<第十章>明かされた混入者
<第十章>明かされた混入者
雄雄しい雄叫びを上げて、阿修羅のような多肢を持った怪物が迫ってくる。
「みんな逃げて!」
西川が叫び、生存者たちはそれぞれ左右に分かれた。
「くそっ!」
悠樹は一直線に激走してくる阿修羅を睨み、咄嗟に左の方へ、友たちが謎の人間もどきと戦っている部屋の前に逃げた。
「こっちだ!」
同様にこちらに来ていた岸本が、壁際のコンテナを指差す。隠れようということなのだろう。迷わずその案に従った。
「ぐぁああっ!?」
生存者たちを逃がすために中央に残っていたイミュニティーメンバーの一人が、甲高い絶叫を上げた。切りつけようとでもしたのか、片腕を阿修羅の無数にある中の一本に握り締められ、そこが赤く腫れあがっている。
「は、離せえっ!」
鍛え上げた筋肉を活かし、手首を捻りながら自分の手を自由にしようとするが、それが達成される前にさらに別の腕が襲来し、あっと言う間に全身のあちらこちらを緑色の手に覆い尽くされた。
「ヴォォォオォオー!」
阿修羅は全ての腕に力を込め、その男の体を八つ裂きするかのように上下左右に引っ張り始める。
「い、痛い――止めろ! 止めてくれぇえっ!」
「バキバキッ」という不快感極まる音が地下空間に木霊する。そしてそれと音楽を奏でるように男の断末魔が鳴り響いた。
「っうぐぅぁぁぁぁぁぁぁあああああっ――」
「ひ、ひぃっ!?」
男の体が四散し、綺麗に清掃された床に付着したところで窪田は気絶しそうになった。
「窪田さん、しっかりするんだ!」
半ば窪田を引きずるようにしながら佐伯や敏、トウヤ、羽場は悠樹たちと丁度反対側の壁際へ逃げる。それと前後して、先ほどの部屋から友や他のイミュニティーメンバー三人が人間もどきと戦いながら出てきた。
「はぁ、はぁ、こっちにも化物か、何だこの大サービスは!?」
メンバーの一人がぜいぜいと激しく息を吐きながら苦笑いする。
「友、研究室に鍵が掛かっています! 引き返せそうですか!?」
仲間の死体を踏みつけながら歩いてくる阿修羅に怯えながらも、西川は研究室への扉の前で佳代子を庇うように立ち、必死に冷静さを維持してそう聞いた。
「無理だ! 何とかして開けるしかない。俺がこの化物を食い止める」
「えっ? ちょっ――俺たち三人でこの量は捌き切れな……」
横で人間もどきと戦っていたイミュニティーのメンバーが驚きの声を上げた。
「頑張れ」
無表情でエールを送ると、友は振り返ることなく阿修羅目掛けて走り出した。
「一人でやる気かよあいつ――!」
その様子を見ていた悠樹は歯を噛み締めると、覚悟を決めコンテナの陰から飛び出した。
「お、おい!」
岸本が驚き肩を掴む。
「離せ、イミュニティーのメンバーはもう五人しかいない。俺たちが協力しないと全滅するぞ!」
「だ、だけど……」
「今あいつに死なれたらこっちの戦力はガタ落ちだ。もう守ってもらえる状況じゃないんだよ」
「……――だぁ〜分かったよ!」
岸本は溜息を吐くと悠樹の肩から手を外し、走り出した。どうやら一緒に戦う気らしい。悠樹はその行動に満足すると、後を追った。
――どうすればいいの!?
一直線に自分たちのいる研究室前に向って接近してくる阿修羅の人間離れした顔を見て、西川は自分が冷静さを失いつつあることを悟った。
心臓の音が頭の中で何度もノッキングし、思考を邪魔する。
西川は大型の生物兵器との戦闘に慣れてはいない。元々本部の事務組みとして仕事を始めたため、経験が僅かしか無いのだ。本来は争いを好まず大人しい性格の女性だったにも関わらず、何の因果か上司の過剰なセクハラを撃退した業績を讃えられ戦闘部隊へ配属することとなり、ここまでの地位に上り詰めてしまったのだ。その背景には元上司の嫌がらせやイミュニティーの戦闘部隊の人手不足という理由もあるのだが、何にしても西川としては不本意な昇級だった。一応イグマ細胞感染者に対する戦闘訓練や実践も十分に経験しているが、こういった大型の化物を一人で相手にしたことは殆ど無い。まるで初めて悪魔を見た一般人のように竦みあがってしまった。
――西川が危ない……!
