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<第十二章>事件の真相

<第十二章>事件の真相



「随分な余裕だな」

 管理室内に入るなり、自分たちを笑顔で迎えたひろしを不審に思い、トウヤが尖った声を出した。

「余裕? 俺に余裕なんかねえよ。これは一種の諦めだ。脱出の見込みが遠ざかったことに対するな」

「……それは素直に降参してくれるっていうことなのか?」

 『諦め』という言葉を自分たちに追い詰められたからだと思ったトウヤは、警戒体勢を維持したままそう確認を取った。

「なに、別にお前らの登場を苦に思ったからじゃない。この管理室の外にある死体の所為で魚人が集まって逃げられねえのさ。それに対する諦めだよ」

 苦笑いする広。

「羽場さん。本当にあんたは横谷広なのか?」

 敏がかなり疑いを持った目で聞く。

「……ああそうだ。俺は正真正銘、横谷広。この水憐島の館長横谷晶子の実の弟さ」

「悪いけど、俺にはとても信じられない。あんたが広だってことも、佳代子さんが横谷晶子だってことも……」

「お前がどう考えようとどうでもいい。これは嘘でも悪戯でも何でもない。――……どうせしばらくはこの部屋から出られないんだ。全部話してやるよ。この水憐島で、俺たち、いや、俺の家族に何があったのかをな」

 広はそう言うと、天野と視線を交え何かを確認しつつ、もったいぶるように話し出した。





 ――約7ヶ月前。

 ラフなジーパン姿にだらしなく伸びた髪と無精ひげを携えた広が、水憐島居住区画の通路を歩いていた。その顔は若々しく二十代後半を思わせたが、崩れた格好の所為か一見すると廃れた不良のようだ。

 通路の角を曲がるとちょうど目の前に、館内の様子を確認するためか、何かメモのようなものを取りながら歩いている晶子と、その部下である柳に鉢合わせした。

「あら広、あなたがこんなに朝早く起きるなんて珍しいわね。昨日は遅くまでお友達と飲んでいたんでしょ?」

 晶子は広の姿を見ると、先ほどまでの凛々しい表情は何処へやら、一変して世話好きな姉の顔になる。

「別に早起きなんかしてねえ、ずっと起きてただけだよ。それに、あいつはダチじゃない。あいつはただの媚売り。姉貴に近付くために俺を利用しようと考えてんのさ。まったく、イミュニティーの中でも歴史ある横谷家の家長でこの水憐島の館長でもある姉貴が、あんなただの鮫のショー解説者を相手にするわけはねえのにな」

「こら、他人のことを悪く言っては駄目よ? 単純にあなたと仲良くなりたっかったのかもしれないんだし」

「仲良くって……俺は小学生かよ。姉貴は自分がどれだけ人気を持ってるのか知らないのか? 今やこの水憐島中の男は、殆ど姉貴のファンだと言ってもいいんだぞ?」

「ファンねえ。どうせ私の見かけに引かれただけのミーハーでしょ? 嫌なのよね、そういうのって。私の性格も内面も考え方も、何も知らないのによく好きだなんて言えるわよ」

「人間っていうものは大抵そうだろ。義兄さんだって姉貴の顔がキングコングみたいだったら好きにならなかっただろうし、俺だって美人以外には興味なんかないしな」

「あ、佐伯さんだっけ? そういえば今朝も熱帯魚の水槽の前で見かけたわよ。あの子ほとんど毎日来てるわよね。仕事していないのかしら?」

「あの人は小説家だよ。なんか随分甘い純愛ものを書いているらしい。たしか、最新作品の題名は『白露の恋』だっけか? ん? 何で姉貴佐伯さんのこと知ってんだ?」

「あらま、広ったら随分詳しいのね。もしかして今日早く起きたのはあの子に会うため? 私のファンと飲んでいたのは彼女の情報収集のためだったりして?」

 広の疑門の言葉を無視し、長い薄茶色の髪を掻き揚げながら晶子はクスリと笑った。

「横谷館長、そろそろ会議のお時間です」

 ずっと黙って晶子の横に付き添っていた柳が、無表情で晶子の耳に囁く。魔女鼻持ちとはいえ、決して顔立ちの整ってはいない人間ではないのだが、晶子の横に立つとどう見てもただの付き人の一人に見えた。

「じゃあ、私は仕事があるからもう行くわよ。あなただって操さんと一緒に館内用品の引き取りに行く予定でしょ。いつまでもそんなプーたれみたいな顔してないで、ちゃんと身なりを整えなさいよね」

