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05



 もう――どうしていいかわからなかった。ルイスの言葉に、何と応えればよいのかわからなくなってしまった。

 本当は知っていた筈なのに。あの日、アーサーを恨んでいると言ったルイスの言葉を聞いたときから、いいえ、本当はもっと前から気が付いていた筈なのに。ルイスがアーサーを、心の底から憎んでいるのだということを。殺してしまいたいと思う程に、彼を恨んでいることを。

 きっとずっとそう思っていたのだ。今まで――千年以上の長い時間を、彼は……ずっと、ずっと。


 ルイスはどれほど苦しんできたのだろう。腹違いとは言え……兄弟に母を殺されてしまうなんて。


 私もエリオットを失った。その記憶は正しいものではないのかもしれない。それでも、この千年苦しんで来た記憶だけは本物だ。その痛みは計り知れない。ルイスの心の痛みは、きっと私には想像も出来ない。


 だけど……それでも……。


 私は聞いてしまった。ウィリアムとアーサーの思い出を。ウィリアムの過去を、アーサーの悲しみを。ウィリアムを助けるためなら、アーサーがどうなったって構わないと、そう思っていた筈なのに。それが……今はどうだろう。


 あぁ、聞かなければよかった。アーサーの過去なんて、尋ねなければよかった。私が昨夜問わなければ、私が願わなければ、ウィリアムだって思い出すことは無かったはずなのに。きっと、アーサーの苦しみを知らずにすんでいた筈なのに。


 アーサーはローレンスとは別人だ。エリオットとウィリアムがそうであるように。けれどルイスは聞き入れないだろう。ローレンスに奪われたソフィアの力をその手に取り戻すまで、足を止めることはないのであろう。――もう時間がないと、もうすぐ自分は死ぬのだと……そう言ったあの日の彼の横顔が脳裏に過って……私の心を苦しめる。


 私は一体どうしたらいいのかしら。もしもこのままルイスがアーサーを手に掛けてしまったら、ウィリアムは自分も、ルイスも、何もかもを信じられなくなってしまうだろう。その命を捧げてでも、アーサーを庇うかもしれない。もしそんなことになってしまったら……私は……?


「――ッ」


 気が付けば、私は街の中を駆けていた。もう、夢中で……何も、これ以上考えたくなくて……。ただ、痛くて……、悲しくて……。


「……どうして」

 過去なんてどうやったって変えようがない。なのにそれに苦しめられて、縛られて、私達は一体どこに向かっていくのだろう。空にはいつもと変わらない太陽が暖かく輝いているというのに……どうして私たちは……いつまでも満たされないのか。何故こんなにも暗い世界に閉じ込められているのだろうか。


「……エリオット」

 もしも、もしもあなたが本当に生きているのなら……。お願いよ、お願いだから……私の、ところに……私の前に姿を見せて。私をここから、救い出して……。


 視界が――滲む。もう、前が見えない。自分の立っている場所がどこなのかすら、今私がどこにいるのかすらわからない。もう……何も、わからない……。


「…………っ」

 人々の行きかう雑踏の中、私だけが取り残されて。世界にただ、一人きりになってしまったようで。私はもう、一歩も前に進めない。

 胸が苦しくて、苦しくて……立っているのも、辛くて。


「アメリア!待って、アメリア!」

 ――けれど、そんな私の背中から唐突に降りかかる声。その声の主は、立ち尽くす私の横を通り過ぎ、私の目の前に立ちはだかる。


 あぁ、どうして彼がこんなところに……。


「あぁ、やっぱり君だ!僕、ウィンチェスター侯の屋敷に向かっていたんだよ、そしたら君が……」

 そう言いかけて、彼……ライオネルは目を大きく見開いた。


「……どうして、泣いてるの?」

 ライオネルはかすかに声を震わせて、私の顔を覗き込む。それは、何も知らない純粋な瞳で。ただ、真っ直ぐに私を心配する顔で……私は、この溢れ出る気持ちを、もう、止められない。


「……ライオ、ネル……私……もう、わからないの。自分がどうしたいのか……どうしたらいいのか……」

「――っ、アメリア……」

 滲んだ視界の向こうで、ライオネルの深い茶色の瞳が驚いたように揺れ動く。薄く開いた唇の奥で、喉を鳴らす音が聞こえた。


 そして彼は、私の右手を強く――掴む。


「場所を変えよう。お供の一人も付けないで……君の姿はここでは少し目立ちすぎる」

 真剣な表情でそう言った彼の言葉に私がようやく我に返って辺りを見回せば、いつの間にか人が集まって来てしまっていた。確かに、今の私はどう見ても貴族の出で立ちで、町歩きを独りでするような服装ではない。しかもこんなに泣きはらして……このままでは善からぬ噂が立ってしまうかもしれない。


