#2-7
視線が交差した一瞬…。
ランスロットはグィネヴィアに囚われた。触れたくて堪らない衝動が沸き起こった。
きっと、グィネヴィアも同じ気持ちだっただろう。彼女の熱のこもった眼差しが物語っていた。
当時…。隣国が仕掛けてきたとはいえ、戦況は思わしくなく国民は疲れ果てていた。
苦戦を強いられいた戦場に弟たちを送った。二人の弟は、王のため国のため、意気揚々と戦地へ赴いたが、弟思いのランスロットにとって苦渋の決断だった。
ランスロットは王として威厳を辛うじて保っていたが、長引く戦争に自身も辟易していた。王として正しい選択が出来ているのか…。自分を責め続けていた。
ランスロットの魔法を駆使して攻めこむことも検討したが、隣国の王太子も魔法に秀でていると有名だ。王太子が戦場で魔法利用しているとは伝え聞いていない。互いに魔法を暴走させれば、更に混乱を招くと敵も警戒しているのだろうと憶測した。
決して…。そんなことはなかったのだけども…。
戦況も混戦していたある日…。城を抜け出し市政へ紛れこんだランスロットは、ただひたすら人の行き交う雑踏の中を彷徨っていた。
偶然にすれ違っただけの女性なのに…。
グィネヴィアの手をとり群衆をかき分けて、人目のつかない路地へと導く。嫌がる様子もなくランスロットに付き従う彼女をそのまま壁際へにじり寄せた。彼女の首筋に緊張しながら手を添わせる。ランスロットの指先が震えて全身が痺れた。
「もし、嫌なら逃げてくれ。今なら貴女は逃げられるし、去った後は追わないから…。そうでなければ…」
グィネヴィアはランスロットの唇に指をそっと押しあて、しばらく潤んだ瞳で見つめた。そのまま、グィネヴィアは唇を重ねる。ランスロットの頬にかかった彼女の髪からは花の芳しい香りが立っていた。
ランスロットはグィネヴィアの温もりを感じた瞬間、何かが外れた。お互いに噛みつき絡みあい、無我夢中に求めた。ベッド、否、部屋に連れ込むのさえ、時間が惜しかった。
いつ、人が通り過ぎるかも知らない路地で獣のように愛しあったのだ。目が合っただけの…。名も知れぬ男女が…。
ランスロットは何もかも忘れて快楽に没頭した。正気ではないと思いながらも、滾る欲望に抗えず迸った。グィネヴィアの柔らかな肌はランスロットの身体も心をも満たしていった。
一国の王が欲に溺れてはいけない。民のために王は存在しているのだから…。
ランスロットはグィネヴィアに出逢う前…。
一度だけ自分の望みを遂行した。弟であるアーサーを失いたくなかったからだ。ランスロットは無情にも実の父親であるウーサーを葬った。
延いては民のためにもなることだ。後悔したことはない。
もし、弟の恋人だと知っていたら…。
ランスロットはグィネヴィアを抱かなかっただろうか…。
考えるすべもない…。きっと同じ過ちを犯していた。いや、過ちという言葉は適切ではないだろう。過ちではない…。運命だ。
目を閉じれば、いつでも蘇る。
アーサーの溢れんばかりに眩しい笑顔と…。
「兄上…。待っててください」
グィネヴィアの少しばかり日に焼けた溌剌とした肌…。
「ランスロット…」
どちらかを選べと言われれば、途方に暮れるだろうが…。
悩むことはない。二人ともランスロットの傍にいない…。離れていったのだから…。
空には白い花が舞っている。夏なのに雪花が散っているようだ。
ヴィヴィアンは突然降ってきた花弁に驚いたが、優しい香りを嗅いで、誰の仕業か気づいたようだ。目を細めた。
『いきなり、モードレッド様のところへ行くって仰ったときには何事かと思いましたが…』
私が期待していたサウナのためではなかった…。
主人はモードレッドの古城に着くや、モードレッドへ成り行きを説明して、薔薇の花弁を分けてほしいと願ったのだ。
「それなら、薔薇よりも月下美人の方が良いんじゃないかな?」
モードレッドは主人の為そうとすることを理解したようだ。助言を加えた。
『月下美人?』
「ヴィヴィアン嬢はそちらの方が喜ぶと思うよ。アーサーの花だからね。まぁ、私のイメージの話だけど…」
モードレッドはまだ咲いている月下美人を見つめた。一夜で散るはずの花だがまだ咲き誇っている。モードレッドの魔法なのだろうか…。
『月下美人って一日だけ咲くんですよね?』
私が不思議そうに月下美人を眺めているのを見てモードレッドが笑う。
「一日限りなんて儚いだろう…。照らしている魔鉱石のおかげなのか…。少しは長持ちするし…。株が多いからかな。散ってもまた違う株が咲いてくれるから、何日か咲いてるように見えるのかな…」
