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ファンタジーでハードボイルドしてみたさ  作者: 礼三
#2 淑女は自由恋愛がしてみたい -ヴィヴィアンの休日-
16/27

#2-3

 星々が瞬いて滑り降り落ちそうな夜。

 グィネヴィアは言った。

「今日は恋人たちの祝福の日なの」

 肩甲骨まで伸びた波打つ豊かなブルネットが揺れる。

「だから、ねぇ?踊りましょ?」

 屈託なく笑ってアーサーをダンスへ誘う。好んで着ている浅葱色のワンピースがクルリと翻り、グィネヴィアの髪の甘い花のような香りがアーサーの鼻先を掠めた。

 思慮深さを湛えたダークグリーンの瞳が好きだった。少し焼けた肌に小さなソバカス。躊躇いもなく口を大きく広げて白い歯を見せる快活な笑顔。

 世間でいう美人とは違ったが、生き生きとして周りを惹きつけるグィネヴィアの姿はアーサーにはいつも眩かった。彼女が傍らに存在するだけで、穏やかな気持ちになり、安らいだ。

 あの頃は差し伸ばされた腕が自分から離れるなど考えもしなかった。

 戻りたいとは思わない。戻れないのだから…。

 でも、もう一度あの自分だけに向けられた微笑みを見たいとは願っている。

 気を抜くと瞼の裏でグィネヴィアはアーサーへ語りかける。

「アーサー、寝癖がついてる」

 深緑の目を細めてアーサーの髪を優しく撫でおろす。

「もう、ちゃんと聞いてた」

 適当に相槌を打つアーサーの頬を軽く指で突く。

「すぐに戻ってくるって言ったじゃないの」

 戦闘でしばらく帰省出来なかったアーサーの胸に顔を埋めて、とめどなく涙を流す。

「愛してるわ。アーサー」

 アーサーの腰へ細く長い腕を絡めて、優しく抱きしめてくれる。

 未練がないと言葉にすれば嘘になる。

 どの場面のグィネヴィアも変わらず美しい。

 今となれば、一緒になれなくても構わない。一緒にはいられない。

 ただただ、グィネヴィアには幸せでいて欲しい。幸せでいてくれたならそれでいい。



『今夜は星架祭だったな』

 夜空には宝石を散りばめたように無数の星々が輝きを競っていた。我こそが一番と言わんばかりに光を放っている。主人は空を見上げる。

『そう言えば、そうでしたね』

 掻い摘んで説明しよう。

 星架祭とは…。

 昔々。

 大洪水で恋人の男女が各々住んでいた土地の間に大きな川ができてしまった。橋を架けようにも河岸は遠くて架けようがない。船で渡りたくても、大河の激流で船は波に砕けちる。

 夜空を見上げて互いを想い、日々、悲嘆に暮れる恋人達は食べ物も口を通らず身体を壊してしまった。その様子を空から眺めていた星々は哀れに思ったのか、盛夏の初め、天から降りてきて橋を作った。

 こうして、恋人達は年に一度会えることができたとさ…。

 まぁ。どこにでもありそうな伝承である。その伝説に則り星を祀ったのが星夜祭の始まりとか何とか…。

 人間って、何でもかんでもお祭にするのが好きな種族ですよね。

 考え深げに天へ思いを馳せている主人。フードからはみでた髪が風にそよぐ。夜にフードは必要ないが、私が脱がないように念を押しておいた。主人は反論することもなく従ってくれている。

 ここは昔、主人が王弟として過ごしてきたキャメロットの都から近いため、顔は隠しておいた方が良いと説得したのであるが、もちろん、本当の理由は別にある。

 今の主人を王弟と結びつけるには容姿や雰囲気が余りにも変わり過ぎているので、気づく方が難儀だろう。

 ヴィヴィアンは主人の隣を歩いている。

 手を繋ごうと主人は促したのだが、ヴィヴィアンは照れながら進言した。

「アーサー様。恥ずかしいので、外套を掴んでいたいのですが、お許しいただけますか?」

『手を繋ぐぐらいで、恥ずかしいものなのか?』

 主人は頭を掻きながらも頷いた。

 ヴィヴィアンの服のポケットからは甘く上品な香りが漂っている。モードレッドに貰ったサシェを忍ばせているからだ。

 余程、嬉しかったのか、汚してはいけないと丁寧にハンカチへ匂い袋を包んでいた。

 ヴィヴィアンはオーガンジーの生地で作られた黒袋を選んでいた。もっと、愛らしい色を選択するかと思ったのだが…。私とモードレッドは主人の装いを確認して納得したのだった。

