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<第十六章>”阿修羅女王”

<第十六章>阿修羅女王ファイドラ



「窪田さんと佐伯さんは後ろに下がって! 山並やまなみ、戦えますか!?」

 突如その正体を明らかにした横谷晶子を目にし、西川は動揺しつつも何とか言葉を絞り出した。

 阿修羅の一撃で戦闘をリタイヤしたものの、この状況ではどう考えても戦いに参戦するべきだ。痛む体のうずきに耐え、山並と呼ばれた二十代後半の男は立ち上がった。刈り上げた髪がその勢いで逆立つ。

「じ、自分はもう大丈夫です。戦えます」

「あなたは後ろの二人のことをお願いします。あの蜘蛛女は――横谷晶子は私と友たちで何とかしますから、その間に彼らを逃がして下さい」

「ですが、扉のロックは?」

「どういうわけかロックは解除されていました。今なら手動で扉を開けられるはずです。出来るだけ早く外の仲間を呼んで来て下さい。――さすがに、私たちだけでは勝てそうにもありません」

「わ、分かりました。――後武運を……!」

 「ぐるん」とこちらに向いた晶子の水色の目にびびりながら、山並はそう答えた。

「友、立てますか?」

 続けて西川は、先ほど晶子に吹き飛ばされた悠樹たちの方を見る。二人は苦痛の呻き声をあげながらも、なんとか膝を立てた。

「……――あのクソ女、ぶっ殺してやる……!」

 目を血走らせ、口元から一筋ひとすじの血を流しつつ、悠樹はなおも憎しみに染まった顔を晶子へと向けた。今にも晶子を食い殺さんばかりの気迫だ。友は強打した己の背を撫でながら、そんな悠樹の暴走を食い止めようとした。

「落ち着け悠樹。気持ちは分かるが、感情的になるのはマイナスの効果しか生まない。冷静になるんだ」

「あいつは敏を殺したんだ! 冷静になんかなれるか」

「何? 敏くんが?」

 友はいきなり悠樹の口から飛び出た言葉に驚いた。

「あいつの足元を見ろよ!」

 悠樹は息を荒げながら目で一点を示す。友がそこを向くと、床の上に、隣に立っている男と同じ顔の亡骸があった。無残にも他の職員たちの死体と同様に転がっている。確かに敏のようだ。

「これでも冷静になれって言うのか!?」

「――悠樹!」

 悠樹は阿修羅戦で友から貰ったナイフをしかと握りしめ、その怒りのままに晶子目掛けて走り出した。頭の中にかつで自分が放った言葉が甦る。


 『泣くなよ、敏。お前は俺が必ず守ってやる。俺は――兄貴なんだからな』


「くそぉったれぇぇぇええー!」

 溜まった疲労やダメージの所為で、体中の骨が、筋肉が、臓器が、破裂しそうなほど軋む。肺が空気を求めて喘ぎ、心臓が爆音を奏でる。

 だがそれでも、悠樹は動きを止めなかった。

 ――あいつには俺と違って未来があった。あいつはここで死ぬべきじゃなかった。あいつは、敏は、俺や親父の希望だった。この血に塗れた家族の因果から抜けてくれる、俺たちの救いだったんだ。

「ビィィィァァアアアア!」

 真っすぐに突撃してくる悠樹を目にし、あざけるような笑顔を上の顔に浮かべながら、晶子はその両足、元々は佳代子の腕であった前の足を持ち上げた。

「死ぬ気か――!」

 友は焦り、飛び出した。が、どう考えても間に合いそうにはない。

 頭の上に落ちようとする巨大な足を眺め、悠樹は晶子の感覚を共感能力で知った。

 落胆、怒り、憎しみ、自惚れ、優越感、勝利の確信、その他エトセトラ……

 悟るでもない、予想するでもない、理解するでもない。自分の感覚としてそれがダイレクトに頭に浮かぶ。

 ――てめえ、俺を見下してんのか? 弟を守れなかった。親父を守れなかった。ただの馬鹿だと――見下してんのか?

