04
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トリスタンより聞かされた教会の崩落現場に駆け付けた二人は、目の前の光景に思わず息を呑んだ。
「……まさか……こんな」
「この下に、いるのか……?」
彼らの視界に広がるのは、文字どおり跡形もなく崩れ落ちた教会の瓦礫の山。生い茂った雑草の中に廃墟の残骸のように山積みになったそれは、もはや元の形状を欠片も残していなかった。これが教会と知っている彼らでも、本当にそうであったのかと疑いたくなる程に。
「……っ」
――アメリアが、この瓦礫の下敷きになっていると言うのか? まさかそんな……嘘だろう?
ウィリアムはそのあまりの惨状に、もう言葉を発することもできずに、ただ呆然と立ち竦む。
誰の目から見ても明らかだった。この瓦礫に押しつぶされて、生きていられる筈がない。そう悟らざるを得ず、ウィリアムの表情が暗く陰る。
アーサーもまた、それは同じ様子であった。
そんな二人の存在に気付いたのだろう、一人の騎士が二人に駆け寄ってくる。その騎士――マークはアーサーの姿を確認し、動揺を隠せないまま声を荒げた。
「殿下ではありませんか! なぜこのような場所に!? ここは危険です、すぐにお戻りを!」
けれどアーサーは、そんなことは言われずともわかる、と唸るように応えて、ちらりとウィリアムに視線を向ける。
それに釣られてマークの目もウィリアムへと移る。そうして彼は、ようやく察した。
「……貴方、は」
アメリア嬢の――そう言いかけて、彼はぐっと言葉を呑み込んだ。ウィリアムの顔色の悪さに気付いたのだろう。
マークは無力な自分を呪うかのように、悔しげに顔を歪める。
――彼を含めたこの場の誰もが理解していた。アメリアとライオネルの二人は、生きていないだろうということを。
そして彼はまた、それが自分たちの失態であるということをよく理解していた。
あくまでコンラッドの指示で動いていた近衛騎士の彼らであったが、コンラッドは死に、そしてその追跡対象までも失ったのだ。
それが自らの命を代償にしようと贖いきれないほどの罪であることは、火を見るより明らかである。
「状況を……報告しろ」
アーサーの低い声に、マークは躊躇いがちに口を開く。状況……それは、あまりにも絶望的だ。
「謹んでご報告申し上げます。コンラッド卿は死去。只今アメリア嬢及びマクリーンを捜索中です。しかし、生存の可能性はほぼ無いに等しいかと」
マークの絞り出すような声――その言葉に反応したのか、ウィリアムの顔から更に血の気が引いた。
アーサーは忌々しげに顔を歪める。
「口を慎め。お前は、私たちが彼女の死を確認する為にわざわざここに出向いたと、そう思っているのか」
「――ッ」
自分に向けられる主人の冷えた眼差し。だがその瞳には、燃え上がるほどの怒りの感情も見え隠れしている。
その未だかつてない表情に、マークは背筋が凍るのを感じた。
彼は慌ててその場に跪く。
「まさか……滅相もございません」
自分の失言を誤魔化して、恐る恐るアーサーを見上げた。
けれどアーサーの物言わせぬ態度は変わらない。
――それはアーサーの素直な感情に見えた。
いつもは気持ちを表に出しているように見せかけている彼の、嘘偽りない感情に思えてならなかった。
そのことにマークは強い違和感を感じざるを得ない。が、それも一瞬のこと。
「ならば一刻も早く彼女を探し出せ。見つかるまで誰一人として手を休めることは許さない」
「――は!」
主人から発せられた命令に、マークは今しがた感じた違和感を拭い去るように潔い返答と敬礼をする。そうして再び、瓦礫の山へと戻っていった。
その背中を蒼い顔で見つめながら――今まで黙り込んでいたウィリアムがようやく声を発する。「俺のせいか?」――と。
それは呟きよりももっと小さな声だった。今にも消え入りそうな、弱々しい声。
ウィリアムの両手が、目の前の惨状からどうにか視線を逸らそうと、無意識に顔を覆う。
「……俺が……彼女の傍を、離れたからなのか……?」
震える声で呟いた彼の、その指の隙間から覗く瞳は今すぐにでも砕け散ってしまいそうにひび割れたガラス玉のようで……アーサーは再び顔をしかめる。
「ウィリアム……それは――」
「君の言葉は正しかった。……俺は、君に偉そうなことを言っておきながら、結局何も――」
あぁ、アメリア、アメリア。許してくれ、俺を許してくれ。
そう、独り言のようにウィリアムの口が何度も呟く。先ほど彼がアーサーに告げた、もう逃げたくない――その言葉など、とっくに忘れてしまっているかのように。
瞬きすら忘れ、彼は恐怖に全身を打ち震わせる。
その横顔はあまりにも悲壮感溢れるもので、こうなってしまってはもう、アメリアの無事をその目で確認するまで自分の言葉は届くまいと、アーサーは瞬時に感じ取っていた。
これではまるで、先程の俺たちと真逆だな。
そんなことを考えながら、アーサーは暗い瞳で瓦礫の山を見つめる。
そして同時に、祈っていた。どうか無事でいてくれ、と。
それはアーサー自身の為か、ウィリアムの為か……もしくは自身の中に住むローレンスのせいなのか、それすらもよくわかってはいなかったが……。
けれどそれも束の間、その場に一人の兵の声が響いた。
