04
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これは今より凡そ千年前の――我が国、初代国王カイルに纏わる記録である。
初代国王カイルは聖女ソフィアの力によって国に安寧をもたらした。国は栄え、ソフィアは王妃の座についた。
それから数年の後、二人の間に王子が誕生する。
国中の民が祝杯を上げた。
ソフィアと同じ漆黒の髪と瞳を持って産まれたその王子はユリウスと名付けられ、人々に深く愛され育てられた。ユリウスは何の不自由もなく、聡明で温厚な少年へと成長していく。
彼らは皆、幸せだった。
国王カイルが和平の為、隣国の公女マーガレットを側室に迎え入れても、それが変わることはなかった。
カイルはソフィアを変わらず愛していたし、マーガレットも国の民と同じようにソフィアの不思議な力を神聖なものとして受け入れていたからだ。
けれど少しづつ、降り積もる雪のように――穏やかな日々に陰りが見え始めた。
マーガレットが王子を産んだのである。
第二王子――ローレンス。
彼は父親である国王カイルによく似ていた。金色の髪に真っ青な瞳。顔立ちは凛々しく、何事にも物怖じせずに立ち向かっていく勇敢さがあった。
第一王子ユリウスの持つ先見の明、そして何事にも平等に真摯に向き合おうとする思慮深さには敵わなかったが、人を引き付ける魅力に溢れていた。
だが、それについて国王カイルやソフィア、マーガレットが何かを思うことはなかった。
ユリウスとローレンスは年が離れていながらも誰が見ても仲の良い兄弟であったし、全ての関係は良好に見えていたからだ。
けれどそれを良く思わない者たちが国の外にいた。
マーガレットの生家である。
彼らは公にこそ出さないが、ソフィアの力を忌み嫌い怖れていた。何よりもソフィアの何の後ろ盾もないその出自が気に入らなかった。彼らは公女マーガレットこそが王妃にふさわしいと考えていたのである。
マーガレットが王子を生んだことにより、その火種がくすぶり広がり始めた。
ソフィアはそのことにすぐに気が付いた。
そもそも彼女は王妃の座に興味など無かった。彼女はただ、穏やかにカイルと過ごしていたいだけだったのだ。
彼女はカイルに進言した。自分の代わりにマーガレットを王妃にして欲しい、と。
カイルもソフィアの考えを深く理解したが、けれどずっとこの国を支えて来たソフィアを簡単に王妃の座から降ろすわけには行かない。民が納得する筈がないのである。
とうとう王妃ソフィアはユリウスを連れて、離宮へと籠もってしまった。その頃には城の中はソフィアにとって安寧の場所ではなくなっていたからだ。
ソフィアは不死の身体である。
彼女はカイルと出会ったあの日から二十年の月日が流れた今でも、その姿はあの日まま何も変わらない。
絹のように流れる黒髪は見る者を魅了し、その透き通った肌は白雪を思わせるほどに、彼女の美貌は衰えなかった。
けれどユリウスは違う。
ソフィアの血を強く引き継いだ彼の身体は他の人間よりは確かに丈夫で老化が遅く、成人を迎えているのに身体はほんの十歳ほどである。
だが怪我をすれば血が流れるし、病気にだってかかるのだ。
後ろ盾のないソフィアにとって、城はもうユリウスの命を脅かす場所でしかなかった。
国王カイルはソフィアが病気だと国民に宣言し、王妃の座にマーガレットを座らせた。
その頃にはマーガレットも野心に心を燃やしていた。
ソフィアがそれを知らぬはずが無く、これを機にソフィアはユリウス一人を連れて離宮からも出て行ってしまった。行き先を誰にも知らせることなく。
国王カイルは心痛のあまり病に臥せった。
そして第二王子ローレンスが成人である十六を迎えた頃、とうとう王は死んだ。
このとき焦ったのは他でもない、マーガレットとその生家である。
第一王子ユリウスの王位継承権は失われていないまま。このままではローレンスが正式な国王と認められることはない。
マーガレットは息子ローレンスに命じた。ソフィアとその息子、ユリウスの暗殺を。
それと同じころ、ソフィアはカイルの訃報を聞きつけ独り涙を流していた。
彼女は自分がカイルを殺してしまったと悔やみ、嘆いた。そしてローレンスの兵が、自分と息子を殺そうとしていることも悟っていた。
けれど自分はともかく、息子ユリウスだけは何としてでも逃がさなければならない。
彼女はユリウスを遥か遠くの故郷の森へと逃がし、単身ローレンスの元へと向かったのだ。
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「……そして、母上は死んだ」
ルイスは俯いたまま、ぼそりと呟いた。
黒よりも暗い色に揺らめく彼の瞳。それはあまりにも悲しく……辛い記憶。
「母上は懸念していた。父上の居ない今、自分の存在は戦争の道具にしかならないだろうと。だから母上は、自分の力を僕や、そして他の何かに移し替えていた」
ルイスの眼が、鋭く細められる。