 既に限界を超えていた怒りの量がさらに増え、心の容器から溢れでる。

「ふざけんなぁぁあっ!」

 ぶちっと、何かが切れる音を連想させながら、悠樹は感覚を活かし、見事に晶子の両足を避けた。が、その直後、晶子の腰周り、つまり佳代子の背から生えた腕に頬を殴られ大きく横に倒れてしまった。地面にぶつけた所為で、頭から血が流れ出る。再び迫り来る晶子の足を眺めながら、悠樹は無尽蔵にあふれ出る悲しみに押し潰されそうになった。

 ――なんであいつを殺した? 死ぬべき人間は、俺の方だったのに……







「早く、こっちだ!」

 山並は出来るだけ腰を低くし、後ろのデスクの前に居る佐伯と窪田に声をかけた。二人は足をガクガクと震わせながら青白い顔を浮かべ、こちら側へやってくる。こうやって動いていれば、多数あるデスクが壁となって自分たちの姿を隠してくれるのだが、やはり怪物の横を通るという恐怖感が拭えないらしく、二人の足は慎重を極めた。

「もっと急げ、俺たちは早く助けを呼ばないといけないんだ。中央で戦ってる奴らと比べたら、全然安全なんだぞ」

 西川たちの身が心配な山並は、今すぐにでもこの二人を置いて先へ進みたかった。だが、生存者を助けることは任務目標の一つでもあるし、なによりその西川に二人のことを任されてしまったため、仕方が無くこうして二人のペースに合わせざる負えなかった。熟練の隊員なら上手く二人の気を紛らわして誘導することも出来ただろうが、生憎山並の経験は浅く、しかもその実力も未熟だ。それを無意識のうちに感じているからか、窪田と佐伯も心の底から山並のことを信用する事が出来ず、これが二人の足を遅らせる要員の一つにもなっていた。

「くそ、ちんたらしやがって……!」

 山並は舌打ちしながら晶子の様子を確認するために、管理室の中央へと目を走らせた。すると今にも悠樹が晶子に踏み潰されようとしている姿が目に入った。落胆の意を込めて溜息を吐く。

 ――ほら、言わんこっちゃねえ、さっそく死人が出るぞ!







 大きな足が獲物の脳髄を砕こうと振り下ろされる。

 管理室の中央、デスクとデスクの合間。やっとここまで辿り着いた友は、晶子の足が悠樹の頭蓋を割る前に、咄嗟に体当たりすることでその軌道をずらした。瞬間、悠樹の真横の地面が深く陥没する。

「立て!」

 僅かに生まれた隙を逃さず、WASPKNIFEワスプ・ナイフを佳代子だった下の頭の片目に突き立て、友は叫んだ。

「ビイィィィァアアア!?」

 上の頭と下の頭、晶子と佳代子の両方の口から絶叫を響かせ、怪物が大きく仰け反る。友はその隙に悠樹の体を起こすと、引っ張り出すように後ろに下がった。

「――お前は俺に近い人間が死んだのかと聞いたな」

 後ろから悠樹の体を支えつつ、友は耳元で力強く言葉を発した。

「俺はそうだと答えた。お前の気持ちは良く分かる。悔しさも、絶望感も、俺もお前も他者の多くの犠牲の上に生を得た最後の生存者だ」

 悠樹は濁った暗い目を僅かに友に向けた。

「俺は目の前で命の恩人である仲間を二人も殺され、お前は血の繋がった家族を二人失った。どちらも身を引き裂くような苦しみだ」

 複数の腕を縦横無尽に動かし、盛大な悲鳴を発しながら、晶子が暴れる。その影響で地面が揺れ、二人は近くのデスクを掴み、体勢を維持した。

「辛いだろう、苦しいだろう、痛いだろう。永遠に忘れることの、許す事の出来ない深いくさび。これは死ぬまで心に焼きつき、消えることは無い」

 振動で天井、換気扇などのほこりが落ち、雨のように二人の上に降り注ぐ。

「だけどな、悠樹。お前がここで死んだら誰が二人の死を悲しむ? 誰が二人の真実を記憶する? 誰が仇を討つんだ? お前の父も、弟も、皆お前を守ろうとしていた。お前に生きてこの島から出て欲しかったんだ。お前は、その思いを、努力を、彼らの意思を全て無下にするのか?」