「誰がプーたれだ。それよりも姉貴、俺の質問に答えろよ」

「さあ、何ででしょう? そのうち教えてあげるわ」

 ウインクをしながら去っていく晶子。広はちょっとだけむっとしたような表情を作ったものの、すぐに微笑み歩き出した。

 ごく普通の日常。いつもとなんら変わらない応対。

 これからもこんな日が続き、そのうち自分も落ち着いてあの時は若かったとか、ありふれた言葉を言うんだと思っていた。

 そんな幻想を抱いていた。

 晶子がおかしくなるまでは――

 ある日から晶子の口数は減った。まるで別人のように寡黙になり、一人でいることが多くなった。

 彼女のことが心配になった広と義兄のみさおは、なんとか彼女の元気を取り戻そうと頑張ったのだが、その努力が報われる事は無かった。逆にその頑張りを卑下するように、晶子の言動や行動の異常さは時を追うごとに悪化していった。

 先代館長から続いている、水憐島地下の極秘研究所に閉じこもることが多くなり、開発主任の天野博士と共に何やら新しい細胞の研究を始めた。

 永遠の命。

 永遠の若さ。

 永遠の美貌。

それを実現するための実験を昼夜問わず行っていたのだ。

 晶子の夫である操はさすがに心配になり、何度も彼女を強制的に止めようとした。しかし晶子は操の言葉など全く意に介することなく、自分の意思を貫き通した。

 一体自分の姉はどうなってしまったのか? 狂ってしまったのか?

 広は不安と底知れぬ恐怖を感じ、晶子の長年の相棒である柳管理長を問い詰めた。

 柳は最初こそ説明を拒んだが、広の意思に負け、また自分が溜め込んでいた不安感も相成ってとうとう観念した。

 そこで返ってきた言葉は予想だにしないものだった。

 原因は横谷操の不倫。それも自分より十歳は若い女性と。

 とても信じられない。事実とは認めたくない言葉だった。

 あの優しい操が、いつも姉と仲睦まじく微笑み在っている操が、とてもそんな真似をするとは思えない。何かの間違いだろうと必死に否定した。しかし柳の話し方はとても冗談を言っているようには見えない。一言一言苦痛を吐き出すように言葉を発している。

 どうやら晶子はその現場に遭遇し、もろに二人の秘め事を目撃してしまったらしい。その所為で精神に深い悲しみと痛みを切り刻まれ、異常な行動を取るようになってしまったようだ。

 操は一時の気の迷いだったらしく、すぐにその相手の女性とは別れ晶子に謝罪したそうだが、全く聞く耳を持たれず今のような状態へとなってしまった。

 もう三十代前半の年齢。

 事件後から晶子は僅かに生まれつつある自分の頬の皺や艶の具合を、神経質なほどに気にするようになった。絶えず手鏡を所持し、頻繁に化粧を直し、他人の目や噂を気にする。ちょっとでも若くて顔立ちの良い人間が配属されると、自分の権力や信者を使って彼女たちを操に近づけないように裏工作を施す。

 日に日に異常性は増し、事件から数ヶ月が立つ頃には幻聴や、幻覚、悪夢まで見るようになっていった。もはや晶子を苦しめているものは操の浮気から自分の美が失われる恐怖へと、その原因を変えていた。

