06
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「君が僕に手紙を寄こすなんてな。思わず二度見したよ。初めてじゃないか?」
ヘンリーはそう言うと、僕からの手紙――白い封筒をを見せつけるようにして、にやりと笑った。
僕は誕生日パーティーを終えてすぐに、ヘンリーに手紙を書いて送っていた。パーティーに居た黒目黒髪、そして黒いスーツを身にまとっていた少年を知らないか、と。
あの不思議な少年を目の当たりにしてから今日で丁度一週間。僕はその間ずっと、あの少年のことを考えていた。一体彼は何者なのか。そして、僕の中の彼が言った”嫌な予感”、それは一体何なのか……。
僕の中の彼の声はあの日以降聞こえない。そりゃあ、いつもだって一か月や二か月出てこないことはある。だけど、あんなことがあった後なのに何も言わないなんて、普通ならおかしいだろう。
ヘンリーは僕の部屋のソファに腰を下ろす。そして僕の方をちらと見ると、小さく息を吐いた。
「人探しなら大人に頼めばいいじゃないか。どうして俺に?」
その質問はもっともだ。僕だってそう思う。けれど、こればかりは言いたくない。絶対に余計な詮索をされるに決まっている。
僕はヘンリーの質問に答えられずに俯いた。でもヘンリーは、そんな僕の姿にぷはっと吹き出す。
「はははは!冗談だよ、寧ろ俺は喜んでるんだ。君に頼みごとをされるなんて初めてだから。それに、人には言いたくないことの一つや二つ、誰にでもあるしな」
ヘンリーは少し意地悪な顔で、僕にほほ笑んだ。その表情に、僕は安堵してヘンリーの隣に座る。
「――で、誰だっけ、黒目黒髪の、俺と同じくらいの歳の男だっけ?」
「そう、先週のパーティーに居たんだけど、ヘンリーは気づかなかった?」
「ていうか、それ、ルイスのことだろう?」
「――、え?」
ヘンリーの何でも無さそうな口調に、僕は驚いた。ルイス――、あの少年は、ルイスと言うのか。そしてヘンリーはルイスのことを知っている様子。そのことが、僕にはとにかく衝撃だった。
「ウィンチェスター侯爵は知ってるだろう?」
ヘンリーは僕の茫然とした表情など、全く気にしないようだ。その顔にいつもの様な明るい笑顔を浮かべたまま、僕に尋ねる。
「――ウィンチェスター侯爵。うん、知ってるよ。ウィンチェスター校を創設した家だよね、君の通う」
「そう、ま、大昔の話だけどな。で、そのウィンチェスター侯爵には、君と同じ年の息子がいるんだ。ウィリアムって言って、俺は話したことはないんだけど。そのウィリアムの付き人をしているのが君の捜しているルイスってわけ。ウィリアムからは、パーティーで挨拶されただろう?」
「……」
どうだったかな。正直、覚えていない。
僕が無言のままでいると、ヘンリーは少しだけ呆れたように肩をすぼめる。
「ま、あれだけ人がいたからな。覚えてなくても仕方ない。だけど、ウィリアムは君と歳が一緒だし、今度入学したら同級生になるんだから、多少は興味持っておいて損はないと思うよ」
「――……ルイス。……ウィリアム」
僕は呟く。
なんだ。拍子抜けだ。こんなにもあっさりと、あの少年が誰なのかわかってしまうなんて。だけどヘンリーはどうしてそのルイスという少年のことを知っているのだろう。
僕がそう思ってヘンリーを見ると、彼は僕の心を読んだかのように続ける。
「スペンサー侯爵の長男にクリストファーって奴がいて、俺と同じ寮なんだ。クリスの母親とウィンチェスター侯爵夫人は姉妹で、彼はウィリアムとは従兄弟なんだよ。それでクリスから時々ウィリアムの話を聞くんだ。クリス、いっつも自分の弟とウィリアムを比較してぼやいてるんだぜ。”あいつらも少しはウィリアムを見習ってくれないものか”って。まぁ、それも口だけだっていうことは、皆にバレバレなんだけど」
そう言ってヘンリーは笑った。クリス――と、愛称で呼んでいるところを見ると、どうやらヘンリーはそのクリスという人とは結構仲が良いらしい。彼は笑顔を崩さないまま、再び僕に尋ねる。
「で、そのルイスがどうしたって?」
「――ん。いや、この前のパーティーで目があったんだけど、なんか、嫌な感じがして」
「――はぁ?何だそれ」
僕のこの返答に、流石のヘンリーも眉をひそめた。僕は慌てて言い直す。
「いや、ほら、珍しいでしょ。髪も目も真っ黒で」
「……あぁ。確かに。クリスによるとルイスはもともと孤児だったらしいから、外国の血が混じってるんじゃないか?」
「そう、なんだ」
孤児……。それが、一体どういう経緯で侯爵家に拾われたんだろう。とても気になるが、流石にそこまではヘンリーだって知らないだろう。それに、下手に調べて、藪をつついて蛇を出すなんてことになったら最悪だ。――僕はそう思案する。
そしてそんな僕の姿に、ヘンリーはそう言えば……と声音を変えた。
「安心したよ。俺、君はきっと落ち込んでるだろうと思ってたから」
「――え?」
その言葉に僕は顔を上げる。すると、真剣な表情でこちらを見ているヘンリーと目があった。彼はどこか切なそうに、瞳を揺らしている。一体どうしたのだろうか。僕が何に落ち込むって――?
