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ファンタジーでハードボイルドしてみたさ  作者: 礼三
#2 淑女は自由恋愛がしてみたい -ヴィヴィアンの休日-
15/27

#2-2

 艶々と黒々に輝く巻き毛をクルクル指で回しながら、スノーは上目遣いで主人へ訴えた。

 大きな瞳が怒りで満ちている。

「それでアーサー様は何で?デート先に僕のお店を選んだんですか?」

『それは、ここの林檎パイが絶品だから』

 主人はスノーの林檎パイを褒めているのだが、直接、主人の言葉が届かないスノーは頬を膨らませたままだ。

 ここはハーフリングの集落の北端。緑豊かな森の大樹の根元深くにあるスノーの喫茶店である。

 私が魔法陣を作りだし、この場所へ移動してきた。口で棒を咥えて三人一緒に通れる魔法陣を作成するのは奮起を要する仕事だったが、主人の希望とあらば身を粉にして働くに決まっている。

「僕の気持ちを知っておきながら…」

『いえいえ、この唐変木が…』

 貴方のお心に気づくはずありませんよ…。

 と続けようとして、私は主人の眼光線で言葉を濁す。うっかり主人を唐変木扱いするところだった。野生的直感には際だつ主人だが、自分に対して向けられた慕情には疎い。

『はっ‼︎失敬‼︎アーサー様は貴方の邪なお気持ちを汲みするなんてありえませんよ』

『おいっ?今、オレのこと唐変木って…』

「美味しいっ‼︎凄く美味しいですわ‼︎こんなに美味しいお菓子を食べたのは初めて‼︎」

 ナイス‼︎ヴィヴィアン嬢‼︎主人の言葉を遮ってくれて…。

「そんな、ライバルに美味しいって連発されても…。僕が作ったんだから美味しいに決まっているではないですか」

 スノー、貴方は謙遜という言葉を持ちあわせていませんよね。

 強気な発言とは裏腹に、ヴィヴィアン嬢の言葉にスノーの雪のような肌が桃色に変化した。感動で目を潤ませているヴィヴィアンを主人の肩越しにスノーは見ている。

 今、スノーは主人の隣の椅子を陣取っている。主人とスノーの間に私は伏せて待機。主人を挟んで、その隣の席でヴィヴィアンは林檎パイをしっかり咀嚼しながら食していた。

「それより、アーサー様?先ほどの質問に答えていただきたいんですけど?」

 既に、ここへ至るまでの経緯が書かれたメモがカウンターに置かれている。続きを主人は綴った。

「えっーと…。何々?デートとくれば美味しいもの…」

 スノーは目を顰めながら、主人の書いた文面を言葉で発していく。

「雰囲気の良いお店。うんうんっ…でっ矢印」

 スノーは律儀に矢印まで口にする。

「スノーの林檎パイ以外考えられなかった」

 スノーは満面の笑みを浮かべて主人の首に腕を絡め飛びついた。ここぞとばかりに頬ずりまでしている。

 おいっ‼︎こらっ‼︎こちらの方をどなたと心得る‼︎わ・た・しのご主人様だぞ‼︎スキンシップは私の特権ですよ‼︎

 私は軽くスノーの緑色のケープの裾を口で引っ張る。魔王であるモードレッドのように強固な姿勢で応じられない。怪我をさせてしまうからだ。

 スノーも動じる様子はない。

「嬉しいです‼︎」

 いきなりの抱擁に驚いたのは、主人ではなく、林檎パイを幸せそうに頬張っていたヴィヴィアンだった。

「ゴッゴホッゴホッ…。スっスノー様って…。ゴホッ」

 むせ返しながら胸を抑えて尋ねる。

「アーサー様の恋人なの⁉︎」

 カウンターに備えてあった水差しからグラスへ水を注ぐ主人。スノーを肩でブラブラと揺らしたまま、ヴィヴィアンの背中を摩りながら水を勧めた。

『大丈夫か?』

 喉元につかえていたパイを、ヴィヴィアンは水で一気に流しこむ。

 スノーの林檎パイはもっと味わって召し上がって頂きたいものです。逸品のお味なのですから…。