 今の自分の人気も、他人の些細な優しさも、この充実した地位も全ては己の美の恩恵。そう考えるようになって言った。

 だから彼女はそれを、己の美を維持するために、この現状を変えないために、永久細胞の発明に取り掛かった。

 ありとあらゆる衰退から、老化から、衰えから解放された究極の美を持った人間を生み出すための細胞。

 DEGAUSS・JAILデガウス ジェイルの開発に――

 操の浮気が、周囲の全貌の眼差しが彼女を追い詰めた。

 美人の館長。

 噂の横谷晶子。

 美しく、凛々しく、才能溢れる横谷家の長女。

 それらの押し付けにも似た、一方的な期待が彼女を狂気に追いやった。

 もし自分の美が失われたらどうなるのか。

 老いたらどうなるのか。

 今と同じようにみな接してくれるのか。

 いや、くれるわけがない。

 広も言っていた。

 所詮人間は美を持つものに惹かれると。

 ならば、それを維持するしかない。

 継続するしかない。

 永遠に。 

 永久に。

 いつまでも。

 それが、横谷晶子が考えた最終的な答えだった。




「しょ、晶子……お、お前……!!?」

 一ヶ月以上地上に姿を見せない晶子が気になり、ある日、操はとうとう柳の静止を振り切って地下の研究所――セカンドブラックドメインがあるホールへと踏み込んだ。

 だが、そこで彼が見たものはあの美しかった晶子ではなかった。

 一言で言えば『化物』。

 彼女は全身を気泡だらけの緑色の肌に覆われ、体中から無数の腕や足が生やしていた。明らかにまともな人間の姿ではない。

「お前……一体何をしたんだ……? 本当に晶子なのか!?」

 広い地下ホールの中を一歩一歩退いでいく操を見ると、晶子は涙を流しながら答えた。

「そうよ操さん、私。この水憐島を指揮している館長、横谷晶子。そして……あなたの妻だった女」

「そ、その体は何なんだ? 何でそんな馬鹿な真似を……」

「何でですって? よくそんなことが言えるわね。全部あなたの所為でしょ? あなたが私を捨てたから、私を裏切ったから、私はこんな吐き気がする、悪辣あくらつで、醜悪で、無様な人外の化物になったのよ!」

「お、俺の所為!? た、確かに浮気をしたことは悪いと思ってる。だ、だけどいくらなんでもこれはやりすぎだろ」

 ガンッ!

 晶子はその複数の腕を付近の大型機器の上にめり込ませた。機器は激しく火花を上げながら燃え出す。

「ひいっ!?」

 操は悲鳴を上げて座り込んだ。

「やりすぎ? 私が好きでこんな体になったとでも思っているの? こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかったのよ! 本当はただ年を取らない体になればいいと思っていた。なのに、何でこんなことに…………」

「わ、分かった。とにかく本部の研究員に来てもらおう。彼らならお前を治してくれるかもしれない!」

 ――もう沢山だ! 一刻も早くこの場から、この島から離れないと……!

 あれほど晶子を愛し、寄りを戻すことを考えていたはずの操だたったが、もうはや頭の中では「いかに晶子から逃げるか」ということだけを考えていた。おっかなびっくり立ち上がると、上へと繋がっている階段がある実験室目掛けて一目散に走り出す。

「どこに行くの?」

 しかし扉の前まで来た瞬間、首裏の襟を緑色の腕に捕まれた。振り向くと、真後ろに冷たい目をした晶子が立っている。

「いや、だっ、だからその、……本部の研究員を呼ぼうと思って……」

 たどたどしく言いわけするが、明らかに苦し紛れだ。操は自分の血の気が引くのをはっきりと感じた。

「何よ、怯えちゃって。あれほど逞しかった操さんらしくもない。本部は呼ばなくていいわ。これはもうどうにもならない。私自身が研究して作ったものだから分かるの。私はもう人間じゃない。死ぬまで永遠に化物のまま」

「そ、そんなのやってみないと分からないだろ?」

「だからね、操さん。私、考えたの。形はどうあれ永遠の命を手に入れたことには違い無いわ。もうこうなったら開き直ってこのまま怪物として生きて行こうって。反作用もあるけど、一応元の姿にも戻れるしね」

「そ、そうか」

 にこりと晶子は笑った。

「操さん、私とあなたは夫婦。一生を誓い合った相手。覚えてる? あなたが私に告白した時の言葉。 『俺は何のとりえもないただの一、事務員だ。本当ならお前とは全くつりあわない。だけどこうなったからには、どんな苦難が待っていようともお前を大切にして一緒に過ごすよ。この言葉に嘘は無い。結婚してくれ』 だったかしら?」

 笑いかけながら操を掴んだ三つの腕を離すことは無く、晶子は残った腕の一本で懐から注射器を取りだす。

「な、何だそれは!?」

 操はガタガタ震えながら晶子を睨んだ。

「心配しないであなた。これはデガウス・ジェイル。私の体にある細胞と同じ物が入っているの。これを使えばあなたも永遠の命を得る事が出来るわ」

「や、止めろ! 俺は永遠の命なんて要らない! 俺は人間がいい、人間で居たいんだ!」

「私を愛しているんでしょう?」

 晶子は三つの腕で操を持ち上げ、注射器を持った腕をその大きく振り上げた。

「やめろぉぉぉぉぉおお!!?」

 銀色の針が鍛え込まれた肉を貫き、血管を潰し奥へ、奥へと侵入していく。圧倒的な絶望感に満たされながら、操は満面の笑顔を浮かべて微笑んでいる晶子をまぶたの裏に焼付け、気を失った。