友は二人まであと数メートルという所まで迫った阿修羅に向けて自分のナイフを投げた。それは無数にある中の阿修羅の腕の一つに叩き落され傷を負わせることは出来なかったものの、注意をこちらに向けることに成功した。
「こっちだ」
鋭く鷹のように目を細めながら阿修羅を睨みつける。
阿修羅は先に友を排除した方がいいと判断したのか、体の向きを西川たちからこちらに変えた。
「ゆ、友――」
「西川さんは生存者たちを何とか逃がしてください。戦闘は俺の専門、あなたの専門は場の指揮だ。お願いします」
自分を庇うように飛び出した友の行動と言葉に、西川は冷静さを僅かに取り戻した。友に対する信頼の強さが精神を助けたのだ。
――自分が訓練をつけた相手に助けられるなんて……情けないわね……。
西川は友のイミュニティー入隊初歩時に戦闘のノウハウや訓練を教えた師でもある。そのときのことを思い出し、気を引き締めた。
「あれ? 何かいきなり開いたわよ?」
不意に佳代子が場違いな言葉を呟いた。見るとその手には扉のノブが握られており、先ほどまではいくら頑張っても決して開くことの無かった研究室の中が見えるようになっていた。
――え、何で……!?
開くはずがない。絶対に鍵は掛かっていた。わけが分からず佳代子の手の中にあるノブを凝視する。
「西川さん?」
自分の手をじっと見つめてくる西川を変に思ったのか、佳代子は怪訝そうな目を向けた。
「あ、えっとごめんなさい! 佳代子さんは先に中へ入っていて。他の人たちを呼びます」
「分かったわ。ここに居たらいつ死んでもおかしくないものね」
体を震わせながら、佳代子は研究室の中に足を踏み入れた。西川はぱっと中を一望したがどうやら感染者はいないらしい。奥に潜んでいるかもしれないが、小さな戦争状態のこの場所よりは遥かにマシだろうと判断した。周囲に向けて出口が開いたことを大きな声で伝える。
「みんなこっちへ!」
「おい、何か開いたらしいぜ! 急ごう」
中年の割にはどこか子供っぽい口調を滲ませながら、西川の声を聞いた羽場が嬉しそうに言った。トウヤ、窪田、佐伯は右側で繰り広げられている激戦を横目に、研究室の中へ駆け込んだ。敏も最初こそ悠樹たちを置いていくことを躊躇ったが、自分の体は人魚に負わされた傷の所為で、激しく動けないことが分かっているため、残っても足手惑いになるだけだと思い一緒に逃げた。
扉を抜ける間際に友の方へ走っていく悠樹を見る。すると偶然悠樹もこちらを向いた。
――さすが双子だな。
敏は苦笑いしながらも視線で悠樹に意思を伝える。悠樹はこちらを見つめるとただ黙って頷いた。
生き延びよう。
生きて大助の仇を討とう。
必ず――一緒にここから脱出しよう。
そう、気持ちを込めて――。
自分と全く同じ顔、身を分けた双子の弟。敏の姿が研究室の扉の向こうに消えたのを見届けると、悠樹は足を速めようとした。前方に友がかなり苦戦している姿が見える。あのままではすぐにやられてしまうだろう。自分と岸本が行って勝てるとも思えないが、一人で戦うよりは良いはずだ。
「手伝いにきたぜ」と声をかけようとしたその時、真横から何かに吹き飛ばされた。
「うぐぁっ!?」
床に体を打ちつけた後、急いで体勢を整えながらその犯人を見る。
人間もどきだ。
イミュニティーのメンバーが戦っていた水槽から出てきた謎の生き物。
眼球の全てが真っ赤に染まり、体の所々から粘り気のある液体が滴り落ち、その皮膚はクラゲのように光沢を持っている。手の平や足のすねからはイソギンチャクのような触手が蠢き、口や胸からはゼリーのような固形物が垂れ流しになっていた。
悠樹が襲われたことを知った岸本は直ぐに駆け寄ろうとしたが、悠樹はそれを制した。
「友の方へ行け! 俺は大丈夫だ」
それだけ言うと、岸本と視線を合わせることなく人間もどきを前に据え、既に切れ味の大分落ちたナイフを構えた。その姿を見た岸本はそれ以上近寄ろうとはせず、素直に友の方へ走っていく。
「鼠魚、魚人、人魚……色々と倒して来たんだ。今更お前みたいな奴、どうでもねえよ!」
悠樹は一気にナイフを前に突き出した。怯えの無い力の篭ったいい一撃だ。それは深々と人間もどきの腹に吸い込まれ、血を噴出させる――はずだった。
「なっ!?」
ナイフの切っ先は人間もどきの腹に触れた瞬間、横に滑っていった。切り傷一つ作ることなく見事に振り切られる。
いくらナイフの切れ味が落ちているとはいえ、これは普通ではない。咄嗟に横を見てみたがイミュニティーの三人も同様の有様だ。
――どういう皮膚してんだよっ!