 ヴィヴィアンは恐縮して口を開いた。

「もしそうだとしたら、仮恋人なんて⁉︎大変ご迷惑なことをお願いしてしまいました…」


 私たちは城壁でヴィヴィアンからある申し出を持ちだされた。

「仮によ。仮に貴方、明日まで私の恋人役になりませんこと?その…乗りかかった船というか…」

 手短なところで済ませようとしてませんか?ヴィヴィアン嬢。

 否、もはや、主人へ心を寄せているのか?表情や仕草から、この短時間で恋に落ちたとも言えなくはない。多分、ヴィヴィアン嬢は主人へ吊り橋効果の一時的なものと思いたいが、恋をしているのだらう。

『仮に』と付け加えたのは恥じらいだろうか。それともこれ以上本気にならないための予防線だろうか。

 ヴィヴィアンのスカートの裾が足に纏わり揺れる。

『そうだな。アルムもついでに観光してきても良いって言ってたし…。乗りかかった船かな』

 主人は何気に首筋を左手で摩った。

『アーサー様は女性に弱いところありますよね』

 私は吐息を漏らす。主人がヴィヴィアンが宙から降ってきたのを受け止めた時点で、こうなる運命だったのだ。

 主人は手のひらを上に向けて、ヴィヴィアンへ差し伸ばす。

『では、行くか?恋人同士ならば、一般的には、まずデートになるのか?』

 もちろん、ヴィヴィアンに主人の言葉は聞こえていないが、彼女は主人の指先に自身の指先を重ねた。絵も言えぬほど、愛らしい恋する乙女の笑顔で…。

 主人は一瞬、純粋な彼女の笑みに躊躇ったが、ヴィヴィアンの手を掴むと引き寄せ、慣れた手つきで背に腕を回して、優しく歩きだすように促した。


「そうです。僕はアーサー様の恋人です。なので、これ以上、アーサー様には近づかないでください」

 主人が話せないのをいいことに何を断言しているんですか?スノー。

 主人はスノーの巻きついた腕をそっと解いた。私と主人は息の合ったタイミングで首を横へと被りふって否定する。主人はその後、さらに手のひらも左右に振った。

 それでもヴィヴィアンには伝わらなかったが、スノーが不貞腐れて大声をあげる。

「むぅぅぅぅー‼︎なんで僕が恋人ではダメなんですか?僕が男の子だからですか?アーサー様はそんな小さなことに拘るのですか?」

 スノーは主人の恋人ではないことを自ら証言した。

 主人にとっては小さなことではない気がいたしますが…。

 ふと、ヴィヴィアンを見上げると驚愕の表情で叫ぶ。

「えぇぇー‼︎スノー様って⁉︎男子ですの‼︎信じられない‼︎」

 驚くところはそこなんですねー?

 スノーは美意識高めハーフリングの男子だ。紅くふっくらとした唇。瑞々しい白肌。黒目がちの瞳は一見女子にしかみえない。主人に恋心を抱いているスノーのことを心も女子だと私は確信している。

「スノーって、ハーフリングですよね?ハーフリングの男性って、みんなスノーみたいに可愛いらしいの?本当にお姫様みたいに可愛くて可憐ですわ。絵本の表紙に描かれている主人公みたいって、初めて見たときから思っていたんですもの」

 ヴィヴィアンがスノーを可愛いと繰り返すものだから、スノーも悪い気はしないらしい。

「そんな可愛いだなんて…。本当のことですけど」

 両腿の内側へ力を入れてモジモジとスノーは身をよじった。

「ハーフリングの男子がみんな僕みたいってことはないんです。僕が特別に可愛いってだけで…」

 あぁ、今日も見えない敵を作っているとしか思えない。スノーの発言。 

「ところで今日は何だかアーサー様の雰囲気が違いますね」

 主人は林檎パイのために何度もこちらに訪ねており上客になりつつあるが、主人に好意を寄せているスノーでさえも、慣れてきたとはいえ、主人を直視できないぐらいに恐れているのだ。

