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06


「……っ」

 ウィリアムのその言葉に、アーサーの両目がこれでもかという程に見開かれる。何を言っているんだ……と、信じられないと……瞬き一つせず、彼は唇を震わせた。


「――綺麗……だと?」

 それは酷く擦れた声。そして彼は独り言のように「嘘だ」と続けた。


「嘘なんかじゃ――」

 ウィリアムにはそれが彼の心の悲鳴に聞こえて、どうしようもなく苦しくなった。

 一体何が彼をこうさせるのか、どうして彼はこんなにも辛そうなのか――と。

 

「……綺麗だよ」

 だから彼は繰り返す。アーサーの辛そうに歪められた表情を、どうにかしたくて。


「確かに珍しい色だ。でも、怖いなんてことあるわけない。すごく素敵だよ。君の右目は、夕暮れどきの空の色――僕の一番好きな色だ。本当だよ」

 それはウィリアムの本心だった。

 けれどだからこそ、そんなウィリアムの想いとは裏腹に、アーサーはその頬をさらに引きつらせる。目尻に丸い涙を浮かべ、眉を吊り上げ……ウィリアムに掴まれたままの腕を、まるで幽霊でも見ているかのように震わせながら。


「……は……ははっ」

 アーサーは既に気付いていた。今の言葉がウィリアムの心からの言葉なのだということを。彼の右目が彼自身にそう告げている――それは紛れもない真実なのだと。


 だがそれにもかかわらず、アーサーにはそれが信じられなかった。この忌まわしい赤い瞳を、綺麗だと言うその言葉が。何故なら今まで誰一人として、そんなことを言う者はいなかったのだから。


 まして相手はウィリアムである。――もう一人の自分が以前“気を付けろ”と言っていた、ルイスの主人。去年のアーサーの誕生日パーティー以来、一度も表に出てこないもう一人の自分。その彼の残した“嫌な予感がする”という言葉。それがもしやこのことなのではと、ウィリアムに知られ、そこから噂となって自分のこの目のことを周りに知られてしまうことなのではないかと……アーサーの傷ついた心を、いつになく頑なにさせていた。


「……ウェールズ?」

「――っ」

 しかしそんなアーサーの考えを知る由もないウィリアムは、ただただ心配そうにアーサーの顔を覗き込む。くっきりとした、迷いのない瞳で。その視線に、アーサーは再び逃げるように、顔を逸らした。


 もしこの場に誰かが通りかかったとしたら、ウィリアムがアーサーを泣かせているようにしか見えないだろう。いや、実際それは事実であるのだが。


 けれどウィリアムにはそんなつもりは欠片もない。彼はただ、こんなアーサーを見ていられなくて、ただ、謝りたくて……本当にそれだけだった。だから彼は、何か決意したように唇を結ぶと、アーサーの腕を掴んだまま歩きだす。


「――、なに……」

 ――するんだ、とアーサーはウィリアムの背中に向かって言いかけた。ウィリアムはそれを遮るように、だが振り返ることなく応える。


「寮に戻るんだろう?僕も一緒に行くよ」

「必要……ない」

「そんなわけあるか。泣く程痛いくせに」

「――っ」

 ウィリアムはわかっていた。彼のこの表情の理由が、今にも泣きだしそうに滲むオッドアイは、当たったボールの痛みのせいではないことに。けれど、そのせいにした方がきっとアーサーにとっても都合がいいだろうと考えて、こう言ったのだ。そしてそれは間違いではなかった。


 アーサーは何か諦めたように、それ以上ウィリアムを拒絶することなくただ黙って手を引かれ……歩き続ける。


 そしてその手は二人が寮の部屋に着くまで、決して離れることはなかった。


***


 ――そこまで話して、何か思うところがあったのだろうか。ウィリアムは一度口をつぐんだ。闇の中で彼の腕に抱かれるアメリアが、ウィリアムの顔を伺うように見上げる。


「どうかしたの?」

「……いや」

 ウィリアムはようやく思い出していた。あの日、寮に戻ったアーサーが呟いていた言葉を。氷袋を取りに行ったウィリアムが部屋の扉を開けようとしたとき、ドアの隙間から聞こえたアーサーの呻くようなあの声を。彼はあの時言ったのだ。どうしてよりによって……、と。


 その時は特に気にもならなかった。けれど、今ならばその意味がはっきりとわかる。アーサーはこう言いたかったのだ。


 ――どうしてよりによって、ルイスの主人であるウィリアムにこの赤い目を見られてしまったのか、と。

  

 あぁ、それはつまり、あの時既にアーサーはルイスのことを知っていたということだ。ルイスの存在を知っていて、それでもアーサーはあの日以来一度だって、ウィリアムを(おおやけ)に拒絶することはなかった。拒否しようと思えば出来たのに、ルイスに近づくまいとするならばそうできた筈なのに、それでも何かと理由をつけてアーサーと行動を共にしようとするウィリアムを、彼は困った顔をしながら受け入れてくれたのだ。