 


 ――現在。水憐島管理室。

「そんなことが……じゃあ、さっきの阿修羅みたいな怪物は横谷操なのか。あ、あんな姿になるなんて……」

 広の話を聞いた敏は気分が悪くなり、口元を押さえた。

「義兄さんは、結果から言えば細胞の受精に失敗した。自我を徐々に失い、体も人間の姿に戻る事は出来ず、ずっと化物のまま。まあ、姉貴はそっちの方がよかったみたいだがな。ずっと義兄さんを手元に拘束していられるし、なにより自分と同じ種に出来た喜びが大きかったようだ」

 淡々とした口調で広が言う。

「その後、俺も義兄さんと同じように捕まったが、何とか身を守ることに成功した。そうだな……大体一週間くらい前の話か」

「ちょっと待て、それが本当の話だとしてなんでお前は老化しているんだ? 注射を打たれたわけじゃないんだろ?」

 相変わらず冷静に質問を出すトウヤ。その冷静さにつまらなそうな目を向けると、広は直ぐに答えを述べた。

「打たれたさ。だが俺はその直後に抗イグマ剤――その細胞を殺す薬を大量に飲み込んで、体の感染拡大を一時的に停止させた。だから人間の姿を保つ副作用である老化は進行したものの、さっきの義兄さんみたいに怪物になることも、強力な力を出すこともない。もっとも、定期的な服用が必要だけどな。――これでいいか?」

 両手を左右に開き、「OK?」とジェスチャーをする。その、こちらを馬鹿にした態度にトウヤはイラっとしたが、ここで怒っても意味が無いため我慢し、再び広の言葉を待った。広はそれが当然のように話の続きを始める。

「俺は操義兄さんが姿を消してから姉貴を怪しむようになった。普通、いくらケンカをしているとはいえ、夫が何の音沙汰もなく消えたら動揺するはずなのに、姉貴にはそれが無かったからな。だから最近の言動のおかしさもあって疑いを持ったんだ。案の定、そこにいる天野博士を問い詰めてみれば、全ては姉が原因だと分かったよ。おかげで事前に抗イグマ剤を大量に用意することも出来た」

 天野博士は何かを思い出したのか、痛そうに自分の飛び出たお腹をさすった。

 間を置かずに広は話を続ける。

「俺は一時的に感染進行を停止させることには成功した。だがあくまで一時的にだ。このまま体内にデガウス・ジェイルを持ち続ければ、いつかは他の細胞が負荷に耐えられなくなって崩壊する。毎日また姉貴に誘拐されないかとびくびくしながら生きていた。逃げる事は出来ない。イミュニティーの情報網は強力だ。逃げ出しても直ぐに捕まる事は目に見えている。俺は人生を諦め、自決を覚悟した。……そんな時だ。あの男に会ったのは……」

「あの男?」

 ――一体誰のことだ? 

 敏は不思議そうに尋ねた。その問いに、広は僅かに嬉しそうに答えた。

「黒服の大参謀さ」






 

 一週間前。水憐島の会議室に、一人の二十代後半らしき男が来ていた。

 警察特殊部隊の服と、カジュアルなジャケットやズボンを合わせて割ったような服装をした男だ。

 広は水憐島重要関係者であるためこの極秘会議に呼ばれたものの、今回の会議の目的も男がやってきた理由も何も分かっては居ない。ただ男の正体だけは知っていた。

 『ナグルファル』。

 イミュニティーや複数のテロ組織の依頼を受け、大金と引き換えに命を賭けてまでイグマ感染者を滅する傭兵集団。通称「黒服」と呼ばれる組織の人間だ。

「態々(わざわざ)ご苦労さまです。一体あなた自らがここに何の御用でしょうか?」

 今は人間の姿、元の美しい女性の姿を形成している晶子が、棘のある声を男に投げかけた。あまり長時間人間の姿でいれば副作用として一時的に老化するらしいが、今はまだ余裕があるようだ。操の失踪前と何ら変わらない芸術のような笑顔を相手に向けた。

