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<第十九章>赫牢の外へ(後編)

<第十九章>赫牢の外へ(後編)



 水憐島。

 先代のイミュニティー・イグマ部門総合代表、横谷辰巳よこやたつみによって一大権力を手に入れた島。

 横谷家の力の象徴であり、財の、権力、研究の全てがある場所。

 そこが今、激しく燃えていた。

 宇宙ステーションのような屋根は崩れ落ち、壁はボロボロに剥がれと、その様相は数時間前ここに建っていたものとは到底思えないほどだ。

 正面入口となる改札前には飛び火を受け火炎を立ち上らせているテントがいくつかあった。

 陸と水憐島を繋ぐ橋の上から多くの男たちがそれを覗く。紺色の隊服が象徴のイミュニティーの面々だ。

 先頭には僅かにちょび髭を生やした中年の男が立っており、短く纏めたその髪が風に揺れていた。

「下田さん、テントが……」

 中年の男に残念そうな目を向け、横に立っているサングラスをかけた若い男が顔を伏せた。

「気にするな。水憐島を爆破したのはバイオハザードの証拠を隠滅するためだ。目の前にあるテントが燃えないのは不自然だろ。俺たちが爆発することを知ってったのがばれちまう」

 サングラスの男とは全く逆の満足げな顔をあげ、下田はそう言った。

「本当に爆発する必要があったのですか?」

「今回は実際に中の様子を見てきた生存者が多数いるからな。最初のパニックに生き延びた奴、何とか脱出してきた奴。そいつらが居る以上、毒ガスやウイルスで死体を燃やしましたなんて戯言、マスコミも信じねえだろ? 被害者の遺族から亡骸の要求とかもありえるしな。だからそういった面倒を除外するためにも、爆破が一番合理的で都合がいいんだよ」

「はあ、そうなんですか……」

 サングラスの男は納得がいかないように下田を見た。

「ですが、感染者たちのデータはどうするんですか? 魚人や鼠魚とかいう奴です。あ、あと人魚とか色々居たらしいですけど」

「心配ない。先ほど上から爆破の命令が来た時に、その件についても教えられた。どうやら、水憐島の職員の中にこちらのスパイが居たらしい。その男が横谷晶子の研究データを全て事前に流していたそうだ。つまり、今回の事件に対する俺たちの役割は、向こうの研究体の存在実証と性能検査ってことさ。いつもながら、俺たちをゴミとも思わない反吐のでる計画だぜ」

「し、仕方が無いですよ。それがこの国の為ためになるんですから。下田さんだって命令どおりに行動してたじゃないですか」

「まあ、今のところはな」

 下田は頭の後ろを手で掻き、横を向いた。

「それより、こんだけ派手に破壊しておいて事件後の処理はどうする気なんだ。あれから上の連絡はあったか?」

「あ、はい。つい今しがた入った連絡なんですが、それについてはちょっと不可解な内容で……」

「言ってみろ」

「そのままの言葉でいいますと、『問題ない。間もなく全ての意味がなくなる』だ、そうです。どういうことです?」

 両手を左右に開き、クエスチョンマークを頭の上に浮かべる男を他所よそに、下田はその言葉を噛み締めた。

「全ての意味がなくなるね……何だか妙に深そうな言葉だぜ」

 真意は分からなかったが、その言葉に背筋をぞっとさせるような危険な意味が込められていることを、本能的に理解した。何かとてつもないことが起きるような、そんな気配を感じる。

「まあ、いい。俺は暗号とかは苦手だしな。そういうのはあいつの得意分野だ。奴に聞いてみるとするか」

 しばらくう~ん、唸ると、下田は諦めたように溜息を吐いた。人より大きな目で瞬きをし、背後に並んでいる無事だったテントの一つへと向った。

 中に入るとサングラスの男に向けていたときとは違って、明るい顔でそこにいる人物に笑いかける。

「よお、友。今度の地獄はどうだった?」

「……――最悪でしたよ」

 苦笑い交じりに、友は微笑んだ。







 晶子の腕は予想よりも早かった。

 ナイフが胸を突くよりも前に、悠樹の体を捉えたのだ。

「くそ、離せ!」

 悠樹は駄々っ子をしている子供のように腕を振り回し暴れたが、晶子はそれを無視し、悠樹の体を高く上げた。

 ――さすがに無茶すぎたか……!

