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02


「何故……お前が……」

 ウィリアムを映し出したアーサーの瞳が、見開かれる。その視線は直ぐに、ウィリアムの手によって拾い上げられた本へと移された。


「――見たのか!?」

 勢いよくソファから立ち上がり声を荒げるアーサーは、何か恐ろしいものを見ているかのような顔でウィリアムを睨み付けた。それはまるで、ウィリアムに赤い瞳を見られてしまったあの時と同じような表情で。そんなアーサーの態度に、ウィリアムは確信する。ここにある本に書かれた内容は、紛れもなく真実なのであろうと。

 けれどウィリアムは、それについて自分からアーサーに何かを言うつもりは無かった。アーサーが隠したがっているならば、何も言うまいと。

 それに何よりもまず先に、自分がアーサーを傷つけてしまったことについて、謝罪しなければならない。


「俺は……君に謝りに来たんだ」

 ウィリアムはゆっくりと立ち上がり、手に持っていた本をテーブルに戻す。そして、アーサーの名を口にした。その声に、アーサーの肩がびくりと震える。酷く歪められた彼の表情。それは、ウィリアムを威嚇するように。そして、どこか怯えるように……。

 けれどウィリアムは、もう一片足りと迷わなかった。彼はアーサーの細められた瞳から放たれる鋭い眼光をそのまま受け止め、じっと見つめ返す。


「本当に、すまなかった。君は彼女に……アメリアに、何もしていなかったのだろう?それなのに俺は君の言葉に耳を傾けることなく、一方的に君を責めて傷つけた。許して欲しいとは思わない。けれど、どうしても謝りたくて、……ここに来たんだ」

 ウィリアムは凪のような声音でそう告げると、一歩、アーサーへと歩み寄る。


「――……」

 けれど、アーサーの表情は変わらなかった。彼はただ、眉を吊り上げ、頬を引きつらせ……ウィリアムを鋭く見据えるのみ。

 その表情に、ウィリアムの脳裏に思い出されるのは、やはり十年前のアーサーの泣き出しそうな横顔で。銀の前髪の奥に揺れる……夕暮れの色で。記憶の底に焼き付いて離れない、あの美しい、赤い瞳で……。ウィリアムは、理解する。


 アーサーはずっと苦しんでいたのだと。ずっと昔から、自分の知り得ない程の遠い遠い昔から……きっとずっと、苦しみ続けてきたのだと。そしてその傷は未だ癒えることなく、アーサーの心を蝕み続けているのだろう。


「アーサー、俺は……」

 ウィリアムはもう一歩、アーサーへと近づいた。アーサーの顔が更に歪む。それ以上近づくなと、彼の眼差しが告げている。けれど、それは彼の本心ではない筈だとウィリアムは感じていた。何故ならあの時もそうだったから。あの日……一度は自分の手を振り払ったアーサーは、しかし二度目は拒絶しなかった。本当は、救われたいと……そう願っている筈だ。


「アメリアから、聞いたんだ。君の瞳の力を。だからもう隠さなくていい。そんな顔するな。だって俺は……」

 ウィリアムの真っ直ぐな視線が、アーサーの揺れる瞳を、捕える。その右手が……アーサーの左腕に伸ばされ、触れた。


「君の瞳を、綺麗だと思う」

「――ッ!」

 アーサーの喉が、音を鳴らす。そして一瞬の沈黙の後、ようやく彼は――顔を引きつらせたまま――ゆっくりと口を開いた。

 

