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03


「君は、彼女について何を知っている……?」

「……っ」

 ウィリアムの問いに、アーサーの瞳がはっとしたように、再び大きく見開かれた。そして同時にゆらりとふらつく、彼の身体。


「……く、そ」

 右目が痛むのだろうか。アーサーは覚束ない足取りのまま、右目を庇うように押さえると低い声で呻く。


「……本当に、もう出て行ってくれないか。俺は……お前を巻き込みたくない。お願いだ、ウィリアム」

 それは、今にも泣き出しそうな声だった。アーサーの左目は、何かに怯えるように、決して目を逸らしてはならないとでも言うように、もう瞬き一つしない。


「俺が……俺じゃなくなるような気がするんだ。正気を保っていられない。俺の中に、確かにいるんだ。声が……聞こえてくるんだ。――ローレンスの、声が」

 アーサーは赤い右目を覆ったまま苦し気に息を吐き、続ける。


「だから……もうこれ以上俺に近づくな。俺は……俺の中のローレンスは、お前を殺してしまうかもしれない。……お前を傷つけたくはないんだ」

 何かに絶望したような声音で懇願する、その余りにも不安定な友の姿に、ウィリアムは思わず言葉を呑みこんだ。――この二か月、たったそれだけの間に、彼がこうまで追い詰められてしまったのは一体何故なのかと。もしやそれすらも、ルイスの仕業だと言うのだろうか。まさか本当に、ローレンスがアーサーの中にいるとでも?


「アーサー……落ち着け」

 ウィリアムは自分の心を落ち着ける為に、アーサーの心を鎮める為に、なるべく穏やかな声で語り掛ける。


 この本に書かれた内容が真実だとして、ルイスがアーサーの命を狙っているのだと彼が信じ込んでいるのだとして、だからと言ってどうしてここまで彼が追い詰められてしまったのか、ウィリアムにはわからなかった。それに、やはりアーサーの先程までの冷徹な態度は、ウィリアムを巻きこまないようにする為のものだった。そんな彼をこのままにしておくことなど、ウィリアムには出来る筈がない。


 ウィリアムは瞼を閉じ、ゆっくりと息を吐く。――そうだ、冷静にならなければ、と。そして一瞬の沈黙の後、再び口を開いた。


「俺は君の言うことを信じる。その言葉は、紛れもなく真実なのだろう。でもだからこそ俺は、君を置いてはいけないんだ。ローレンスが君の中にいたとしても、君は君だ。

 そうだろう?アーサー」

「――っ」

 刹那、アーサーの顔が強張る。張り詰めたようなアーサーの表情が、歪んだ。

 そして彼はウィリアムから離れるように、更に一歩一歩と後退する。けれどウィリアムはそれを許さないと言うように歩み寄り、再びアーサーの腕を握った。


 窓から差し込む光が、二人の頬を照らし出す。


「――放せ」

「嫌だ」

「……放せッ!」

「無理だ」

「お前は馬鹿なのか!?」

「あぁ、そうだよ」

「――彼女は……アメリアはどうするんだ!」

 そう叫んだアーサーの瞳は深い不安の色に揺れていて、ウィリアムはアメリアも、アーサーとルイスのこの件に関わりがあるのだろうと察した。ならば尚のこと、ここでアーサーから真実を知らされなければ、帰れないというものだ。

 ウィリアムは覚悟を決める。


「……俺は、もう逃げない。彼女が君とルイスに何か深い関わりがあるなら、尚更俺は、それを知る君をこのまま置いて行く訳には行かない。

 彼女は俺に言わなかったんだ。ルイスの力を知っていて、君の瞳の力を知らされていて、それなのに昨夜まで、俺には全てを隠していた。それはきっと俺が、ずっと自分自身から、そして君からも逃げていたからなのだろう。でも、もう嫌なんだ。俺だけ蚊帳の外だなんて――もう、ごめんだ」

「……ウィリ……アム」

「だから――話せ、全て。一緒に考えよう。きっと何か方法が見つかるはずだ。君が苦しまなくてもすむ方法が」


 ウィリアムの真摯な眼差しに、アーサーの心が揺れ動く。しかし――。


「……駄目、なんだ」

 アーサーはウィリアムの視線から逃れるように再び俯いた。その表情に、拒絶の色は見えない。


「……何故?」

 だからウィリアムは穏やかな声で尋ね返す。拒絶ではないなら、一体その理由は何なのか。


「言えないんだ。言えば全てが変わってしまう……そう、彼が言っている」

「……」

 “彼”と言うのがローレンスだと言うことに、ウィリアムはすぐに気が付いた。それにしても、このままでは全く埒が明かない。何も言えない、そう言われてしまったら結局何も……。


「……ならば、せめてこれだけは教えてくれないか。ルイスは君の……いや、ローレンスの兄なのだろう?なら――アメリアは?彼女は君の……ローレンスにとって、どんな存在なんだ。もしや、かつての……恋人か?」

