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<第十八章>赫牢の外へ(中篇)

<第十八章>赫牢の外へ(中編)




 管理室から飛び出すと、そこにも無数の死体が転がっていた。どれもが醜く顔を歪め、断末魔の表情のまま固まっている。

「こっちだ!」

 その死体を一瞥し、友は右に向かって廊下を走り出した。三人が角を曲がるとほぼ同時に、管理室の壁を大きく粉砕しながら晶子も廊下に飛び出す。

「このままじゃ追いつかれます」

 壁が吹き飛んだ音を聞き、西川が焦りの声を上げた。

 角を曲がり、職員用通路から出た先には二つの道があった。地下二階の飲食店エリアへ行く道と、そのまま同階を進む道だ。

「地下は広い、あいつに有利だ。このまま行くぞ」

 真っすぐ進めば水槽が立ち並ぶ細い通路へと出る。そこならば晶子の速度も落ちるはず。咄嗟に友はそう判断した。

 水槽内で泳いでいる魚たちが、まるで夜空に輝く星々のように左右を高速で通り過ぎる。感染を免れ、己自身の肉体を保れた者たち。だがそんな彼らの命もあっと言う間に、無残に散らされてしまった。

 天井を、左右の水槽を、壁を、四方のあらゆるものを押しのけ、割り、バラバラに崩しながら横谷晶子がその通路へと踏み込んだのだ。

「来たぞ!」

 いち早く存在に気がついた悠樹が大きく叫ぶ。

「ビョォォォオオー!」

 晶子は「見つけた」とばかりに盛大な一声を上げると、己の複腕と前足をここぞと振り回し、追って来た。

「あいつ、こんな狭い廊下まで……」

 周囲のものをボロボロにしながら突き進む晶子に、流石の悠樹も冷や汗を流した。

 廊下の終わりに差し掛かり、広い場所へと出た。大型のマグロ用円柱水槽が中央に置かれていた広間だ。その水槽自体は魚人によって跡形も無くなってしまっている。

「――増援です!」

 広間を挟んで真向かいの廊下から十人近いイミュニティーの男たちが駆けて来る。先に逃げた山並たちが呼んでくれたらしい。悠樹は彼らが正面改札の前で自分たちを見ていた連中だと、すぐに理解できた。

 ――こいつら、今更のこのこと……!

 前回会ったときの彼らの態度を思い出し、拳を握り締める。

「退いてろ!」

 その内の一人が三人を横に押しやると、手に持っていた筒状のものを晶子の方へと投げた。その物体は丁度晶子の目の前に落ちると、辺り一面に激しい炎を撒き散らし出す。

「焼夷弾……!」

 悲鳴をあげる晶子を見て、友は驚いた。

「外で待機している間暇だったからさ。食用油を使って大量に作らせて貰ったぞ」

 そういうと、その男は続けて二つの筒を投げた。

「さあ、お前らはもう行け、ここからは俺たちの仕事だ。改札からここまで来る途中に爆弾を仕掛けさせてもらった。出来るだけ急いだ方がいい」

「爆弾っ!? 下田さんの指示ですか?」

「その上からだ。扉のロックが解除された今、感染者が出口に近付けばイグマ細胞の存在がマスコミに流出する。だからその前にこの水憐島を爆破し、証拠を隠滅するんだとさ」

「そうか、上らしいな。――……分かった」

 友は素直にその言葉に甘んじ、先へ進むことにした。







 全身が熱い。火で、肉体を蝕む小さな天敵の所為で。己の体を苛む痛みに苦しむ中、横谷晶子は悠樹たちが遠くの方へと去りつつあることを知った。

 ――何処へ行く? 私をこんなにしておいて、この計画の、私の全てを無駄にしておいて、何処へ行く?

 全ては上手く行くはずだった。

 広と天野の計画を利用し、「あの男」の望みを果たすことで、自分は自由になるはずだった。

 それが、たった一つのミスで。悠樹を殺せなかった所為で、台無しになってしまった。

 ――お前が、お前の所為で……!

 炎に歪む景色の中、じっと悠樹の姿を視界に納める。

 ――何故お前が助かり、私が死ななければならない。……許せない。お前は、お前だけは……――

「ビョォォォオオオオオッー!」

「何!?」

 突然炎が割れた。男がそう思ったときだった。晶子は大声で唸り、廊下を飛び出すと、焼夷弾を持った男の頭を踏み潰し、一目散に悠樹へと突撃した。

「なっ!」

「きゃぁあ!」

 友と西川が背面からの突然の急襲に驚く中、悠樹は感覚で彼らよりもコンマ数秒早くその動きに反応し、晶子の突き出した右前足を紙一重でかわした。声を発する間もない、まさに一瞬のことだった。

「ぐぁあっ!?」

「あぶしゅっ!」

 悠樹たちが先へ進もうとしていた廊下の前に立っていた二人の男が、その一撃で頭を砕かれる。

「う、上だ! 急げ!」

 一歩前に足を踏み出していたら、自分は死んでいた。そのことに流石の友も声を上擦らせる。だが必死に冷静さを維持し、辛うじてそう叫んだ。出口へ一直線に繋がる廊下は晶子が塞いでおり、あとは来た道を戻るか一階へと進むしかない。その中でもっとも近い道は真横にあった階段だ。悠樹たちが晶子から逃げるには一階へ進むしかなかった。