 いつもであれば、均整な横顔をこっそり垣間みるぐらいである。スノー曰く『目さえ合わなければ大丈夫』らしい。

 林檎パイの味に満足しながら顔を綻ばす主人が麗しくて堪らないと、毎度、スノーはこっそり感動していた。

「アーサー様の目って夜空に輝く星みたい…」

 本日は正面から主人の眼差しにスノーは魅入られている。

「そうか‼︎今日はアーサー様が怖くないんだ‼︎」

 スノーはポンっと片手でもう片方の手のひらを叩く。ヴィヴィアンはすぐさまにスノーの言葉を打ち消した。

「アーサー様は怖くないですわよ」

『スノーそれは語弊があるぞ。オレはいつも怖くない』

 主人が眼前で必死に手を振る。

『アーサー様、そろそろお認めください』

 私の言葉に主人は私を見下ろし、しばらく見つめ合う。

『何をだ⁉︎』

 人々から恐れられている事実をです…。

 主人の沈んだ姿に私は言葉に詰まってしまった。ため息を吐く。

「何だか、アーサー様とマーリンって会話しているみたいですわね」

 私たちの様子を傍観してヴィヴィアンの口から疑問がこぼれおちた。

「みたいじゃなくて、テレパシーで通じているらしいよ」

 スノーがカウンターへ頬杖をつきながら、主人の肩越しにヴィヴィアンへ返答する。

「えっ!そんなことができるものなのでしょうか?」

「うん、そうみたいだね」

「マーリンって犬でしょう?『ワンッ』とかテレパシーでも鳴いているのかしら。アーサー様はそれを聞いて何を言っているのか分かるのでしょうね」

 想像したら可笑しくなったのだろう、ふふっと声にだしてヴィヴィアンは笑った。

『いえいえ、ちゃんとアーサー様がわかる言葉で話していますよ』

 スノーは魔王づて(ただし、スノーはモードレッドが魔王だと知らない)に聞いた話をヴィヴィアンへ説明する。

「マーリンさんは人語で会話しているってモードレッド様が前に仰っていたような…」

「だって、犬でしょ?」

「何処かの高貴な精霊様のブラックドッグでしたっけ?」

 そうです。私は闇の精霊女王ニムエ様のブラックドッグですよ。

 私は肯定するために鳴声で返した。

「ワンッ」

 私が急に吠えたのでヴィヴィアンはびっくりしたようだ。肩が少し跳ねた。

 しばし、天井を仰いで考えこんでしまったヴィヴィアン。根の間に備えつけた天窓から、日の光が穏やかに降り注いでいる。

「そうなのね。アーサー様とマーリンが私たちの話を聞いて会話をしていると思うと…」

 ヴィヴィアンが唇に人差し指を押しあてて、頬を緩めた。

「何だか楽しいわね」

 不意をつくように、主人がヴィヴィアンの頬に触れる。

『オレもよく付けるんだよな』

 ヴィヴィアンの口元に林檎の甘露煮が付いていたので、親指でそっと拭い、口に含む主人。

『ガウェインも子供の頃、口の周りを汚してたな』

 はいっ、またヴィヴィアン嬢…。林檎のように熟した頬になりましたね。

「何‼︎してるんですか⁉︎」

 スノーが息巻くのも無理ありませんよ。この天然ジゴロ…。

 先ほどから私、主人に向かって何という言草でしょう…。

『アーサー様、仮恋人とはいえ、相手は淑女ですよ。あまり馴れ馴れしいのもいかがなものでしょうか?』

 私は冷めた視線で主人に物申す。主人はそんな私へ平然と述べた。

『恋人なら舐めてる』

『はあ⁉︎』

 主人に対して、失言が増える。

