06
「……ライオネル……私……」
あぁ、あぁ、ライオネル――。ごめんなさい、ごめんなさい。あなたはもう決めたのね。私があなたの想いに応えられなくても、それでも私の傍にいてくれるって。そういう、ことなのね――。
ライオネルの短めの赤毛が、私の首筋に触れる。彼の腕に、抱きしめられて……。こんなこと思ったらいけないのに、どうしようもなく安心してしまう自分がいる。彼はウィリアムではないのに。エリオットでもないのに……。
どうしよう。涙が止まらない。私の背中に回された腕の力に、彼の胸の鼓動に。耳にかかる切なげなその吐息に。
彼の純粋な、まっすぐな……その想いが嬉しくて、切なくて、苦しくて……私は思わず、ライオネルにしがみつく。すると私の背中に回された彼の腕に、より一層力が込められた。そして彼は、切なげに囁く。
「アメリア……。今だけ、今だけでいいから」
それは今にも泣きだしそうな声で。何の偽りも無い、彼の心の叫び声に聞こえて。私の心臓がチクりと痛む。――私はなんてことをしてしまったのだろう。こんなに心の綺麗なライオネルを、巻き込んでしまうなんて。けれどもう、後戻りは出来ないのだ。
「……ライオネル。――ありがとう。でも……」
そう呟いて私が彼の胸を押し返すと、彼はハッとした顔をして私の背中から腕を離した。視線と視線が、再び絡まる。彼の瞳は、不安げに揺れていた。
「……アメリア?」
彼はどこか怯えるように、私の名前を呟く。拒絶された――と、そう思っているのだろう。でも、そうではない。そうでは……ない。
「私、あなたに話すわ。私の知る限りのことを、全て。だから……もしもそれを聞いてもあなたが今と同じ気持ちでいられたら……そのときは……」
私は真っ直ぐにライオネルを見据える。
「――私に、忠誠を誓いなさい」
「――っ」
騎士の忠誠。それは生涯絶対だ。主を裏切り、約束を違えることは決してあってはならない。その命をかけて忠義を尽くす、そういうものだ。だから私は彼に話さなければならない。そしてきっとライオネルは、全てを知っても自分の言葉を覆すことは無いであろう。
そしてそんな私の意図をくみ取ったのか、彼は真剣な眼差しでこちらを見つめ唇を固く結んだ。その瞳は――意志の強い、騎士の目をしていた。
静寂が満ちる。宙に舞う埃が七色の光に反射する――どこか浮世離れした、二人きりの教会で。私達は――誓うのだ。
ライオネルは私の言葉を待ち、ただ私の瞳をじっと見つめていた。瞬き一つすることもなく。
けれど、私が口を開こうとしたその瞬間――ライオネルが、動いた。
「――しっ」
彼はどういう訳か、教会の入り口、扉の方に鋭い視線を向けると私を庇うように背中に隠す。
「外に誰かいる」
そう呟いて、腰の長剣に右手を添える彼。その全身から、冷えた殺気が放たれた。
そんな彼の姿に、私は困惑する。だって全然気が付かなかったのだ。今まで何度だって、経験してきた筈なのに……。
ライオネルの全身から放たれる殺気。それは扉の外を射抜くように、研ぎ澄まされている。
「誰だ!そこにいるのはわかっている!」
彼は外に向かって叫んだ。すると先ほどまで無かった筈の気配が急に現れた。あぁ――成程確かに。意図的に気配を消していたのだろうその誰かは、ライオネルの言葉に反応したのだろう。微かに開いた扉の隙間から、音も無く姿を現した。
「よう、マクリーン。こんな場所で逢引とは、洒落てるな」
「――!何故……貴方がここに」
ライオネルの喉が――緊張で音を鳴らす。無理もないだろう。何故ならそこに姿を現したのは……この国の元騎士団長、コンラッド・オルセンであったのだから。しかも彼は敢えて気配を消していた。そんなコンラッドの姿に、ライオネルは訝し気に眉をひそめる。
そしてまた私も、コンラッドの姿にもしや、と――一つの仮定に行き着いていた。先ほどのルイスの言葉が脳裏に過る。彼は言っていた。アーサーは既に、気づいている、と。
つまり、私の考えが正しければ、コンラッドは私を監視していたのだ。そして、ここまで着けられてしまったのだろう。あぁ、なんてこと。本当に気が付かなかった。心に余裕が無くて、夢中で……。きっと先ほどのライオネルとの会話も……。もしかしたら、ライオネルがニックを助けたことも知られてしまっているのかもしれない。
けれど私の考えなど知らないライオネルは、コンラッドと見当違いの会話を交わしている。
「何故、コンラッド卿がこのような場所に」
そう尋ねるライオネルに、コンラッドは余裕気な笑みを浮かべた。
「そちらの方はファルマス伯の婚約者、アメリア嬢であろう。この様な場所に二人きりとは、変に勘ぐられても文句は言えまい?」