 三人が焦りながら階段を駆け上がってゆくと、晶子はその場に残った他のイミュニティーの男たちには一切目もくれず、階段を破壊しながら上へとよじ登っていった。

「どうなってんだ?」

 後に残った者たちはただ不思議そうにその光景を見た。




 三人が一階に辿り着くと同時に、真後ろからけたたましい轟音がなる。晶子が足場を砕きながら階段の中腹まで到達したのだ。

「おい全然役に立たねえぞ、あいつら!? 晶子の奴普通にこっちに来てんじゃねえか!」

 イミュニティーのメンバーが晶子を殺してくれる。そう考えていた悠樹は、彼らの醜態に怒りの表情を浮かべた。

「晶子は何故私たちを追って来るの!? 今更私たちを殺しても意味がないのに……」

「このままだと俺たちごとここが爆破される……!」

 先ほどの男の言葉を思い出し、友は悔しそうにそう言った。

「マジで爆破なんかするのかよ。そんなことしたらここで起こった事件の調査が何もできねえじゃねえか。大体、地下にあるなんたらドメインとかいうのから、感染源が拡散しちまうだろ」

「イグマ細胞は海水では感染能力が著しく落ちます。海の成分は血とほぼ同じですから」

「つまり、晶子が俺たちだけを狙っている以上、生き残るにはここから出口までの間にあいつを倒すしかない。残り数十メートル、まさに生きるか死ぬかの瀬戸際だ」

「くそ、管理室から逃げた意味がねえじゃねえか!」

 悠樹は走りながら壁を叩いた。

「増援組が晶子を食い止めると思っていたんだ。仕方がないだろ。今更文句を言っても意味は無い。今考えるべきは、どうやって晶子を倒すかだ」

「ちっ……」

 一体この状況でどうやって倒すというのだろうか。悠樹にはその方法が全く思いつかなかった。

 角を曲がると水槽で出来たトンネルが見えてくる。悠樹が始めて魚人と戦ったあの場所だ。前に見たときと同じように、小魚が無数に泳ぎ回っている。

 悠樹はトンネルを潜りながら、ここでの騒動を思い出した。

 腹を押さえ、もがき苦しむ哀れな男。

 何も知らずその男の身を案じる自分。

 魚人化した男に覆いかぶさられた時は死を覚悟した。本当に死ぬと思った。

 だが、大助と敏がそれを救ってくれた。あれほど横暴な態度を取っていた自分の命を。

 人魚に胸を貫かれ、苦悶の表情を浮かべ死んだ父。誰一人見取る者も無く、たった一人でこの世をさった弟。

 二人の無念さを考えると胸が苦しくなる。

「……――いいぜ。こんなとこで死んで堪るか。俺は生きると誓ったんだ。何が何でも、絶対にあの馬鹿女を殺してやる」

 ここまで来て、ここまで生き延びて、むざむざと死んで堪るか。悠樹は拳を強く握り締めた。







 獲物を追って、駆ける。

 水中にいるかのような錯覚を抱かせる美しい水槽のトンネルをめちゃくちゃにし、足元に散らばる無数の死体を掻き分け、ただ走る。

「ビョォオオオオオオ」

 出口の一歩手前、お土産を販売する店舗が立ち並ぶ広場に晶子はとうとう到着した。

 ようやく追いついた哀れな三人に、勝ち誇ったような顔を向ける。

 抗イグマ剤。焼夷弾。度重なる攻撃で体中に無数のダメージを負ってはいたが、横谷晶子は弱ることなくその四肢を伸ばした。

「ドヤ顔してんじゃねえよ。ここで死ぬのはお前だ。俺たちじゃない」

 その顔を、しり込むことなく悠樹は強く睨んだ。

「長引くと、外にいる連中が私たちは死んだと判断し、爆薬のスイッチを押してしまいます。短期で倒さなくては。向こうからも晶子の姿は見えているはず」

 もう逃げ場のない状態に微かに体を震わせながら、西川がそう言った。

 晶子にしても、悠樹たちにしても、もう後がない。

 ここで相手を素早く殺したものが、「生」を掴み取ることが出来る。

 その場にいる誰もが本能的にそれを実感していた。

「ファランクスだ」

 晶子を眼前に納めながら友が呟く。西川と悠樹は事前に教えられた通り、行動に入った。

 紀元前五世紀頃、スパルタ軍の兵団は僅かな兵力で敵軍隊を蹴散らすために、一つの戦法を生み出した。

 突撃だ。

 隊員を縦にずらりと並ばせ、まるで槍のような形に整列し、その状態で突撃を行った。これはその形状からファランクスと呼ばれ、スパルタ軍が多くの戦いで勝利を納めた理由の一つとなっている。

 かつて怪女王と呼ばれた大型感染体と遭遇した際に、友はこの手段を取る事で見事相手を倒していた。晶子の今の形状は怪女王に繋がるところがある。そのことから、友はこの戦法を使用することを決めたのだ。

 ――短時間で、かつあの複腕の攻撃を回避しつつ晶子の上半身を攻撃するにはこの手しかない。頼むぞ、悠樹!