悠樹は舌打ちしながらナイフを投げ捨てる。どうせ効果が無い以上、持っていても邪魔なだけだと判断したのだ。
「チュォオオッ」
人間もどきは短い触手のびっしり生えた手を押し出すと、悠樹の頭目掛けてビンタを打つように振り払った。悠樹はその腕を屈むことでかわし、喧嘩で鍛えた渾身の拳を相手の腹に打ち込む。ヌメリとした不快感極まる感触を我慢し、腕を伸ばしきった。するとナイフの時とは違い、人間もどきは苦痛に顔を歪め腰を曲げる。どうやら斬撃には強いが、殴打には弱いらしい。殴り合いなら自分の土俵だ。悠樹は勝ち目を見つけ、口元を歪めた。
「馬鹿野郎! 直接感染者に触れるな!」
突然真横で別の人間もどきと戦っていたイミュニティーの男に怒鳴られた。
「は? 何だよ?」
ナイフが効かないなら殴るしかねえだろと、悠樹は男を一瞥する。
「さっきの西川さんの話を聞いていなかったのか? 魚人以外の感染者は十秒感染っていう危険があるんだ。十秒以上生身で触れるとお前も化物になるぞ。何か武器を探せ」
「探せったっていってもな……」
人間もどきが再び迫ってくる。悠樹はその攻撃を感覚を活かし避けながら、隙を見つけては周りを見渡した。だがやはりそう都合よく使えるものがあるわけは無い。
「様は触れなきゃいいんだろ? だったら……」
着ていた警備員の上着を脱ぎ、二つに千切る。度重なる戦いで大分痛んでいたので簡単に切れた。
「こうすればいい」
その二つの丈夫な布を両腕に撒きつけ、ボクサーのように構えた。
人間もどきの感覚は単調で一定だ。悠樹は自分の共感能力をフルに使い、次の攻撃を予測し攻撃をかわしつつ合間、合間に急所に蹴りや拳を突き入れる。隣で戦っていた三人の男たちはそんな悠樹の姿を呆れたように見た。いまだかつて素手で感染者と戦おうなどと考えた人間は見たことが無い。賞賛するべきなのか、馬鹿にするべきなのか判断に困っているらしい。
「チャァーッ!」
悠樹の的確な攻撃はタイミングよく何度も人間もどきの急所を捉えている。だが、流石にイグマ細胞によって強化された感染者だけあって、生身の人間の攻撃では大したダメージを与えることは出来ない。いくら拳を打ち込まれようとも次の瞬間には平然と襲い掛かってきた。
「こいつ、タフな野郎だな!」
悠樹は徐々に後退し始めていた。いつの間にか位置が逆転し、どんどん壁際へと近付いている。
――このままじゃ追い詰められる。どうにかしないと……。
僅かに焦りを感じながら、次第に激しくなってきた人間もどきの攻撃を必死に避け続ける。壁まではもう二メートルほどの距離しかない。あそこまで後退してしまたたら攻撃を避けることがかなり難しくなる。
壁まで一メートルというところまで来て、悠樹は先刻友の取った行動を思い出した。人魚を倒した時の、あの行動を。
「舐めんなよ!」
大きく振りかぶられた人間もどきの腕を腰を捻りかわし、その位置で回転するように相手の横に移動すると、服を巻きつけた片腕でその後頭部を掴んだ。
「――死ね」
冷たい言葉を吐きながらいっきに人間もどきの頭を壁に叩きつける。何度も、何度も、卵を潰すように。
次第に壁に真紅の模様が浮かびあがり、人間もどきの動きも弱々しくなってくる。悠樹は最後に思い切り跳躍すると、その勢いのままに掴んだ物体を壁にぶつけた。ぐしゃりっと言う音が鳴り響き、人間もどきは崩れ落ちる。海岸にうち上がったクラゲの死体に似ているその姿を満足げに見下すと、何も言わずに友と岸本、西川がいるホールの中央へと向った。
横谷広の動揺はかなりのものだった。
イミュニティーに自分を監視している相手を殺させようと思っていたのに、まさが義兄である操が襲い掛かってくるとは全く予期していなかった。おかげでイミュニティーの保護とは離れ、役に立たない生存者たちと一緒にこうして研究室に立てこもる羽目になり、監視者を倒せる可能性のある人間が居ないという状況になってしまった。
