03
「それ……一体どういう意味……?」
私が茫然と呟くと、ルイスは少しだけ困ったように目じりを下げる。
「私と彼がこんなことになっているのは……あなたとアーサー様が原因だと……そういう、こと?」
「……」
私の問いに、無言のまま目を細めるルイス。
恐らく、それ以上は言えないと言うことなのだろう。けれど、流石にこれだけの情報では――。
私はルイスの黒い瞳をじっと見つめ、再び尋ねる。
「ルイス、お願いよ、これだけは聞かせてちょうだい。前にあなたは言ったわよね。ウィリアムの命を……必ず助けると。
でも、今のあなたの話が本当なら……もし本当にエリオットが生きているのだとしたら……私がずっと追いかけてきた彼は……何だったの?あなたが助けたいのは、本当にウィリアムなの?私は一体何を信じればいいの……?」
もしも――もしも本当にエリオットが生きているなら――彼が私の前に現れたら……私は間違いなく、エリオットを選ぶだろう。
そう思っていた。少なくとも……あの日までは。――なのに。
今の私は確かにウィリアムを愛してしまっている。エリオットとは、別の人格のウィリアムを。
顔や形、そしてその魂も、あの頃のエリオットと同じ……そう信じて疑わなかったウィリアムを……。
それなのに……もしそれが間違いだったとしたら、私は――一体何を信じたらいいのかわからなくなってしまう。
どうやって彼を愛したらいいのか……わからなくなってしまう。何も、信じられなくなる。
けれど、ルイスは私の問いには決して答えようとはしなかった。
彼はただ、夜色の瞳を切なげに揺らめかせるだけ。
その表情に、私はただ――悟る。
「……わかっているわ。わざと……なのよね。あなたはいつだって、意味の無いことは言わなかった。今、それを私に伝えるその理由があるのよね。
それがただ私の心を乱す為なのか……それはわからないわ。だけど、これだけは言わせて。
私は、あなたとした約束……ちゃんと守ったわ。ウィリアムを愛して――愛された。だから……あなたも守ってちょうだい。私がこれからウィリアムを裏切ることになっても……命だけは助けてちょうだい」
私の言葉に、ルイスは再び悲し気に微笑む。
「――それは、あなたがエリオットを選ぶ……という意味でしょうか」
そして、今にも震えだしそうな声で呟くルイス。
その言葉に、私は首を横に振る。
「違うわ。私たち、契約したでしょう?あなたと共に行くか、あなたの命を奪うのか。
だから、エリオットを選ぶなんて出来ない。私、もしもウィリアムが偽物だったとしても、もういいのよ。
私は今、確かにウィリアムを愛している。千年追いかけ続けてきたのよ。もし彼がエリオットじゃなかったとしても、その時間は嘘じゃなかった。それを否定したら今までの私自身を否定することになる。それは……嫌なのよ」
私は、ルイスの瞳をじっと見つめる。彼の心を、少しでも知りたくて。
「それに……最初からウィリアムとは別れるつもりだったもの。自分の為にあなたを手にかけるなんてこと――出来る筈がないじゃない。
私……あなたと行くわ。覚悟は出来ている。だからそんな顔しないで。あなたとアーサー様に何があったのか知らないけど、私、最後まであなたに従うわ。そういう、契約よ」
「――っ」
私の言葉に、酷く顔を歪めるルイス。
それはまるで、何か大切なものを失くしたときのように、心臓にナイフを突き立てられたように――。
ああ、……どうして、なぜ彼はいつもこんなに辛そうな顔をするのだろう。
どうして彼は、いつも私の心を搔き乱すのだろう。
どうして私たちは――こんなに悩まなければ、苦しまなければならないのだろう。
わからない、わからない。何も、まだわからない。――でも……。
「話してくれなくてもいい。あなたの全てを知りたいなんて、真実を知りたいなんて思わない。私は今を生きてるもの。だからもう、自分を傷つけることはしなくていいのよ。……私の言葉に、そんな顔しなくて……いいのよ。
私……あなたに本当に感謝しているわ。あなたのお陰でもう一度人を愛することが出来た。あの頃の気持ちを、心を、思い出すことができた。例えそれが……過去に愛した彼じゃなかったとしても、この二か月は、決して無駄ではなかった。この気持ちは……ちゃんと、本物だから」
「……アメリア……様」
私の視線の先の――ルイスが俯く。そして彼は、絞り出すように、告げた。
「――そんなこと、言わないでください。僕はあなたにそんな言葉をかけて貰えるような、いい人間じゃないんです」
そして彼は、自嘲気味に口角を上げる。彼の前髪が、わずかに瞼にかかる黒い髪から覗く暗い瞳が――嗤う。
「僕はあなたを騙してる。僕はウィリアム様を裏切った。僕は――アーサーを心の底から憎んでいる。全部全部、すべてをぶち壊したくて堪らないんですよ。
もう、全ての準備は整ってしまいました。僕は――僕らはもう本当に、後戻りは出来ない」
「……ルイス……あなた」
「僕は、アーサーを亡き者にする為に今まで生きて来たんです。彼の中に眠っている――あのころの彼を。
僕は……その為にウィリアム様に近づいた。僕は――その為にずっとずっと堪えてきた。何年も――何十年も、何百年も――、僕の心にはもう……彼への恨みしか……無いんだ」
俯いたまま――ただ辛そうに顔を歪めるルイスは――苦しそうに呟いて。
私はどうしようもなく、悲しくなった。
彼もまた、苦しんでいるのだ。その理由はわからないけれど、彼も過去の記憶に縛られているのだ。かつての私と同じ様に。
「僕はね、もうすぐ死ぬんですよ。何度も生まれ変わる間に力を溜め込み過ぎて……彼への恨みが強すぎて……余り長くは生きられない。肉体が堪えられないんです。
だからあなたを焚きつけて事を急いだ。つまり僕は、あなたに殺されなくても……死ぬってことです」
「――っ」
「ですからどうかお早く、真実に辿り着いて頂きますように。
ウィリアム様か、エリオットか……貴女がどちらを選ぶにせよ、選ばないにせよ……僕は……貴女の選択を尊重しますから」
泣き出しそうに滲む闇色の瞳が……月光に反射して、悲しく煌めく。
彼の心の奥の闇を垣間見たような気がして……私は言葉も忘れ、ただ立ち竦んだ。
「そんな顔しないで下さいよ。死なんて怖くない。慣れてますよ。貴女だってそうでしょう?」
けれどその言葉とは裏腹に、ルイスの表情は陰っていて……それはこの暗闇のせいだけでは無いだろうと、私は感じた。
ルイスは無言のままの私をちらりと見ると――そのまま視線を空へと移す。そして、薄く微笑んだ。
それはいつものような差し障りのない笑顔。美しい、作り笑い。
「さぁ、そろそろ部屋にお戻りになって下さい。貴女が居ないことにウィリアム様が気付いたら、きっとお騒ぎになられますから」
その横顔に、私は何とか言葉を振り絞る。
「……一緒に、戻りましょう?」
けれど彼は、横目でこちらを流し見てゆっくりと瞼を閉じると、首を振った。それはまるでもう――戻る場所など無いとでも、言うように……。
「おやすみなさいませ、アメリア様」
月明かりの下、怖いほどに穏やかなルイスの声だけが闇夜に響く。
それはまるで湖の水面に一枚の葉が舞い降りたかのように――冷えた空気を静かに優しく……震わせていった。