 現状では他に手が無かったとはいえ、友はこの戦法のリスクを大いに知っていた。知っていたにも関わらず、踏み切った。悠樹の意思を、強さを信じていたから。

 超感覚を持つものなら、何とかしてくれるかもしれない。

 いつの間にか、かつての相棒と悠樹を重ね、そう思っていたのだ。

「コレデ、ォオワリ、ヨ……!」

 人間の言葉を放つのがしんどいらしく、かなり不自然な話し方で晶子が優越の表情を作る。

 この人間は自分の計画を、念入りに練って、練ってやっと実現させた計画をぶち壊してくれた。

 思い切り苦痛を与えてながら死を迎えさせてやる。そう思い、悠樹の四肢へ残りの腕を伸ばそうとした。

 友と西川がいくら頑張ろうと、この高さに上げた悠樹を助けることなど出来はしない。まさに自分だけの独壇場だ。

 倒そうとして昇ったはずの高さが、不幸を呼ぶ。

 この事実が、張り詰めていた晶子の心を僅かに躍らせた。

 友と西川はまだ諦めてはいなかったが、晶子から受けたダメージと複腕の妨害もあり、中々悠樹に近付くことが出来なかった。

 悠樹の死。

 それで満足する。それで決着が着く。晶子はそう確信していた。

 充血した真っ赤な目で悠樹を見つめると、晶子は口を真横に開いて笑った。悠樹が怯えて自分を見ることを、泣き叫ぶことを期待し、「いくら家族の仇を打つと豪語しようとも、お前も結局は自分の命が一番大切なんだ」そう訴えるように。

 だが、悠樹は、決してひるみはしなかった。

 この窮地にして尚、じっと晶子を強い眼差しで見つめ続ける。

 ――この目……どこかで見た覚えが……?

 晶子はその瞳を困惑した顔で見つめると、ある男の言葉を思い出した。

 

『俺は何のとりえもないただの一、事務員だ。本当ならお前とは全くつりあわない。だけどこうなったからには、どんな苦難が待っていようともお前を大切にして一緒に過ごすよ。この言葉に嘘は無い。結婚してくれ』


 誰かを守ると、助けると誓った強い意志の篭った目。大助と敏のことを思う悠樹の目が、一瞬操の目に見えた。

「うっ……!?」

 ズキリと頭に痛みが走る。晶子の動きが僅かに止まった。本当に僅かな、一瞬だけの時間。だけどそれが命取りとなった。

「――っ……!」

 友はその機を活かし、悠樹の右腕、ナイフを握る手を拘束している腕に向って、己のWASPKNIFEワスプナイフを投げつけた。

 緑色の肉を裂き、骨に衝撃を与え、高速でそれは飛ぶ。

「ビョォオッ!?」

 悠樹は腕が自由になった刹那、発揮できる最大の筋力を使い、晶子の心臓を己の刃で穿った。

「――っ食らえぇ!」

 イグマ細胞に感染した者の特徴である、黒い血が、晶子の心のように濁ってしまった血が、胸と背から弾き出される。

「ッビァァァァアアアアアアアア……!」

 自らの死を認めることの出来ない絶望と、全てを台無しにされた怒り。

 晶子は心の醜さをさらけ出すように、無様に惨めったらしく、大きな声を上げた。

 多くの死に満ちたこの島中に、その声だけが伝わり、広がる。

 まるで事件の終焉を知らせる曲のように。

 夜の訪れを合図する鐘のように。

 長く、長く、それは響いた。

 漆黒の血を撒き散らして倒れる晶子を眺めながら、悠樹は仇を討てたことに対する喜びと、何故か満足に喜ぶことの出来ない喪失感に襲われ、受身を取ることも出来ずに床の上へと落ちた。