『仮恋人だから拭きとっただけだし…。弟にもこんな感じだぞ、オレは…。まぁ、今では大人だから嫌だけど…。髭面だし…。ヴィヴィは妹みたいだからいいじゃないか?』

 ヴィヴィアン嬢も十分成熟した気品のある婉容なお嬢様ですよ。

『お前だって、オレのほっぺについたお菓子とか物欲しそうに舐めたがるじゃないか?オレは紳士ではないのか?』

 私は犬ではなくブラックドッグだが…。犬だと仮定して、犬の習性と主人の行為を同様に扱うのどうだろう。

 しかも、私は主人の忠臣だ。

 主君の顔をペロリなんて尊厳にかかわることやった試しはないでしょうが‼︎

 舐めたいは思ってましたが、バレてましたか?私の表情は読みとりやすいですかね。

 主人も舐めないだけ、マシか…。いやいや…。

 ただ、恋愛対象の異性に免疫のない良家子女には刺激が強すぎた。ヴィヴィアンは放心状態だ。

 スノーはコソコソとカウンターの奥へ行き帰ってくる。主人の席の隣へ戻ると、期待の眼差しで主人を覗きこんだ。頬の口元近くに林檎煮を塗りたくっていた。

『何をしているんだ?』

 躊躇いもなく横顔を主人へ差しだすスノー。

 唖然とした様子で主人はそんなスノーの頬を優しく包みこむと私へ指示をだす。

『舐めてやれ』

 おいおいっ?

 主人の命令には逆らえない。

 ペロリっとね。スノーの作る林檎煮は格別ですな。

 上品でまろやかな甘味が口の中で広がる。

 うっとりと瞼を閉じて主人を待っていたスノーは、私の舌の感触に驚いて目を開ける。

「なっ、何するんですか?マーリンさん⁉︎」

 ワナワナと震えながら、スノーの拳は左右に私を殴るものの、痛みは感じない。

 スノーは本気で力を入れているようだが、天下のブラックドッグがハーフリングの攻撃など造作もない。

 主人は私たちをみて可笑そうに笑う。悪戯っ子のように破顔する主人をスノーも怒りを持続できない。攻撃の手を緩め、目を細めて主人を見つめていた。

「はぁ…。今日のアーサー様は…。ホント、いつもと違いますね」

 西の魔女よ。貴女のお店が繁盛している理由が判明した。

 西の魔女の店は目隠しの魔法で一般客は通えない。知る人ぞ知るのような雑貨屋なのだが、潰れないのは商品の希少価値だろう。そこでしか、買えないものがあり、足繁く通う顧客が絶えない。

 素晴らしい‼︎エクセレントなフードだ‼︎

 私が西の魔女を称賛している間、ヴィヴィアンの意識はまだ違う世界を彷徨っているようだった。

 主人に仮恋人を頼んだことを後悔しなければ良いのだけども…。

『これからどうしますか?』

『そうだな…。美味しいものを食べた後は、買い物でもして甘やかすか?女子は可愛い小物とか好きだろ?』

『過去の経験からですか?』

 主人は具体的な詳細を語らなかったが、蜂蜜のたっぷり入った紅茶を一口啜って、私へ答えた。

『今日の記念にって、女性が店で気に入ったものをプレゼントに渡せば、大概は喜ぶけどな』

 些か物申したいことはありますが、ここはグッと堪え忍びましょう。

 主人の女性へのあしらいはグィネヴィア嬢から学んだのだろうか。

 グィネヴィアは主人の最愛の恋人だった。

 残酷な拷問を受けた過去のある主人は、瀕死の状態から奇跡の生還後、ただ一度かぎり愛しいものへ会いにいった。当時は彼女と再び目見えるためだけに生き延びたといっても過言ではないのだが…。

