01
「ルイス、入るぞ」
日も入りかけたころ、ウィリアムはルイスの部屋の扉を叩いていた。
ウィリアムはルイスの返事を待たずに扉を開ける。この部屋に入るのはずいぶんと久しいな――と、相変わらず殺風景な部屋を見回しながら、ウィリアムは部屋に入って静かに戸を閉めた。
「……ずいぶんと長かったですね」
ルイスは自分のベッドに腰かけたまま、ウィリアムを横目でちらりと見やる。彼は今ベストを脱ぎ、白いシャツのボタンを上から二つ開け、肘の辺りまで袖をまくって気だるげに体重をベッドに預けていた。それは普段の彼であれば決して他人に見せないような、本来の姿。ウィリアムにだってほとんど見せることは無い――ルイスの素顔。
「あぁ、だいぶ絞られたよ。女というのは恐ろしいな……」
ウィリアムは先ほどまでのハンナの、自分に向ける恨めしそうな表情を思い出しながら、ルイスの横に腰を下ろした。ソファさえないこの部屋だ。座る場所は限られている。
「仕方が無いでしょう。貴方がアメリア様から目を離さなければあんな騒ぎにはならなかったわけですし。ましてハンナを一人置き去りにしてしまったわけですから……そりゃあ小言の一つも言いたくもなるでしょうよ」
たしなめるようなルイスの声音に、ウィリアムは無言で目を伏せる。一応、反省はしているようだ。ルイスはそんなウィリアムの心中を察しつつ、「ところで――」と続けた。
「街で僕が貴方に言った言葉の意味をお聞きになりたいのですよね」
――ルイスは自分の革靴のつま先を見つめ、静かに息を吐く。その顔色は蒼白で、どう見ても体調は良くなさそうで――けれどそれを話す為に、彼はウィリアムを待っていたのだ。ルイスは額に浮かぶ汗をぬぐうことさえ煩わし気に眉をひそめると、自分の横顔を見つめるウィリアムにゆっくりと視線を移した。
「僕は貴方に嘘をつきました」
そして彼は淡々とした口調でそう言うと、ウィリアムの反応を伺うように少しだけ微笑んだ。そんなルイスの表情に、ウィリアムは眉をひそめる。
「――お前が嘘をつくのはいつものことだろう」
そうだ。ルイスはいつだって嘘つきだ。本当の名前も、年も、その生まれ持った力も、何もかもが本当か嘘がわからない。だから今さら嘘をついていたなどと言われたところで、ウィリアムは何も驚くことはなかった。ただ一点、自分からそれを告白してくるというその行為。それは今まで一度だって無かったことであり、それだけはウィリアムの心に酷く違和感を与えたが……。
「いいえ、今回のことは――今貴方が考えているような嘘ではありません。こう言えばわかりますか。――僕は、あなたを裏切った」
「――ッ」
”裏切り”――その言葉に、ウィリアムの目が見開かれる。その瞳が――一瞬、恐怖の色に――揺れた。そんなウィリアムに、ルイスは追い打ちをかけるように「あの日――」と続ける。
「アーサー様はアメリア様に何も手出しはしていないのです。アメリア様は、あの時、死ぬつもりなど無かったのです」
そう、感情のない声でただ事実を述べるルイス。けれどそれとは対照的に、ウィリアムは意味がわからないと肩を震わせた。
「でも、アーサーはあの時何も……」
そうだ。ウィリアムだってルイスの言葉だけを信じ切っていた訳ではない。誤解なら誤解だとアーサーは言うだろうと、そう思って彼はあのような言葉を口にしたのだ。けれどアーサーは何も言わなかった。だからウィリアムはルイスの言葉を信じたのである。
――それが全て間違いだったと?アーサーのあの態度も、間違いだったというのか……?――ウィリアムの脳裏に過るのは、あの日のアーサーの……酷く傷ついた表情。
「何故、何故だ。どうしてそんなことを……」
ウィリアムは視線を泳がせる。ルイスはいつだって嘘をつきつづけてきた。けれど、周りを巻き込む嘘は一度だってつかなかった筈だ。いや、違うか、ウィリアムの望む通りに事を進める為の嘘――いつだってルイスの嘘はそういう類のものだった。ならば、今回もそうだと言うのか……?そしてアメリアも、ルイスの嘘に加担していると……?そんな馬鹿な……。――そう、ウィリアムは頭を悩ませる。そんなウィリアムに、ルイスは一拍置いて再び口を開いた。
「ウィリアム様、僕が昔貴方と交わした契約――覚えていらっしゃいますよね。それを全うする、その為に、貴方にはアメリア様と親密になってもらう必要があったのです。本当はもっと時間をかけてやるべきことでしたが、僕にはもう時間がありません。だから……どうしてもアーサー様が邪魔に……。彼には悪いことをしたと思っています。けれど彼は僕やアメリア様を警戒していましたから、どうしても彼を遠ざける必要があったのです」
ルイスは一呼吸で――まるで何かにまくし立てられているかの様に一気にそう述べた。そしてその告げられた内容に、ウィリアムは困惑げな顔を浮かべると、右手を掲げて言葉を遮る。