 先ほどのアーサーのアメリアを気遣うような表情から、もしやそうなのではと、ウィリアムは一つの仮定を口にした。けれど、アーサーは首を横に振る。


「……すまない。わからないんだ。俺はローレンスの心が読めるわけではない。彼の声が聞こえるだけだ。――だがそれに耳を傾けすぎると、自分を見失ってしまいそうで……怖いんだ。“彼”が何を考えているのか……わからないから。いや、違う。俺は――知りたく無いんだ」

「……アーサー」


 二人はしばらくの間、無言で見つめ合った。お互い、何と言葉を言ったらいいのかわからずに。けれど、その沈黙は唐突に破られる。


「殿下ッ!!大変でございます!」

 扉が開く音とともに、深紅のマントを羽織った衛兵が一人、バタバタと音を立てて部屋の中へと入って来た。ウィリアムやアーサーよりいくつか年上であろう屈強な体格の近衛兵――トリスタン卿は、いつもの平静を装うことも出来ないまま、激しく息を切らせていた。そんな彼はウィリアムの姿を確認すると、怪訝そうに眉をひそめる。


「何故、ファルマス伯爵がこちらに――」

「俺が入れた。そんなことより、報告をしろ」

 その低い声にウィリアムがアーサーの顔を顧みれば、彼はいつもの王子の顔に戻っていた。右目も、いつもの紫色に戻っている。


「……それが」

 トリスタンは、蒼白な顔でアーサーの斜め前に跪いた。そして震える声で、告げる。


「コンラッド卿が、死去致しました」

「――な」

 刹那、アーサーの顔から一瞬で血の気が引いた。膝から崩れ落ちそうになるアーサーを、ウィリアムの腕が支える。


「コンラッドが……死んだ……?」

 アーサーは震える声で呟く。

 それはウィリアムにとっても信じられない内容だった。一体何があったのだろうか。しかしそうは思っても、この場にウィリアムの発言権は無い。


 トリスタンは頭を下げたまま、続ける。


「それと……大変申し上げにくいのですが……」

 その言葉に、何かを察したのだろうか。アーサーの瞳が、絶望の色に染められる。


「ライオネル・マクリーン、そしてサウスウェル伯爵家のご息女アメリア様が、西区、旧教会の崩落に巻き込まれて瓦礫の下敷きになったと……コンラッド卿が息を引き取る寸前、そう申したそうです」

「――な、……アメリアが?」

 これにはウィリアムも、一瞬で顔を蒼くさせた。旧教会が崩落?一体何がどうなっているというのか。


「アーサー!今の言葉はどういう意味だ!?何故アメリアが、コンラッド卿やマクリーンとそんな所にいるんだ!」

 けれどアーサーはウィリアムの言葉には答えずに、トリスタンに問いかける。


「誰の仕業だ」

「――は。それが、全く不明であると……。コンラッド卿はマクリーンと闘争中、何者かによって背中に短刀の直撃を受け……また、その何者かはアメリア嬢及びマクリーンの頭上の十字架の鎖を、短刀で断ち切ったのだとか。――我ら騎士にもそうやすやすと出来ることではありません」

「……コンラッドとマクリーンが闘争?――アメリア嬢の生死は」

「まだ確認出来ておりません。只今、エレック卿、マーク卿、そして私の部下を捜索に当たらせております。増員致しますか」

 トリスタンの言葉にアーサーは一瞬悔し気に口元を歪めたが、直ぐに平静を装い、否定する。


「いや――いい。戒厳令を敷く。その教会には市民を誰一人として近づけさせるな。貴族もだ。それと、コンラッドの死は誰にも伝えてはならない。勿論――父上にもだ」

「――は」

「崩落事故は偶然起きた。けが人はなし。――お前はそう根回ししておけ」


 アーサーのその淡々とした物言いに、その横に立つウィリアムは絶句した。捜索隊を増員しない――その言葉に。

 けれどその想いを知ってか知らずか、アーサーとトリスタンは会話を続ける。


「承知致しました。――変わりの衛兵を直ぐに寄こしますので、殿下はこのままこちらに」

「いや、俺は現場に向かう。今直ぐ馬を用意しろ。――二頭だ」

「な――っ、危険です!いくら殿下のご命令でもそれは――って、……二頭?」

 トリスタンが怪訝そうな顔をする。アーサーの視線がウィリアムへと向けられた。


「全てを知りたいと言ったな。ウィリアム」

「――っ」

 アーサーのアメジスト色の双眼が、じっとウィリアムを見つめる。それはいつになく真剣な眼差しで――まるで別人の様だとウィリアムには感じられた。


「トリスタン。これは命令だ。――行け」

「……は」

 アーサーの全身から放たれる殺気とも取れる重圧に、トリスタンはぞっとした様子で返事をすると部屋の外へと駆けて行く。そしてその圧は、そのままウィリアムに向けられた。


「アメリアの無事を確かめに行く。お前も来い」

 その瞳は暗く、冷たく――けれど……。


「あぁ。……勿論だ」

 アメリアの無事を確かめる……それは彼女の生を信じる言葉。だからウィリアムは、頷く。


 そして二人は、その場を後にした。


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