「……学校の先生にでもなったような口だな」

「俺は事実を言っているだけだ。俺は、俺の仲間のことを片時も忘れたことは無い。彼らの死があるから俺は今生きている。彼らの存在を、彼らの死を知っているからこそ、生きてこの腐った世界を終わらせたいと思っているんだ。お前が、お前が生を諦める事は、苦しみから逃れることは、父と弟に対する最大の侮辱だ。甘えるのもいい加減にしろ。また新しい後悔の種を生む気か? お前はあの世まで後悔を引きずる気なのか?」

 自分はかつて幼かったから、未熟だったから、掛け替えの無い仲間を死なせてしまった。

 下らない意地を張った所為で怪物と相打ちになった熱血な少年。考えの浅さから犠牲にしてしまった勇敢な相棒。もう二度と彼らのような人間を、悲しい存在を作りたくは無い。その思いが、感情が、溢れ出るように友の中から飛び出した。

 悲しみが。

 怒りが。

 後悔が。

 言い様のない、体を突き破りたくなるような深い思いが伝わる。

 悠樹はその一つ一つを自分の感覚、感情のように共感能力で知った。まぶたの裏に、大助と敏の顔が浮かぶ。

 『兄貴』

 『悠樹――』

 そう笑顔で、自分の名を呼ぶ二人の姿が――自分の、家族の顔が。

 悠樹は痛みに暴れ狂う晶子の顔を見た。

 敏の死に際の感覚が伝わっているのか、何となく分かる。晶子は自分が助かりたいがために、この島を巻き添えにした。恐らくここに住んでいる己の家族さえも。

 長い間ここで働いていたから知っている。横谷家の仲はかなり良かった。実際にその姿を見たことはないものの、噂や話に挙がる彼らの関係はまさに幸せな家族そのものだった。自分たちのように、怒りと悲しみに染まったようなものではなく、ごく普通の平和な関係。