「……その言葉を、信じろと?」

 彼はウィリアムの手を振り払うことなく、けれどその代わりに、自嘲気味に口角を上げる。


「俺はもう誰の言葉も聞かない。ましてウィリアム、お前の言うことはな」

 アーサーの低い声が、物音一つない静まり返った部屋に響く。けれど、ウィリアムとてこの程度で引くわけにはいかなかった。


「俺に、失望したのか?」

 ならば何故、コンラッドに俺たちの後を付けさせたんだ。ウィリアムはそう尋ねる。――そうだ、どうでもいいと思っているなら、俺とアメリアを引き離そうとする筈がない。

 そう言いたげなウィリアムの視線に、アーサーは「何を馬鹿なことを」と眉をひそめた。


「失望などするものか。俺は最初からお前に期待などしていない。だから、失望することもない」

 アーサーの凍てつくような視線がウィリアムに突き刺さる。そしてその視線は、テーブルの上の本の山へと移された。


「読んだのだろう?――それを」

 ウィリアムの右腕に、アーサーの右手が添えられる。そしてそのまま――へし折られるのかと思う程の強さで――握られた。


「――っ」

 予想だにしなかった痛みに、ウィリアムは顔を歪ませる。その反応を楽しむかのように、アーサーは唇を薄く嗤わせた。


「俺はただルイスを監視していただけだ。そして、あいつの傍にいるお前と、アメリアをな」

「監視……?」

「まだわからないのか、ウィリアム。お前はルイスに利用されたんだ。この俺に近づく為に……」

「……何」

 刹那――アーサーの右目が、深い紫から赤色へと変化する。それは窓から降り注ぐ秋の陽光に反射して、真昼にも関わらず、夕暮れ色に煌いた。


「だが、お前はもう用済みらしい」

 赤い瞳。それが、ウィリアムの心の奥を覗き込む。彼の心を――そして、その記憶を。


「あぁ、お前は本当に何も知らされていないのか。ならば俺が教えてやろう。ルイスは俺の命を狙っているぞ。あいつにとって俺は、母親の仇のようだからな」

「――な……」

 流石のウィリアムも、これには言葉を詰まらせる。


「そんなあいつが、何故お前をここに寄越したと思う?」

 そう言って、再び細められるアーサーの瞳。

「これは俺の勝手な想像にすぎない、が……ルイスの狙いは、俺だけではないぞ」

「――ッ」

 その言葉にウィリアムの脳裏に過ったのは、アメリアの姿。


「まさか、ルイスが彼女を……?」

 しかし、ウィリアムはそれを否定するように小さく息を吐く。


「いや、それはあり得ない。俺たちが彼女と出会ってから、既に二月以上が経っているんだ。何かするつもりなら、既にしている筈。そうは思わないか?」

「……」

 ウィリアムの返答に、アーサーの銀色の前髪が瞳の上でさらりと揺れた。それは……何かを隠したがっているように。その複雑な表情に、ウィリアムは掴まれた腕の痛みも忘れ、訝し気に眉をひそめる。


「アーサー。君はさっき俺の言葉を聞く気がないと言ったな。それなのにどうして俺を気に掛ける。本当は、君の本当の気持ちは……どこにあるんだ」

 先ほどからずっと感じている違和感。そうだ、もしも本当に俺に興味が無いのなら、既に俺はここから追い出されている筈だ。けれどそれをしない、それは何故か。――ウィリアムはそう感じていた。だから彼は、考える。アーサーの自分に向ける冷酷な視線も、態度も……。全ては偽りなのではないかと。それに例えそうでなくても、彼はもう逃げないと決めたのだから。アメリアに、そう誓ったのだから。


「俺はもう逃げない。そう――彼女に誓った。ルイスのことも、アメリアのことも、君のその瞳の力も……。もう、君だけのことじゃない。

 アーサー、聞いてくれ。君がルイスを恐れるなら……ルイスが君を憎んでいるのなら、それはもう、君だけの問題じゃないんだ。教えてくれ、アーサー。もう、何も知らずにいるなんて嫌なんだ。俺はずっと逃げて来た。自分が傷つくことを恐れて……ずっと逃げてきたんだ。でもそれも今日で終わりだ。

 今度こそ、俺は君の力になりたい。あの日、君の瞳を美しいと言った俺の言葉に嘘はない。――君になら、それがわかるだろう?」

 そうだ――、人の心を読むことが出来るその瞳なら、俺の心を読むことだって容易い筈。アーサーはわかっている筈だ。俺の心に、嘘偽りがないことを。――ウィリアムは、そう確信していた。


「俺を許せとは言わない。許さなくていいから、信じてくれ。俺は君の力になりたいんだ。君の傍にいたいんだ。もしもルイスが君の命を狙っているというのなら、俺が何とかす――」

「――黙れ」

 刹那、アーサーの口から零れ出る呻き声。彼は俯いて、ウィリアムから腕を離すと一歩一歩と後ずさる。


「それ以上、言うな」

 ウィリアムが苦し気に歪められたアーサーの顔を覗きこむように見つめれば、彼の真っ赤な右目が――蠢いていた。


「――出ていけ」

 アーサーの肩が上下に揺れる。乱れる息を殺すように奥歯を噛み締めて、彼は繰り返した。ここから出ていけ、と。けれどウィリアムは引かない。


「それは出来ない。そんな顔をしている君を放っては置けない」

「――ッ、出て行けと言っている!これは命令だ!!」

「俺は君の臣下じゃない!」

「わからないのか!?お前の為に言ってるんだ!アメリアを失いたくなければ俺に構ってないでさっさと行け!彼女の傍を離れるな!」

「――っ」

 アーサーの怒号とも言える叫び声。そして怒りとも焦りともとれる表情を見せるアーサーの姿に、ウィリアムは一瞬押し黙った。

 ――失いたくなければ、彼女の傍にいろ、という言葉に。

 

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