 二人は視線を交わすこともなく、主人は黙って彼女の元を立ち去った。主人が存命であることも告げずに…。

『では街へ帰りますか』

『そうだな…』

 そこで私はしでかしたことに思い至る。

『アーサー様』

『何だ?』

 転移魔法陣は移動先にも施さなければ利用できない。私はここに来る際、モードレッドがパイを食べるためだけに使用している魔法陣へ通じるように、行きの為だけの魔法陣を描いた。そして、その魔法陣は私たちが通過した直後、消えているはずだ。

 つまり、一方通行。戻る手段がない…。

 通常、あの街からここまで半年…。いやそれ以上はかかる距離である。私と主人ならば、彼女が婚約を交わす日、つまり明後日まで寝ずに走り続ければ何とか辿り着けるかもしれないが…。

 ヴィヴィアンの同行を鑑みると、まず無理である。

『えへっ、あちらの街への移動手段。魔法陣が存在しません』



 月下美人の白い大輪が咲き誇る庭園。洞穴の湖上へ聳えたつ荘厳な宮殿の敷地である。

 まだ夜には早いのだが、洞窟内の城塞は灯りが乏しいため、夜に花開く月下美人が咲き乱れているのだろう。

 ただ、それは月下美人が植えてあるこの一面のみで、他の場所は魔力で鉱石の結晶が明るく照らしている。

 この鼻腔に広がる甘く膨よかな香りは、月下美人特有の柔らかな香りとは違いますよね…。

「いらっしゃい、アーサー」

 魔法陣を利用した時点で主人がここへ来ることを感知していたのだろう。モードレッドが門前で出迎えのために待機していた。

『あぁ、モードレッド。すまない、勝手に転移魔法陣を使わせてもらっている』

 この手段だけは利用したくはなかったのだが、モードレッドの魔王城経由で街へ戻ることにしたのだ。スノーの店の近くにはモードレッドの要塞と繋がっている魔法陣があり、モードレッドならば街へ帰るまでの魔法陣を作成することは簡単な作業である。

 モードレッドは一瞬にして街まで移動できるので、そこへ新たな魔法陣を描いてもらえば良い。

『モードレッド様、月下美人ですが見事ですね。園芸が趣味になったのですか?』

 私の記憶から、モードレッドがゴーレム達と薔薇を朝摘みしていたことが思い起こされる。

 そう、今この場を漂っているのは以前入った芳しい薔薇風呂の匂いだ。

「あぁ、趣味ってわけではないんだよ」

 絹糸のように滑らかなモードレッドの金色の髪が微かな明かりに照らされ美しく煌めく。

「前に『アーサーって月下美人が似合いそうだな』って洩らしたら、次の日にはゴーレムが株を植えていたんだ。どちらかと言えば、ゴーレムたちが私を楽しませるために頑張ってくれているのかな」

 主人と月下美人。

 月光溢れる夜空を背景に並んだら、さぞや清らかで壮麗でしょうね。はぁーーー。

「月下美人だけではないんだよ。あそこにはプルメリア、彼方にはダリア…。向こうにはラベンダーもあるんだよ。私が喜ぶようにと、たくさんの花を育ててくれているんだ。でも、今一番お気に入りはやっぱり月下美人だね」

 モードレッドは長くしなやかな白い指で近くにあった月下美人の花弁をひとひら摘み、筋の通った鼻に寄せて香りを嗅ぐ。そして、そっと口へ含んだ。モードレッドの蒼く澄みきった眼差しが主人へ柔らかく注がれる。妖しく儚い姿に酔いしれる女性が一人。

「綺麗…。月の女神様みたい…ですわ」

 ヴィヴィアン嬢、戻ってこい‼︎仮でも貴女の恋人は主人でしょうが…。

 今日一日で主人や認めたくないはないがモードレッドといった最上級の美丈夫に出逢ったのだ。

 惑わされる気持ちは私も承服いたしますが、移り気過ぎませんか?

「もしかして、アーサー様の本物恋人でいらっしゃるんですか?」

 はて?何を仰っているんですか?