この洞窟は風が心地よく吹いている。月下美人の花を撫でて通り過ぎていった風が、花弁を宙に舞わせる。魔鉱石の温かな光が演舞している花片に当たり、風情のある気配が私たちを包んだ。
モードレッドの柔らかな金色の髪がそよぎ、絵画でも眺めているように、主人の惣闇の瞳が細くなる。
『モードレッド…』
不意に主人はモードレッドの手首を掴んだ。
「どうかした…。アーサー?」
驚いたようで、珍しく動揺したモードレッドだったが、不安そうな面持ちの主人を認めて微笑む。
『消えてしまいそうで…』
「えっ?私がかい?アーサーを置いて、私がどこへ行くんだ」
『あぁ…。気にしないでくれ…。月下美人ってオレのイメージだって言ってたけど…。オレにはモードレッドの方がしっくりくる』
モードレッドの服の袖口を掴んだまま離さない主人。主人はモードレッドや私の寿命が人よりも遥かに続くことを知っているようだが、理解できていないのだろう…。
主人と共に過ごせる時間を考えれば、モードレッドが月下美人を主人に例えたことの意味を私には納得できた。
「ふふっ…。何を言っているのか…」
『いやその…。モードレッドはどの花もピッタリだけどな…』
「男同士では花になぞらうのもどうかと…」
「なっ⁉︎」
恥ずかしさで真っ赤になる主人…。可憐しくて堪りません。
私の主人へ送る熱視線に気づいたモードレッドが冷ややかに見下してくる。私は思わず、口走った。
『モードレッド様がどの花もお似合いなのでしたら、かなり南方にラフレシアという花があるらしいですよ。何でも匂いで獣を誘き寄せて食べるのだとか…。それなら、モードレッド様にピッタリですね』
「へぇー…。マーリン…。どういう事かな?」
深く長い溜息を吐くと肩をすくめて言った。
「マーリンは博識だと思っていたけど、まだまだだね…。ラフレシアは獣どころか虫も食べないよ。ゴーレムが色々な花を探してくれるんだけど、この庭園にはその特有の匂いと毒々しい色がそぐわないから却下されたんだよね」
まっ負けた…。
『毒々しい色だなんて…。モードレッドとは印象が全く違うな。モードレッドでも相応しくない花があるんだな』
「ねっ!」
勝ち誇ったように相槌を打っているモードレッドである。
くぅぅぅーーー‼︎
そんなやり取りを交わして、私たちはモードレッドから月下美人の花弁がたくさん積まれた花籠を手渡され、街へ戻ってきた。
月下美人の咲かせた後の萎んだものを選びましたよ。摘むには忍びないですしね。
事件の当事者だったヴィヴィアンは護衛を従えており、近寄れそうにもない。分かり切っていた事だ。
既に殺しを企てたものは捕まっているが、殺されかかったのだ。ランスロットもヴィヴィアンの身を案じて策を講じるだろう。
まだ、主人の乱闘騒ぎがあってから、それほど時間は経過していないはずなのだが、厳重に街中は警備を敷かれていた。
凛とした横顔は頼もしく思う。今回のことはヴィヴィアンの成長を促したのかもしれない。
それは主人も同様だ。
『マーリン…。オレ…。ヴィヴィのことを愛しく思えたよ』
恋と呼ぶにはまだ少し早く、成長過程だったのだろう。一緒に過ごしたとしても、妹のように可愛がっていた主人からしてみて、ヴィヴィアンが相手では恋愛まで至らないかもしれないが…。
主人が女性へ素直に好意を寄せれたのは一歩前進だと思う。
人々から恐れられる外見だが、主人は今までも何度となく女性から言い寄られていた。いや、老若男女というべきか…。
超絶、見目麗しいお方ですしね。
モテないわけがない。主に人外だが…。
主人は自分では気づかなかったかもしれないが、失った恋に固執していた。
鳥籠の扉は既に開いていたのに…。いつでも主人は自由に羽ばたけたのに…。飛び出さずにいた。
出逢ったときと同じように真っ青な空が広がっている。爽やかな夏の一日だ。
城壁近くには一定の距離で木が植えてある。緑に生い茂った葉は木陰を落とし人々に涼を運ぶ。
王もまだ街へと滞在しているため、城壁の回廊には物々しく護衛兵が配置されていたが、私たちは簡単に掻い潜れる。
衛兵さん、申し訳ないですね…。私の魔法は凄いんです。今回はちゃんと魔法の紋様を腕に血文字で書きだした目眩しですよ。
ランスロットも見破れまい…。
城壁の際へ足を投げだして、主人はフードを脱いだ。昨夜の星空を思い起こさせるような黒髪が靡いている。主人の瞼に陽を浴びて、微風を頬に感じていた。
『さてと…』
