01
夏の日差しも衰えてきた。
初秋の朝は、肌にさらりとして気持ちがいい。
私が薄っすらと瞼を開けると、カーテンの隙間から淡く澄んだ秋の日光が差し込んでいた。
――あぁ、朝だわ。
私は、真っ白なリネンのシーツが敷かれたベッドから、ゆっくりと身体を起こす。
そして、私の隣に仰向けの状態で静かに寝息を立てている、ウィリアムを見つめた。
あの日――ウィリアムから一緒に住もうと言われてから、もう二か月が経つ。ウィリアムの言葉は決して嘘では無かった。私のお父様から許しを頂いた彼は、私の荷物もそのままに、何かに焦ってでもいるかのように私をこの屋敷に迎え入れた。その日から、私はこうやってウィリアムと寝室を共にしている。とは言っても、彼は私に指一本触れて来ないけれど……。
それが不満でないと言えば嘘になる。けれど私は、それでも十分幸せだ。
私はゆっくりと部屋を見まわした。この部屋――ウィリアムの寝室には何もない。この部屋は本当に――この私アメリアの部屋以上にシンプルで。白い壁と紺色の絨毯をベースにして、茶色いベッドとテーブル、一人掛けのソファが二つ、そして本棚にチェスト。ここにあるものと言えば、ただそれだけ。
――いつだったか遠い昔、誰かが言っていた。部屋を見ればその主の人となりがわかる、と。部屋はその主の心を映し出しているから、と。それならば、この必要最低限のものしかないウィリアムの部屋は、何を表わしているいるのだろう。彼の心の中にはこの部屋の様に、本当に何もないのだろうか。
私はここに来たばかりとき、そうやって悩んでいた。けれど今はそれさえも、気にならない。そんなことを考えている時間さえ、勿体ないと気が付いたから。
「――……」
相変わらず私の声は出ないまま。それでも、ウィリアムの両親であるウィンチェスター侯爵夫妻は私にとてもよくしてくれる。それはそれはもう、こちらが思わず恐縮してしまうくらいに。
――私は、幸せだわ。だってこうやって、また彼の寝顔を好きなだけ眺めていられるんだもの。
私はぐっすりと眠っているウィリアムの髪に手を伸ばした。栗色の、さらりとした髪。凛とした目元。すっと通った鼻筋。薄い唇。そのどれもが私の心を揺さぶる。私の心を熱くする。
愛しくて、愛しくて――思わずそこに唇を落としてしまいたくなる程に。
「……」
けれどまだ駄目。まだ早い。私はわかっている。この二か月間、ウィリアムは私にとても優しくしてくれた。まるで宝物を扱うかのように、丁寧に大切に接してくれた。けれど、違う。まだ彼は、私のことを愛してくれてはいない。もし彼の相手が私ではなく――他の女性だったなら、彼の愛を信じてしまうだろう。彼の態度はそれほどに素晴らしい。けれど、私にはわかるのだ。彼の心がまだ私には無いことを。だって、違うから……。ウィリアムの私を見つめる瞳は、その熱は――あの日のエリオットと、違うから。
それでも私はこの人が好き。この人を愛している。心の底から、誰よりも。そして私は、こうやって何にも引け目を感じず、誰の目も気にせず、彼を愛し、傍にいられることに何よりも幸せを感じている。
「……」
私は何度も何度も彼の髪を、頭を撫でる。――なんて可愛い寝顔なのかしら。そう思うと、知らず知らずのうちに、笑みが零れてくる。
「――ん」
彼の頭を撫でる、私の手に気が付いたのだろうか、ウィリアムが小さく呻いた。そして、ゆっくりと目を開ける。そこに覗くのは、深い森を映したような緑色の瞳。美しい色。
「――あぁ、アメリア、おはよう」
彼はぼうっとした瞳で、けれど柔らかにほほ笑んだ。
素敵な、笑顔。何度見ても飽きない。ずっと見ていたくなる、ずっと見つめていたくなる。
そんな私の気持ちに気が付いたのか、彼はくるりと私の方へ寝返りをうって頬杖をついた。そしてその端正な顔立ちに、私をからかうような笑みを浮かべて言う。
「君はいつも俺の顔を見つめているな。毎日毎日よく飽きない」
「――っ」
あぁ、もう――。そう、そうなのだ。彼は私のことを愛してなどいない。けれど、私の愛は……私の彼へのこの強い想いは、とっくに彼にばれてしまっているのだ。そりゃあ、全く隠していないし、隠すつもりも毛頭ないのだから仕方ないのだけれど。
それでもなんだか、少しだけ悔しい。
――どうしたら、この人の心が手に入るのかしら。
私は毎日、そんなことばかり考えていた。彼を愛し、愛される。そうすればルイスはウィリアムを助けてくれると言った。その魂を救ってくれると言った。
彼に心から愛される、それが達せられたときが私と彼の関係の終わるとき。けれどそれでもいい。それでも私はこの人を愛し、そしてほんの一時で構わないから、この人から愛されようと心に決めた。だから私はもう、迷わない。
私はウィリアムにほほ笑みかける。恥ずかしがっている暇など無いのだ。そんな時間があるならば、私は少しでも彼に愛を伝えたい。
そんな私の笑顔に、ウィリアムの目が少しだけ細められた。彼はむくりとベッドから身体を起こすと、小さく息を吐く。
「アメリア、今のは怒るところだぞ?」
そう言って彼は、私を横目で流し見た。それはどこか、何かを誤魔化すような視線。
――あぁ、まただ。時々彼は、こんな顔をする。何かを隠すように、騙すように。その真意はわからない。でも多分、それが理由なのだろうな、と思う。彼が今まで恋人の一人も作ったことが無いという理由、そしてあの日夜会で、彼が私を愛することはないと誓った、その理由なのだろうなと。
きっとその理由を、ルイスは知っているのだろう。けれどルイスは私にそれを教えなかった。それはつまり、私が知る必要のない事で、知らない方がいいのだと言うことで。だから私は詮索しない。本音を言えば知りたいけれど、ウィリアムを傷つけることになってしまってはいけない。世の中には、知らないままでいた方が良いこともある。
「さ、そろそろ朝食の時間だな。行こうか、アメリア」
ウィリアムは部屋の掛け時計で時間を確認すると、静かにベッドから降りた。そして私の方を振り向くと、再びほほ笑む。それは彼のいつもの笑顔で、私の心に、安堵と共に切なさが襲った。けれどそれでも――それでも、いいの。私のウィリアムへの愛は、決して変わることは無い。
私は彼の手に引かれてゆっくりとベッドを降りる。その手から伝わる、私より少し高い、彼の体温。それはあの日と変わらず心地よくて、二か月経った今でもこのときめきは変わらない。
――愛しているわ、ウィリアム。
私は目の前のウィリアムにただほほ笑みかける。声の出せない私にとって、それだけが唯一私に出来ること。今の私に、たった一つだけ許された、彼への愛の言葉。
私はただ夢を見る。ウィリアムの愛をこの手に掴むその時を。彼の愛に包まれる、ただ、その瞬間だけを――。