02
***
「――ん……」
――温かい。それに、なんだかとても安心する。どうしてかしら……。そう思って私が薄っすらと目を開けると、そこには――。
「ウィリアム……?」
私はベッドの上で横たわり、ウィリアムに抱きしめられていた。彼の静かな寝息が、私の耳元をくすぐる。その状況に混乱する私の思考。
「……ええっと」
どうしてウィリアムが私のベッドにいるの?
そもそも私はいつの間に眠ってしまったのだろうか。
そう思った私は彼の腕に抱かれたまま、記憶を思い起こした。
そしてようやく、思い出す。そうだ、確か私は熱を出して……。
私はウィリアムの腕をそっとどかして、ゆっくりとベッドから起き上がってみた。
――うん、大丈夫。体調は悪くない。熱も下がっている……。けれど……それにしても――。
私は彼を起こさないようにベッドから静かに降りると、カーテンを少しだけ開けて外の様子を伺った。
もうとっくに日は暮れている。夜空には煌々と輝く月だけが浮かんでいた。
「さっきの……夢……」
私は先ほどまで見ていた夢の内容を思い出す。エリオットと過ごした日々。交わした約束。そして……。
「……おかしいわ」
私は呟く。
脳裏に過ぎるのは、森を包み込む赤い炎、自分自身の死ぬ間際の景色――。
でもそれは、全く身に覚えのない記憶。一体これはどういうことなのか。私の記憶では、エリオットは私の目の前で死んだ筈。けれど先ほどの夢では……。
「……私の方……だった」
私の記憶が間違っているというのだろうか。
確かにこの千年の間、思い出さないようにとずっと記憶の底に閉じ込めてきた。けれど、だからと言って記憶違いなんてこと……。
「……」
私は答えが出せないまま、窓の外の景色に目を移す。
すると屋敷の門の方から誰かが歩いて来ることに気が付いた。暗い敷地を迷い無くこちらに進んで来るその人は――紛れもなく。
「……ルイス?」
こんな時間に、何故――。
でもそうだ、ルイスならば何かわかるかもしれない。
私はルイスに話をしようと決めて、カーテンを閉め部屋を出た。
*
使用人が使う裏口を出たところで、丁度ルイスが現れた。
彼は私の姿を見て一瞬その足を止める。辺りは暗い為その顔色は伺えないが、恐らく驚いたのだろう。
「――貴女でしたか」
ルイスは呟いて、小さく溜息をついた。
「このような時間にどうされました?……お加減はもう宜しいのです?」
そう言って、彼は私の目の前に立つとじっとこちらを見下ろす。
彼の漆黒の瞳が――一瞬だけ揺れたような気がした。
「ええ。もう熱は下がったわ」
そう答えると、ルイスは「ああ」と呟く。
「……声――戻られたのでしたね。本当に良かったです」
けれどその声はあまり嬉しそうなものではなかった。
というより……どちらかと言えば心ここにあらず、といったところか……。このようなルイス、珍しい。
もしかして、こんな真夜中に出かけていたことに何か理由があるのだろうか。
「……あなた、こんな時間にどこに行っていたの?」
私が尋ねると、ルイスはどこか躊躇うように俯いた。
そしてそのままゆっくりと月を見上げると、こちらを見ることなく言う。
「――少し、歩きませんか?」
「え……こんな暗い中を?」
「ええ。貴女だって、多少の夜目は利くでしょう?」
「……それは、そう……だけど」
――何だろう。やっぱり様子がおかしい……。
私はルイスの横顔に形容しがたい不安を心に感じながら、「いいわ」と小さく呟いた。
*
私とルイスは、月明かりに照らされた広い庭を歩いていた。
普通の人ならば足元さえ見えない程の暗さだが――私とルイスは多少の暗さなら平気である。
私は夜空を見上げながら――ルイスの少し後ろに着いて進んでいた。が――ふと、庭の中央辺りに来たところで、ルイスの足が止まる。
「――ウィリアム様と、お心が通じ合ったようですね」
「――っ」
――そう、やはり……その話……。この二か月、一度も話題にならなかったけれど。
ルイスはゆっくりと、こちらを振り向いた。彼の黒髪が、秋の夜風に揺れる。
「貴女は僕に、何か聞きたいことがあるのでは?」
「……」
それは――もしや、先ほどの夢のことを言っているのだろうか。