「街に戻ったら、デートらしく、もっとアーサーに甘えるといいよ。今日は楽しんで」

『珍しいですね。一緒に来ないなんて…』

 私はモードレッドに尋ねた。其ればかりではなく、快く送りだしてくれている。

 私だけに届く声でモードレッドは答える。

『私はアーサーが喜びに満ちた日々を過ごしてくれれば良いと思っているんだよ。一緒に過ごす相手が私でなくともね。ヴィヴィアン嬢は素直で素敵な女性じゃないか?楽しんでいるようだし、今日や明日ぐらいは大目に見るよ』

 私じゃなくともと明言しながら、大目に見てくれるのは今日明日ぐらいなんですね…。

 と、言葉にするのを慎んでしまった。いつもの私への対応を思えば、モードレッドなりの寛大な配慮なのだから…。

『星架祭では恋人同士がダンスを嗜むのではなかったっけ?』

 主人が私へ尋ねた。

『御伽噺では、再開した恋人たちが嬉しさのあまり、踊りだす場面があるんですよ。それを真似ているんでしょう』

 私たちは街門へ外壁の外に広がる小さな森から移動中なのだが、壁の内側より軽快な音楽が流れているのが風に乗って耳へと届く。

「えっ?」

 主人はお辞儀をして、ヴィヴィアンへ手を差しだす。一瞬、戸惑っただが、ヴィヴィアンは促されるままその手をとる。主人はヴィヴィアンの腰に手を回して引き寄せた。

 音楽に合わせて、主人がステップをゆっくり踏み始める。ヴィヴィアンは一つ遅れてつま先を移動した。社交界でも披露していたのであろう。男女ともダンスはお手のもので優雅に舞っている。

 主人のリードもなかなかなものです。

 私は空をふと仰ぐ。

 星空には流星群があちらこちらで流れ落ちている。街から少し離れた暗い場所なので、星の瞬きが綺麗に見えた。

「アーサー様はダンスもお出来になられるのですね」

 ヴィヴィアンはうっとりとした表情で主人を見上げた。静かに主人が微笑む。祭りの踊りはもっとラフな感じだろうが、今、私の前で繰り広げられているダンスは本格的なワルツだ。

 ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、はい!そこで回転!

 ナチュラルスピンターンを取りいれ、風雅な動きで私を魅了する二人のダンス。

 ヴィヴィアンの足捌きで、スカートの裾が揺れてはふくらはぎへ絡みつき、パッと開いて円を描く。

「楽しいです。アーサー様」

 不器用な男の代表ですが、そこは王弟だった主人。ダンスの腕前は流石としか言いようがない。

 音楽が次の曲へと変わった。二人は互いに添えていた手を離して、距離を空けて礼をする。

 そして、再び歩きだした主人の後をヴィヴィアンは追いかける。

『思い出になるといいんだが…』

『素晴らしい思い出になると思いますよ。見てください。ヴィヴィアン嬢を』

 主人の外套の裾を掴みはにかんでいるヴィヴィアンを見て、主人は満足そうだ。

『可愛いな…。弟も可愛かったけど、妹なら更に甘やかしてただろうな。オレ』

 そのうち、私たちは外壁の下までたどり着く。

『失礼。レディ』

 衛兵の居ない場所を確認して、主人はヴィヴィアンをひょいと抱きあげる。

「きゃっ」

 主人の突然の行動に思わず驚いて声をあげたヴィヴィアンだったが、騒いではいけないと慌てて両手で口を塞ぐ。

 城壁の足もかけられないほど小さな出っぱりや窪み、ときには近くの木を足がけに主人はヴィヴィアンを抱えて城壁を跳ねるように登っていく。

 降るときは、そのまま落ちれば良かったから楽でしたけど、帰りの方が大変ですね。

 街中で魔法陣を描いて急に消えたところを通報されてもいけないと、行きも城壁から脱出したのだった。

「出て行くときも勇気がいりましたけど、帰りの方がもっと怖かったですわ」

 主人から解放されて、地面へ足をついたヴィヴィアンが胸へそっと手を添えて撫でおろす。

『そうか、ごめん』

「ふふっ…。こんな冒険、アーサー様とお会いしなければ経験できませんでしたね」

 笑い声を小さくもらすヴィヴィアンの頬に風に弄ばれた髪の毛がかかる。

 主人はそれをそっと掴み、ヴィヴィアンの髪の乱れを直す。主人の指先がヴィヴィアンの肌をかすかに滑るたび、ヴィヴィアンの緊張が私へ伝わってきた。城壁の上は灯りが届かず仄暗いがヴィヴィアンはまた赤らめていることだろう。