「……待て。ちょっと待ってくれ。いや……そんな、その口ぶりだと――アメリアとアーサーがまるで、お前と“同じ”だと言っている様に……聞こえるんだが」
確かにアメリアについてはウィリアムも薄々感づいてはいた。ルイスがアメリアを特別視する理由が何なのかと――そう考えたとき、ウィリアムにはそれしか理由が思い当たらなかった。けれどまさかアーサーまでもが……いや、やはりそうだったのかと……言うべきなのか。
狼狽えるウィリアムの様子に、ルイスは重たい腰を上げてそばにある丸テーブルへと歩み寄る。そしてウィリアムに背を向けたまま空のグラスにワインを注いで、ぐい――と一気に飲み干した。まるでそうせざるを得ないとでも言うように――ルイスは空になったグラスに再びワインを注ぎ――けれどそこで、手を止める。
「……ウィリアム様」
囁く程のその声は、窓から差し込む夕日に溶けて消えてしまいそうな憂いを感じさせた。それは二か月前のあの日――残された時間はあと僅かだと、そう言ったときと、同じように……。
ルイスはウィリアムに背中を向けたまま、告げる。
「……僕はもうすぐここを去ります。けれど、アメリア様が居れば――アメリア様なら、あなたの全てを受け入れることが出来る。彼女は確かに僕と同じだ。けれどあの方は僕なんかよりずっと普通で――人の心をまだ失っていない。あの方こそが、あなたの運命の人だ。僕はちゃんと……あの日の約束通り……貴方にふさわしい人を見つけましたよ。――だから……」
「……」
ルイスが、ゆっくりと――振り向く。夕暮れの色に染まる――彼の黒い瞳。
「貴方から預かっていたものを、今こそ……お返しさせて頂いても……宜しいでしょうか」
「――ッ」
そう言ったルイスの表情は、怖いほどに穏やかで――ウィリアムはもうそれ以上何も言えずに、ただ黙って俯くことしか出来なかった。そんなウィリアムに、ルイスはただ――微笑む。
「大丈夫、大丈夫ですよ。怖がらなくていいんです。僕はちゃんと最後まで見届けるつもりでいます。だから――アメリア様を愛してしまわれて、いいんですよ。……それに――そうでなくても、もう僕の力ではあなたの力を抑えることが難しい。――悔しいですが……僕はもう貴方のルークでは居られない」
「――何を、言うんだ。俺はお前のことをそんな風に思ったことは一度だって――」
「ええ、ええ。わかっておりますよ。ですがこれはもう決定事項。流石の僕も時間に逆らうことは出来ません。
さぁ、これで話はお終いです。ですが――いいですか、アメリア様には今話したことは内密に。あの方は本当に何も知りません。僕のついた嘘も――彼女は何も知りませんから。
そして貴方には今まで通り――いえ、今まで以上にきちんとアメリア様と向きあって頂きたいのです。それが、僕の願いです」
ルイスの瞳に揺れる悲哀の感情。それが、ウィリアムの冷え切った心を溶かしていく。いや、欠けた心を補完していくと言った方が正しいのかもしれない。
「ウィリアム様……」
そう呟いて、ルイスは慈しむようにウィリアムの右手を取った。すると同時に、ウィリアムの中に流れ込む――熱い、何か。
「――ッ」
ウィリアムの顔が不快に歪む。けれど、ルイスは手を決して離さなかった。そしてウィリアムも、ルイスのその手をはねのけることをしなかった。それはルイスから流れ込むソレの懐かしさへのせいなのか。若しくはルイスへの誠意だったのか……ウィリアム自身にもわからない気持ちであった。
ルイスは暫くの間ウィリアムの右手を掴んで離さなかったが、自分の中のソレが全てウィリアムの中へと流れ込んだことを確認すると、ようやくその手をそっと離し、再び微笑む。
「――さぁ、これであなたは元通り。僕にはもう貴方のお心を読むことは出来ません。もうその心は貴方だけの物。ウィリアム様、貴方と僕が交わした契約は、今この時を持って終了しました。…………自由に――生きて下さいね」
そう言って切なげに――瞳を揺らした。その表情に、ウィリアムは今にもルイスが消えてしまうのではないかという想いに駆られる。有り得ない話では無い。何故なら今彼は、契約は終了したと――そう言ったのだから。
だが、ウィリアムはまだそれを決して許すつもりは無かった。だから彼は目の前に佇むルイスに、睨むような視線を向ける。
「ルイス、俺はまだお前を手放すつもりはない。俺がいいと言うまで絶対にここにいろ。彼女の――アメリアの幸せを、その目で最後まで見届けろ。これはお前の主人としての、命令だ」
その言葉に、目を細めるルイス。
「――ええ。きちんと見届けさせて頂きますよ。貴方とあの方の微笑む姿を――この目に焼き付けるまでは」
夕暮れ時、窓から差し込む夕日のみが二人の姿を眩しく照らし、長く暗い影を――殺風景な部屋に落として行く。そんな中二人は、暫くの間静かに互いを見つめ合っていた。お互いの過去と――そしてこれからの未来に、淡い想いを馳せながら――。