 その理由は今でもわからない。けれど、きっとそれがアーサーにとって不本意なものだったことは……確実だ。


「――ウィリアム?」

 アメリアのガラス玉の様な瞳がウィリアムの顔を覗き込む。彼はその視線にハッとすると、何かを確信したように再び口を開いた。


「アーサーはあの時、既にルイスの存在を知っていたのか。そしてそれは恐らく……ルイスも同じだった筈。だが、それをこの十年の間、ずっと隠していた……と。そういうことか……?」

 彼はそう言って顔をしかめる。


「……どうしてだ。何か言えない理由があったのか……?何故アーサーはルイスを知っていながら、俺を……」

 狼狽えるように瞳を揺らすウィリアム。アメリアはそんな彼の首にそっと手を回した。そして、彼を落ち着かせるように微笑む。


「今の話が本当なら……ウィリアム。私、アーサー様の気持ちがわかる気がするわ」

 その言葉にウィリアムは再び眉をひそめた。そして、思い当たる。アメリアがルイスやアーサーと……そして自分と同じ普通の人間ではないのだということに。その詳しい力については、まだわからないけれど。


「……どういう、ことだ」

「私ね、あの日、ルイスに聞いたの。ライオネルの屋敷で、彼に尋ねたのよ。アーサー様に忠告を受けたことを。どうしてアーサー様があんなことを言ったのかって」

「……」

 ウィリアムは黙って、アメリアの言葉を待つ。


「アーサー様のその赤い瞳は、何もかもを覗いてしまえる瞳なのですって。見つめた者の心を覗いてしまる瞳なのだって。でも、そんなアーサー様にもルイスの心が読めなかった。それであの方は、ルイスを恐れて遠ざけたのよ、きっと。……だけど」

「……けど?」

 アメリアは一呼吸おいて、続ける。


「あなたの心に嘘が無いことに、アーサー様は心を動かされたんだわ。だって、人の心読んでしまえるなんて、……たくさん辛い思いをされて来た筈よ。だから……あなたに心を許してしまったのよ。どうしようもなく」

「……」

 その言葉に、ウィリアムの脳裏に過るのは――アーサーの酷く傷ついた顔。“二度と姿を見せるな”と、そう告げたときの絶望に歪んだあの表情。


「俺は……何てことを――」

 そうだったのだ、あの時アーサーが顔を逸らしたのは、俺の心を読まないようにする為だった。――ようやくそれに気が付いて、ウィリアムは奥歯を噛み締める。

 それは何という名の感情だったか。久しく感情を閉ざしていた、いや、心を無くしていた彼にとっては、それが怒りなのか焦りなのか……それすらもわからなかった。


 けれど、そんな彼にもただ一つだけわかることがある。それはルイスがウィリアムの為にアーサーを騙し、そしてアーサーはそれに気が付いていながら黙って身を引いたのだということ。そして自分は何一つ知らないままに、自分自身の名誉を守る為だけにアーサーを傷つけたのだ。


 ――あぁ、自分はなんと浅はかなことをしたのだろう。歳を重ねるごとに膨らんでいく心をルイスに預けているうちに、感情を忘れ、そしていつの間にか考えることすら忘れていた。いや、違う。感じることを忘れてしまったのだ。気が付かないうちに、捨て去ってしまっていたのだ。


「……俺、は……」

 ルイスの言葉を信じ切ってしまっていた自分自身への怒りが、彼の心を黒く塗りつぶしていく。


 ――ルイスを憎いとは思わない、罵るつもりも、否定するつもりもない。ルイスは確かにウィリアムを裏切った、だがそれでも彼の行いは、ウィリアムの為を考えてのことだったのだろうから。ウィリアムとアメリアの心をつなげるために、必要なことだったのだろうから。

 しかし、自分のアーサーへの行いは……。何の落ち度もない彼へ突きつけたあの言葉は……決して許されていいものでは無い。


 ウィリアムは唇を固く結んで、思い詰めるように目を細めた。けれど、それを解すように――彼の薄い唇に落とされる、アメリアの柔らかな唇。彼女はウィリアムの耳元で、そっと囁く。


「大丈夫、大丈夫よ。話し合えば――わかってもらえるわ。素直に、ありのままの気持ちを伝えればいいのよ」

「……アメリア」

「あなたは私を受け入れてくれたわ。だから、アーサー様もきっと」

 そう言って、彼女は微笑んだ。――それは、どこか儚げに。

 とても美しいのに……それがどうしてか、ウィリアムには寂し気に見えて――心の隅に何かが引っかかったような気がした。けれど、彼はどうにか言葉を絞り出す。


「……そう、だな。君の言うとおりだ。誠心誠意謝罪するよ。例え許されなくても……それが礼儀だ」

「……ええ」

「明日にでも、行ってくる」

 彼は続ける。

 

「……だから……と言ってはおかしいが……。なぁ、アメリア」

「……?」


「明日、俺が帰ったら……君の話も聞かせてくれないか?君の……ことを」

「――」

 ウィリアムの言葉に、アメリアの瞳に映る彼の影が一瞬――ほんの一瞬だけ、揺れる。けれど……直ぐに、彼女は目じりを下げて。


「ええ。わかったわ」


 にこりと――今にも散ってしまいそうな――花の様に可憐な笑みを、静かに……浮かべた。



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