「アーサー様は恋人の髪に触れるのが好きなのですね」

 哀しげに主人は目を伏せる。グィネヴィアを思い出しているのだろうことは、私の目には明らかだった。

「アーサー様?」

『いや、何だもないんだ』

 口元を拳で隠した主人がヴィヴィアンから目を逸らす。

『淑女の髪に無闇に触れるのは紳士たるもの控えていただきたい』

『んっ、そうだな。気をつける』

 珍しく私の嗜みに素直に頷く主人。

 ヴィヴィアンは私たちの会話内容が聞こえていない。不思議そうな面持ちでこちらの様子を窺っている。私たちの交わしている言葉がわからないので、彼女からしてみれば沈黙が続いてしまうのだが、今まではそれを気にはしない人であった。だが、今回は照れから口を開く。

「アーサー様は今までお付き合いされた女性がたくさん居たのでしょうね。私への態度にたじろいでしまいます」

『いやっ!待て!オレはガウェインのように女にだらしなくはない!せいぜい付き合ったのは片手で十分数えられるはずだ!』

 ふむふむ、弟のガウェイン様は女たらしと…。

 ところで、主人はなんで『はず』なんて曖昧な語尾を使うんだらう。

『アーサー様?なんで、『はず』なんですか?5人以内だって言えばいいじゃないですか?』

『ときどき、いるんだよ。自称、付き合ってましたってのが…。手は出してないからな。何度か言葉を交わしたとか、階段を降りるときにエスコートしただけでも、贈り物をした友人の姉妹とかにも言われたな』

 そうか…。

 主人は自覚がなかっただろうが、この威圧感を持ってしてでも、主人の容姿端麗な姿に心を囚われてしまうものもいるのだろうから、更に前の外見では人を虜にしていたのは間違いない。声をかけられただけでも、女性たちは特別に感じて有頂天になったんだろう。

『数に入れなくても良いと思いますよ』

『じゃあ、4人で…。今日の仮恋人を含めると5人だな。まぁ、ヴィヴィは妹のようだから、やっぱり4人か…』

 グィネヴィアの前に3人か…。

 詳しくお伺いしたいけども…。下世話なことはお尋ねいたしません。

 主人はヴィヴィアンの頭をポンポンと優しく叩いた。軽く返事をあしらわれたヴィヴィアンは釈然としないようだ。

『触ってはいけないのなら、ヴィヴィアンの髪を結ぶリボンが必要だな。美しい赤毛が踊るとつい目で追ってしまう』

 男前発言ですね。無意識なんでしょうが、相手に聞こえてしまうとある種の勘違いしてしまいますよ。

 仮の恋人なんだから、甘い言葉を囁いても構わないのかもしれませんけどね。

『暗くて見えない。マーリン』

 主人はペンとメモを持って私の名前を呼ぶ。私は周りから見えないよう闇の目眩しと主人の手元へ光を灯す魔法をかけた。

 些細な魔法だと思うでしょう?

