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03


 アルバートの姿が視界から消えると、ウィリアムは小さく嘆息した。そして微かに眉をひそめる。先ほどのアルバートに感じた違和感に、彼が王都へ戻って来たのは研究以外の理由がありそうだ、と。


 そう言えば何故彼はここに、貴族専用の閲覧スペースにいたのだろうか。アルバートは貴族では無い。と言うことはつまり、待ち合わせの相手というのが貴族であると言うことだろうか。


「……いや」

 そう考えて、ウィリアムは静かに(かぶり)を振った。今はそれどころではない。そうだ、俺はアーサーに会いに来たのだ。どうにかして、彼に会わなければ、と。

 とは言え、あの近衛兵たちをどうにかするか、アーサーが部屋から出てきてくれるのを待つしか、ウィリアムに出来ることはない。彼は再び深いため息をつく。


「……無力だな」

 今まではいつだってルイスが傍にいて、この様に困ることは無かったのだ。ルイスはウィリアムの傍を片時も離れず、常にその後ろに控え、けれどいつだって彼の一歩先を読んで行動してくれていた。しかしそれはもう、望めない。


 心臓を締め付けるような痛みが――ウィリアムを襲う。


 ――俺は、どこで間違えたのだろうか?

 気が付けば、ルイスが傍にいることが当たり前になっていた。まるで自分の半身のように。いや、実際それは事実だったのだ。紛れもない、自分自身の心を預けたその相手――。

 そう、ルイスは間違いなくウィリアムにとっての特別だった。けれどウィリアムの付き人だったルイスはもういない。ルイスは自分が居た場所に、いや、それよりも高い位置にアメリアを置いたのだ。もう自分は必要ないと、それだけを言い残して。


 ウィリアムの顔が歪む。思考が少しずつ……闇の中に落ちていく。

 わかっていた筈だ。ルイスはいつかいなくなる存在だということを。ただの契約だったのだ。ルイスはルイスの望みを叶える為にウィリアムに協力した、それだけのことだった。だがルイスのその、アメリアを幸せにして欲しいというその望み、それは結果的にウィリアムの為になったのだ。

 だからこそウィリアムは苦悩していた。


 ――十五年だ。それだけの時間を共に過ごしたのに――それでも行くというのか。どこに?この俺を置いて……?


「……ルイス」

 お前は確かに俺とのあの日の約束を違えたかもしれない。だが実際にアーサーを傷つけたのはこの俺だ。そう、ルイス、お前では無く……。だから、離れてなんて行かないでくれ……。俺を置いて行かないでくれ……。

 そう、――ウィリアムの瞳が、揺れる。


 けれど――そんなとき。


「もし。そこの方。どこかご気分でも……?人をお呼びいたしましょうか?」

 そう掛けられた声に彼が顔を上げると――またもや見覚えのある人物が、少し離れた場所から彼の方へと駆け寄ってきていた。


「――あら」

 紫色のドレスの裾を翻し、金色の髪を美しく揺らしながら速足でウィリアムの傍にまで来たその女性は、ウィリアムの顔を見て小さく声を上げる。彼女もまた、ウィリアムのことに気が付いたのであろう。彼がアーサーの友人だと言うことに。


「――貴方は……」

 あぁ、これは好機だ――!ウィリアムは静かに立ち上がり、先ほどまでの憂いを隠すように微笑みを浮かべた。


「……お久しぶりですね。ミズ・フラメル」

 ――ミズ・ヴァイオレット・フラメル。今は亡きフラメル男爵の一人娘。それが今や……。だが、彼女は今アーサーの最も近くにいる女性だ。


 ウィリアムの瞼が、微かに細められる。そんなウィリアムの視線に、ヴァイオレットは何かを察したように一瞬表情を固くした。けれどすぐに、やんわりとした笑みを浮かべる。


「ご無沙汰しておりますわね、伯爵様」

 それはどこか皮肉気な声音だった。ウィリアムを敵視するような鋭い視線……けれど今、ウィリアムは決して引くことは出来ない。彼はその顔から笑みを消し、真っ直ぐにヴァイオレットを見つめる。


