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03


***


「じゃあ、また来週な!アーサー」


 日が傾き始めた頃、ヘンリーは僕に向かって大きく手を振りながら帰って行った。

 僕はその背中が城の門の方へと消えて行くのを見届けてから、自分の部屋へと足を向ける。


 東側の階段を三階まで上がり、長い廊下を進んだ先にあるのが僕の部屋。扉を開けると、(ぬる)い風が僕の横を駆け抜けた。


「――、あれ?」


 おかしいな、窓が開いている。ちゃんと閉めて行った筈なのに。


 僕は部屋に入って扉を閉めると、部屋の中を見渡した。部屋の中はいつもと変わらない。テーブルとソファと本棚に、それから小さな棚と、テラスへと続くガラス扉に……あれ?


 僕は気づく。寝室へと続く扉が、わずかに開いていることに。……おかしい。寝室のドアを閉め忘れることなんてないのに。もしかして、誰か入った?いやいや、侍女がこの部屋に入ることはあっても、寝室にまで入ることは無いはずだ。それに、窓を閉め忘れるなんてことも……。


 僕はそうっと寝室への扉に近づき、中を覗く。部屋の中はほのかなオレンジ色の光で満たされていた。一見朝と何も変わらないように見える僕の寝室。僕は安堵して、ゆっくりと部屋に足を踏み入れる。


「――え?」


 そこで、ようやく気が付いた。部屋の奥の壁に背を付けて鎮座している、僕には大きすぎるキングサイズのベッド。そこに、一人の女の子が横たわっていたのだ。


 金色の美しい髪をベッドに流すようにして、すやすやと寝息をたてている女の子。僕より少し年上そうに見えるその子は、その外見に似合わないような暗い色の地味なドレスを身にまとっていた。


「……誰?」


 僕はベッドに近づいて呟く。けれど女の子はぐっすり寝ていて、起きる様子は全く無かった。


「……えぇ」


 僕は混乱する。見たこともない女の子。僕の部屋にいるってことは貴族か使用人なのだろうけれど、見たところ貴族っぽい服装では無い。かと言って使用人にしては子供すぎるし、そもそも僕はこの城で働く使用人の顔を全員把握しているのだ。だから、この子が使用人というのもあり得ない。


「……」


 僕はとうとう困り果て、仕方がないのでそのまま寝かせておくことにした。こんなに気持ちよさそうに寝ているのだから、起こすのは可哀そうだと考えて。


 僕は窓を開けて、部屋の空気を入れ替える。それから寝室の端に置かれたテーブルの椅子をベッドの傍に持ってきて、そこに座った。


 僕は女の子の寝顔を眺めながら、思う。――可愛い子だなぁ、と。


「まつ毛……長い」


 それに、何故だろう。初対面の人に会ったときはいつも感じる、不信感と、猜疑心。それが不思議と芽生えてこない。そう言えばヘンリーに会ったときもそうだった。……何故だろう、この子が今、寝ているからなのかな。


 僕はそんなことを考えながら、伸びをする。

 ――あぁ、疲れたな、眠い……。ヘンリーが居なくなったら……僕は、どうしよう、かな……。


 ぼうっとした頭でそんなことを考えながら、僕は椅子に座ったまま、ゆっくりと目を閉じた。

 窓から吹き込む夕暮れの風が僕の頬を撫でていく。その風を感じながら、僕は静かに夢の中に落ちていった。



***


 

 そして数時間後、僕が侍女に起こされたときには、既に()はベッドから居なくなっていた。

 そのことに僕はとてもショックを受けた。昼間、ヘンリーの言葉に傷付いた時以上に。そして同時に、自分がそれほどショックを受けていることに驚いた。


 なぜこんな気持ちになるのだろう……、そう考えて、僕はすぐに思い至る。

 多分、そう、僕は君に恋をしてしまったのだ。一目見て、好きになってしまっていたのだ。君の金色に輝くつややかな髪に、君の可愛らしい寝顔に――。


 だけど僕は、城の者に君が誰か尋ねることはしなかった。だって、もしも君が僕のベッドで寝ていたことが皆に知られてしまったら、君が罰を受けるかもしれないと思ったから。七年前のあの日、首を刎ねられ死んでしまった、侍女のように。


 だから僕は、君のことは諦めようと思った。たった一度会っただけの名前も知らない女の子。すぐに忘れられる、きっと悪い夢だったのだと、そう思い込もうとした。


 けれど、僕は再び出会ってしまった。この城の侍女見習いとして、新しく入ってきたのだという、君に。


 再び君を見つけたときの僕の心の動揺の凄まじさと言ったら……、きっと誰も想像出来ないだろう。

 僕のお付きの侍女の後ろについて、部屋の花瓶の花を取り換えているときの君の、その横顔を見つけたときの僕の気持ちは……。



「――君!」


 座っていた椅子を倒してしまいそうな勢いで、そこから立ち上がった僕の顔を、君はとても驚いた顔で見つめていたよね。


「君の、名前は?」


 僕が恐る恐るそう尋ねると、君は少しだけ困ったような顔をして、侍女の方をちらりと見上げた。けれど侍女が頷くのを確認すると、君はすぐに、その可愛らしい顔にふわりとした笑みを浮かべる。そして――。


「ヴァイオレットと申します、アーサー王太子殿下」

「――っ」


 瞬間、僕に向けられた可憐な微笑み。その愛らしさに、僕は思わず息をのんだ。

 その声の、鈴の様な軽やかさに、その瞳の涼やかさに。

 僕の心は、君のその声と笑顔に、一瞬で捕らわれたのだ。



 あぁ――ヴァイオレット、ヴァイオレット。


 こんな気持ちは初めてだ。こんな気持ち、今まで一度だって感じた事がない。胸が高鳴る。心臓が破裂しそうな程に。今にも脳が溶けてしまいそうな程に。


 君以外の他の全てのことが、取るに足らないことだと思えてしまう。今までの僕の苦しみさえも、ちっぽけなことだと思わされる程に――。


「……ヴァイオ、レット」


 僕は君の名を、呟く。


「はい、殿下」


 すると、はにかんだ様な笑顔を見せる、君。


 あぁ……君は何て素敵な人なんだろう。僕はずっと諦めていた。誰かに愛されることを、そして誰かを愛することを。

 僕に人を愛する事なんて、絶対に出来ないだろうと、そんな日は来ないであろうと――。


 だけどそんな風に考えるのは、もうお終いだ。

 僕は、君を愛したい。僕は、君に愛されたい。


 僕は……君が、欲しい。



 僕はただじっとヴァイオレットを見つめ続けた。


 君が侍女だろうと関係ない。僕は必ず、君を手に入れてみせる。僕はそう、自分の心に固く誓った。



 それが、僕とヴァイオレットの出会いだった。僕が十歳、そしてヴァイオレットが十二歳のときの、ありふれた秋の日の出来事だった。


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