「僕を逃がしたあの時の母上には、もう殆ど力は残されていなかった。それに母上は誰かを傷つけるような人じゃない。……死にに行くようなものだったんだ。
でも、それでも普通の人間に、母上を殺すことなんて出来る筈が無かった。それがまさか……あいつ、ローレンスッ!」
あぁ――ルイス。なんて顔をしているの。
ルイスの全身から立ち上る殺気に、私は思わず一歩後ずさる。
明確な殺意に染まる表情。地を這うような低い声。どす黒く、全てを飲み込んで闇の中に引きずり込んでしまいそうな……その、オーラ。
「あの男は母上の最後の力を奪ったんだ。人の心を読む力?馬鹿にするなッ!あれはそんな生半可な力じゃない。あれは――!」
ルイスの顔が引き攣る。ローレンスを決して許すことが出来ないと。
その日から千年以上が経った今でも、ルイスの心の時は止まったまま復讐の業火に燃やされている。
「……ローレンスとは、アーサー様のことなのね?」
尋ねれば、黙ったまま小さく頷くルイス。
でもきっと、ルイスにはわかっている筈だ。アーサーはローレンスとは別人なのだと。それでも……アーサーを恨み続けるその理由がある。それはきっと……。
「アーサー様の中に、ローレンスがまだ生きていると言うことなの……?それはあなたがエリオットが生きていると言ったのと……同じ理由なの?」
私の問いに、ルイスの黒い瞳がこちらをじっと見つめた。その視線に、私の想像が確信に変わる。
あぁ――やはりそうなのだ。
ソフィアから奪ったアーサーの瞳の力は、彼が生まれ変わっても引き継がれている。そして未だ消えていないであろう、アーサーの中のローレンスの意識。
それと同じように、いつまでも引き継がれる私の記憶。
死んだはずのエリオット……。記憶と一致しない私の夢――。
そう、そうだったのだ。きっとこの私の消えない記憶は……ソフィアの力の……一部。
「あなたは、アーサー様をどうしたいの。私達を……どうするつもりなの」
私が呟けば、ルイスは「察しがいいな」と言わんばかりに顔を歪め、私の方に一歩一歩近づいてくる。
――怖い。
けれど、まだ私は肝心なことを思い出せていない。いつ、どうしてソフィアの力を手にしたのか、全く覚えていないのだ。
だから私は正面から向き合わなければならない。こんなに辛そうなルイスを、放っておくことなど出来ないのだから。
ルイスは私の眼前で立ち止ると、首を傾けて私の顔をじっと覗き込む。
「アーサーに恨みはない。だがどうしてもローレンスに聞かなければならないことがあるんだよ。
僕を逃がした母上が死んだと聞き、居ても立っても居られなかった僕は母上の躯を捜したんだ。けれどどこにも見つからなかった。これでは死んでも死にきれないだろう?」
「――っ」
ルイスの闇色の瞳が――妖しく光る。
「ローレンスには目覚めてもらう。その右目をえぐり取り、僕の前に跪かせる」
「……そんな、彼は王子よ。そんなことしたら、ただじゃ済まないわ」
そうだ、そんなことをしたら、極刑は免れない。いくらルイスがソフィアの子供だからと言ったって……。
「ははははっ!この期に及んで怖じ気づいたのか!結局君も、ただの人だったと言うことだな」
「――!」
そう言って大声を上げて嗤うルイス。
――これではまるで別人だ。
足下から冷気が上ってくる。酷い寒気が全身を襲う。
「何のために千年も待ったと思ってる。僕がこれまでの長い時を、何もせずにいたとでも思ってるのか?」
ルイスは、その片方の頬を引き上げる。それはとても、歪な形に。
「まぁ――君は好きにしたらいいよ。君かウィリアムか――それともエリオットか、母上の作り出した鍵を持っているのは間違いない。それこそが君の言う“呪い”の根元だからね。ローレンスのことが片付いたら、ちゃんと解いてあげるよ」
「…………本気、なの」
アーサーを本気で手に掛けるつもりなのだろうか。
ルイスの恨みは深い。けれど、それは駄目だ。そんなことは許されない。絶対に――。
そもそも何故彼は、私にこんなことを……。
「……私が、アーサー様に伝えると言ったら?」
私はそう言って、何とか微笑んでみせる。
目の前のルイスは私の知っているルイスでは無い。いや、私は最初からずっと、ルイスという人間について何一つわかっていなかった。それはきっと今も変わらない。――けれど。
私のせいでアーサーが命を落とすなんてことになったら……ウィリアムは……どうなるの?
私の視線に、ルイスはククッとくぐもった嗤い声を上げる。
「アーサーはもう既に気付いているさ。あとはローレンスが目覚めるだけ。それに……君は僕から逃げられない。君たちの呪いを解くにはアーサーの力を手に入れなければならないからだ。僕の邪魔をすれば、ウィリアムは死ぬだろう」
「――!」
――あぁ、そうか。そうだったのだ。この男は最初から……ソフィアの残した力を手に入れる、ただ、それだけの為に……。
ルイスの唇が、三日月の様にニヤリと歪む。
その狂気に満ちた表情に――何も応えられないまま――私は部屋を飛び出した。