「――居ました!」
同時にざわめきが走る。その場の全員が自らの作業を止め、声のした方へ駆け寄った。アーサーとウィリアムもまた、瓦礫の山へ足を踏み入れようとする。
だがそれは、マークの怒号によって遮られた。
「来るな!」
「――ッ」
とっさに敬語も忘れて放たれた言葉に、二人は思わず足を止める。
「見ては、いけません」
そうして続けざまに告げられたその言葉に、マークの言わんとする意味を――理解する。アメリアは――死んだのだ、と。
「――嘘、……嘘だ」
ウィリアムは今度こそ打ちのめされてその場に崩れ落ちた。
自分に非があると信じている彼に、その言葉を否定することも、まして怒り狂うことなどできるはずもなく。
ウィリアムは茫然としたまま地面に両腕と膝をつき、けれど受け止められない目の前の現実に、ただうなだれることしかできなかった。
俯いた顔から零れ落ちる涙が、草の生い茂る地面に痕を付けていく。彼の嗚咽が――もう、止めるすべなど無いとでも言うように――ただひたすらに、喉から溢れ出していた。
「……ウィリ、アム」
その慰めようの無い姿に、アーサーは右目を蠢かせる。
今まで一度だって見たことのない、痛々しい親友の涙に。
いや、アーサーの前だけではない。従兄弟であるエドワードやブライアンでさえ、ウィリアムの泣き顔など見たことがないと言っていた。本当に、ただの一度だって。
そんな彼が、大勢の前で人目も憚らず声を上げて泣いている。
その姿に、アーサーはようやく本当の意味で理解した。ルイスに奪われ無くしていた彼の心は、既に彼の内に戻ったのだと。そして、心からアメリアを愛してしまったのだということを。
「……あぁ、……アメリア」
地面に突っ伏したウィリアムの口から零れる彼女の名前。
それが深く、深く――アーサーの心を抉り、かき乱す。アメリアの死を、まだ理解しきれていない、自身の心を。
「殿下」
けれど彼は王子だ。どのような状況であろうと公の場で涙を流すことは許されない。殿下――と、そう一言呼ばれれば、彼は自分の感情を全て自分の中に押し込めなければならないのだ。
「――報告を」
させて頂いても? と問うマークの言葉に兵たちの方へ視線を向けると、瓦礫の中から引き上げられた二名の遺体が麻布の下に横たえられていた。
アーサーはその光景に酷い吐き気を覚えながらも、平静を装って一度だけ頷く。
「只今発見致しました遺体のうち、一名はライオネル・マクリーンで間違いないものと思われます」
「――思われる?」
それは一体どういう意味だ、そう尋ねれば、マークは顔をしかめながら答える。
「それが、二名とも頭部の損傷が激しく顔を確認できないのです。男の方は身に付けていた衣服や武具からライオネルであろうと推察しましたが――その……」
マークは言いにくそうに口ごもった。だがアーサーは彼の言わんとすることをすぐに察し、ウィリアムに聞かれないように声のトーンを落とす。
「つまり、……もう一つの遺体がアメリア嬢であることを確認できないと、そういうことか?」
「はい。顔が判別できない以上、髪色や体格だけで判断するのは些か横暴と思われますので……」
「……」
「何か他に、アメリア嬢の身体的特徴など……」
その言葉に、アーサーはちらりとウィリアムを顧みる。
なぜならこの場でそれを知るのはウィリアムのみだろうと考えたからだ。けれど、今それをウィリアムに確認するのはあまりに酷というもの。
だが、顔が確認できないということはつまり、それがアメリアでない可能性もあるということだ。ならば、それに賭けてみるしか――。
アーサーは決意したように唇を結ぶと、ウィリアムの肩にそっと手を添える。そして、できうる限り冷静を装い、はっきりとした声で告げた。
「ウィリアム、よく聞け。まだ彼女が死んだと決まったわけじゃない」
その言葉に、ウィリアムの肩がびくりと震えた。俯いたままだった彼の顔が、アーサーをゆっくりと仰ぎ見る。
「顔がわからないんだ。別人かもしれない」
「――っ」
大きく見開かれるウィリアムの瞳。それは一筋の希望と――それが裏切られたときへの不安に揺れ動いた。
「だからお前に問いたい。彼女は今日何色のドレスを着ていた? 彼女の身体に何か――特徴的なものはあるか? 例えば、黒子や……。いや、できるなら、直接その目で確かめて貰いたい」
「……直接? ――俺が?」
ウィリアムの顔が再び強張る。
確かに、既に彼はアメリアの身体を知っていた。顔など見ずとも、それが彼女であるかどうかは一瞬でわかるだろう。けれど、もしも本当に彼女だったらどうするのだ。もしもそれがアメリアだったら……自分の目で彼女の死を肯定することになる。そんなこと、耐えられる筈がない。
ウィリアムの顔が、再び俯く。
しかし、その……刹那――。
「――傷跡がありますよ。右手の甲から、手首の内側にかけて」
二人の背中に、酷く冷静な、何の感情も込められていない声が突き刺さる。その冷めた声に、聞き覚えのある声音に、彼らは打たれたように振り向いた。
すると、やはりそこには――。
「僕が確認致しましょう。ウィリアム様にお見せするようなものでは、ないでしょうからね」
張り付けたような笑みを浮かべたルイスが――真っ黒なローブに身を包み――二人をどこか冷えた瞳で、見下ろしていた。