 そしてそのまま立ち上がろうとはせずに、じっと横になる。

「何してる悠樹、走るぞ。早くしないと爆破される!」

 そんな悠樹を友は強引に起こし、肩を担いだ。崩れ落ちた晶子には全く構おうとしない。無力化した相手に興味はないのだろう。彼らしい反応だ。

 西川と友に支えられるように出口目指して進む中、悠樹は首だけを動かし、晶子を見た。

 まだ息があるのか、恨むような、すがるような視線をこちらに向けている。

 自分の家族を殺した憎むべき存在。もっとも許せない相手。

 そのはずなのに、何故か悠樹にはその晶子の姿が哀れで非常に可哀想なものに見えた。

「あばよ、横谷晶子」

 最後にそう呟くと、悠樹は二度と振り返ることは無かった。



「おい、お前ら、急げ! 爆破の許可命令が降りたぞ」

 ガラス扉が大きく開け放たれた正面改札に近付くと、同時に拡声器に強化された大声が聞こえてくる。友はその声の主にすぐ気がついた。

「下田さんか。相変わらず威圧的な声だな」

 友にとって下田は西川と並び、信用できる数少ない人間だ。自然と頬が緩くなる。

「彼らもようやく追いついたみたいですね」

 背後に姿を見せた増援部隊を見て、西川が少し怒ったような声でそう言った。






 もう、首を上げることが出来ない。

 頬を、唇を、髪を汚す黒い血を眺めながら、晶子はようやく己の死を実感した。

 初めて抱く恐怖に全身を震わせる。

「……嫌、よ……死にたくない。何で私がここで……私はただ、自由になりたかっただけなのに……」

 腕を出口に向って伸ばそうとするも、力が入らず地面に落ちた。

「だ、誰か。た、助けて……! 操さん、広……柳ぃ……!」

 緑色の皮膚を涙で濡らし、必死に哀願する。

 だが、彼女に救いの手が差し伸べられることは無かった。

 彼女が救いを求めた相手は、全て彼女自身が葬りさっていたから。

 最初はただ、周りから寄せられる過度の期待に答えたかった。操を見返したかっただけだった。

 自分はこの島のシンボル。象徴。

 期待を裏切ることは出来ない。

 二度と夫が他の女に現を抜かすことが無いようになりたい。そう願っただけだったのだ。

 たった一度の、一つの間違い。

 デガウス・ジェイルの注入。

 それが彼女の運命を狂わせた。彼女の家族を、この水憐島中の住民を地獄へと引き込んだ。

 いや、正確にはデガウス・ジェイルの所為ではない。彼女の破滅は彼女自身が引き起こした因果。

 自分の心で操を繋ぎとめるべきだった彼女は、仲を戻そうとする彼を否定し、己の美を追求した。

 自分から離れようとする彼と弟を強引に引き込み、同種という鎖で拘束しようとした。

 彼女の間違いを正確に挙げるのならそれはただ一つ、中を見ようとはせずに、その外の殻だけに固執したことだ。

 外見など所詮遺伝や偶然の産物による不安定な要素。時代や場所によってその価値も趣向も変わる。

 自分の外見を猛信し、それに縋りついていた彼女は最後までそのことに気がつかなかった。

 死を迎える今となってすら。

 刻一刻と爆破の時間が迫る中、彼女、横谷晶子はただ必死に考えていた。

 何故操が、広が、自分を見捨てたのか。

 何故自分はこんな運命を迎えたのか。

 何故、悠樹は最後にあんな表情をしたのか。

 ただそのことだけを、ずっと考えていた。












 夜空が視界一杯に広がる。

 休憩所の人ごみに耐えることが出来なくなった悠樹は、配られた毛布を体に纏わせると、一人テントの外へと出た。

 あの地獄から、牢獄から抜け出せた。一日ぶりに広い空を目にすることで、ようやくそのことを事実として実感してくる。

 そして当然のように、家族を失った喪失感も。

 ふらふらと歩きながら橋の縁に向った。まだ燃え続けている水憐島の火で、周囲は明るい。何かに躓くことも無く、すぐに手すりの前に辿り着いた。

 たった一日で何もかもが変わってしまった。

 家族との再会。

 そして死。

 後悔は島の中で何度もしていた。

 自分がここで働いていたから、この悲劇がおきたのだから。

 今悠樹の心を満たしている感情は別のものだ。

 それは深い、深い悲しみ。

 もう、微笑んでくれる母も、自分のことを殴ってくれる父親も、一生懸命助けてくれる弟もいない。

 この世界でたった一人。悠樹はえも言えぬ寂しさを抱いていた。

 家族はただの血の繋がり。最小レベルのコミュニティーの一つ。