「まぁ、仕方ないことだもんな。彼女は侍女だし、いずれそうなるって……流石の君でもわかってたんだな」
ヘンリーはそう言って、自嘲ぎみに口元を歪める。
けれど僕は、彼のその言葉の意味を理解することが出来なかった。
――え?何?侍女って、ヴァイオレットのことだよね。彼女が一体何だって……?
僕は呆けたようにヘンリーを見つめる。
するとヘンリーはそんな僕の姿に、目を見開いた。彼は一瞬、しまった、という顔をして僕からさっと目をそらし呟く。
「――あ。何、もしかして、何も聞いてないのか?」
ヘンリーは自分の膝に両肘をついて両手の指を組むと、そのまま頭をうなだれて、低い声で小さく唸った。その横顔から覗く瞳は、深い葛藤の色に揺れている。
「……え、ヴァイオレットが、どうかした……の?」
何だか、嫌な予感がする。もしかして、彼の言っていた予感って……このこと?いや、それは多分違うだろう、けど……。
ヘンリーは僕の問いに、苦し気に目を閉じ、呟く。
「彼女、婚約したんだ。もうすぐ、侍女をやめるらしい」
「――っ」
その言葉に、僕は言葉を失った。
――婚約?ヴァイオレットが?そんな、嘘だよ、あり得ない。だって僕は彼女から、一言だってそんな話は聞いていない。
「その様子だと、本当に知らなかったのか……」
ヘンリーはうなだれたまま、呟く。その横顔に嘘はなくて、僕はいても立っても居られなくなった。
「僕、ヴァイオレットに聞いてくる」
僕はソファから立ち上がり、走りだそうとする。けれど、そんな僕の右腕を、ヘンリーは強く掴んだ。
「――ッ、はな、せよ」
僕はヘンリーを睨むように見据える。けれど彼は顔を伏せたまま、僕の腕を掴むその左手に、更に強く力を込めた。
「――やめとけ」
「――ッ」
その声は低く重く、僕の知るヘンリーの声では無かった。いつもの明るい、ヘンリーでは無かった。
けれど、今の僕にはそんなことを気にしている余裕が欠片もない。僕は、彼の手を振りほどこうとする。
でも、振りほどけない。ヘンリーの力は強くて、とても――強くて。何年たったって、僕はヘンリーの力には敵わない。
「はな……せよッ!」
僕はただ叫ぶ。だって、あり得ないじゃないか。ヴァイオレットが婚約?そんなこと、絶対に許せるわけないじゃないか!
「やめとけよ。彼女の気持ちも考えてやれ」
ヘンリーは、俯いたまま呟く。その声は少し震えていて、僕は思わず泣きたくなった。
なんで、ヘンリーがそんな声を出すんだ。そんな顔をするんだ。なんで、なんで――。
嫌だよ、婚約なんて、ヴァイオレットが僕じゃない別の男と結婚するなんて。僕は、絶対に嫌だ。
「――なん、で」
僕の目から涙が溢れ出す。それは何年ぶりの涙か。あの日以来――あの日、裏庭で一人声を張り上げうずくまっていた、あの日以来初めての、涙。
「……う、……うぅ」
なんでだよ、なんで、なんで……。
「どうして皆、僕の傍にいてくれないんだ……ッ」
それは僕の心からの悲鳴だった。誰も、誰も、僕の傍にはいてくれない。皆いなくなってしまう。ヴァイオレットも、それにきっと、ヘンリーだって。
「僕、本当に好きなんだ。本当に、ヴァイオレットが好きなんだ」
「――あぁ」
ヘンリーがゆっくりと顔を上げる。その瞳は切なげに、悲し気に揺れていて、僕はそれが酷く――苦しかった。
僕はヘンリーの瞳を真っ直ぐに見て、続ける。
「でも、僕……、ヴァイオレットには言わないよ。だって彼女を、困らせたくないし。ヘンリーの言う通り、僕、最後くらい……君みたいに、笑顔で彼女を送り出してあげたいんだ」
「――、アーサー……」
ヘンリーの瞳が揺れる。それは何故か、悔しげに。
どうして、だろう。なんでヘンリーはこんな顔をするのだろう。僕は、笑っているつもりなのに……笑顔を、作っているつもりなのに。
僕は、ヴァイオレットも、ヘンリーも大好きだ。だから、せめて二人にはいつも笑顔でいて欲しい。僕の為に、悲しい顔をしないで欲しい。
「僕、大丈夫だよ」
ヴァイオレットのことは本当に大好きだ。離れたくない、放したくない。でも、それを彼女が望むのなら――せめて、表面だけでも。
「――ッ、アーサー……ッ」
ヘンリーが顔を歪める。それは酷く泣きそうな表情で……。そして彼は、ずっと掴んだままだった僕の腕を、ぐっと引き寄せ――そして。
「アーサー!いいんだよ、泣いていいんだ!こういうときは、もっと思い切り泣いていいんだよッ!」
「――っ」
「辛いな、本当に辛いよな。我慢しなくていいんだ。泣いたっていいんだ」
僕を強く抱擁する――ヘンリーの腕。それは、とても温かくて。
「――僕……は」
再び、涙が溢れ出す。
あぁ……ヴァイオレット、ヴァイオレット。行かないで、僕の傍にいてよ、ずっとここにいてよ。
「僕――ッ」
大好きだ、大好きだ、愛しているんだ。僕は本当に君を、君だけを……。
僕はただひたすらに、ヘンリーの腕の中で泣き続けた。それはあの日から、ずっと溜め込んでいた池の水が決壊したみたいに、荒れ狂う嵐の様に、僕の瞳から決して止まることを知らなかった。