主人が便箋と封筒を外套の胸元から取りだす。モードレッドに用意してもらったものだ。
主人が書いた手紙には短く…。
『オレを自由にしてくれて、ありがとう。愛しい恋人よ。ヴィヴィの幸せを願っている』
と、記してあった。
『これを花と一緒に撒こうと思うが、ヴィヴィの手まで直接届けられるか?』
『誰に仰っているのですか?』
『マーリンだな…。変な返答だが、間違いないんだろう』
ブラックドッグに不敵な表情が浮かべれるのかは、自分自身には不明なのだが…。主人は得意げに鼻を鳴らしている私の耳裏を撫でる。
護衛兵に伴われたヴィヴィアンには気づかれるはずもないのだが、ヴィヴィアンは主人と別れた広場で戻ってくるはずもない主人を待っているように彷徨いていた。
ランスロットは事後処理だろうか、近くにはいる様子がなかった。
ふと、上を見上げたヴィヴィアンの目が主人を捉えた。そんなはずはないのだが…。ヴィヴィアンは何度か瞬きをする。見えてはいないようだ。
主人は立ちあがり、パンツについた埃を叩き落とす。花弁を豪快に掴むと空へ放り投げた。
護衛兵たちが何事かと慌てふためいている。
ふわりふわりと羽根のように軽く、雪のような優しく、花のように可憐に降り注いだ。
人々は不思議そうに空を仰いだ。
はいはいっ、私、風魔法を駆使しておりますよ。
主人は掴んだは投げ…。掴んでは投げ…。
モードレッドよ…。盛りすぎではないですか…。
ロマンチックに降らせるように、風量と方向の微調整…。情緒溢れる光景を演出するのも大変なのだ。これならば、大技の方が楽だ。
ヴィヴィアンは遠くへ手を伸ばした。花弁が手のひらへ舞いこむ。
忘れずにヴィヴィアンへ手紙も届けなければいけない。
騒ぎを聞きつけ家から広場へ駆けだすもの、その場から動けないもの、群衆は白色に染まった空へ目を奪われ、誰もヴィヴィアンの手のひらへ手紙が置かれたことに気づかなかった。
衛兵はてんてこ舞いですしね…。
ヴィヴィアンに文面が理解できたかは不明だが…。ヴィヴィアンは満面の笑みを湛えて、白い花弁が踊るのを目で追っていた。
『グィネヴィアに会いに行こうと思っている』
唐突に主人が私に語りかける。
その話をいつ持ちだされるか…。主人の言葉を私は待っていた。
主人には辛い結果になるだろうが…。
『私はアーサー様のご意思にお応えするまでです』
『んっ…』
ヴィヴィアンが喜んでいる姿を主人は認めて綻ばせる。漂う上品な甘い香りが私たちを包んでいた。
主人はヴィヴィアンの様子に満足して、城壁の外側へ飛び降りた。私も一足飛びで地についた。
『知ってます?アーサー様…。月下美人ってサッと茹でててビネガーに和えて食べると美味しいですって…』
『知らなかったが…。情緒がないな、マーリン…。食べることしか念頭にないのか?』
そう答えながら、主人は私花籠の底に残った一片を摘んで口に含み咀嚼する。
『むっ…。私はいつでもアーサー様に美味しいものを召しあがって頂きたいのです。…そうそう。甘いビネガーもオツだとか?スノーにリンゴ酢を作ってもらいましょうよ。ハチミツ入りで』
私の鼻頭に花弁を擦りつけて笑った。優しい匂いが鼻腔に広がりくすぐった。
『分かったよ…。スノーに後で言っておこう』
何ならアルムにお願いしても良いのですよ。料理の腕も一流ですしね。
私はあることを思いだした。
『あっ?』
『どうした…』
『アルムの調理器具…』
私の言葉に主人は、首後ろを掻きながら遠くを眺める。
『あぁ、宿屋に置き忘れたな』
『どうするんです?私たち騒動を起こしているんですから、あの宿屋へは引き返せませんよ』
『…』
『…』
今回は無事に買い物を済ませたと思っていたのに…。何てことだ…。
途方に暮れている主人へ私は提案する。
『あとで頼んでスノーに取りに行ってもらいましょう』
『スノーに?』
モードレッドに依頼しても良いのだが、天から舞い降りた女神のようなあの容姿は目立ち過ぎる。
スノーなら可愛らしい女の子に間違えられることがあっても、怪しまれることはないだろう。
『悪くないか…』
『いえいえ、スノーなら喜んでアーサー様のために馳せ参じますよ』
ただし、主人との一日デート券が必須だろうけど…。
ヴィヴィアンをかなり羨ましがっていたスノーのことだ。それぐらいは請求してくるのではなかろうか…。
『なら、スノーにお願いするか…。置いててくれると有難いな』
主人は呑気な面持ちで私の提案を受けいれる。
デートに私の同行は絶対ですけどね。二人きりには致しません。ご安心くださいませ。主人…。