 けれど、未だ止まることのない涙にどうすることも出来ず俯く私に、ライオネルは優しく微笑んでくれる。


「大丈夫だよ。何も心配ない。今から僕が君の護衛だ。おいで、アメリア。君にどうしても見せたいものがあるんだ」


 私を安心させようと、明るい笑顔を向ける彼。その姿に、私は小さく頷いて、彼に手を引かれて歩き出した。



「……ここは……」


 ライオネルに連れて来られた場所は、小さな古い教会だった。


 庭はすっかり荒れ果て、雑草が鬱蒼と生い茂っている。柱は所々欠け、ひび割れた外壁には空に向かって聳える屋根の上まで蔦が絡みついていた。


 ライオネルは左手で私の右手を握ったまま、もう片方の手で教会の扉を押す。ギシギシと音を立てて、扉が開いた。そして、中へと足を踏み入れる。


 中の状態は思っていたより綺麗だった。少し埃っぽいけれど、気になる程ではない。それに……。


「……綺麗、ね」

 私の視界に映ったのは、天井から下がる巨大な白い十字架とステンドグラス越しに教会内全体に降り注ぐ虹色の光。きらきらと、きらきらと……。


 私の言葉に、ライオネルがゆっくりと振り向く。そして、笑った。


「そうだろう?」

 ここ、僕のお気に入りの場所なんだ――、と、そう言って彼は、私の手を引いて教会の最前列に腰を降ろす。


「嫌なことがあったときは、僕、いつも独りでここへ来るんだ。ここなら誰も……来ないからさ」

 ライオネルの隣に腰を落ち着けた私の横顔を、じっと見つめるライオネルの瞳。その色は、ステンドグラスの七色の光に反射して……とても、綺麗で。私は思わず、呟く。


「あなたでも……あるの?何かを忘れたくなるような……ことが……」

 私の問いに、細められる彼の瞳。それは、多分、同意で……。


「勿論あるよ。そんなこと、しょっちゅうさ。僕はまだ騎士団の下っ端だし、毎日毎日怒鳴られてばかりで……時々、自分が嫌になるよ。何も出来ない自分が……」

「…………」

 きっと、彼の言葉は嘘では無いのだろう。けれど、それだけではないのはわかる。彼は、今、私を慰めてくれているのだ。

 あぁ、どうしてこの人は、こんなにも優しいのだろう。まだ、会うのだってたった三回目でしかない、私の様な……女相手に……。


「ここ、もう少しで取り壊されちゃうんだ。さっきの泣いてる君を見たら、その前にどうしてもここに連れて来たくなって」

 彼は、微笑む。そして私の右手を、その暖かい両手でそっと包み込んでくれる。


「ねぇ、アメリア……話したくないのなら無理にとは言わないけど。もし良ければ、聞かせてもらえないかな。君がさっき泣いていた理由を」

 ライオネルの声が、かすかに震えた。


「アメリア、僕らが出会ったあの日――君はどうして川岸に倒れていたの?何故君は、いつもそんなに辛そうな顔をしてるの?君は一体、何者なんだ……」

 その言葉は、少しずつ尻すぼみになっていく。最後はまるで独り言のように、呟く程の小さな声。それは、ライオネルの葛藤を表しているのだろう。


「私……は……」

 でも、言えない。こんなこと……言えない。ライオネルは関係ないもの。巻き込んでしまっては、いけないもの……。


「実はね、僕、ルイスに頼まれたんだ。間違った道に進むニックを正してやってくれって。今、彼は僕の――アルデバランの屋敷にいるよ。まだ足の傷が癒えていないから、今日は連れて来れなかったけど。次は必ず、連れて来るよ」

「……っ、ニックが?……ルイスがあなたに、そう頼んだの?」


 あぁ、すっかり忘れてしまっていたけど、そんなことになっていたなんて。ルイスがライオネルに、ニックのことを……。でも、つまりそれは……彼は自分の上官の命令を無視したということになる。騎士を目指す彼が、国を裏切る――そういうことだ。


「勘違いしないで。僕がしたくてしたんだよ。僕は、そうしてでも君のそばに居たいと望んだ。君には迷惑かもしれないけど、でも、こうでもしないと君は、僕に目を向けてくれないだろう?」

「……、あなた……何を言っているか、わかっているの……?」


 ライオネルの真剣な眼差しが、私の心に突き刺さる。それは鋭く――焼けるような熱い刃で。


「勿論、わかってるつもりさ。アメリア……どうか僕を君の騎士として、傍に置いて欲しいんだ。そうしたら僕はこの命をかけて君と、そして――伯爵を守ると誓うよ。まだ騎士ではない僕が……上の命令に背いた僕が言っても、説得力はないのかもしれないけれど。それでも、この気持ちだけは、本物だ」

「……ライオネル」


 あぁ、私は一体どうしたらいいの。既に彼は国を裏切り、ニックを助けてしまった。それは私からしたら些細なことに過ぎない。けれど騎士の家に生まれた彼にとって、騎士を目指す彼にとっては並大抵の決断では無かった筈だ。

 そして、今私の瞳を射抜く、彼の熱い視線も――。


「……私、は……」

 あぁ、ライオネル。私は既にあなたを巻き込んでしまったのね。もうあなたは、後戻りするつもりは無いのね。


 再び、私の眼から溢れ出す――それは。


「ごめん、ごめんなさい。私、あなたに……」

 そんなことを、望んだつもりはなかった。何一つ、望んでなどいなかった。それなのに、いつの間にか私の知らぬところで――あぁ、ルイス、どうしてあなたはこの人を……。


「泣かないで、アメリア。僕の方こそごめんね。君を困らせるつもりじゃ無かったのに。僕……」

 私を見つめる彼の顔が歪む。とても悲しそうに。傷付いたみたいに。


「違うの。違うのよ。私……ただ、あなたを巻き込みたく無かった……だから」

「――!」


 ライオネルの瞳が再び、これでもかと見開かれる。そして、再び優しく微笑んだ彼は……。


「いいんだ。巻き込んでくれていいんだ。僕は……君の傍にいて……ただ、君を守りたいだけなんだ」


 私に顔を寄せ耳元でそう囁くと、その鍛えられた両腕で、私の身体を、強く強く――抱きしめた。


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