これでは自分を監視している人間の思うがままとなってしまう。
「窪田さん、しっかりするんだ!」
左手から窪田を支えている佐伯の声が聞こえる。全く持って鬱陶しい。たかが気絶したくらいでそんなに慌てることないだろうと苛立ちを募らせる。
――とにかく、このままでは不味い……あいつが行動を起こす前になんとかしなければ――
そう必死に考えを巡らせた。
「ここにいるのは危険だ。友さんたちが戦っているとはいえ、いつあの化物たちが来るかも分からない。向こうからこっちの姿は丸見えだしね。かといって鍵をかけて閉じこもっても、長くは持たない。どうする?」
敏が扉に付いているガラス越しにホールの様子を伺いながら溜息を吐いた。阿修羅は友、岸本、悠樹、西川が食い止めているから良いとして、イミュニティーの三人の男は人間もどきを食い止め切れてはいない。止める事が出来ているのは精々四体で、残りの二体はホールを徘徊している。そのうちここまでやってくることになるだろう。
「先に上に行きましょう。そうすればあの化物たちもここには入らないんじゃない? 扉を開けるなんて高等なマネ出来そうには見えないし、鍵は開けても閉めても大差は無いと思うわ」
「確かにそうかもしれないですね……でも、上にも感染者がいたらどうします?」
佳代子の提案に敏はあまり乗り気がなさそうに答えた。悠樹が心配でこの場から離れたくなかったのだ。
「ここに残っていても危険なんだ。俺は上に行く方が良いと思う」
トウヤがぶすっとした表情で佳代子の意見に賛成した。
敏はトウヤを人間以外のものだと疑っている。彼の意見に賛成することはあまり好ましくなかった。何とか反対案を考えていると、目を覚ました窪田が追い討ちをかけるように呟いた。
「わ、私……こんな所に居たく無いわ……う、上に行きましょう」
「そうだな。今の窪田さんをこんな化物どもに近い場所に置かせるのは良くない。上に行こう」
窪田にベタ惚れらしき佐伯がすぐに賛同する。羽場は黙っていたが、これで三体一だ。ここで反対を訴えても皆勝手に上に行くだろう。敏は内心がっかりしながら頷いた。
研究室から階段をあがるとまず最初に目に入ったのは廊下だった。
階段から一直線に次の階へ繋がる別の階段まで伸び、その途中には三つの扉が付いている。
「私、ちょっとお手洗いに言ってくるわね」
その内の一つがトイレだと分かった佳代子は、若干恥ずかしそうにそう言って駆け出した。
「あ、佳代子さん!」
感染者がいるかもしれないと敏は声をかけたが、佳代子は「大丈夫よ」と微笑んでそのままトイレの中に消えた。
「これだけ静かなんだ。何もいないって。とにかく休まないか?」
羽場の羨むような視線を無視し、窪田の腰を抱えたまま佐伯が目の前の扉を指す。そこには休憩室と書かれた札が掛けられていた。
「そうですね……これ以上友さんたちから離れるのも心細いし、ここで身を伏せましょうか」
敏は佳代子が入ったトイレの方へその事を大きな声で伝えてから扉を開けた。
部屋の中はいたってシンプルだった。
中心に大きな長机が置かれ、その周りにパイプ椅子が配置されているだけで他には何も無い。在っても本棚くらいだ。
「一応、もう一つの部屋を見て来る。何かいたら怖いからな」
皆がそれぞれくつろぎ出すと、羽場がそんな似会わない親切なセリフを吐いた。敏は怪訝に思いながらも黙ってその後ろ姿を見送った。ただの気まぐれだとでも判断したのだ。羽場に構うよりも今の自分にはやらなければならないことがある。
入口から見て左側のパイプ椅子に身を沈めているトウヤに近寄ると、何気なく話しかけた。