「どうか、私のことはウィリアムと……。ミズ・フラメル。失礼を承知の上で……貴方にお願いがございます」

「……あなたが?私に?」

 普通ならば有り得ない。侯爵家のウィリアムが娼婦である女にこの様な態度をすることなど。けれど今、ウィリアムは恥も外聞も全て捨てて、何をしてでもアーサーに会うのだと……ただ、それだけを考えていた。


「ふふ。面白いことを仰いますのね。私の様な賤しい身分の女が、あなたのような高貴な方にして差し上げられることなど、ある筈がございませんのに」

 ヴァイオレットは右手に持つ扇をさっと開いて口元を隠すと、クスクスと声を上げて笑う。――けれど、それでもウィリアムは……彼女から決して眼を逸らさない。


「いいえ。決してその様なことはございません。もう私は貴方に頼るほか無いのです。

 ミズ・フラメル、貴方は聞いているのでしょう。私はアーサーを傷つけた。彼に謝罪しなければならないのです。どうか彼に合わせて下さい。お願いだ。貴方の力をお貸し下さい、もしも貴方の心にわずかでも彼を想う気持ちがあるのなら」

「――!」

 ウィリアムの懇願に、ヴァイオレットの目尻がぴくりと動く。そして再びクスクスと笑った。


「殿下を想う気持ちなどと……本当に失礼な物言いですこと。まぁ……でも、宜しいですわ。私も最近のあの方には少々手を焼いておりますの。……それに」

「……」

 刹那――ヴァイオレットの声が、これでもかと言うほど低くなる。


「……あの方は……私よりも……」

 そう呟いた彼女の瞳はせどこか切なげに揺れていて、ウィリアムは思わず眉をひそめた。目の前の彼女もまた、自分の軽率な行動によって傷ついているのだと、悟ったのだ。


「……」

 あぁ、それなのに、彼女は今、自分をアーサーに会わせると言った。心の奥底ではきっと、受け入れがたいことなのだろうに……。


 ヴァイオレットの空色の瞳が、哀しげに揺らめく。けれど彼女はウィリアムの自分を見つめる視線に気が付くと、ドレスの裾をふわりと翻して彼に背を向けた。そして再び、呟く。


「少しお待ちを。衛兵を追い払って参りますわ」

「――あ」

 彼女は水面を優しく撫でるような声でそう言って、立ち尽くしたままのウィリアムから離れていく。そして扉の前に立つ近衛兵に顔を寄せると、その耳元で何事かを囁いた。するとどういう訳か、二人は血相を変えてその場から走り去っていく。


 その姿に――一体彼女は二人に何を言ったのだろうかと、ウィリアムは今日何度目かの違和感を感じざるを得なかった。けれど、今はそんなことを気にしている場合では無い。


 ウィリアムは近衛兵の姿が見えなくなったことを確認すると、アーサーの居る部屋の扉の前へと足を向ける。ヴァイオレットは近衛兵の消えたその先を、どこか冷えた瞳で見据えていた。しかしそれはほんの一瞬のこと。彼女はウィリアムを振り返り、その頬に無難な笑みを浮かべる。


「――どうぞ中へ。ウィリアム様」


 彼女の白い手がドアノブにかかる。静かに扉が開かれた。それを合図に、ウィリアムは一歩――踏み出す。


「ミズ・フラメル。心から感謝致します」


 真剣な面持ちで、ウィリアムは部屋の奥へと入っていく。彼の喉が音を鳴らした。


 ――二ヶ月ぶりだ。あの日、アメリアが川に落ちた翌日、彼女の前に二度と姿を現すなとそう告げたきり、ウィリアムはアーサーに一度も会っていないのだ。


 ウィリアムの顔が緊張で強ばる。けれど、彼はもう足を止めることは無い。ウィリアムの背中が、部屋の奥へと消えていく。


 ヴァイオレットはそんな彼の背中をただ黙って見送ると――薄い笑みを浮かべて――その厚い扉を、音もなく閉ざした。


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