 胸前で両手を組みながら、頬を紅潮させ尋ねたヴィヴィアン。質問に主人も動揺を隠せない。

『はっ!友人だ‼︎恋人に仮でも恋人を紹介する輩がどこにいるんだ‼︎』

「おやっ、こちらの可愛らしい御令嬢はどちら様かな?アーサー?」

 装っているんじゃないよ‼︎モードレッド‼︎穏やかな微笑みを湛え、ずっーーーとっ、気にしていたのを私は知っていますよ‼︎

「お初にお目にかかります。ヴィヴィアンと申します」

 流れるように美しい所作でお辞儀をするヴィヴィアン。依然、眼差しはうっとりとしている。

 主人はモードレッドへテレパシーで話しかける。絶大な魔力を操るモードレッドは私たちの精神感応を拾うことができる。

『えっと…』

 今日の経緯を簡単に説明する主人。

 ほんの一瞬、モードレッドは頬を歪めたが、それは私だけが認知したようだ。モードレッドは決して悪意を私以外の他者へ向けたりはしない。

「私はモードレッド。アーサーの恋人ではなく親友だよ。あと、勘違いしているようだが、私の性別は男性だ」

 女性に間違えられたことを別段に煩うこともなく温和な面持ちでモードレッドはヴィヴィアンへ伝える。絶句するヴィヴィアン。

 わかりますよ。わかります。気に留める必要は全くないですからね。

 初見でモードレッドを男性だと気づく方が希少だ。超絶美形な上に柔和で奥ゆかしい物腰なのだから、間違うのも無理はない。

 でも、この方。華やかな容姿と変わって、服下は凛々しい筋肉が備わっているんですよ。

 意に反して、一緒にお風呂へ入った仲なので、私はモードレッドの肉体美を見定めている。主人と同様に鍛えあげられた身体だった。

「申し訳ありません」

 スノーも女の子と思っていたのだし、ヴィヴィアンは素直に謝罪を述べる。

「何で‼︎何で‼︎モードレッド様はそんなに美しいんですか?女性にしか見えません。モードレッド様にも、スノー様にも、私は女性として立つ瀬がございません」

 自虐的な言葉が吐いてでたことにヴィヴィアンは自身で狼狽えた。

「アーサー様の周りにはこんなに素敵な方々がいらっしゃるのですね」

 主人はヴィヴィアンの健康的な白肌に手を添え顔を持ちあげた。強張ったヴィヴィアンの瞳に主人の優しく和らいだ眼差しが映る。

 何でですかね。小娘と思って侮って、色々と許していたのですが…。

 雲行きが怪しい。

 ところで、何でモードレッドは私に怒りの視線を送ってくるのですか?痛いんですよ!貴方の眼差し‼︎

 モードレッドの悪意ある視線をぶつけられると実際に攻撃の手段になる。

『何を言っているんだ?ヴィヴィアンもとても可愛いじゃないか?』

 も…。ってことはモードレッドもスノーも愛らしいと思われているんでしょうね、主人。

 許容範囲を広げた…のだろうか。

 主人はモードレッドもスノーも初めて会ったとき、女性だと思って接していたのだからあり得ないこともない…。

 私は主人に近づく者へ、勝手ながら吟味する使命感を燃やしている。主人に敵対心や害意を抱くもの、悪用しようとするものは精魂込めて除外するだろう。

 また、私の立ち位置を脅かす存在には対抗意識を発揮する。現在、モードレッドやスノー、パーシヴァルは私のこの闘争心を煽っている。

 主人からしてみてれば、喧嘩するほど仲が良いと思われているのかもしれないのだが、私はそれどころではない。

 主人のハグは本来なら私だけのものなのです。皆、控えおろうーーーっ。

「お褒めいただきありがとう。ヴィヴィアン嬢もとても素敵な淑女だよ。花と同じで皆それぞれ美しさがあるのだから…ねっ?まだ年若いんだし、立つ瀬がないなんて思ってるのなら、これからもっと美しく花開けばいいんじゃないかな」