「大丈夫?」
トウヤは目だけを意味ありげにこちらに向けた。その仕草に敏は心臓の動きを早める。自分が疑っていることを気づかれたのかと思ったのだ。
「大丈夫だ。あんたは?」
しかしトウヤは特に変な行動を取る事も無く、普通に言葉を返してきた。
「正直ちょっと疲れているよ。化物の一体に体を貫かれているからな。実は歩くのも結構辛いんだ」
「そうか、よくそんな体でここまで逃げてこられたな……」
「兄貴のおかげさ。兄貴がいなかったらとっくに死んでたよ。俺は運動音痴だしね」
「兄貴か……――最初見たときは驚いたよ。俺、双子って始めて見た」
「そうなの? 結構そこら中にいると思うけどなぁ。俺が小学校のときも隣町の学校に居たし」
「それは偶然だって。普通は双子なんて中々居ないから」
意外なことにかなりフランクに話すトウヤ。
話している中に敏は段々と自分の抱いていた疑いに疑問を持つようになってきた。
――何か、普通の奴だな。さっき目があったときは確かに尋常じゃない気配をかんじたんだけど……まさか勘違いか?
トウヤに対する認識が変わってくる。
敏と悠樹の感覚は付近の人間の体感を感じるというものだ。その付近に居る人間が多ければ多いほどそれが誰の感覚か判別が難くなる。もしかしたら、別の人間が放った気配だったのかもしれないと急に不安になってきた。
「なあ、佳代子さん遅くないか? 羽場も戻ってこないし……」
考え込んでいると、机を挟んで反対側に座っていた佐伯が心配そうな表情を浮かべていた。
「確かに遅いかもな……見に行く?」
「そうした方がいいかもな」
何となく呟いた言葉にトウヤが相槌を打った。何かかなりフレンドリーになっている。気に入られたのだろうかと、先ほどまでのトウヤとのギャップに敏は苦笑いした。
「俺はここに残るよ。窪田さんについていないといけないから」
「分かってるよ。ワザとゆっくり羽場さんを探そうか?」
二人きりになりたいんじゃないのか? そう意味を込めて敏は軽く笑みを浮かべた。
「おいおい、こう見えて俺は三十近いんだぞ? 年上をからかうな。早く行ってこい」
少し照れた表情を見せながら佐伯は片手を前後に振る。それを笑顔で見ると、敏とトウヤは部屋を出た。
「先に羽場さんの方へ行くか……」
羽場はもう一つの部屋を調べにいっただけだ。佳代子とは違い時間がかかることはおかしい。二人は顔を引き締めると、用心しながら隣の部屋へと進んだ。
コツ、コツ……二人の足音だけが耳に届く。まるで二人以外に誰も居ないかのようだ。敏は何となく心細くなった。
「開けるぞ」
トウヤが躊躇なく隣の部屋の扉を開けた。もう少し躊躇った方がいいんじゃないのかと思いながらも、敏は資料室と書かれた部屋の中を覗く。そして中の光景を見て驚いた。
「……羽場さん、居ないな」
――一人で上に逃げたのか?
自己中心そうなあの男ならあり得ない事ではない。敏は咄嗟にそう考えた。だが……。
「きゃぁあっ!?」
いきなり廊下から佳代子の耳を劈くような絶叫が聞こえた。
「何だっ!?」
トウヤと敏は急いで廊下に飛び出る。トイレの方から何かが倒れるような音が鳴った。すぐさまそこに走ると、迷わず扉を開けた。
開けた瞬間、血だらけで床に伏せている佳代子の姿が目に飛び込んできた。その前には見下すように一人の男が立っている。
「は、羽場、さん……?」
それは羽場だった。
激しく息を切らせ、猛獣のような視線を既に息の切れている佳代子に向けている。
「な、何で……何で佳代子さんを……」
驚く二人。だが、次の言葉を聞いてさらに驚愕した。
「こいつは……佳代子なんかじゃない」
憎憎しげに佳代子の下を睨んだまま口を開く。
「――横谷晶子、だ」
はっきりとそう言い放った。