 結構、これって高度な技なんですよ。この闇魔法と光魔法は一緒に使うと、基本は相殺されて消えてしまうんですから…。

 ここは誰に向かってでもなく主張してしまう。

「凄いですわね。アーサー様は魔法も扱えるのですか?」

 主人がメモに書き記す。

「これは…マーリンの仕業。へぇー、マーリンって凄い犬なんですのね」

『私はブラックドッグです‼︎ただの犬ではありまさんよ‼︎』

 主人は私の反論を無視して、続けてペンを動かした。

「えっと…。ヴィヴィの…リボンを買いにいこう。…オレが選ぶから貰ってほしい…って」

『やっぱり、清楚な感じのレースがいいかな…。紺色のスカートに合わせるのもいいな』

「そんなっ!今日は私が無理を言って、お付き合い頂いているのに申し訳ありませんわ」

 慌てて目の前で両手を交差させながら振るヴィヴィアンだったが、主人は強引にその手を握って、階下に降りる階段へといざなった。

 もうっ主人たら、デートらしく恋人繋ぎですか?ヴィヴィアン嬢の心臓が止まらないといいですけど…。


『これもいいな…』

『こちらのえんじ色もきっとお似合いだと思いますよ』

 あれから主人はヴィヴィアンのリボンを露店でどれにしようかと悩んでいる。そして、私はそんな主人へ横やり…。いやいや、的確なアドバイスをする。

 本来なら貴族令嬢であるヴィヴィアンにこのような屋台での安物のプレゼントを贈るのはどうかと思われるが、当の本人が…。

「星架祭なので、お店もたくさんでてますからこちらで買いたいです」

と申し出たので致し方ない。本人の意思を尊重することにした。

「あのぉー。アーサー様…」

 主人を挟んで私の向かい隣りヴィヴィアンは、真摯に品定めをしている主人に対しておずおずと尋ねる。

「そろそろ、この手は離していただきたいのですが…」

 真っ赤に染まり上気したような頬のヴィヴィアンは上目遣いで主人に懇願した。

「汗…。手汗が…。アーサー様にご迷惑をかけてしまいます」

 緊張して手に汗をかいているだろう…。恥ずかしいらしい。

『気にしないけどな。オレは…。そんなにイヤなものだろうか?』

 主人が私へ問いかける。

『まぁ、淑女ですし…。些細なことが気になるお年頃ではないでしょうかね』

 ヴィヴィアンは自分の言葉に対して、主人がそっぽ向いたと勘違いをしたようだ。

「アーサー様と手を繋ぐのがイヤとかではなくて…。あのぉ、申し訳なくて…」

 あっ、今…。主人の瞳が細くなった。悪戯心にくすぐられたのだろう。主人はヴィヴィアンの掴んだ手を自身の口許へ寄せると軽く接吻をする。

 主人が目を伏せたときに見せる表情は、妙に色気を増すと言いますか…。目に毒なんですよね。

『オレは平気』

 気絶しないでくださいね。ヴィヴィアン嬢。

 何とか手を外そうとヴィヴィアンは試みているが、主人に敵うはずもなく空振りに終わっている。ヴィヴィアンが怪我をしないように、主人は引きとめる力の加減を繊細に調整しているのようだった。

『主人…。ヴィヴィアン嬢には少々過激ではないかと…』

 私が指摘したところで、主人は耳を貸すことはない。分かっているのだが…。

『だって、可愛いから…。手の甲で我慢しているだろう…。本当は頬にしたかったんだ』

『仮でも恋人ですもんね』

『だから、恋人だったら唇に軽く触れてる。オレは遠慮している』

『因みに弟君だったら…』

『おいおいっ、想像させるなよ。可愛かったのは幼い頃で…。そんな質問するから、サブイボがでてるだろ?』

 主人は私へもう片方の腕を差しだす。

 確かに鳥肌が立ってますね。

『それを踏まえて、もし、妹君がいたなら?』

『やっぱり、頬だろうな…』

 ならば、配慮したということで納得しましょう。ヴィヴィアン嬢の魂は抜けだしそうだけども…。

「お兄さん、お熱いね。彼女さん、大丈夫かい?」

 店主が呆れたように声をかけてくる。ただ、主人がその問いに答えるはずもなく、二つのリボンを交互に見比べては眉間に皺を寄せる。

『こっちの紺の布地に星の刺繍が施してるのは星架祭らしいし、今日のヴィヴィの装いにピッタリだと思うんだが、こっちの緑のベルベットに金の縁取りのリボンも赤い髪に似合うと思うんだよな』