ルイスはやはり何か知っているのだ。ウィリアムの愛を手に入れた途端に見た――先ほどの夢、覚えのない記憶。それについて、ルイスは――。
「私、夢を見たのよ。千年前に、私が死んだときの夢……。
でも、覚えが無いの。そんな記憶、私の中にはどこにもないのよ。あれはただの夢だったのかしら……。私の、作り上げた夢だったのかしら――。それとも……」
私の問いに、ルイスが――一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。
月の淡い光に、彼の漆黒の瞳が妖しく輝く。そして、彼は冷たく微笑んだ。
「夢ではありませんよ」
「――ッ」
その言葉に、彼から放たれる黒いオーラに、思わず私は後ずさる。
まるでこれは、あの日――ルイスと契約を交わしたあの時のようで。――けれど、私はもう二度と逃げないと……決めたのだ。
「どうして、わかるの……。あなたは本当に、何者なの?」
――ルイスの瞳が、細められる。そして。
「――エリオット」
「――っ」
彼の口から放たれた名前に、私は息をのんだ。
だって、それは今まで誰にも話したことがない彼の名前で。誰も知るはずのない、かつての恋人の名前で――。
「……どうして、その名前を」
「さぁ、どうしてでしょうね。――なぁんて、意地悪するつもりはありませんよ。……どうぞ、これを」
そう言って差し出されたルイスの右手には――月明かりにきらりと輝く二本の銀色の髪飾り。昼間、私がニックと……そして、あの男に刺した筈の、決してルイスが持っている筈のないものだった。
「――……どうして、これを」
一本は恐らくライオネルから預かったものだろう。けれど――もう一本は……。
「あの男には、貴方に傷をつけた相応の報いを受けて貰いましたよ」
ルイスの口が――にやりと歪んだ。けれどもう私は、そんなことでは驚いたりしない。そう――今、問題なのは……。
「その男とエリオットに……何の関係があるのよ」
私は彼を見据える。
すると今度は急に真顔になる、ルイス。
「その男が言っていたのですよ。あなたを襲うように指示したのは――“エリオット”という男だと」
「――ッ」
ルイスの瞳が――揺らめく。
「やはり、そうなのですね。“エリオット”とは、かつてのウィリアム様の名前なのですね……」
――確かに、それはその通りだ。だけど……。
「そんな……あり得ないわ。だって、私――誰にも彼の名前を教えたことは無いのよ。なのに、どうしてその名前を――誰が、何の目的で彼の名前を語る必要があるっていうのよ……ッ!」
そうよ――あり得ない。だって、だって……。
「あり得ない?貴女がそれを言いますか?それを言うなら僕らの様な存在こそあり得ないでしょう。
それに、勘違いしないで下さい。僕は、誰かがその名前を語っているのだと言っている訳ではありません」
「――ッ」
ルイスの声が――低くなる。
「僕は――“エリオット”が生きているのでは、と言っているんですよ」
「――そん……な。それこそ……有り得ないわ。だってそしたら、ウィリアムは……?彼の魂は確かにエリオットのものなのよ!それは間違えようの無い事実だわ!」
そうよ。もしエリオットが生きているなんてことになったら、ウィリアムはどうなるのよ。ウィリアムは一体、誰だって言うのよ!
けれどルイスは、そんな風に狼狽える私をじっと見つめ、冷静な口調で続ける。
「アメリア様、落ち着いて聞いて下さい。
貴女の夢――そこに答えがある筈です。貴女とウィリアム様の距離が縮まれば、自ずと答えは見えて来る筈。思い出して下さい、アメリア様。そうすれば僕が、あなたをそこから解放して差し上げます。ウィリアム様か――エリオットか、どちらが本物で、或いはどちらも偽物なのか……それだけは僕にもわからない。貴女にしか、知ることが出来ない真実です」
「――、どういう……こと?どうしてあなたに、そんなことがわかるのよ」
そう問い掛けてルイスを見上げれば、その頭上に輝く月の寂光が彼の黒髪を淡く照らし――。
「……それは僕が――いえ、僕とかつてのアーサー様が、全ての元凶だからですよ」
今にも泣き出しそうに――微笑んだ。