 先頭に並びながらそう願う。

 友の考えた方法は次のようなものだった。

 まず、自分と西川が晶子の前に立ち向かい、足を止めさせ、攻撃を引きつける。その隙に悠樹が自分たちの背を利用し、上に飛び上がり晶子の頭部を攻撃する。まさに怪女王を倒した時の動きそのままの戦法だ。

 晶子はこちらの奇妙な動きに警戒心を抱いたのか、三人の立ち位置が変化している間何も攻撃をしてこなかった。

 通常の感染者とは違い、赤鬼を初めとする人工感染者には知能を残しているという特徴がある。

 感情や気分に任せ、猛進しようとする本能をその知能が引き止めるのだ。

 侍同士が立会いをする最中のように、全員の額に緊張が走る。

 友、西川、悠樹はこの水憐島という血に染まった牢獄から出るために。

 晶子は己の恨みを晴らすためだけに。

 それぞれが相手を補足し、向かい合った。

「ビョォォォォオオオ!」

「行くぞ!」

 高音楽器と低音楽器を一斉に鳴らしたような晶子の声を合図に、友は走り出した。順に西川、少し離れて悠樹と続く。

 一歩一歩進むごとに、晶子の声が、姿が大きくなる。

 死の気配が、悪寒が肥大化する。

 だが今ここで晶子を倒さなければ、後がない。その思いが、足の筋肉を動かし続けた。

 晶子が前足を持ち上げ始める。

 その動きが、スローモーションのように悠樹の目に映る。

 完全に晶子の足が持ち上がる前に、友がその攻撃領域へと侵入した。

 続けて西川も入る。

 晶子は後ろ足だけで体を支えると、左右の前足を小さく振り下ろした。

 大振りでないことから背後の悠樹を意識しているのだと悟った友は、その注意を自分に向けるために、敢えて相手の懐に飛び込み、叩きつけるようにナイフを差し込む。しかし晶子はその痛みを無視し、佳代子の頭の横から血が噴出そうとも一向に構うことなく、友の胸を蹴り飛ばした。

 先の戦いで肩を痛めていた友はその衝撃に耐えることが出来ずに後ろへと吹き飛ぶ。

 これで残ったのは未だこの場所から遠い悠樹と、晶子の目の前にいる近接戦闘に不慣れな西川だけだ。

 ――全滅――

 友の頭に咄嗟にその言葉が浮かぶ。

 悠樹が晶子の眼前に辿り着く頃まで、西川は生き残ることが出来ない。

 そうなれば、悠樹自身も晶子の上半身に辿り着くことが出来ずに頭を砕かれ、地に伏すこととなる。

 生と死。

 生者と死者。

 時間と空間。

 極限状態の中で、この戦いの結末と、仲間の命の安否を決める決断が友に強いられた。

 前方では西川が、後方では悠樹が、自分が指示した役割をこなそうと、動いている姿が感じられる。

 コンマ数秒、いや、一~二秒の間に、体を起こしつつも友は己の持つ脳をフル回転させた。

 友を退かしたことで余裕が出来た晶子は、左前足を突き出すように伸ばし、西川を倒そうとする。

 悠樹は友が退かされたということにも構わず、彼を信じてただ真っ直ぐに晶子目指して大地を踏みつける。

 中衛としての責任が重く圧し掛かる中、友はその才能を一パーセントの無駄も無く活用させた。

「悠樹ぃい!」

 両手を前に交差し、悠樹の前へと突き出す。

 悠樹は友の感覚を理解し、殆ど本能的にそれに足を架け、宙へと飛んだ。

 辛うじて晶子の攻撃を避けた西川の目に、その姿が映る。

 ――そんな、あの距離からじゃ届かない!

「西川さん、背中を!」

 動揺する西川の耳に、友の言葉が響いた。

 ガッ!

 悠樹は西川の肩と背の間に足を置くと、それを利用してさらに高く、高く跳ねる。

 「ビィ ュ ォ オ ォ ォ ォ オ オ オ……」

  断片的に聞こえる晶子の声の壁を突き破り、悠樹はその頭の目の前へと飛び出した。

  ズォォォオオオっと、無数の複腕が視界の中に飛び込んでくる。

  晶子の腕が早いか、悠樹のナイフが早いか、その一瞬で勝負は決まる。

  ――親父、敏……――力を貸してくれ!

  二人の死に顔が甦る。

  ――母さん!

  無意識のうちに、悠樹は心の中でそう叫んでいた。









「時間だ。押せ」

 大きなテントの中。カチッと音が鳴った腕時計の針を見て、下田が部下に命じた。

 ブルーグレー、紺色の軍服を着た部下は頷くと、何かのレバーを一気に下げる。

 その瞬間、けたたましい音と共に、大きな爆発が起こった。






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