 目の横まである前髪を真ん中で一対一に分けたショートヘアー。ふちなしの楕円形メガネ。

 エリート社員のような雰囲気を持ったその男は、同じく作った笑みを晶子に返すと、少々高めの声で説明を始めた。

「この場には僕と初対面の方も多数いらっしゃると思いますので、まずは自己紹介からさせて頂きます」

 そういつつ、全く隙の無い大きな目で横や正面に座った十人あまりの水憐島幹部を見渡す。

「僕は草壁国広くさかべくにひろ、ナグルファルの取り締まり役です。以後お見知りおきを」

「一体何の用なんですか?」

 横谷晶子が敵意を草壁に向けたためか、柳がいきなり晶子と同じようにツンとした態度で尋ねた。あまりに直接的な質問にもかかわらず、草壁は戸惑うことなく返事を返す。

「事前に書類でお知らせした通り、私はイミュニティー本部からの依頼を受け、この島の研究内容を本部へ通すためにやってきました。ご存知無いはずはありません」

「その書類は無効となったはずです! こちらから自主的に技術を本部に提出することでまとまったではないですか」

「ええ、確かに話は纏まりましたよ。ですが、あなた方はいつまで経ってもその技術提出を行わない。これは重大な契約違反です。イミュニティー本部が態々黒服の幹部である僕を越させたのも、それが理由なのですから」

「どういうことです?」

 晶子は草壁の言葉が気になり、怪訝そうな表情で聞いた。

「イミュニティー本部は国家の正式な組織。無闇やたらに一支部を攻撃することは出来ません。それも全代表である横谷家の指揮する場所ならば尚更そうです」

「……なるほど、確かに黒服は傭兵集団。国家が存在を容認しているとは言え、国の管理下には置かれていない。黒服ならばこの水憐島で何を行っても、国からの責任追及は無いですからね。あなたに依頼をした六角行成の考えはそんなところでしょう」

「その通りです。ですが、それだけでは少し説明が足りませんね。僕は先ほど『態々僕を』ここへ越させたと述べました。僕は実質上、白居学の次に大きな権力を持っています。そんな僕をここに寄こす意味は何だと思われますか?」

 丁寧な物言いだったが、明らかに脅し文句だった。横谷を初めとする水憐島の幹部たちは、皆顔を歪めて草壁を睨む。

「黒服の全能力を持って、この水憐島の情報を奪い取ろうとでもおっしゃるのですか?」

 しばしの沈黙のあと、再び横谷が口を開き、そう言った。

「いえ、そんな物騒で人材も資金もかかる真似は致しません。僕たちは暇じゃないですから。ただ、あなた方が本部の以降をこれ以上無視することがあれば、少なくとも数十年にも渡ってこの場所が機能しなくなるような惨状は起きるかも知れませんがね」

 そう言うと、草壁は再びにこりと笑った。










「君。横谷館長のご兄弟ですよね?」

 会議終了から二時間が経った頃。ぷらぷらと水族館内を歩いていた広を突然草壁の声が呼んだ。

 ――あいつまだ居たのか?

 広はその声に驚きながらも声がした方向を振り向く。しかし、そこに草壁の姿は無かった。

「あれ?」

 戸惑い、辺りの一般客を見回す。

「ここですよ。どこを向いているんですか?」

「え、お前……?」

 再び後ろを向くと、廊下のど真ん中にスーツを着た綺麗なショートヘアーの女性が居た。どうやら先ほどの声はこの女性から発せられたらしい。

「お、お前本当にあの草壁か……?」

「ふふ、そうですよ? 驚きましたか?」

「お前……女だったのか?」

「今は、ね」

「今は?」

「どっちだろうとあなたには関係ありませんよ。僕の本当の性別を知っているのは二人しか居ませんし。それよりも、苦労をしてこうして女性の姿に変えたんです。僕の話を聞いて頂けますか?」

「え、話?」

 半ば強引に連れ込まれる形で島内のフランス料理店に入ると、広はわけが分からず草壁に食事を奢らされ、その話とやらを待った。

 ――なるほど、確かにメガネをとったらこんな顔をしてそうだな。あの男。でも一体俺に何の用なんだ? 大体俺の外見は老けて大分変わっているのに、何で俺のことが分かったんだ? 会議でも名乗ってねぇよな……?

