聖女様と寝起き
夢を見ていた。
思い出したくもない記憶が脳内に甦る。
断片的なその一瞬一瞬に音絃の心はへし折られていた。
それを今でも、いやおそらくこれからも引きずって生きていくだろう。
この過去のトラウマからいつになったら解放されるのだろうか……
設定していたアラームがなり、スマホが朝だと告げる。
ゆっくりと目を開けるとそこに映ったのは、昨日と変わらない部屋の天井だった。
心臓の鼓動が早くなっているのが分かる。
身体を起こすと頬に水気を感じて左頬を手で触ると確かに濡れていていた。
目からは溜まっていた涙が流れ出したのだろう。
(こんな情けない顔は誰にも見せられないな……ん……?)
流れた涙を拭おうとすると違和感があった。
手を付けていないはずの右頬に拭った後がある。
考えられるのは寝ている間に無意識でタオルケットで拭いたか、あるいは白瀬が拭ってくれたのか……
いや、後者はないだろう。
こんな勘違い甚だしい事を考えるなんてどうかしている。
だが……根拠はないがそんな気がした。
「何を考えているんだ……」
寝ぼけている頭を起こそうと顔を洗いに洗面所に向かった。
顔を洗い、完全に目を覚ますと白瀬が寝ている寝室のドアを少しだけ開ける。
壁側を向いて寝ているので顔は見えないがぐっすり眠れたようで……本当に危機感は持って欲しいものだ。
別に早く起こす必要もないので、もう少し寝かせておくことにした。
キッチンに行き、食パンをトーストする。
遥花はまだ起きていないので、また別でトーストすることにしようと思う。
出来るまで数分あるので読みかけだったのラノベを読み始めた。
そのままハマってしまい……一時間が経った。
「おふぁようございます……」
「ああ……おはよう。朝食は食パンでいいか?」
「ん……黒原くんがいい……」
「そうか……分かっ……た……?」
何かがおかしい気がしたが、気のせいか?
気のせいだよな?
そうだ気のせいだ。
色々とおかしい事が聞こえたのだが、まだ寝ぼけているのだろうか?
「ごめん……今なんて言っーーし、白瀬っ?!」
「黒原くん……」
遥花の方が寝ぼけていたようで、音絃の聞き間違いじゃなかったらしい。
だからと言ってどうやったらこの状況になるんだ?
遥花は音絃をソファーに押し倒したと思えば、遥花自身も音絃の上に倒れ込んできた。
下着を着けてないので、大きな胸の柔らかな感触が布一枚越しにダイレクトに当たって理性が揺らぐ。
「ちょっ……本当にふざけてるならやめてくれ!」
「やだ!黒原くんがいい……です」
「寝ぼけてるなら起きろ!洒落にならないぞ!」
「だから黒原くんは独りじゃ……ないよ」
「え……?」
「もっと甘えても……いいんだよ」
遥花は心でも読めるのかと言わんばかりに、今日音絃が見た悪夢に慰めの言葉をかけてくれる。
遥花は別に音絃を慰める気はなかったのだろうが、それでも嬉しかった。
信じていた者に裏切られ、見捨てられる。
中学時代は友人だと思っていた人に裏切られ、両親には愚鈍でダメな奴だと見捨てられ、そして捨てられた。
音絃は養子として今の両親と初めて会ったから血の繋がりはない。
勉強も運動もまるでダメな音絃を血が繋がっていないにも関わらず大切にしてくれて、だからその優しさに答えようと必死に努力した。
その努力が結果に結び付いて、高校は次席で入学し、俺を見限って裏切り、見捨てた人たちを見返すことが出来た。
だが……それがなんだって言うんだ?
過去の裏切られた時、見捨てられてた時のトラウマは今でも音絃の中にあって、いつになっても解放されない。
だから信頼出来る友人を一人しか作らず、大切にしてくれた両親の元からも逃げるようにここへ来た。
「頑張ったんだね……よしよし」
遥花は顔を緩めながら音絃の頭を撫でる。
その手は優しくて温かくて初めて今の母さんに会った時、撫でられた感覚と同じだった。
「ああ……頑張ったんだよ。ありがとう白瀬」
「えへへ……よかった」
まだ寝ぼけているのは分かるが、このままでもいいのではと思ってしまった。
だが遥花が正気を取り戻した時に恥ずかしくてもう音絃の前に立ってくれない方がもっと嫌だと思った。
「白瀬!起きろ!」
肩を強く揺らし、意識をしっかりさせようと試みる。
肩を揺らし続けていると、トロんとした目元がパッチリとして青い瞳がこちらを見つめる。
周りの現状把握に時間がかかっているらしい。
本当は分かっているのだろうが信じたくないのかもしれない。
「おはよう、起きたか?まあ、とりあえず降りてくれないか?」
「おはよう……ございます……」
遥花の顔が物凄いスピードで真っ赤になっていく。
「あわわわ、わ、わ」と言いながら酷く動揺している。
「ごめんなさい!今降りますので……」
咄嗟に立ち上がろうとした遥花は足に力が入らずにそのまま後ろに倒れる。
後頭部の当たり所が悪ければ命が危ないとその刹那に考える前に音絃の身体は動いていた。
後頭部に右手を伸ばし、左手で遥花の身体を支え抱き抱える。
「大丈夫か……?痛みとかないか?」
腕を開き、遥花の顔を窺うと呆然としていた。
「怖かった……死ぬんじゃないかって……本当に思いました……」
「大丈夫だから……落ち着いていいぞ」
そう声をかけると、遥花は黙って涙を流し始めた。
その表情から心底怖かったかが分かる。
「泣くなよ、大丈夫だから」
「だ、だって……怖かったんです……!」
「大丈夫、これからのお前は大丈夫だ。何かあったら俺が守ってやるから」
「え……それって……」
「食事を作って貰うんだ。せめてそれぐらいはさせてくれよ?」
「あ……そうだよね。任せて!ありがとう黒原くん!」
遥花の笑った顔は、学校では決して見せることのない最高に綺麗な笑顔だった。
それから朝からのハプニングで食パンをトーストしていたことを忘れていた音絃は、固くなった食パンを食べる羽目になったのは、もう少ししてからの話だ。
ズンチャカズンチャカ( ゜∀゜)o彡°