ー2ー
これより少し前、銀甲の騎士は手に持った得物を揮い、敵騎兵を馬から突き落とし、はね飛ばし、歩兵を馬脚にかけ、無人の野を行くが如く、ひたすら突き進んでいた。
彼が揮う武器を『鋋』という。
後漢時代の末期に現われたこの武器は、形状こそ槍に似ていたが、特徴的なのは穂先だけならず、柄の部分を含めた全身が鉄製である事だった。
もともとは馬上で扱うため短く作られたそれは、なんとなれば投擲にも使える、主に北方騎馬民族が用いる事の多い武器である。
総身が鉄製であるため重いが、柄のしなりが少ないため打撃武器としても有用とされる。
しかも銀甲の騎士が持つ物は、わざわざ大身に作ってあり、重さは10kgをゆうに越えるであろう。
それほどの得物を軽々と振り回しながら、重さに流れる事なくキビキビと扱っていた。
遠心力に頼らずに、あくまで腕の力で操っている証左である。
恐るべき膂力といえた。
と、戦場を駆ける騎士に、鄧艾軍の騎兵が近づいて挑みかかる。
手練れであろう。
馬上では死角となる左側面に、回り込むように馬を操ると
「殺!」
横合いから気合いを込めて槍を突き入れて来る。
が、銀甲の騎士はそちらを見もせず、わずかに上体を逸らして躱すと、逆に鋋を突き込んでその騎兵を貫く。
もう一騎が、手の塞がった騎士に突きかかろうとするも、騎士は片腕だけで貫いた敵兵を持ち上げ、そのままもう一人に叩きつける。
僅か十数秒の出来事ながら、この人間離れした所業を目にした周囲の兵は、腰が砕けて逃げ散って行く。
先ほどから、これの繰り返しなのである。
鄧艾の用意した、堅固な布陣が切り裂かれた理由であった。
瞬く間に二騎を屠った騎士は、ふと兜の下の視線を、敵陣の奥に飛ばす。
何やら動きがある事には気付いたが、顧慮しようとは思わない。
己の目標はまだ先のはずだ。こんな所で止まってはおれない。
更に幾人かの敵兵を叩き伏せて馬速を早める。
ふと、敵陣の戦鼓の調子が変わる。遅れて敵陣が左右に裂けた…いや、開いた?
眼前が広がると、そこには横列をとる弩兵が並んでいた。ざっと五十余。
「ふっ」
騎士の口元に微笑が起こった。その声音は意外に若い。
練度が高いのだろう。
鄧艾の配置した弩兵は、わずかに狙いを定める間を入れたが、過たず騎士に矢を放った。
相前後して馬脚を速めた騎士は、いつの間にか、鞍に掛けていた換えの鋋を取り、両手に構えている。
飛び来る弩矢に正面から突っ込むが、騎士に当たるものは一つも無い。
周囲の者は声もなくこの騎士を凝視していた。
銀甲の騎士は凡そ人間離れした膂力を揮い、信じられないほど機敏な動きで両手の鋋を舞わせ、飛来する矢を尽く弾き飛ばしていたのだ。
銀光が舞うのに合わせて甲高い金属音が響き渡ると、よほどに強い力で撥ねているのであろう、弾かれた鉄矢は周囲の矢まで巻き込んであさっての方角へ飛び去る。
歴戦を経たはずの精鋭達も自失し、口を開けて立ちすくんでいる。
周囲は完全に静止していた。
しかし、騎士は止まってはいない。
速度を落とさぬまま弩を持った兵の陣列に突き込むと、そのまま蹴散らして勢いのまま鄧艾の第四陣をも切り裂いた。
騎士に続く騎兵も精鋭揃いのようだ。
無駄な殺戮に酔う事なく陣列の破砕と分断のみに専心し、銀甲の騎士が包囲されぬように巧妙に動いている。
この騎兵団の先頭を走る騎士の目に、牙門旗が捉えられる。距離はもう二百歩と離れていなかったー