「ふふふ、黒服を舐めないで下さい。そちらの事情は全部スパイを通して伝わっています」

 広の考えを読んだのか、草壁はもぐもぐと口を動かしながら高めの声でそう言った。

「スパイ?」

「そうですね、それについても言わなければいけませんし……では、詳しく話させて頂きますよ。最初に述べておきますが、これは水憐島の存続だけでなくあなたの命にも関わる話です。決して軽い気持ちで聞かないで下さい」

「わ、分かった」

 何となく男の姿をとっていたときとは違う態度と反応に違和感を感じながら、広は真剣に草壁の話を聞き始めた。









「それで、脱出の手引きと引き換えにこの島にバイオハザードを起こしたのか」

「ああそうだ。俺はこの島から自分の生きた存在を抹消し、別の人間として新しい人生を進みたかった。何よりもちょうど潮時だったのさ。あのまま何も起こさなければ、俺はいずれ姉貴に化物にされていた。黒服に手を貸せば、この厄介な細胞の除去もしてくれるって言うしな。普通の人間だったのなら誰でも俺と同じ真似をするだろうぜ」

 トウヤの責めるような質問にも、全く怯むことなく言葉を返す広。

「そんな、そんなお前の個人的な欲望の為に父さんは……ここを訪れていた人たちは殺されたって言うのか……!?」

 話の途中からずっとギリギリと拳を握り締めていた敏が、怒りを露に呟いた。

「個人的な欲望の何が悪い? 俺の義兄は個人的な欲望で殺され、姉貴は個人的な欲望を完成させるために本部の要求を断り、ナグルファルを呼び込んだ。人間は生きている以上、己の欲望を満たすために進むように出来ている。技術発明にしても、ボランティアにしても、その根本にあるのは欲望だ。欲望が無ければ便利な機器なんか作られやしないし、他人を助けて自己満足に浸るような真似もしない。欲望があるから俺たちはこうして前に進み、生を実感出来る。お前だってそうだ。父の死という個人的な感情、仇を討ちたいっていう欲望に従って俺に敵意を飛ばしている。人間は汚く醜い生き物。誰しも自分を正当化し、他人を見下したがる。お前も俺と同じだよ。ただ自分の命に対する欲望か、別の命に対する欲望かの違いだけなのさ」

 まくし立てるように広は叫んだ。

 その叫びを聞いた敏の仲で何かの糸が切れた。

 そんな理由で。

 そんな内輪揉めの問題で。

 何の罪も無い人たちを、自分の父を。

 兄と父の数年来の再開を。

 自分たちの全てを無駄にしたのか?

 ――許せない。……絶対に許せない!

「屁理屈を……だったら、俺が自分の欲望のためにお前をここで殺しても文句はないよな!」

 敏は怒りに身を任せ、一気に地面を蹴ると、傷だらけの体だと思わせないような俊敏な動きで、広に殴りかかろうとした。一歩遅れてトウヤも走り出す。

「天野!」

 広は白衣の男の名前を大声で呼んだ。

 ずっと壁際のパソコンをいじっていた天野はその声に反応し、慌ててデスク上のキーを数度乱暴に叩いた。

 硬く閉ざされていたはずの正面扉が、天野の入力に応じて自動で開いていく。

「チュゥアアアッ!」

 すると待ってましたとばかりに六体の魚人が飛び込んできた。

「お前ら何を!?」

 まさか自ら魚人を仲へ入れるとは思っていなかったトウヤは、当然その行動に驚く。だが広はかなり冷静な態度で答えた。

「俺の体には僅かだがイグマ細胞が、デガウス・ジェイルがある。普通の人間たちが一緒にいるのならば、俺が率先して襲われることは殆ど無いのさ。残念だったな」

「な、何だと?」

 一瞬にして部屋中に六体の魚人が溢れ、トウヤ、敏を狙って動き回る。その姿を楽しそうに一瞥しながら、広は天野と共に管理室の扉を潜り抜けようとした。

 その時だった。


「どこへ行くの広?」


 ソプラノのような美しく高い声が管理室の中に響く。

 どんな名楽器にも負けないような優雅で凛然とした、忘れたくても忘れられないあの声が。

 ――そんな、まさか!?

 声の主を確認する前に広の体は宙を舞い、一気に部屋の奥へと引っ張られた。

「な、何だ!?」

 魚人から逃げていた敏はいきなり長い緑色の腕が広の体を掴み、引っ張ったため仰天して動きを止めた。

 腕の先を見ると、遠くに進むごとに段々と白く人肌の色になっていき、妙齢の女性の肩へと繋がっている。

「あ、あいつは――」

 トウヤがその人物の正体に気がつき口を開く。だがそこから言葉が発せられる前に広が恐怖に震えた絶叫を上げた。

「横谷晶子ぉぉお!?」









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