーネが主人の周囲へ結界を張ったが壊されるのは時間の問題だ。長くはない…。
モードレッドに至っては、世界最強の魔力を持っている魔王だとしても、魔法を使用すれば世界を破壊しかねないので、傍観に徹するしかない。
ハイジは現状を把握できていなかった。モードレッドの胸元に顔を埋めており、あれでは周りは見えていないはずだ。モードレッドは如何なる魔法を防御できる身体がある。盾にすれば一人の少女は守り抜けるだろう。
もちろん、私も魔法を使っていない。私は主人の命令がないと自由に魔法を扱えない。
精神暴走…。
ニムエ様の闇の加護と私が与えた主人への魔力が呼応しているといったところでしょうか…。
空間へ歪な黒いヒビが斜めへ走っていく。空や海は真っ青だったのだが、徐々に闇へと侵略されて始めた。
これはいけないっ!
『アーサー様!あなたは同じ過ちを繰り返すつもりなのですか‼︎』
主人の負の感情は未だ渦巻いている。主人の身体から私を敵視し攻撃してくる電流に逆らい、主人のすぐ横まで近づいた。
『いいのですか?私は構いませんよ…。主人が砦で犯した過ちを再び行っても…。主人が後悔しないのならば…。死にますよ…。また、多くの人間が…』
『あっあぁぁぁぁぁぁっ!』
主人が強く唇を噛み締めた。噛み跡から血が滴り、砂地へ赤い水玉が数点できる。
バチバチっと主人の周りに激しく黒光の粒子が飛び散った。
主人は自分の心臓付近をを鷲掴み、己を律しようと試みる。爪が食いこんで、こちらからも血が流れた。黒い服のお陰か、目立ちはしなかったが…。
私は主人の周囲をグルグルと旋回しながら様子を見守る。
そんなに締めつけては…。死にはしないでしょうけど…。苦しいでしょうに…。
主人の呼吸が少しずつ整っていくと同じく辺りは静けさを取り戻していった。
規則的に白波が穏やかに押し寄せる。日の光が水面へキラキラ揺れている。風が優しく私の毛並みを撫でるように滑っていく。
モードレッドは地面へと着地して、何事もなかったようにハイジを解放した。
ウンディーネは青褪めて呆然としている。
まさか…。私は主人がこれほどグィネヴィアを愛していているとは思っていなかった。
あの主人が激情へのまれて、罪のない人々の命を危険に曝すなど考えられない…。
愛とはなんなのだ…。面倒臭い…。この形のない感情に翻弄されるなど…。人間とは何と浅はかなんだろう…。
んっ…。
…。
なら、私のこの痛みは…。何故、主人の苦しみが私の心を占めているのですか。
ニムエ…。様…。ニムエ様の慈しみのこもったあの眼差しが堪らなく恋しくなる想いは…。
それに…。モードレッド…。
「この役立たずっ‼︎マーリンが側にいるからと思ってアーサーを任せたのに‼︎この駄犬っ!」
モードレッドの言葉が私の思考を停止させた。
『駄犬?』
「駄犬に駄犬といって何が悪いっ!忠犬は主人へ誠意を示すもんだろっ?この駄犬っ!」
私はモードレッドの暴言を浴びる。
おいこらっ⁉︎私がどれほど温厚なブラックドックであろうとも、その言葉許せませんね…。
きぃーーーっ!
『何だどぉっ‼︎ふざけないでくださいっ‼︎貴方がもう少し謹んで話を進めたら、アーサー様が突然暴走することはなかったのですよ‼︎どの口がそんなことを言うのですかっ⁉︎』
「どの口って?この口だよっ!そもそも、マーリンが変な風にアーサーを誘導したんじゃないか⁉︎だからっ!私もハイジに聞かざるえなかったんだっ!」
私たちの険悪な雰囲気をもろともせず、ハイジは蹲ったままの主人へ駆け寄っていく。
「大丈夫?気分が悪いの?」
既に私の魔力が主人の身体を巡って、傷は塞がっていたが、主人の視線が私へ訴える。
はいっ、服の血の跡も消しちゃいますね。
アラクネで作った服は頑丈だが、全く破損しないわけではない。
今回、主人の超人的な握力で大きな穴が空いていた。けれど、高い買い物だけあって、自己修正しちゃう優れものだ。破れた箇所も修繕されている。
『あぁ…。心配ない…。申し訳なかった…』
傷口は塞がれたものの、主人から大量の汗が落ちていた。完全に心を落ちつかせるまでは時間がかかりそうだ。
「あら?あなたの目もとても綺麗ね…」
今更ながら慌てて、主人は外套のフードを被った。先ほどの力の放出で主人のフードは外れていた。
フードが脱げた状態でも、ハイジは主人へ恐怖を感じていなかった。クララといい…。ハイジ…といい…。想定外のことだ。
健気な女の子は小さな両手で主人の頬を包みこみ、闇夜よりも深い主人の瞳をじっと見つめる。主人の額へハイジのおでこが引っ付きそうになっている。
あんなに近くで見つめあうなんて…。羨ましい…。
主人はハイジの行動に困惑しているものの、抵抗することはなく次の動向を探る。
しばらく主人と対峙して、物議を醸す言葉をハイジは放った。
「あなた…。パパだわっ!」
へっ?何です?この展開⁉︎
『何…?』
ギギッて首が音を立てたかのではないかという程、ぎこちなく主人は振り向き私やモードレッドへ助けを求めた。
いや…。無理ですよ…。どうフォローして良いか?私もビックリなんですから…。
「パパよ…。ママの言っていた姿とは違うけど…」
『だから、何で…』
主人は頭をグシャと掻く。
「あなたがパパよ…。あなたの名前はアーサーじゃなくて?」
ハイジの問いかけに思わず主人は頷いた。
「やっぱり…。パパだわ…。ママが言っていたの…。パパの名前はアーサーだって…。会えて嬉しいわっ!パパっ!」
主人の首へ抱きつくハイジに主人は動揺を隠せなかった。幼子とは思えない力強さでハイジは主人を圧倒する。ハイジに怪我をさせる心配をしている主人はハイジを無理矢理に引き離せない。
いやぁ…。ハイジよ…。貴女のお母さんが言っていた容姿と全く似つかない主人がどうして貴女の父親なのですか?
また、グィネヴィア嬢は父親をアーサー様と名指ししたのでしょう…。
私は疑問を投げかけたかったが、呟いたところでハイジに届くはずもない。唖然として二人の様子を伺うしかなかった私であった。