 自分と血が繋がっているから、自分が生んだから、小さい時からよく知っているから。それだけで人は子供を他者とは区別し、大事に扱う。

 生まれたときはどの人間にも大差はないというのに。

 母が死に、一人で生きることを誓ったとき、悠樹はそう思っていた。家族を捨てたつもりだった。

 だが、たった一日再会しただけで、あの日の覚悟が、思いが、決意が吹き飛んでしまった。

 何故か塩水の味がする汗が、大量に瞼の裏から溢れてくる。

「あ~……くそ。海の上に居る所為で、汗までしょっぱくなっちまった」

 別に誰かが見ているわけではないのだが、言いわけするようにそう呟いた。

 横谷晶子は死んだ。

 全ては終わった。

 もう、怖がることも、ビクつくこともない。なのに、悠樹は手すりに縋りつくようにしゃがみこむと、子供のように体を震わせた。

 いくら割り切ろうとも、いくら決別しようとも、一度家族としてコミュニティーを形成した以上、その思いは消えることはない。

 家族とは友人でも同僚でもない。本心から、素の自分で接する事の出来る数少ない存在。

 今になって。全てを失って。初めて悠樹はその大切さが分かった。


「悠樹」

 どれくらいそうしていたのだろうか。いつの間にか、背後に友が立っていることに、悠樹は気がつかなかった。

「な、何だよ……!」

 恥ずかしそうに袖で瞼を擦り、前を見たまま聞き返す。

「今回の業績からお前のイミュニティー入りが決定した。戦闘員だ。しばらくは、俺の部下という形で行動することになる」

「あ、そう」

「――嫌がらないのか?」

 あまりにもあっさりな悠樹の反応に、友は驚いた。じっと金髪が生い茂る後頭部を見つめる。

「もうどうだっていいんだよ。俺には帰るところも、行く所もなくなっちまった。お前らの好きにすればいいだろ」

「悠樹……」

 大助と敏を救えなかったことは、半分は自分の所為でもある。友は困ったように言葉を積らせた。

 このままでは悠樹が壊れる。とっさにそう感じる。

 ここで慰めの言葉を言っても、大した意味はない。友はかつての自分の気持ちから、今もっとも悠樹に必要な言葉を思い起こした。

「横谷晶子はただの一部だ。イミュニティーの上にはあいつのような人間が何人もいる。そいつらがのうのうと居座っている限り、本当の意味でお前の敵討ちは成功したことにはならない」

「……ああ?」

「奴らは権力が続く限り、何度も同じことを繰り返すだろう。お前が本当にあの二人の敵を討ちたいと思うのなら、そいつらを今の地位から引きずり下ろす必要がある。特に、六角行成とかな」

 動物は己の本能にしたがって生き、本能によって死ぬ。だが人間は己の人生に目標を定め、意味を求める。本来は何の意味なども定義されていないそれに、価値を作り、支えとして生きるのだ。

 友は目標を与えることで悠樹を救おうとした。生きる意志を甦らそうとした。まだお前には役目があると、生きる意味があると知らせることで。

「知るかよ。実際に親父たちを殺したのは晶子とあそこにいた化物だろ? そんな上のことまで考えてたらきりがねえよ」

 悠樹は疲れたように溜息を吐いた。

「おい、悠樹……」

 このままでは不味い。友はなんとか悠樹が立ち直れるように説得しようとした。

 心配そうに腕を伸ばす。

 悠樹はその手を払いのけ、立ち上がった。思わず友は動きを止める。

「でも、まあ……そいつらの思い通りに動くってのも癪だな。俺は横谷晶子とは、お前らとは違う」

「どうする気だ?」

 友はいぶかしがるように悠樹を見た。

「……取りあえず、そいつらの顔を見て判断するさ。気に入らなかったら殴って終わり、気に入っても親父たちの恨みを晴らす為に殴る」

「どっち道殴りたいのか」

「じゃなきゃ、気分が晴れねぇんだよ。俺は敏のように穏やかには出来ない。皮肉なことに、暴力的なとこだけはあの馬鹿親父に似ちまった」

「いや……皮肉なもんか。お前は立派にあの人の強さを受け継いだんだ。殴りたければ、思いっきりなぐればいい。ただそのときは――」

 友は爽やかな笑みを浮かべ、言った。

「俺にも殴らせろ」

 それを聞いた悠樹は一瞬目を大きく空けて止まったが、すぐに大きな声を出して笑い出した。

「はははははっ! 何だよそれ、お前らしくねえな」

「俺が善意でこの組織に身を置いていると思っているのか? 俺がここにいる理由はお前と同じだ。かつて目の辺りにしたような犠牲者をもう、出したくは無い。ただそれだけなんだ」