 モードレッドの大人の対応。伊達に齢四百云十年の時を過ごしていない。

 モードレッドの言葉で気持ちが和らいだのか、ヴィヴィアンは魔王の華麗な笑みに再び魅了された。モードレッドも主人のことがなければ、ヴィヴィアンを気に入るかもしれない。ヴィヴィアンは純粋な女性である。素直で顔に出やすく裏はない。

『ところで、モードレッド様。とても華美な香りがいたします?薔薇ですか?』

 私は当初の疑問をモードレッドに問う。

「そうだよ、薔薇だね。今、サシェをゴーレムたちと作っているんだ?見るかい?」

『サシェ?』

 主人は頸根っこを掻きながら頭上を仰いだ。

「薔薇がね。たくさん咲いたんだ。香り高い品種でね。前に薔薇風呂に使ったことがあるよ」

『あぁ、あれか…』

『芳しい香りでしたのに、アーサー様はご自身でこの香りは自分にはそぐわないと却下されたのですよね』

「そうなんだよね。あれ以来、アーサーの入浴するときは、お風呂に薔薇を浮かべていないしね。そこで他に活用方法がないかと模索して、薔薇を乾燥させて匂い袋にしているんだよ」

 活用だなんて、モードレッドは商売でも始めるつもりなのだろうか。丸モ印の魔王直伝のサシェ。売れそうで売れなさそう…。

 だが、モードレッドの性格上、薔薇はもちろん、袋にもこだわっていそうだ。素材も上質なものを調達しているだろう。

 魔王公認とか宣伝しなければ、人世界で流行りそう…。

「んっ?どうしたんだい?ヴィヴィアン嬢」

 ヴィヴィアンが唇へ人差し指を押しあてて、思案顔を浮かべているのにモードレッドは気づく。

「モードレッド様もアーサー様とお話しできるのですか?」

 そう言えば、スノーへ私と主人が会話ができるのかと尋ねていた。

『ヴィヴィアン嬢は私とアーサー様が話をしていることを察しているのですよ』

「スノー様がアーサー様とマーリン様が会話していると仰っていたので、モードレッド様もお話しされているのでしょうか?」

 はにかんだ表情でヴィヴィアンの質問が続く。

「あぁ、ここに来る前にスノーくんのところに行ったのだったね。私は二人の会話を拾うことができるんだよ」

「魔法を扱えるのですね」

 魔法とは違い、精神感応は特殊な能力で超感覚的知覚の一つだ。ヴィヴィアンを混乱させてはいけないと思ったのだろう、モードレッドは詳しい説明を省く。

「魔法とは定義が違うんだけど話は出来るよ」

 魔王なんですよ、この方。とても恐ろしい…。

 世界を滅ぼせるだけの魔力を蓄えているのだと私は解している。

「モードレッド様はもしかして、ハイエルフなんでしょうか?」

 ハイエルフは妖精エルフの上位種で、妖精よりは精霊や神に近い。エルフの人嫌いは有名で更にハイエルフは人前に姿を現すことを極端に嫌うという。

 姿形は男女共に美しく整っており、滅多にお目にかかれる存在ではない。

「そんなにお上品なものに見えるのかい?」

 眉を曇らせモードレッドは不快感を示したが、またこれも私しか気づかなかった。

「私はエルフではなく、ハーフエルフになるかな」

 両親は母親がハーフエルフ、父親は前魔王であるので、正確に伝えるならばクォーターエルフ?とでもなるのだろうか。

「モードレッド様が余りにも麗しくて…。エルフの方々、特にハイエルフの方々は奥ゆかしく清楚で美々しいとお伺いしておりましたので、失礼いたしました」

 ヴィヴィアンは率直に自分の意見を述べただけなのだろうが、主に容姿について最上級の言葉で褒められたモードレッドは複雑な面持ちで主人へ訊く。

「アーサー、デートの途中にここへ寄ったんだよね?」

『あぁ、そうだな』

 私は些か疑問を呈する。

 主人もモードレッドに匹敵するほどの美貌の持ち主だ。星屑を散りばめたほど黒髪は煌めき、射殺すような冷然たる眼差しではあるが、瞳の漆黒は何ものにも毒されない強さを宿しており、毅然としていたその光は清らかだ。髪や目の色を際立てている肌も白く透きとおっている。

 思うにこのフード…。

 畏怖や威圧感も覆い隠すけど、見目の良さも消しているのではないですか?