 それが何でこんなことになったのか。

 一見険悪なように見えても心の底で繋がっている家族もあれば、繋がっているように見えて実際は殺し合いを演じる家族もある。

 その違いが、それをわけ隔てる原因が何かは分からない。

 ただ、悠樹は、自分たちが前者であることを心の底から良かったと思った。

「……じゃあどうすればいいんだよ。俺の、この気持ちはどう清算すればいい……?」

 友の言葉から、その思いから、僅かに冷静さを取り戻した勇気は静かに呟いた。

「自分が正しいと思うことに費やせ。今一番重要なことは何か考えるんだ」

 優しく、友は諭すように言った。

 その瞳をじっと見つめ、悠樹は何かを決めたように上を向いた。

「分かった」








 山並たちがなんとか管理室の出口まで辿り着くと、晶子はようやく彼らの存在に気がついた。

 下の頭、佳代子の眼球の傷の痛みと、山並らが逃げることで生じる危険に焦り、トラックのような速度と圧力を撒き散らしながら猛然と彼らに突き進む。

「やばっ!?」

 山並は顔面蒼白にしながら慌てて扉の手動スイッチを押した。

「早く! 開けぇ、開けぇ、開けぇぇえ!」

 扉と晶子を交互に見ながら無意識のうちに叫ぶ。

 ゆっくりと横にスライドしていく扉が待ちきれなかったのか、佐伯と窪田は揃ってその扉に縋りついた。

「早く、早くっ!」

「お願い、開いてよ!」

 三人の真後ろに晶子が飛び降りる。

「ビイィィィィャァァアアアア!」

 時を同じくして扉が開き、山並たちはオアシスに飛び込む砂漠の放浪者のように、一気にそこを通り抜けた。コンマ数秒後にその扉の地面を晶子の大きな足が砕き割る。

「山並、頼みましたよ!」

 既に姿の見えなくなった彼らに声をかけると、西川はこちらに向ってくる友と悠樹の方へと走りよった。

「友、どうしますか?」

 自分が上司であることも忘れて不安そうにそう聞く。友はさっと考えを巡らせると、すぐに答えた。

「ここはまがりなりにもイミュニティーの研究施設だ。研究施設なら、必ず『あれ』があるはず」

「あれ? ――抗イグマ剤ですね。ですけどあれは事件発生当初に、柳管理長が水槽中に全て拡散させたはずですよ。それに、晶子は一度薄めたとはいえ、私の手持ちの薬を商品エリアで飲んでいます。この事件で生まれた生物に、抗イグマ剤は効かないのではないですか?」

「いや多分、横谷晶子には効いていた。恐らくあの老化、副作用か何かでしょう。抗イグマ剤の効果であの副作用を長引かせ、老化の時間を維持したんだ。柳が拡散させたというのも、本当に拡散しているとは思えない。これを起こした犯人が誰にしろ、抗イグマ剤の拡散は予測がついたはずだ。必ずシステム的に水槽へ抗イグマ剤が届かないように細工をしている」

 友は管理室前方の中央、水質管理設備の方向へと視線を傾けた。そこには大きなでこの字を横に倒したような機器がある。

「可能性が高いとすれば、あの注入機自体の中か、この管理室周囲のパイプの中で止められていることだ」

「だったら、すぐにシステム解除に取り掛かります」

 西川はすぐに制御盤の方へと走り出しかけたが、友はそれを止めた。

「地下にあるはずの抗イグマ剤も無かったんだ。晶子にはかなりシステム面に優れた協力者がいたんでしょう。俺たちの技術では解除できる可能性は低い。出来るのなら、既にここのスタッフがやっているはずだ」

「じゃあ、どうすれば?」

「俺に任せて下さい。何とかして抗イグマ剤を、大量に晶子に食らわしてみせます」

「また何か策があるんですね……?」

 黒服では純粋な戦闘力が、ディエス・イレでは信念と死を恐れない覚悟が、イミュニティーでは柔軟な発想を持つ者がつわものとされる。友の実力を信じている西川は自分の命、全てを彼に任せることにした。

「では、私はあなたが工作をできるように、なんとかあの蜘蛛女から時間稼ぎをします。正直、自信は全くありませんけどね……」

 若干、顔を青くして西川はそう言った。

「おい、ふざけんなよ。あんたがそんなことこなせるわけねえだろ。囮は俺がやる」

「え?」

 突然悠樹が前に出てそう言ったので、西川は驚いた。正直、先ほどまでの出来事から悠樹はもう使い物にならないと思っていたのだ。

「西川さん、大丈夫だ。悠樹はもうちゃんと戦える。あなたは中衛として彼に指示を送って下さい。指示を出すのなら、あなたの得意分野でしょう?」

 西川は友と悠樹の顔をまじまじとみた。どうやらその言葉に嘘はなさそうだ。出入り口付近にいた晶子も自分たちの不穏な動きに気づき、こちらに向って歩き出している。急がないのはもう山並たちが逃げてしまったため、腹をくくっているからだろう。すぐに覚悟を決めた。

「分かりました。横谷晶子さえ倒せれば全て終わります。悠樹さん、私を信じてくださいね。……友、あなたには待っている人もいます。決して無茶はしないように」

 二人はしっかりと頷いた。

「では、やりましょうか」

 西川が身構え、強い眼差しを晶子へと向ける。晶子はもう三人の眼前まで迫り、一気に攻撃に取り掛かろうとしていた。

 それを見た友はすぐに右方向へ走り出した。

 同時に悠樹は叫んだ。全てを吹っ切るような、腹の底からの大声で。

「来やがれぇ――化物!」





 


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