 私、一押しのえんじ色のリボンは却下なんですね…。クルッとした毛先をこのリボンで束ねたヴィヴィアンも愛らしいと思うのですが…。

「そこの色男!両方買っちゃう?2本買ってくれたなら、一割は安くしとくよ」

 長いこと、店先で物色している主人へ店主が愛想笑いを浮かべ提案した。

「なっ、ダメです。二つもなんて!」

 ヴィヴィアンは店主の言葉を否定するが、主人は振り子人形のようにコクコクと頷いた。

『そうか、その手があったか…』

 悩み損でしたね。主人…。

『なら、このリボンも一緒に買おう』

 あっ…。私の選んだリボン。

 主人は下僕の意見も参考にしてくれたようだ。ちゃっかり、店主の目の前に指を三本立てる。

『三割引きで…』

 オロオロとしているヴィヴィアンを他所に、宮廷で育った都人とは思えぬ行動をとった主人は、パーシヴァルに揉まれ値下げ交渉もできるようになった。

 えっと、どちらの方向へお進みですか…。

「あっはいはいっ!3本ご所望ってことですね」

 素知らぬ顔して会計を済ませようとする店主の肩を掴み、主人は颯爽とペンとメモを取りだして文字へと記した。店主はメモに目を落とす。

「あぁー、ごめんごめん。お兄さんは声が出せなかったのか…」

 店主は胸の前で合掌すると主人へ謝ったが、文章を読み終えるとポリポリとこめかみを掻いた。

「んっ?三割引きで…。お兄さん、贈り物をケチってはいけないよ」

『いやいや、当初の予定より多く買ったんだから…』

 パーシヴァルの教えが根付いている。主人はまたまたペンを動かす。

「じゃあ、二割五分…。二割でどうだ?それならいいぞ。別嬪さんにはぜひ色んなリボンを楽しんでもらいたし…。譲歩はここまでだぞ」

『あぁ、宜しく』

 どちらからともなくお互いの手を組み、主人と店主は同意した。

『結んでやりたいんだけど、上手にできないと思うから…』

 ようやく主人の手から逃れられ、安堵の表情を浮かべたヴィヴィアン。主人から2本のリボンを手渡されて頬がほころぶ。

「付けても宜しいですか?」

 主人がヴィヴィアンの頭をポンポンと優しく叩いたのを肯定と受けとめて、丁寧に髪を纏めて束ねるヴィヴィアンである。

『こっちはマーリンにだ』

『えっ?私にリボンをくださるんですか?何でです?』

『しきりに勧めただろう?もしかして、気に入ったのかと思って…』

 えぇ…。ヴィヴィアン嬢にお似合いかと思って…。私に買ってどうするんです。

 主人は腕を伸ばすと私の首後ろからリボンを垂らして前でくくりつけようとする。

 多分…。以前の失態やらを反芻はんすうして首を絞めないように緩い感じで蝶々結びをしたいのだろうが、何分、このお方は不器用でして…。

『あれっ…?あれれっ…?上手くいかないな』

 んっ、まぁ…。そうなりますよね?

 首から下げたリボンは斜めに結ばれていて、傍から見ればだらしないだろう。

 あと、私にはリボン必要ありませんよ。邪魔ですから…。

『あっ、ありがたく頂戴いたします』

 気持ちとは裏腹な言葉を述べてしまう。だが、主人が私のために購入してくれたことは素直に嬉しい。

「マーリン…」

 私の頭上から声が降ってくる。垂直に顔をもたげると、ヴィヴィアンが話しかけてきた。

「可愛いですけど…。結び直しましょうか…」

 星が散らばる紺色のリボンで束ねたようだ。髪から後毛が少し跳ねているが、それもまた愛嬌があって良い。動くたびに毛先が軽やかに揺れる。

 主人は前へ蝶々を作っていたのだが、ヴィヴィアンはキュッと首後ろで、締めつけないように程よいゆとりを持って、それでいて首周りにしっかり添うよう器用にリボンをってくれた。

「黒色の毛並みが一段とエレガントに見えますわ。素敵です」

『ヴィヴィも似合ってる』

 主人はヴィヴィアンの風にあそばれている赤毛を目で追った。

『結局、触ってしまうのではないですか?』

 主人は指先でヴィヴィアンの髪に触れたのを見て、私は愚痴をこぼした。

『うーん、目の前でちらつくとな…。結局、リボンを買っても意味なかったか…』

 猫ですか?貴方様は…。

『意味なくはないでしょう。ヴィヴィアン嬢はお喜びのようですし』

 ヴィヴィアンへ視線を向けると幸せそうに微笑んでいる。

『マーリン、お前もよく似合ってる』

 取ってつけたように言いましたね…。



 あの日、白いドレスで着飾ったグィネヴィアは本当に美しかった。

 遠目で見ただけでも見惚れるほどに…。

 すぐ側に行けたなら、思わず抱きしめ乱してしまいたくなるほどに…。

 ただ、新郎は自分ではない。アーサーは傍観者として彼女を見つめていた。

 もうすぐ国王が結婚する…。

 辺境の地、アルムの小屋までも国を賑わす噂が流れてきた。国王とはすぐ上の兄、ランスロットを指す。

 アーサーは三人兄弟の中間子である。

 兄上に恋人なんていたっけ?