 それでも滲みでているイケメン具合…。ヴィヴィアン嬢は主人の色気に当てられてましたよね。主人は相当な男前なんですよ。いつもならば、モードレッドに匹敵どころか勝ってます。

 くぅー!悔しい…。

 だが、ヴィヴィアンの心中燻っている感情は主人に対してである。主人の一挙一動に振り回されながら、高まってきている恋心。

 モードレッドは憧れのお姉様?といったところだろうか。男だけども…。

「デートならプレゼントなんてあるといいんじゃないのかい?」

 ヴィヴィアンの耳が小さく動き、パッと表情が明るくなったが、すぐに首を横に振った。

「何かを買っていただくとか、こんなに付き合ってくださっているのに、申し訳ないです」

『街でアクセサリーでも選ぼうかと思っていたんだが』

 主人はヴィヴィアンが喜びそうな贈り物の購入を計画しており、街へ戻るためにモードレッドの城を経由したのだ。

「一緒にサシェを作るっていうのも良い案だと思わないかい?」

 ヴィヴィアンへの親切心もあるのだろうが、モードレッドは少しでも主人と過ごしていたいという願望がある。それが友愛か?恋愛か?私は確信は持てていないが、主人へ無垢な愛情で接していることは理解している。だが、主人は勘づくこともない。ただ、友人としてモードレッドを信頼をしている。

『ヴィヴィアンがそれで満足してくれるのなら、デートを楽しんでもらいたいだけだから』

 おやっ、不服気な感じ致しますよ、主人。主導権は握っていたいタイプなんですな。

 モードレッドも主人の態度から見抜いたようだが、ヴィヴィアンに向けて提案する。

「なら宜しければ、ヴィヴィアン嬢。デートの思い出にサシェを一つ作っていってみてはどうかな?」

 モードレッドの言葉にヴィヴィアンは興味深そうに瑠璃色の瞳を輝かせて満面の笑みで答えた。

「はいっ、喜んで‼︎お言葉に甘えさせて頂きたく存じます」

 美味しいところをモードレッドに持っていかれた感が否めない主人は左手でうなじを撫で、二人に悟られないようため息をついた。

 もちろん、私とモードレッドはそれに気づいていたが…。

『薔薇か、ヴィヴィアンに似合いそうな香りだな』

 唐突に、主人がヴィヴィアンの隣へ並んで、彼女の髪先を指でクルクルと弄んだ。可哀想にヴィヴィアン嬢は主人の行動が理解できず慌てふためく。

 主人はこのままだと仮恋人の面目が立たないと顧みて、恋人らしさをヴィヴィアンにアピールしたかったのだ。

 心は子供のままなんですよね、主人。お許しいただきたい。

 ヴィヴィアンは主人の挙動不審な行動に慣れるはずもなく、全身真っ赤になってしまった。

「ヴィヴィアン嬢に薔薇の香りがふさわしいってアーサーが」

 モードレッドは内心舌打ちをしていたと思うが、あまりに動揺するヴィヴィアンへ同情をしたのか、一切顔には出さず、にこやかに告げた。

「私もそう思うよ」

 果たしてヴィヴィアン嬢は魔王の古城から生還できるのか?このままだと魂が昇天しそうですよね。

 ヴィヴィアンは超絶イケメンに挟まれて、両脇を二人の腕で支えられ夢心地にフラフラと歩きだしたのだった。

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