 まだ笑い続けている悠樹とは正反対に、真面目腐った顔でそう言うと、友は背を向けた。

「ん? どこに行くんだ?」

「事後報告があるからな。多分、お前も後で呼ばれるだろう。俺は既にイミュニティーの一員だから、報告もしっかりしたものでないとヤバいんだ。先に行かせて貰う」

「はあ……色々と面倒なんだな」

 悠樹は舌を伸ばし、苦い物を食べた直後のような顔をした。

 その顔を呆れた目で見つめると、友は歩き出した。

 ――もう、心配する必要はないか。あいつは強い。これで、大丈夫だ。

 きっと立ち直ってくれる。そう信じ、一歩一歩進んでいく。

「あ、! 友。あなたの携帯に着信がきてますよ」

 イミュニティー用の休憩室から出てきた西川が、友に気がつき携帯電話を渡していた。

「あれ? これ……メールですね。態々持ってこなくても良かったのに」

「え、メールでした? 着信が長かったからてっきり、すいません」

「何で西川さんが謝るんですか。気にすることはないですよ。ありがとうございます」

 謝る西川に恐縮し、友は慌てて礼を言った。

「それより、西川さんは体の調子はどうですか? 結構傷を負っていたようだけど」

「私は全然大丈夫ですよ。あなたや悠樹と比べて殆ど接近戦をしていませんからね。心配しないで下さい」

「そうですか。良かった。西川さんに何かあったら、下田さんと一対一で接する機会が激増しますからね。仲間としてはともかく、上司として俺、あの人の威圧的な態度が苦手なんだ」

「そういう意味でですか」

 何故か西川は呆れるような視線を友に向けた。

「じゃあ、一応携帯は渡しましたよ。私はあなたの苦手な下田さんに呼ばれているので、もう行きます。あとの会議でまた会いましょう」

 そういうと、西川はあっさりとその場を後にした。気のせいか少し肩を落としているようにも見える。

「さて、誰からのメールだ?」

 友はその場に立ち止まったまま、携帯を開き、画面を見た。

 吉田亜紀と書かれている。

「そうか、今日の仕事のことは言ってなかったな。心配させてしまったか」

 セミショートの茶髪をわしわしと掻くと、友は困ったように携帯を閉じた。

「さあ、早くしないと報告に遅れる」

 そのまま早足で歩き出す。

 気の所為か、その表情は携帯を開く前よりも明るくなっていた。







 夜空を見ながら、悠樹は晶子の最後の姿を思い出していた。

 酷く心細そうで、か弱そうな、あの泣きそうな顔を。

 今でも晶子は憎い。

 絶対に許すことは出来ない。

 だが、最後の表情を見てから、悠樹の中にもうひとつの感情も生まれていた。

 晶子に対する哀れみと、悲しみ。

 敏の佳代子に対する最後の思いがまだ残っているのか、晶子自身の感情を共感で知ったからか、何にしても、そういった感情があるということだけは事実だ。

 彼女もまた被害者の一人だったということを何となく理解する。

 悠樹は先ほどの友の言葉を繰り返した。

「俺にも殴らせろ……か」

 イミュニティーは、イグマ細胞は多くの人間の命を奪った。

 最初に遭遇したサラリーマンの男。

 水憐島を訪れていた人々。

 父、大助。

 イミュニティーのメンバーたち。

 そして、敏。

 全ての元凶と思われた晶子もまた、被害者の一人だった。

 この因果を、この連鎖を止めなければならない。

 柄にもなく悠樹はそう思った。

「何か変な気分だぜ。敏の奴、魂までも俺に乗り移ってきたんじゃねえだろうな」

 水面みなもに映る自分の顔を見つめ、目を細める。

 自分はずっと牢獄に居た。

 母が死んだあの時から。

 憎しみと言う名の概念に囚われ、血の記憶に苛まれた。

 まるで真っ赤に染まった赫牢の中に居るように。

 でも、それも今日までだ。何が大切か、何が大事か。今の自分にはかつて見えなかったものがよく見える。

 悠樹は泣きそうな気持ちを耐え、心を沈めると、水面に映る自分に向って己の新しい決意を誓った。

「この腐ったシステムを、この組織を動かしている奴らには報いを受けて貰わねえとな」

 最後に、その顔の横に反射している月と、その本体を見上げ悠樹は呟いた。

「なあ、親父――」











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