コンラッドの不敵な物言いに、ライオネルの肩が一瞬震える。
「……彼女とは、ただの友人です」
「ほう、友人か。だがこの状況を見れば、有らぬ噂を立てられることもあるだろう。誤解を招く様なことはせんことだな」
コンラッドの低い声に、沈黙を貫くライオネル。どう答えるべきか、思案しているのだろう。コンラッドはそんなライオネルの姿にやれやれと呆れたように嘆息すると、皮肉気な声音で続ける。
「マクリーン、アメリア嬢をこちらに引き渡せ。私が屋敷まで送り届けよう」
「……それは」
命令ですか――と言いかけて、ライオネルは驚いた様に言葉を止めた。私に服の裾を引っ張られたことに気付いたのだ。彼は我に返ったように、私の方をゆっくりと振り返る。
私はそんな彼に微笑んで一歩踏み出し、彼の横に並んだ。コンラッドの真意を推し量る為に。
「その申し出、とても有難く思います、コンラッド卿。けれど、わざわざあなたのような方の手を煩わせたなんてことを家の者に知られたら、私が叱られてしまいますわ。私にはこの……マクリーンで十分ですのよ。お釣りが出るくらいですわ」
そう言って、にこりと微笑んで見せる。すると、かすかにコンラッドの瞼がぴくりと震えた。
「なる程。聞きしに勝る豪気な方の様ですな。だが、これは殿下の命令でありますから、貴方に拒否権はありませんぞ」
私はその言葉に、自分の予想が正しかったことを知る。やはりそうだったのだ。アーサーの指示。私をアーサーの所にでも連れて行くつもりだろうか。それ自体は構わない。きっと今ならウィリアムも一緒にいるだろう。けれど、ルイスはどうするのだ。彼の預かり知らぬところで、アーサーと接触したくは無い。
「……アメリア」
ライオネルが横目で私に視線を送る。コンラッドの言葉に返事をしない私を、不審にでも思ったのだろうか。
あぁ、でも――そうか。今ここでそれを拒否すれば、きっとその罪は隣のライオネルにも及んでしまうだろう。それは……避けなければならない。彼は何も知らないのだ。今ならまだ、引き返せる。
私がライオネルに視線を返せば、彼はどこか悔しげに顔を歪めていた。彼もわかっているのだ、アーサーの命令を斥けることなど出来はしないと。あぁ、やはり、それならば――。
私は彼に、微笑んだ。これが――最後かもしれないから。そして、コンラッドの元へ、協会の出口へと……足を踏み出した…………筈なのに。
「……ライオネル?」
左腕を掴まれた感覚に振り返れば、ライオネルの右手が私を捕まえていた。その力はとても強くて……行かないで、と、そう言っているように思えた。
そんな私たちの耳に、コンラッドの声が響き渡る。
「どういうつもりだ、マクリーン。殿下の命令に逆らうということの意味がわからないほど、お前はもう子供ではあるまい?」
コンラッドの据えた瞳がライオネルを射抜く。けれど、ライオネルはもう……一歩も退かなかった。私の右腕をぐいと引き寄せると、再び私の前に出る。そして凛とした眼をコンラッドへと向けた。
「わかりません。僕には、わからない。何故そうまでしてこの方を連れて行こうとするのですか。何も知らずに、この手を離すなんてこと、僕には出来ない!」
「――ライオネル!マクリーンの名を汚すと言うのか!レイモンドは騎士の称号を剥奪されるぞ!」
「父上は関係ない!これは僕の問題だ!」
二人は離れた距離で対峙する。もう、ライオネルの声が震えることは無かった。
でも、このままでは……不味い。ライオネルは私の腕を決して離す気は無い様で……。あぁ、それもこれも、全部私が蒔いた種。何とか……しなくちゃ……。
「……ライオネル、落ち着いて。大丈夫よ、何でもない。あなたは何か勘違いしてるのよ」
なるべく穏やかな声で、彼の背中に言葉をかけてみる。でも。
「君のその言葉は信じない。そんな顔して大丈夫なわけないだろう!?僕はまだ君から何も聞いてないんだ。誓いだって立てていない。こんな中途半端なままで、行かせられるわけないじゃないか!」
「……っ、駄目……よ……」
あぁ、止めて、止めて。そんな必死な顔しないで。声を荒げないで。
「それがお前の答えか。ライオネル」
地を這うような低い声で、全てを呑み込む暗い瞳で……剣を引き抜くコンラッド。
「ならば、お前はここで粛清する。王家に仇なす――反逆者として」
「……ッ!コンラッド卿!貴方ともあろう方が、この様なことで……!」
ライオネルの右手が私の左腕から離れる。そして彼は私の身体を協会の隅へと押しやった。それと同時に、腰から引き抜かれる彼の剣――。
「やめて……!」
けれど私の叫びも虚しく、次の瞬間にはもう、ライオネルはコンラッドに剣の切っ先を向け……駆け出していた。