 疑問がアーサーの頭をよぎった。兄は神にも愛される程の容姿を持って生まれたのだが、頑固者な堅物であり、ランスロットの浮いた話など今まで一度も騒がれたことがなかった。

 一国の王の…。兄の結婚を遠くからでもいい、祝福したいと思い、マーリンと共に久々に帰郷したのだ。

 まさか、新婦がグィネヴィアとも考えもせず…。

「王弟の恋人だったらしい」

「お腹に子供がいるって?」

 街を彷徨うだけで、色々な話が飛び交う。

「何でも、王が、大切な弟君の忘れ形見の後見をしたいとかで、結婚を申し出たとか?」

「ランスロット王のアーサー様への溺愛ぶりは有名だしね…」

「生まれてくる赤児が男児だったら、王太子にするとか表明しているし…」

「あと、3ヶ月もしたら、今度は王太子のお祝いで盛り上がるんだろうね」


 先の大戦の際、一度だけ、アーサーはグィネヴィアに会いにキャメロットへ戻ったことがある。

 長期化する戦闘にアーサーは人を殺すことに躊躇いを感じ始めた。幾人、切り裂いても、送り込まれる新たな命…。英雄だと称えられているが、実際はただの人殺しだ。だが、国のため、王のため、ひいてはこの地に住む人々の安住のため、負けるわけにはいかない。

 一時、自国の軍が優勢に立ち、一瞬だけ戦地を離れることができた。このまま、戦争も終結へ向かいそうだったのだが、挫けそうだった気持ちが、ただ、彼女の温もりを求めて、あの肌に慰められたくて、アーサーはグィネヴィアの元へ馬を走らせた。きっと、笑顔で迎えてくれる。そう信じていた。

「ごめんなさい。月の障りで体調がすぐれないの」

 けど、彼女は玄関先でそう断るとアーサーに対して素っ気ない態度をみせ踵を返した。

 閉められた扉の前で、アーサーは茫然としてしばし動けなかった。

 愛しあうだけが目的ではなかった。グィネヴィアの鼓動を聴きながら朝まで隣りで眠らせてもらえるだけでも満ちたりた。ただ、愛するもの命を感じたかっただけなのに…。


 だから、お腹の子がオレの子供であるはずがない。

 日にちから換算して無理がある。

 アーサーは親指を血が滲むほど強く噛んだ。マーリンの魔力が自身の身体を治癒しているので、跡が残ることはないが痛みはある。

 グィネヴィアがアーサーを裏切るなど考えも及ばない。何があったんだと頭を巡らせるが、検討もつかなかった。

 グィネヴィアの性格から、ランスロットにアーサーの子供ではないと黙っていられるはずもないのに、ランスロットは何故か、子供の父親になることを認めている。


 ふと、ランスロットがグィネヴィアへ向けた眼差しがアーサーの心へ影を落とした。

 兄の穏やかな瞳が物語っている。あれは親しいものへと向ける視線。

 幼い頃、父を亡くしたアーサーへ向けられていた慈しみの無償の愛情。

『何だ…。そういうことか…』

 グィネヴィアを愛しているのだ。

 いつからだ…。

 アーサーの国葬が執り行われたのが、アーサーが深い眠りに落ちていた時期、半年以上前のことだ。お互い慰めあううちに愛が芽生えたのかもしれない。

 誰が父親でも構わないほどに、ランスロットはグィネヴィアを愛おしいのだとアーサーは推測した。拳を何度か胸に押し当てて、込みあげる慟哭を抑える。行き場のない感情を何処へ葬っていいのか分からない。

『ぐぅぁぁぁぁっ』

 ここで感情を爆発させてはいけない。

 グィネヴィアを愛してやまない。

 そして、国王たるランスロットを尊敬し、何より兄と慕っている。

 二人とも大切な大切な唯一無二の存在なのだ。

 服を握りしめ咽び泣きたいのを必死で堪えた。

 キャメロットの人々は、長らく続いた戦争で疲弊していた。今日は国を挙げての祝いの日だ。久々に歓喜の声で賑わっている。皆、明るい笑顔だ。

 女性たちが腕にかけた籠から花を掴み、空へ投げる。白や黄色、桃色の花びらが青空を背景に美しく舞い散る。

 時折、何か言いたげに視線を送ってくるが、マーリンは何も語らないまま、アーサーの傍へ始終佇んでいるだけであった。

 壮観な都、キャメロット。

 夕日に染まる城壁は誰もが魅了する。

 忘れ難き、大切な日々を過ごした。

 アーサーは死んだと皆が思っている。

 そして、アーサーは二度と帰らないことを誓った。それが二人の幸せと安穏のため、最善の方法だ。

『マーリン、帰ろう…。アルムが待ってる…』

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